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嵐の前、嵐の後

「播州武侯祠遍照院」ブログから転載。
忠武飛龍さんが立てる易は、その時の状況を見事に説明し、その成り行きについて教訓的な示唆を与えることが多いので、非常に興味深い。私もたまに自分で易占いをするが、これがまったく当たらない。(笑)おそらく、霊能力がゼロなのだろう。
さて、総選挙についての卦が「沢雷隋」で、意味するところは


随(ずい)は、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、咎(とが)无(な)し、

およそ天下万般のことは、人に随い従って行うときには、その事業は容易であり、容易であればこそ、成し遂げることができるものである。
だから、随うということを念頭に行えば、物事は元いに亨るのである。
そもそも人に随うときには、一にも二にも、正しくすることが大事であり、そのようであれば、咎められることはない。
これが、悪に随い、邪に随うようであれば、言わずもがな、大いに咎められるものである。
だから、貞しきに利ろし、咎无し、という。

これを選挙に当てはめて解釈するのは難しいが、「本来上の立場の者が、下の立場の者に従う」ことになる、という「沢(少女)」の下に「雷(長男)」が付き従う、というところがヒントになりそうだ。今のところは、それが何を意味するかはよく分からない。

面白いのは、変卦が「沢火革」で、これは選挙の後に日本社会に大変動が起こることを意味するものだろう。

そして、一度革命したら、爻一本を一年として、この卦が終わる上爻のときが過ぎるまでは、何があってもそのまま続けなければいけない。
すぐには改革を歓迎されなくても、その改革したシステムをきちんと直向に運営していれば、三年目すなわち上爻のときにはそれまで不満だった人々からもその改革が歓迎されるようになり、改革を発案した君子はまるで豹の如くに美しく見えるものである。

本物の革命かもしれないし、あるいは「遷都」ではないか、という気もする。そして、遷都と同時にこれまでの政治システムにも大きなメスが入れられる、そういう可能性もゼロでは無いだろう。つまり、真の「正気」を持った正義派官僚による日本の改革である。(残念ながら、政治家にはこの改革は不可能であり、官僚自身の内部改革しか、日本の変わる道は無いような気がする。)3.11以降滅びに向かうこの国の行方を憂える者は、官僚の中にもたくさんいるはずなのである。


(以下引用)

この2014の総選挙を聞いてみた。 

Updated   
2014.11.19 (Wed)
まあ暇つぶしに、11月21日解散の、今回の総選挙。

易に聞きました。


沢雷随 の3爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-22.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・
17 沢雷随(たくらいずい)

随 震下兌上(しんか だじょう)

八卦の震(しん)の上に、兌(だ)を重ねた形。

随は、したがう、という意。
易位生卦法によれば、元は雷沢帰妹である。
雷沢帰妹のときは、震の長男が兌の少女の上に位置していたが、今、この沢雷随の卦は、震の長男が兌の少女の下に下り随っている様子となる。
だから、随と名付けられた。
そもそも天地の定理では、男は尊く女は卑しい、長は尊く少は卑しい、である。
しかしこの卦は、男が女の下に下り、長が少の下に下っている。
これは、本来随わせるべき者に随っていることであって、随い難き道である。
だから、その随い難きを随うことの重要性を鑑みて、随と名付けられた。
これは、天沢履の履み行い難きをもって卦名としたのと同じスタンスである。
また、内卦を自分とし、外卦を相手とし、震を動くとし、兌を悦ぶとすれば、自分が動いて相手を悦ばせ、自分が積極的に相手に随う様子である。
だから、随と名付けられた。
また交代生卦法によれば、元は天地否から来たものとする。
天地否の上九の爻が来たり下って初九となったのが、この沢雷随である。
これは、高く卦の極に居た一陽剛が、初九の最下の地に下って、他の五爻の下に随っている様子である。
だから、随と名付けられた。
また、上卦の兌は二陽の尊きをもって一陰の卑しきに下り随い、下卦の震は一陽の尊きをもって二陰の卑しきに下り随っている。
このように上下とも、陽をもって陰に下り随っているのがこの卦である。
だから、随と名付けられた。

卦辞
随、元亨、利貞、无咎、
随(ずい)は、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、咎(とが)无(な)し、

およそ天下万般のことは、人に随い従って行うときには、その事業は容易であり、容易であればこそ、成し遂げることができるものである。
だから、随うということを念頭に行えば、物事は元いに亨るのである。
そもそも人に随うときには、一にも二にも、正しくすることが大事であり、そのようであれば、咎められることはない。
これが、悪に随い、邪に随うようであれば、言わずもがな、大いに咎められるものである。
だから、貞しきに利ろし、咎无し、という。


彖伝(原文と書き下しのみ)
随、剛来、而下柔、動而説、随、
随(ずい)は、剛(ごう)来(き)たりて、而(しこう)して柔(じゅう)に下(くだ)る、動(うご)きて而(しこう)して説(よろこ)ぶは、随(ずい)なり、

大亨以正、故无咎、而天下随之、随之時義大矣哉、
大(おお)いに亨(とお)るに正(ただ)しきを以(も)ってす、故(ゆえ)に咎(とが)无(な)し、天下(てんか)之(これ)に随(したが)う、随之時義(ずいのときのぎ)大(だい)なる哉(かな)、


象伝(原文と書き下しのみ)
沢中有雷、随、君子以嚮晦入宴息、
沢(さわ)の中(なか)に雷(かみなり)が有(あ)るは、随(ずい)なり、君子(くんし)以(も)って晦(くら)きに嚮(むか)って入(い)りて宴息(えんそく)すべし、

・・・・中略・・・・

六三、係丈夫、失小子、随有求得、利居貞、

六三(りくさん)、丈夫(じょうぶ)に係(かか)って、小子(しょうし)を失(うしな)えり、随(したが)えば求(もと)め得(え)ること有(あ)らん、貞(つね)に居(お)るに利(よ)ろし、

丈夫とは九四の爻を指し、小子とは初九の爻を指す。
この六三の爻は、六二とは逆に、九四と密接し、初九には遠い。
だから、丈夫に係って、小子を失えり、という。
これは、自分よりも劣っている者を捨てて、優れている者に随う様子である。
したがって今、六三は随うべき良き友の九四を得ているのであり、その九四に随順して利益を請えば、自然に彼の意を得られるときである。
だから、随えば、求め得ること有らん、という。
六三が九四に随うことは、陰を以って陽に随い、下を以って上に随うことなので、そもそも理に叶っているのである。
しかし、随順の道も、度が過ぎれば阿諛(あゆ)佞媚(ねいび)=おもねりへつらい、に流れる失も有る。
まして九四は執政権門の大臣にして、その威勢が赫々たる者である。
妄りに動き回って随うのではなく、慎戒して節度をわきまえないといけない。
だからこれを戒めて、貞に居るに利ろし、という。
貞は常恒の義、居るとは止まるの義である。
常を守り、分に止まって妄りに動かないように、という垂戒である。


・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり


なにやら、だれか捨てられるらしい。

意外と野党のぼろ負け?

それとも意外な政権交代?

でも次の変卦は、もっと面白いよ。

沢火革 3爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-54.html

上記文抜粋
・・・・・・・
49 沢火革(たくかかく)
革 離下兌上(りか だじょう)

八卦の離(り)の上に、兌(だ)を重ねた形。

革は、変革、改める、という意。

この卦は兌水が上、離火が下にある。
水を入れた器の下に火があれば、火が盛んに燃えるときは、必ず水は沸騰し、ついには乾いてなくなり、水が溢れるときは、必ず火を消滅させる。
これは、水と火の性情が表裏反対にして、相互に克殺する者だからである。
火の勢いが盛んであれば水は蒸発してなくなり、水の勢いが盛んであれば火は消滅する。
これは、水火ともにその勢いが強く大きい方が、弱く小さい方に克(か)つということであって、こうして物事は変革して行くものである。
だから革と名付けられた。

しかし、このように水と火がその勢いの強弱で互いに相手を打ち消しあうことをもって革と名付けれたのであれば、水火既済も革と名付けれるべきではないか?という疑問が湧くが、これは沢水と坎水の違いによるのである。
水火既済の水は坎水であり陽卦であり、火は離火であり陰卦であり、さらに坎水と離火は表裏の関係にある。
したがって、互いに釣り合っているのである。
しかし、沢火革の水は沢水であり、沢水も離火も陰卦であり、したがって互いに釣り合っていないのである。
だから敵対して水と火が互いに害し合う様子とするのである。

また沢火革は、兌の少女が上に、離の中女が下にいる形であるが、これでは姉妹の序列が逆なので、変革する必要がある。
だから革と名付けられた。

また、兌の少女と離の中女が、共に父母の家に同居するとしても、将来嫁ぐところは異なるから、その志は同じではなく、その違いにより争い変革を求めようとする雰囲気がある。
だから革と名付けられた。

また、内卦の離を明とし、外卦の兌を悦ぶとすれば、内卦の自分は明らかにして、よく物の利害に通じ、改革するべきことを改革すれば、外卦の相手は、よくこれを悦ぶ。
改革するときはこのようであって欲しいものである。
逆に、相手が不愉快になる改革はよくない。
だから革と名付けられた。

また、内卦の離火をもって、外卦の兌金を熱する様子である。
火をもって金属を熱すると、金属は溶けるので、その形状を変革することができる。
だから革と名付けられた。
『書経』洪範に「金は革に従うという」とあるのは、このことである。

また、離を夏とし、兌を秋とすれば、夏から秋に季節が変革することを示している。
だから革と名付けられた。
そもそも四季の移り変わりは、春から夏、秋から冬、冬から春というのもある。
とすると、ここでことさら夏から秋への移り変わりをもって革とするのは、どういうことか?
それは、次のことからである。
季節が改まるということで言えば、どれも同じだが、陰陽の変化を考えれば、そこに違いがある。
春は少陽、夏は老陽、秋は少陰、冬は老陰である。
したがって、春と夏と分けて二つの如くなっていても、この両者は同じ陽の季節であり、要するに陽の強さが変化しただけであって、変革とまでは呼べない。
秋と冬も同様に、陰の強さが変化しただけである。
ところが、夏は陽は極まり、秋は陰の始まりである。
したがって、夏から秋への変化は陰陽変革の最も激しいときなのである。
なお、冬から春に変わるときも、老陰から少陽に変化するわけだから、陰陽変革は激しいわけだが、これは春夏秋冬一巡し、年が改まり、新たに四季が始まるときである。
だから冬から春へは変革のときとはしないのであって、夏から秋への変移こそが、四季の途中の変革なのである。

また、離を太陽とし、兌を西とすれば、太陽が西に没する様子である。
これは昼から夜への変革である。
だから革と名付けられた。
なお、太陽は、没しても、また翌朝には昇る。
そのくり返しを明らかに計算したものが暦である。

卦辞
革、*已日乃孚、元亨、利貞、悔亡、

革は、已日(いじつ)に乃(すなわ)ち孚(まこと)とせらる、元(おお)いに亨(とお)る、貞(ただ)しきに利(よ)ろし、悔(く)い亡(ほろ)ぶ、

*已は「すでに」という意で、*已日は、改革し得て、功成り事を遂げる日のこと。
およそ改革ということは、初めはなかなか人々に受け入れられないものである。
旧習に慣れ親しんでいるからである。
したがって、その改革をした後、それが自他共に素晴しいと思えるものであれば、そのときに漸く人々はその改革を信じ、歓迎するものである。
だから、革は已日に乃ち孚とせらる、という。
そもそも改革するに当たは、古い害を除き去り、新しい利を益すことが大事である。
そうであれば、改革した後に、その改革を推進した人は人望を高め、大いに亨通する。
もちろんその改革が貞正なものであることは重要である。
貞正であれば、最初は受け入れずに、その改革を後悔する場面もあったとしても、やがて改革が成就して来れば、人々は考えを改め、その後悔は杞憂に過ぎなかったことになる。
だから、貞しきに利ろし、悔い亡ぶ、という。
しかし、その事の利害に精通せず、その事の詳細に明らかでないのに、思いつきで改革するような場合は、却って大なる災害を生じるものである。
したがって、妄りに改革するべきではないのである。
これは沢雷随の、元亨利貞无咎、とあるのと同じニュアンスだと言えよう。

なお、*已は、もともと己(き)とあったものを、それは写し間違いだとして、朱子学以降はこの*已(い)として「事成り終わる日」という意に解している。
中州も、これに従っている。
それ以前は、己(き=十干の「つちのと」)のこととして解釈されていた。
例えば、『日本書紀』の神武天皇即位年算出の根拠となったとされる辛酉革命は、この沢火革からの考え出されたもので、その説はこの*已は己として成り立っている。
辛酉革命は『易緯』『詩緯』という書物の中にある予言説で、
戊午を革運と為し、辛酉を革命と為し、甲子を革令と為す、というものである。
六十干支が戊午のときに革命の運気に入り、それを初爻とすれば、干支との関係は以下のようになる。

甲子 番外       革令 
癸亥 上爻 ━  ━
壬戌 五爻 ━━━
辛酉 四爻 ━━━ 革命 即位
庚申 三爻 ━━━
己未 二爻 ━  ━ 革明 即位予告
戊午 初爻 ━━━ 革運 橿原入り

革命の主体は金属が溶けて液状になることとすれば、離の火で熱せられた兌金が溶けて坎水となることである。
これは、四爻が陽から陰に変じることである。
『日本書紀』を開くと、神武天皇即位前三年戊午歳に橿原に入り、翌前二年己未歳に、これからここに都を造ることを宣言し、翌々年辛酉歳正月一日に即位したとある。
己未については、『易緯』や『詩緯』の記載はないが、二爻は離明の主である。
離の火で兌の金を熱して溶かすのが革命であり、その意味からすれば二爻は離の火の燃える中心である。
とすると二爻に当たる時は、これから行う革命を明らかにする時、言うなれば革明であろう。
前二年己未歳の、これからここに都を造ることの宣言は、まさにこれに当たる。

そして、一度革命したら、爻一本を一年として、この卦が終わる上爻のときが過ぎるまでは、何があってもそのまま続けなければいけない。
すぐには改革を歓迎されなくても、その改革したシステムをきちんと直向に運営していれば、三年目すなわち上爻のときにはそれまで不満だった人々からもその改革が歓迎されるようになり、改革を発案した君子はまるで豹の如くに美しく見えるものである。
これ上爻の爻辞なのだが、とにかく君子豹変とは、本来そういう意味だったのである。
逆の、君子は変わり身が早いという意味で使われる場合も多いが・・・。
とにかく、この卦に沿って言えば、改革の手直しをするのは、要するに革命から四年目すなわち甲子以降にするべきなのである。
だから、甲子を革令と為す、という。



・・・・・・中略・・・・


九三、征凶、貞、革言三就、有孚、

九三(きゅうさん)、征(ゆ)けば凶(きょう)なり、貞(かた)くすれば(あやう)し、革言(かくげん)三(み)たび就(な)りて、孚(まこと)とせらるること有(あ)らん、

征くとは、改革することを指す。
九三も内卦の中の爻なので、まだ改革するべき時ではないことをいう。
時が至らないのに、妄りに改革すると、必ずその事は成らず、却って咎を生じるものである。
しかし九三は、過剛不中なので、焦って改革しようとする傾向がある。
その焦る志を改めずに固執し、時を犯して改革するのは、危険な道である。
だから、征けば凶なり、貞くればし、という。

さて、九三は、内卦が終わり、まさに外卦に移ろうとする幾(きざ)しが有る。
したがって、その事の勢いは止むを得ないものがあるが、そんな勢いだけでは、他人は賛同しない。
しかし、その終始を計算し、良し悪しを審らかに察し、なお再三にこれを質し明かし、その義が必定であることを納得できれば、誰もが賛同するものである。
だから、革言三たび就りて、孚とせらるること有らん、という。
三たびとは、何度もくり返し、ということであるが、爻について言えば、初爻にて一たび就り、二爻にて二たび就り、この三爻で三たび就り、初二三の内卦中にて三たび就りて外卦四に至って、改革の時を得るのである。



・・・・・・・
・・・・・・・・・
抜粋終わり



革命・・・・


いずれかわからんが、この総選挙の後に、革命。


たぶん、非自民党政権なので、地震を喰らわすでしょう。逆賊は自民党が大好きなのでね。


でもこの革命は、たぶん中途途絶しない気がする。

>革言(かくげん)三(み)たび就(な)りて、孚(まこと)とせらるること有(あ)らん、

三度目の政権交代。


これで、自公は終わりだろう。


って希望的観測を含めて。


でも地震に注意。

>征(ゆ)けば凶(きょう)なり、貞(かた)くすれば(あやう)し、

革命が成功するから、悪党が必ず地震を起こすだろう。

関東・太平洋側注意。


て地震は、前の記事の出典先とかで私の妄想を含めて。


お読みくださりありがとうございます。

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酔生夢人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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