夏目漱石の『三四郎』の中で、「偉大なる暗闇」先生の家に集まった大学生たちが英文学の話をし、「pity akins to love」をどう訳せばいいか、と論じていて、学生の一人が「可哀想だた惚れたってことよ」と訳すと、先生は苦い顔で「いかんいかん、俗悪の極みだ」と即座に却下するのだが、元の英文(直訳すれば「憐憫は愛に似ている」か。)をこれほどこなれた訳にできる学生が今の時代にいるだろうか。そもそも、辞書を引かずに「akin to」が即座に分かる大学生が、英文学部だろうが他の学部だろうが、どれだけいるだろうか。
明治期の文化人の教養と学力の高さ(「品格」も加えてもいい。)は、今よりはるかに上だったと私は思っている。
もっとも、下の話は、英語の達人でもあった岡倉天心の話だから一般化はできないのだが。
(以下引用)
やっと本題。日本ミステリ(輸入)創世記の、岡倉天心の素敵なホームズ話。「まんが道」の新宝島の衝撃にも似て…
日本でも当然、「ミステリーという『新分野』に接した人々の、燃え立つような興奮」の時代があった。
その中でも有名…なように思えるが、あまり知られていない「ホームズと岡倉天心」の話、以前このブログではちょっと概要を紹介したことがあったが、そもそもその元ネタを探していた。
ようやく、元のテキストがどこにあるかを知ったので紹介したい。
(※【注意】最近の当ブログ、リンクを貼るとURLは正常なのに404になったりして読めませんが、実際は先方のページは生きています。ご注意の上検索など適宜工夫を)
http://blog.livedoor.jp/bsi2211/archives/52111605.html
岡倉一雄『父岡倉天心』(中央公論社・覆刻版)からエピソード部分を引用を交えながら簡略に記す―
(略)
ある晩、一雄は天心から、漢学と英文について今どんな本を習っているのか?と尋ねられる。漢学について答えると、では英文はどんなものを読んでいるかというので、「はい。ドイルの『アドヴェンチュア・オヴ・シャロック・ホームズ』です。」
天心は、これに答え、ドイルの小説はおいらも好きで、書棚に3,4冊もっているから、ママさん(元子)や末娘・おこま(こま子)に話を聞かせてやると言って、一雄に院の二階の書斎から『スタディ・イン・スカーレット』もってこさせ、「英国の大衆作家中、随一といわれたドイルの探偵本」をくりひろげ、巧妙な座談で、面白く話して聞かせた。犯人が逮捕されるクライマックスになると、これから犯人の身の上話になるが、今日はもう晩いから続きは明日―
―と、言うと、こま子は続きが聞きたくてしかたがない。天心に催促すると、天心は、それならママさんにいって、もう一本お酒をもってこいと言う。これは天心の策戦で、当時、医者から酒2本と決められていたので、話の続きを聴きたがっていた元子とこま子をじらして、もう一本お酒をせしめようという算段。この策戦が効を奏して、追加のお酒を飲みながら、『スタディ・イン・スカーレット』を最後まで一気に語り終える。
これが第一夜。第二夜が『サイン・オヴ・フォア』。第三夜が短編集『アドヴェンチュア・オブ・シャロック・ホームズ』の中の『イレーネ・アドラー事件』と『赤髪同盟会』の2譚。例によって話の途中で、お酒を1,2本要求してお決まり以上のお酒をせしめる。こういう晩が十数日続き、種本がつきると、「まだこのほかに、同じドイルのシャロック・ホームズもので、『バスカーヴィル家の犬』というものもあり、『メモアーズ・オブ・シャロック・ホームズ』という短編集もある。しかし、本が手もとにないから、話はできないよ。」
こう言われると、話を聞きたくてしかたのない元子は、さっそく丸善へ駆けつけ、「シャロック・ホームズの一代記をください」と言って番頭さんを驚かせた。幸い勘のいい番頭だったらしく、元子は首尾よく『メモアーズ・オブ・シャロック・ホームズ』を手に入れ、その晩から天心の「妙味ある独特の話術」が始まり、十数日続いたが、とうとう種本がつき「連続講義」は幕を閉じた、という。
どうですか。
「まんが道」にも負けず劣らずの、一つの娯楽ジャンルに初めて接した読者、ファンの衝撃を語る挿話で、読み直すとじんわりと感動する。
さまざまな文学賞も価値があるが、続き読みたさに天心の妻がお燗した「もう一本のお銚子」こそ、ホームズやミステリー全体への、巨大な勲章と思うのです。
こんな風に世界各地で「娯楽の相互交流、輸出入」が行われ…結果、また巨大な物語が生まれる。”クールジャパン”も、その一端を担えれば御の字ではなかろうか。