私は宮沢賢治の大ファンなのだが、ただひとつ、彼が日蓮宗を信じ、日蓮を「妙法蓮華経の法体」としていたことが理解できない。そもそも、「妙法蓮華経」の現代語訳を眺めても、さっぱり意味が分からないのである。その膨大な経のほとんどは妙法蓮華経自体の自己賛美と自己宣伝であって、その思想そのものが見えてこないわけだ。いや、読むのも困難なので、ただの印象だが。
ところが、日蓮宗そのものは、「経の意味など分からなくていい。ただ、南無妙法蓮華経と唱えれば、それで救われるのだ」という教えであるらしい。
よく、こういう茶番を、宮沢賢治のような優れた人間性と知性の持主が信じることができたものである。なお、上では「救われる」と書いたが、下の日蓮宗(正宗か?)の教えでは「仏の境界に至ることができる」と書いてある。つまり、日蓮宗の信徒はみな、シャカと同レベルということか? www 凄い教えである。10秒で出来るインスタント聖人である。では、日蓮宗の信徒が犯罪を犯したら、それは許されるのか? いや、日蓮宗系の某宗教団体の厚顔さを見ると、本気でそう思っている可能性もありそうだ。
もちろん、人間はみな罪びとである、とする宗教も害悪はあるが「我らはみな神の民で、わが国は神国だから、すべて許される」とするキチガイ思想よりはマシだろう。ちなみに、後者はいま、中東で猛威をふるっている。日蓮宗は、それに少し似ている気がする。だから、国柱会が軍国主義に利用されたのだろう。
(以下引用)
日蓮大聖人の教え
釈尊(しゃくそん)は、今から約3000年前、人々を救うため50年間にわたって説法し、その最後の8年間で出世の本懐(目的)である法華経(ほけきょう)を説かれました。
この法華経の予言どおり、釈尊滅後2000年が経過し、釈尊仏法の功力がなくなる末法(まっぽう)時代に、民衆を救済する仏として出現されたのが、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。
日蓮大聖人は、法華経の極理を御本尊(漫荼羅)として顕され、その御本尊に向かって“南無妙法蓮華経”の題目を唱えることにより、いかなる人も仏の境界に至ることができると説かれました。
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