ついでに、ロールズの「無知のヴェール」の概要を転載しておく。それは、「問題に利害関係を持たない人間の判断が正義にかなっている」という、当たり前の話である、と私は認識しているが、それが現実にはほぼ不可能なことは、多くの政治事件の判決で見られるとおりである。つまり、裁判官も官僚であり、権力の下僕であるからだ。まあ、その解決方法も実は簡単で、AIにあらゆる裁判資料を投入して、法規に照らしてもっとも合理的な判決を出すことである。人間自体が感情的存在であり、正義の原則にかなっていないのだから、この点では機械のほうがはるかに人間に優っているわけだ。
(以下引用)
ソクラテスとトラシュマコスはいったい何について語り合い、見解を異としたのか。それは“正義”の問題である。冒頭でソクラテスに論争をふっかけたトラシュマコスは言う。
「正義」=「力」なのか?
「正義とは、権力者の利益である」
支配者が善悪の判断をする。その利益に反することはすなわち悪である。支配者の利益に則すことが正しい。
「強者の論理」
それは歴史が証明するところではないか。
対して、ソクラテスが問う。権力をもってひたすら自己の利益に変えるのは即ち不正であろう。「不正」は「正義」の真逆ではないか。
この立ち位置から前述の多岐にわたるテーマが語られる。トラシュマコスの語るのは「権力の自己正当化」の問題であろう。この理屈に対峙することから西洋の政治哲学は始まったとして差し支えない。
(引用2)
「無知のヴェール」とは、自分や相手の性別や職業、家族の有無や貯金額などの一切の情報が分からない状態のことをたとえたものです。
ロールズによれば、私たちは正義を考える時、どうしても自分の立場を考慮してしまいます。
例えば、自分が貧乏であれば、富裕層への増税を支持しがちです。
あるいは自分が女性であれば、女性の権利を拡大する法案に賛成しがちです。
このように、人は自分が置かれている立場によって別々の正義を主張してしまう生き物です。
ロールズは、全ての人が「無知のヴェール」を被り、一度自分の立場を忘れた状態で議論した場合、どのような結論が出るだろうかと考えました。
そしてその答えは、個々人の立場を越えた普遍的な正義となるはずであり、そのような公平な視点から社会を設計すべきだと考えました。
正義の原理
ロールズは、私たちが無知のヴェールを被った状態で正義を考えた場合、次の2つの原理が導かれると主張します。
第一原理
私たち個人は、自由な権利を平等に持つべきである。
第二原理
不平等は、最も不利な立場の人々にとって有利な形で調整されるべきである。
読者の皆様も、いったん「無知のヴェール」を被って考えてみてください。