東海アマ氏のブログ記事の後半だが、賛同の意味での転載ではない。
もともと東海アマ氏の「反権力」の姿勢と勇気は高く評価はしても、その考え方の中に異常な偏りがあるというのが私の氏への見方だ。
下の記事でも白人の黒人への差別については堂々たる正論を述べながら、北朝鮮や韓国への自身の言葉は差別そのものであり、そしてここには書かれていないが中国に対しては憎悪と言っていいほどの差別意識丸出しの言説を毎度繰り返してきたのである。つまり、「他人の差別は悪い差別、俺の差別はいい差別」と主張しているようにしか見えない。
なお、黒人による「黒人以外の非白人」への差別というものも強烈に存在するらしく、差別は人間の本能に刻まれたもののように思える。国際化というのは、その「無意識の感情」をどう処理するか、という問題を含んでいる。
(以下引用)容量のため、記事中の引用や他記事への言及などを一部略。
ちょうど、こうした私に対する下劣この上ない嫌がらせに共通するものが、アメリカの白人階級の潜在意識に、黒人に対する蔑視感として存在しているように私は思う。
どんなに、黒人に対して平等に扱うフリをしてみても、心の底に蓄積された優越感と黒人に対する見下しは、人間性に染みついてしまうので、無意識に差別用語が出てくる。
どんなにキレイゴトを言ってみても、心の奥底に、黒人に対する優越感や、恐怖感が隠れていては、うわべだけ差別していないように見えても、言葉の端々に、それが見えてくる。
大半の黒人は、敏感に差別意識を察するが、それを問題にすれば悪い結果しか生まれないので、理解するようなフリをして、ぎこちない笑顔を浮かべるのだ。
それで、馬鹿な白人は、自分が免罪されていると思い込んでしまう。
そもそも、アメリカの差別というのは、コロンブスという強欲な異常者が、アメリカ大陸に上陸したところから始まっているのだが、その後、北米大陸に移住した人々(多くは欧州で迫害を受けたユダヤ人だった)は、自分たちの領土を拡大するため、先住民を皆殺しにして領土を奪い続けたことが知られている。
アメリカ建国前後に、殺された先住民インディアンの数は、1000万人とも2000万人とも言われている。
この信じがたい大虐殺のなかで、アフリカから数百万人といわれる黒人奴隷が連れてこられた。
黒人奴隷は商品として売買されたので、無理やり生殖を強要されて、子供を大量に作らされ、10歳にもなれば商品として売り飛ばされた。
このアフリカ系黒人の悲劇が、白人のなかに、抜きがたい優越感、嘲笑、見下しを生み続けたのだ。
私が、ブログで「大学に行かなかった」(当時、大学なんて、事実上封鎖されていた)と書いたら、岩田が大喜びして「中卒」と罵り始めたのと同じで、自分より弱い立場の者を見下し、小馬鹿にするのが大好きな、心の汚い劣った人々がいたのだ。
ちょうど、橋の下に寝るホームレスを見つけると、寄ってたかって石を投げつけて殺してしまう若者たちと、非常に似た心理なのだろう。
こんな事件が繰り返されるたびに、私は、日本は、どんなにひどい差別国家なのだといつも怒りに震える。
アメリカでは、弱い立場の黒人に同情する代わりに軽蔑だけを与えた。そして黒人を利用することしか考えなかった。
文句を言う黒人に対しては、凄まじい暴力と処刑で対した。
ちょうど、開拓時代の風俗を描いた映画が、いくつかある「風とともに去りぬ」も、その一つで、主人公のスカーレット・オハラが、黒人にどういう姿勢で臨んでいたか良く分かる。これは原作者のマーガレット・ミッチェッルの思想の反映である。
差別があれば、嘲笑があり、残酷な暴力が生まれる。
これは世界中、人類のすべてに現れる法則だが、世界のなかで、もっともひどい差別を行ったのは、儒教社会かもしれない。
儒教とは、国家権力を唯一の価値として正当化する思想であり、人権も人間性も、人の愛も、真実も、正義も、すべて放棄した上に国家権力を成立させるのだ。
創始者の孔子の大好物は、人肉の塩漬けだったといわれ、妻の料理が下手だとして五回も追い出している。
徹底した男尊女卑、封建的な権力主義に貫かれていて、権力の維持を洗脳するのに都合のよい思想だから、中国・朝鮮半島・ベトナムや日本でも広く浸透した。
日本の場合は、儒教(朱子学)以前に、鎌倉仏教の平等思想が浸透していたことで、差別思想が大きく拡大しなかったと、すでに何度も書いた。
しかし、因果応報思想を持たなかった、中国や朝鮮半島では、巨大な構造的差別体制を生み出した。
北朝鮮で、日本人には理解不能なほど、権力を礼賛し、差別を肯定する思想が蔓延していることが知られているが、これも、李朝が持ち込んだ儒教体制のゆえんである。
もっとも、儒教の原型は、2000年以上前に、朝鮮に持ち込まれていたが。
しかし、世界中で、北朝鮮と韓国ほど、差別の大好きな国は、他には見当たらない。
とにかく、他人を見下すことが三度の飯より好きという国民性である。まるで、全国民が岩田のようなものだ。
「日本人は、朝鮮人より下」ということになっているので、客観的な現実や力関係も目に入らず、「自分たちより目下の日本人が許せない」という執念だけが一人歩きしている。
だから、慰安婦賠償なんて観念をでっちあげて、国の未来を破壊してまで、虚構に過ぎない「賠償責任」を要求し続けるのだ。
多くの慰安婦は、李承晩や朴正熙政権が作った、米軍向け慰安婦だったのだが、わずかしかいない強制連行、日本軍慰安婦をタテに、日本が全部を賠償せよとやる。
強制徴用も、私の母親ですら、事実上強制徴用によって工場で働かされたのに、当時「日本国民」だった朝鮮人が徴用を受けるのは必然だった。しかも多くの徴用者は、自ら志願して工場に向かい、日本人と同じ額の給与を受け取っていたのだ。
こんな事実関係を捏造してまで、「国のメンツ」を剥き出しにして、国家間の信頼を破壊し、自国経済を危うくしておいてまで、虚構のメンツを通そうとするのが儒教社会なのである。
これでは、韓国・北朝鮮が、世界最大の差別国家になるのは当然で、朝鮮半島から儒教の残渣が消えるまで、こうした馬鹿げたメンツ主義が続くのだろう。
もともと東海アマ氏の「反権力」の姿勢と勇気は高く評価はしても、その考え方の中に異常な偏りがあるというのが私の氏への見方だ。
下の記事でも白人の黒人への差別については堂々たる正論を述べながら、北朝鮮や韓国への自身の言葉は差別そのものであり、そしてここには書かれていないが中国に対しては憎悪と言っていいほどの差別意識丸出しの言説を毎度繰り返してきたのである。つまり、「他人の差別は悪い差別、俺の差別はいい差別」と主張しているようにしか見えない。
なお、黒人による「黒人以外の非白人」への差別というものも強烈に存在するらしく、差別は人間の本能に刻まれたもののように思える。国際化というのは、その「無意識の感情」をどう処理するか、という問題を含んでいる。
(以下引用)容量のため、記事中の引用や他記事への言及などを一部略。
ちょうど、こうした私に対する下劣この上ない嫌がらせに共通するものが、アメリカの白人階級の潜在意識に、黒人に対する蔑視感として存在しているように私は思う。
どんなに、黒人に対して平等に扱うフリをしてみても、心の底に蓄積された優越感と黒人に対する見下しは、人間性に染みついてしまうので、無意識に差別用語が出てくる。
どんなにキレイゴトを言ってみても、心の奥底に、黒人に対する優越感や、恐怖感が隠れていては、うわべだけ差別していないように見えても、言葉の端々に、それが見えてくる。
大半の黒人は、敏感に差別意識を察するが、それを問題にすれば悪い結果しか生まれないので、理解するようなフリをして、ぎこちない笑顔を浮かべるのだ。
それで、馬鹿な白人は、自分が免罪されていると思い込んでしまう。
そもそも、アメリカの差別というのは、コロンブスという強欲な異常者が、アメリカ大陸に上陸したところから始まっているのだが、その後、北米大陸に移住した人々(多くは欧州で迫害を受けたユダヤ人だった)は、自分たちの領土を拡大するため、先住民を皆殺しにして領土を奪い続けたことが知られている。
アメリカ建国前後に、殺された先住民インディアンの数は、1000万人とも2000万人とも言われている。
この信じがたい大虐殺のなかで、アフリカから数百万人といわれる黒人奴隷が連れてこられた。
黒人奴隷は商品として売買されたので、無理やり生殖を強要されて、子供を大量に作らされ、10歳にもなれば商品として売り飛ばされた。
このアフリカ系黒人の悲劇が、白人のなかに、抜きがたい優越感、嘲笑、見下しを生み続けたのだ。
私が、ブログで「大学に行かなかった」(当時、大学なんて、事実上封鎖されていた)と書いたら、岩田が大喜びして「中卒」と罵り始めたのと同じで、自分より弱い立場の者を見下し、小馬鹿にするのが大好きな、心の汚い劣った人々がいたのだ。
ちょうど、橋の下に寝るホームレスを見つけると、寄ってたかって石を投げつけて殺してしまう若者たちと、非常に似た心理なのだろう。
こんな事件が繰り返されるたびに、私は、日本は、どんなにひどい差別国家なのだといつも怒りに震える。
アメリカでは、弱い立場の黒人に同情する代わりに軽蔑だけを与えた。そして黒人を利用することしか考えなかった。
文句を言う黒人に対しては、凄まじい暴力と処刑で対した。
ちょうど、開拓時代の風俗を描いた映画が、いくつかある「風とともに去りぬ」も、その一つで、主人公のスカーレット・オハラが、黒人にどういう姿勢で臨んでいたか良く分かる。これは原作者のマーガレット・ミッチェッルの思想の反映である。
差別があれば、嘲笑があり、残酷な暴力が生まれる。
これは世界中、人類のすべてに現れる法則だが、世界のなかで、もっともひどい差別を行ったのは、儒教社会かもしれない。
儒教とは、国家権力を唯一の価値として正当化する思想であり、人権も人間性も、人の愛も、真実も、正義も、すべて放棄した上に国家権力を成立させるのだ。
創始者の孔子の大好物は、人肉の塩漬けだったといわれ、妻の料理が下手だとして五回も追い出している。
徹底した男尊女卑、封建的な権力主義に貫かれていて、権力の維持を洗脳するのに都合のよい思想だから、中国・朝鮮半島・ベトナムや日本でも広く浸透した。
日本の場合は、儒教(朱子学)以前に、鎌倉仏教の平等思想が浸透していたことで、差別思想が大きく拡大しなかったと、すでに何度も書いた。
しかし、因果応報思想を持たなかった、中国や朝鮮半島では、巨大な構造的差別体制を生み出した。
北朝鮮で、日本人には理解不能なほど、権力を礼賛し、差別を肯定する思想が蔓延していることが知られているが、これも、李朝が持ち込んだ儒教体制のゆえんである。
もっとも、儒教の原型は、2000年以上前に、朝鮮に持ち込まれていたが。
しかし、世界中で、北朝鮮と韓国ほど、差別の大好きな国は、他には見当たらない。
とにかく、他人を見下すことが三度の飯より好きという国民性である。まるで、全国民が岩田のようなものだ。
「日本人は、朝鮮人より下」ということになっているので、客観的な現実や力関係も目に入らず、「自分たちより目下の日本人が許せない」という執念だけが一人歩きしている。
だから、慰安婦賠償なんて観念をでっちあげて、国の未来を破壊してまで、虚構に過ぎない「賠償責任」を要求し続けるのだ。
多くの慰安婦は、李承晩や朴正熙政権が作った、米軍向け慰安婦だったのだが、わずかしかいない強制連行、日本軍慰安婦をタテに、日本が全部を賠償せよとやる。
強制徴用も、私の母親ですら、事実上強制徴用によって工場で働かされたのに、当時「日本国民」だった朝鮮人が徴用を受けるのは必然だった。しかも多くの徴用者は、自ら志願して工場に向かい、日本人と同じ額の給与を受け取っていたのだ。
こんな事実関係を捏造してまで、「国のメンツ」を剥き出しにして、国家間の信頼を破壊し、自国経済を危うくしておいてまで、虚構のメンツを通そうとするのが儒教社会なのである。
これでは、韓国・北朝鮮が、世界最大の差別国家になるのは当然で、朝鮮半島から儒教の残渣が消えるまで、こうした馬鹿げたメンツ主義が続くのだろう。
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