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15分で古文初段になれる豆知識

今朝の夜明け前の散歩の時に、近くの畑に椰子の木らしい木が数本立っているのを見て、島崎藤村の「椰子の実」を思い出して、それを数節、頭の中で考えていて、その時に、古文の基本自体は非常に簡単だのに、現代日本人はその知識が無いから、日本の古典文化と断絶しているのではないか、と思い至った。そして、それこそがDSやグローバリストの狙いではないか、と考えた次第だ。

そこで、「15分で古文の初段(黒帯)になれる」という文章を書こうかな、と考えて、今これを書きはじめたのである。
おそらくほとんどの日本人は、古文の最初のあたりの授業で「係り結び(の法則)」を習い、それにどういう意図や意義があるのか、さっぱり分からずうんざりして古文嫌いになったと思う。ところが、それは非常に簡単な理屈であり、しかも意義的にはそれを理解したら古文の「初段」になれるものなのである。有段者というのは、素人と隔絶した実力なのだが、「係り結び」の理解は、その初段への関門で、しかも、あきれるほど簡単なものなのである。学校の古文の授業はそれで終わりにして、後は古文を生徒に読ませて教師が生徒の疑問に答えるだけでいいくらいだ。

これから書くことは、ある日本語学者(大野晋という)の説で、学会では無視されている説だが、私はこれこそが係り結びの本質だと思っていることだ。
それは、「係助詞は終助詞が前に置かれたものである」という、いわば助詞の倒置説である。その倒置自体が読み手に「引っかかる」ことで印象的になるのである。

係り助詞は「ぞ、なむ、や、か、こそ」の5つだけである。しかもそれはすべて終助詞としても使えるのである。そのうち、「ぞ、なむ、こそ」の3つは「強意、強調」だから意味的には無視していい。

問題は「や、か」のふたつで、これは疑問助詞だから、重要な意味がある。それが倒置されて前に来ると、たいていの人は文意がつかめなくなるのである。

島崎藤村の「椰子の実」の中から例文を取る。

「元の樹は、生(お)い茂れる。
枝はな(を)も、影を成(な)せる。」 (漢字はうろ覚えで書いている)

この、赤字で書いた「や」を文末に持ってきたら、大野晋説が正しいこと、そして古文理解に大きな力になることは明白だろう。つまり、こうなる。(さらに意味を明瞭にするために文末の句点を疑問符にするが、それは蛇足だとは思う。)

「元の樹は、生い茂れる?」
枝はな(お)も、影を成せる?」

ちなみに、「なおも」を「なも」のように語調を優先して言葉を短縮したりするのは現代語(歌謡やジャーゴン・業界語)と同じである。(「なお」が古文で「なほ」か「なを」かは忘れたので、適当に書いた。)

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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
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