• 12. 因縁因果 
  • 2022年07月16日 23:02
  • 日本国において、統一教会を持ってきたのは、岸信介です。
  • 岸信介は、安倍さんのお爺さんです。岸信介が渋谷の松濤の自宅に統一教会を招き入れたのです。
  • 今でも統一教会本部は、渋谷区松濤の岸信介の自宅の隣にあります。
  • 文鮮明の指示で日本に密入国し、西川勝という日本名で統一協会を発足させ原理運動の「教」を始めたのです日本統一教会の会長が久保木修己です。それまでは、西川勝が布教していたのです。最低です。
  • 何故、こんな宗教を日本に入れたのでしょうか戦後、GHQは日本を壊すために統一教会を入れたのです。戦争に負け、当時は創価学会が全盛だったのです。そして統一教会を日本に呼んだのです。それにしても、統一教会を日本に入れてはいけなかったのです。
     
  • 孫が統一教会の信者の息子に殺されてしまったのですから、その報いを受けたのです。あんな宗教を日本に入れてはいけなかったのです。
  • 統一教会は、韓国語を信者に教えたり、「はい!」ということを「ネッ!」と教えたり、文鮮明をお父様、救世主、キリストの生まれ変わりだと言わせている宗教です。
  • まだ、我々が知らない統一教会のダミー宗教団体がたくさんあると思います。統一教会は、土地、建物など、全ての財産を神の国である韓国に返しなさいと言うのです。 
  • 統一教会の場合は、韓国は神の国である。神の国の韓国を植民地にして絞り取ったのは日本だ。これは、神の国に対する冒涜である。日本は悪魔の国である。日本人くらい悪い民族はいないのだと教えるのです。
  • 信者に徹底的に朝鮮人を敬うことを教えるのです。こんな教えを岸信介が日本に持ってきたのです。岸信介の孫が安倍さんです。その総罰が当たってしまったのです。
  •  統一教会のやってきた悪事の総罰を安倍さんが受けたのです。だから、横死したのです。
(転載おわり)

先日、東大生時代に統一教会に入信した現在は、金沢あたりの大学教授が、取材を受けていました。

合同結婚式に出て、文鮮明を、なまで見たときに「思っていたのと違う」と、感じたのだそうです。
あれこれ批判はしなかったけど、いろいろ納得できないことが重なり、離れたみたいでした。

かつては、大学構内で「布教活動」が、行われ、統一教会、オウム真理教。創価学会などが、信者獲得に動いていたみたいですね。

現在は、その活動は見られない、と彼は話していました。

どことも「信者の高齢化」が、あり、大学生の信者には、布教をするパワーがないようです。当時のように、人数も多くないし。

わたしの教団は「所依」が、伝統仏教の経典で、文科省に許された「教育機関」を供える団体なので「新興勢力」かもしれないけど「新興宗教」とは、違います。

新興宗教というのは、仏教系と神道系に分かれますが、拝礼の作法、所作など、見える部分、本尊、護符なども、独特のものをもちいています。

伝統の方式を受け継ぐ教団は、開眼供を迎えるにあたり、護摩壇の下に五穀と、宝石を入れた宝瓶を、供えます。
四方の餓鬼霊を供養するためとか。真言宗は、特に決まりごとにうるさいです。

一切の不浄を許しません。

本当の宗教はあるのか?と言われるけど、あります。
全部が全部インチキではないけど、戦後数十年たって、もろもろの新興宗教が「のっとられて」います。始まった時は、純粋でも、今は、そうとは言えないものばかりになりました。

たぶん、天理教は、取られていないと思います。(日航123便で、10人以上の関係者が、遭難されましたね。

生長の家も政治色の強さを非難されるものの一つですが、現在4代目になって「教祖の著作を、読むことを禁止している」らしいので、もう、昔の生長の家とは違います。

そいうのばかりですよ。神道系は、特に初代がなくなると芯になる教義が、祝詞のようなもので「律する」形がないので、すぐに崩れ、「金儲け」に走ります。

さては、すべてを乗っ取りにかけたのは統一教会だったのですね。

うちの教団も、戦後、なんども、壊滅の危機に遭遇しました。常に危機はあります。私たち古い教徒は、つねに警戒しています。
そして、教団がとった方針は「徹底した政治との絶縁」です。
決して選挙にかかわらない。

幹部がやられると全体が狂う。

過去に、何度も、その危険を体験しました。教団が海外に進出する時、責任者が脱法行為をして、追放されることがあり、教団は、そのたびに、それを信者に公表しました。

人の心には天使だけではなく悪魔が眠っているのだから、すきがあれば、「魔は侵入する」。自分は大丈夫だという慢心を恐れよ。

あくまでまっすぐに。決して曲げるな。

高遠なことは理解が難しい。

でも、私の見える範囲では、おかしな行為をする人は、病気になったり、さまざまな不幸を背負って活動できなくなっていきました。
だからといって、病気になる人の信心がまちがっているという単純な方程式はありません。
人は、いろんなものを背負っているので、避けて通れない不幸もあります。

それでも、生涯かけて信じ続けて、本人も、子孫も、みんなが栄えるのでなければ、その宗教が正しいとは言えないと思います。

難しいのは、宗教に限らず「集団には、なにかしらの守護霊とか、背後霊」が、つくことです。それで、カルト化します。

そうなると、人間では考えられないような異常行動が起こったり、入信したことで精神異常になったりするようです。見えない世界に不用意にかかわることは、非常に危険です。

そういう意味では、やすやすと宗教に入るべきではありません。

にもかかわらず、身を亡ぼす集団に、人は、簡単に騙され引き寄せられます。

これは、本人のもつ悪因縁のせいで、不幸の方に引き寄せられ「この一族を不幸に落としてやる」と、執念深く狙っている怨念に倒される。

こういう人たちは、正しい宗教を嫌悪し、とんでもないものに引き寄せられます。

人間には、自分が背負う因縁が、見えないので、わからないのです。

なぜか、不幸への道の方が好ましく感じられてしまう。救われる道には向きたくない・・・それが、因縁というモノです。