忍者ブログ

古文と関西弁

コピーできていないが、下のチコちゃん氏によれば、今の関西弁は江戸時代にできたらしい。

古文が口語文ではなく文語文だからにしても、井原西鶴などの庶民生活を描いた作品に今の関西弁がまったく出てこないのは不思議である。関西弁が江戸時代にできたとしても、江戸時代には「下品な言葉」として、小説の中には出てこなかったのではないか。(何事でも出始めには下品視されるものだ。)たとえば江戸の十返舎一九の「東海道中膝栗毛」には庶民の言葉もかなり出てきたと思うが、江戸時代以前の大阪や京の作家でも関西弁はほとんど使われていないはずだ。明治でも小説にはほとんど登場していないと思う。谷崎潤一郎の「細雪」あたりが、小説の中で関西弁が使われたさきがけではないか。
私の推測だが、明治維新以降に関西人が「反東京」(反中央)意識から関西弁を多く使用するようになったのではないか、と思う。

これは、井上章一が世間の「関西弁蔑視」に文句を言っている文章を読んで持った疑問を考察したものである。
井上章一は「関西弁でも抽象的な高度な思考はできる」例として富永仲基を例に出しているが、彼の著作は関西弁で書かれてはいない。彼の思考が関西弁でなされたかどうかは証明不可能だろう。



(以下引用)




補足

言葉足らずですみません。なぜ古文の表現が残ってないのではなく、なぜ今の関西弁が生まれたのかが知りたいです。 「~~やねん」とか「~~やで」とかの表現は古文中に出てこないので、どこから発生したのかなぁと思いました。 昔は書き言葉と話し言葉が違ったから一概に無かったとは言えませんが。



日本語 | 文学、古典・529閲覧















ベストアンサー


このベストアンサーは投票で選ばれました


ID非表示


2019/9/2 20:13



この回答はいかがでしたか? リアクションしてみよう













その他の回答(5件)

チコちゃん


2019/9/3 11:25



拍手

PR

この記事にコメントする

Name
Title
Mail
URL
Comment
Pass
Pictgram
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

11 2024/12 01
S M T W T F S
23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリー

最新CM

プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

ブログ内検索

アーカイブ

カウンター

アクセス解析