「ポジティブなデータ」が報道されない
ピークでも1日に800人しか発症しなかった先進国日本では、医療崩壊が連日報道されていたことは皆さんがご存知の通りです。アビガンの採用は遅れ続け、フサンの情報は少なくイベルメクチンに関しては情報が途絶えています。フサンやイベルメクチンは、臨床で長年使われている通常薬ですぐにでも使える状況の薬にも関わらず、です。
東京都のPCR検査数は激増しています。数カ月前は1日に100人以下でしたが、今では2000人以上検査しています。データを見ると、呼吸器装着患者数は4月末にはピークを超え減少しつづけ、一度も増加することもなく現在では10人以下となっています(※4)。
世界的に見ると日本は、「最初からあまり流行しなかったアジアの国のひとつ」で「自国で開発した治療薬の配備もすぐできたはずの国」というのが本当のところです。こういった、「全体を見渡し俯瞰するデータ」や「安心材料につながるデータ」、「他国と比較のデータ」という「ポジティブなデータ」は報道されることがありませんでした。
発生数が収束し発症者もゼロに近づいていることを示したり、他国と比べたり、米国のように治療薬が入院医療機関や診療所の外来に全国配備されていたら、私たちはどんなに安心したことでしょう。
警戒は必要だが、恐怖と不安は不要だ
6月初旬にお書きした私の最初の記事は「日本のコロナウイルスは終わった、さあ旅に出よう」という題名でした。流行が終わっていれば不安はなくなり、旅に出て楽しい思い出が増えれば恐怖も忘れて消えると思ったからです。
くしくも恐怖を引き起こす報道は、数日前の洪水災害の報道で激減しました。ウイルスの危険性も数日で激減したのでしょうか。
私は、ノーガードの無警戒を勧めているわけではありません。警戒して日々工夫して暮らすことは必要ですが、過剰な恐怖や不安といった感情は必要ないと考えています。恐怖や不安とはサヨナラして、日々の淡々とした作業をするだけです。
メディアは5カ月近く私達にまずは強い恐怖を植え付け、その後終わりなき不安が続くように上手にコントロールし続けていました。恐怖や不安が心にうず巻いてしまうと、自分の頭脳の思考停止に陥ります。そして、どうしても情報発信元の権威にすがったり過剰に反応した行動をとったりします。
私は、それをとても危険なことだと思います。
いつのまにか「陽性者ゼロ」を求めるようになっていた
東京の流行も良い題材です。約1400万人の東京都民の一部の地域に200人の軽傷の陽性者がいる状況だとします。東京の端から端まで見渡して陽性の人を見つけるゲームでもよいでしょう。あるいは、1kgの精米は5万粒ですので300袋の中の100粒の玄米を見つけるゲームでもよいでしょう。わずかな玄米の粒が1袋に集まってしまっていて、299袋は空振りかもしれません。分散していたら見つけたくても、ほぼ不可能でしょう。そして、玄米が50粒でも500粒でも状況はほとんど変わりません。面白いですよね。
このように「全体像を見せない」ことが、恐怖のマジックの正体です。私たちの脳はいつも「全体の中のどれだけを占めているのか」、「他と比較してどの程度なのか」ということでいろいろな判断をしています。全体像や比較を隠されてしまうと、正常な判断ができなくなります。ウソはついていないけれども、正確な判断ができないようにする。私たちは、その仕組みにやられて魔法にかかってしまっていたわけです。
「200人陽性」=「ほとんどの都民はウイルスを持っていない」というのがファクトです。だからこそ、大多数の都民は感染することなく平和に暮らしています。他の県では、なおさら安全です。
東京で連日100人は、全国1億5千万人に換算すると連日1000人の陽性者に相当します。それでも現在の東京と同じ割合になるので、ほとんどの人がウイルスを持っていないということを忘れてはいけません。私達は、いつのまにか国土から陽性者がゼロにならなければ安心できない気持ちにさせられていたのです。
皆さんは、なんとなく東京全体が感染者であふれる汚染地区のような誤ったイメージを描いていていませんでしたか?
「TV出演者のソーシャルディスタンス」が醸し出す終わらない不安感
日本の医療崩壊の恐怖も検証してみましょう。先ほどの米国のグラフに、日本の死亡者数を合わせてみてみました。(図表2)
日本の死亡者はピークでも1日50人ほどです。人口3億人の米国に比べてもピークでも50分の1以下、現在では数百分の1以下に過ぎません。前述したように米国は、通常通り機能しています。それでも、もし日本の医療がひっ迫してしまうとすれば、その程度の医療システムということになってしまいます。私は、ありえない話だと思います。
ウイルスを持つ人が、ほとんどいなくなった今になりメディアのアナウンサーさんたちは画面の両側に位置しています。実は、そのような対策をとるべきだったのは、放送局にクラスターした数カ月前でした。今になって、そのようなフォーメーションを取り続けるのは「終わらない不安感」を醸し出し継続することにつながっています。
客観的データをお見せしても「コロナウイルスは恐ろしい。本当は日本も世界と同じようにかくれて大流行しているはずだ」という患者さんもいらっしゃいました。米国との比較の図を目にしても、数の違いを判断できなくなっているのです。メディアの繰り返しは、内容が誤っていても感情を支配し判断力を落としてしまう強力な力を持っています。