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「嘘」の哲学的考察

さっき、「ハンター×ハンター」を見ていて、主人公のゴンが敵の言うことをあっさり信じて逆に敵を驚かせる場面があったのだが、戦いの現場で敵の言葉(まず99%嘘)を信じるのが身の破滅であるのは言うまでもない。だからこそ、このゴンの行動が面白いのだが、そこで「嘘」ということへの哲学的思考を試みてみたい。

おそらく、このテーマはこれまで考察した哲学者はほとんどいないのではないか。それは、「嘘=悪」という等式がアプリオリに信じられていて、論じる価値もない、という考えからだろう。だが、はたして嘘はすべて悪かというと、そうでないことは誰でもすぐに分かる。今にも死にそうな相手に「大丈夫だ、お前はかならず助かる」と嘘を言うのはよく見る光景だ。そこで、「そうだ、お前は必ず、絶対に、あと10分以内に100%死ぬ」と正直に言う人は、たぶん医者でもいないと思う。
そういう「善意の嘘」は許容できる、としたら、裁判事件での嘘はどうなるか。被告への同情から証人が善意の嘘をついたら裁判制度は成り立たないだろう。可能なのは、被告の近親者の証言は求めないようにする、くらいか。あるいは「証言」は基本的に採用せず、物的証拠だけを採用する、という方法くらいか。まあ、そうなると、犯罪事件の7割くらいは立件不可能になると思う。

ここで「嘘の文化的・文明的効能」について考えてみる。

題名は忘れたが、(たぶん「ギャラクシー・クエスト」だったか)、ひと昔前の人気テレビ番組「スタートレック」のパロディSF映画で、非常に面白い作品があったが、その中に出てくるある宇宙種族が「嘘を知らない種族」だったのである。高度な文明は持っているが、嘘を知らないため、嘘を悪辣に利用する敵種族の作戦に簡単に騙され、種族滅亡の危機に立ち、その中の一部が、テレビ番組(彼らはそれを本当の記録だと信じている)で見ていた「スタートレック」の俳優たちに助けを求めて地球に来るという話だ。
ここで注意したいのは、この「嘘を知らない種族」が文明的には高度な発展を遂げていて、ただ戦争(争いごと)ではとんでもなく無力だったということだ。当たり前の話だが、それが面白い。

古代中国でもたしか孫子が「兵は詭道なり(戦争は騙し合いだ)」と言っていて、これは人類共通の認識だと思うが、戦争に至らなくても政治もまた半分(重要部分なら90%)は大嘘だ、とは多くの人が感じているだろう。新コロ詐欺やガザ虐殺、ウクライナ戦争への欧米の対応を見れば明白だ。

まあ、人類の文明の歴史がたとえば1万年くらいあったとして(それ以前の原始人時代の文明は文明には入れない)、おそらく、人類が嘘をあまりに多用したために、人類の文明史は8000年くらい遅れていると思う。つまり、嘘が無ければ人類はとっくに地上の天国を作っていただろう。

では、私は「嘘の無い世界」を望むかと言えば、そうでもない。あの何とか星人みたいに、「嘘とフィクションは区別できない」のであり、私はフィクションの存在しない人間世界は地獄以下だと思うからである。天国に嘘が存在しないなら、私は「その入場券をお返ししたい」。

まあ、要は、嘘を嘘だと識別できる理性を持ちながら、フィクションはフィクションとして楽しめばいいという、当たり前の話である。





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