市民図書館から借りた「チェラブ」という変な題名のジュブナイルは、子ども向けの小説としては大きな問題がある内容だが、人間の本源的な悪を描いている点では「文学」ではある。
問題は「普通の子供(時には天使的な子供)」が、置かれた状況によって悪魔にもなる、ということだ。
世界中の悲惨さ、特に犯罪事件や戦争における悪の暴発は、そうした「社会的に教育された悪」によるものではないか。
この「チェラブ」という小説は、私立探偵をやっていた作者(ロバート・マカモア)が読書嫌いの甥のために書いたものがイギリスでベストセラーになったものだというが、内容は、「不良少年少女や孤児の中で、スパイになれる素質を持つ可能性のある者をスパイ訓練学校に入れて鍛え上げ、子どもスパイにする」という荒唐無稽なものであるが、第一巻「スカウト」の前半に書かれた内容のリアリティは、さすがに私立探偵経験から来ると思われる「徹底的な悪の描写(ただし、主に暴力描写であり、性描写は避けている)」が見事で、いわば「時計仕掛けのオレンジ」はまさしく今のイギリスの姿を予見していた、と思えるものだ。
そして問題は、そうした子供による悪や暴力は、彼らが社会から学んだものだ、ということだ。つまり、法はドジな奴しか罰せないし、法を免れることが簡単なら、悪事を犯さないほうが馬鹿だ、と彼らは「社会から学んでいる」のである。
ついでに言うと、チェラブという子供スパイ養成組織は「子供を完全な悪魔にする」組織と言ってもいい。その冷酷無比な訓練によって訓練生は超人的な戦闘能力を身につけるが、同時に温和な人間性(道徳性)を失い、悪魔化するのである。はたして、悪魔は「上司の命令にだけは無条件で従う」のかどうか疑問だが、そうするのも訓練次第だろう。善良な人間がいかに容易に非人間的になるかは、軍隊という存在(埴谷雄高の言葉を便宜的に借りれば「あいつは敵だ。敵は殺せ」という簡単な教育で兵士・殺人者を大量に作る組織)を見れば明白だし、有名な科学的実験もある。
ちなみに、チェラブのマークは「軍帽(ヘルメット)をかぶり、腰に弾帯を巻き、弓矢を今まさに射ようとしている『天使』の姿」である。まさしく、善がそのまま悪に変わるということだろうか。それとも「暴力こそ平和を作る」という偽善だろうか。おそらく後者だろう。
*追記すれば、「あいつは敵だ」とは、兵士本人が判断するのではなく、上司や上官、政府がそう決めるのである。つまり、兵士はこの場合、ただの機械、ロボットでしかない。戦場では、相手が「敵の軍服を着ているから敵だ」と判断するしかないので、相手が私服なら「こいつは便衣兵(私服の偽装兵)の可能性があるから、とりあえず殺せ」となる。(埴谷雄高のこの言葉は戦争ではなく「政治」について言われたものだが、戦争はまさにその尖端的状況である。)
*私は「チェラブ」第一巻の前半しか読んでいないし、読んで「楽しい」内容でもないので、残りを読むかどうかは未定である。しかし、「問題作」であるし、考察すべき大きな問題を含んでいるので、ここで宣伝する次第だ。まあ、第一巻前半だけ読むのも有益だと思う。
問題は「普通の子供(時には天使的な子供)」が、置かれた状況によって悪魔にもなる、ということだ。
世界中の悲惨さ、特に犯罪事件や戦争における悪の暴発は、そうした「社会的に教育された悪」によるものではないか。
この「チェラブ」という小説は、私立探偵をやっていた作者(ロバート・マカモア)が読書嫌いの甥のために書いたものがイギリスでベストセラーになったものだというが、内容は、「不良少年少女や孤児の中で、スパイになれる素質を持つ可能性のある者をスパイ訓練学校に入れて鍛え上げ、子どもスパイにする」という荒唐無稽なものであるが、第一巻「スカウト」の前半に書かれた内容のリアリティは、さすがに私立探偵経験から来ると思われる「徹底的な悪の描写(ただし、主に暴力描写であり、性描写は避けている)」が見事で、いわば「時計仕掛けのオレンジ」はまさしく今のイギリスの姿を予見していた、と思えるものだ。
そして問題は、そうした子供による悪や暴力は、彼らが社会から学んだものだ、ということだ。つまり、法はドジな奴しか罰せないし、法を免れることが簡単なら、悪事を犯さないほうが馬鹿だ、と彼らは「社会から学んでいる」のである。
ついでに言うと、チェラブという子供スパイ養成組織は「子供を完全な悪魔にする」組織と言ってもいい。その冷酷無比な訓練によって訓練生は超人的な戦闘能力を身につけるが、同時に温和な人間性(道徳性)を失い、悪魔化するのである。はたして、悪魔は「上司の命令にだけは無条件で従う」のかどうか疑問だが、そうするのも訓練次第だろう。善良な人間がいかに容易に非人間的になるかは、軍隊という存在(埴谷雄高の言葉を便宜的に借りれば「あいつは敵だ。敵は殺せ」という簡単な教育で兵士・殺人者を大量に作る組織)を見れば明白だし、有名な科学的実験もある。
ちなみに、チェラブのマークは「軍帽(ヘルメット)をかぶり、腰に弾帯を巻き、弓矢を今まさに射ようとしている『天使』の姿」である。まさしく、善がそのまま悪に変わるということだろうか。それとも「暴力こそ平和を作る」という偽善だろうか。おそらく後者だろう。
*追記すれば、「あいつは敵だ」とは、兵士本人が判断するのではなく、上司や上官、政府がそう決めるのである。つまり、兵士はこの場合、ただの機械、ロボットでしかない。戦場では、相手が「敵の軍服を着ているから敵だ」と判断するしかないので、相手が私服なら「こいつは便衣兵(私服の偽装兵)の可能性があるから、とりあえず殺せ」となる。(埴谷雄高のこの言葉は戦争ではなく「政治」について言われたものだが、戦争はまさにその尖端的状況である。)
*私は「チェラブ」第一巻の前半しか読んでいないし、読んで「楽しい」内容でもないので、残りを読むかどうかは未定である。しかし、「問題作」であるし、考察すべき大きな問題を含んでいるので、ここで宣伝する次第だ。まあ、第一巻前半だけ読むのも有益だと思う。
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