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これにて「宿題」はほぼ完了

まあ、他人にはどうでもいい問題なのだろうが、神とは何か、神は実在するか、という問題は、私にとっては浪人時代というか、ドストエフスキーを読んだ時以来の考察課題で、今に至るまで宿題だったのである。その問題は中江兆民の「続・一年有半」での神の非在の証明を読んで納得したことで一応解決したのだが、今思えば、あれは「ユダヤ・キリスト教」的な唯一神・創造神の存在・非存在を論じたもので、神とは何か、あるいは、どういうものを神と見做せるか、という定義は無いままで考察が進んでいたように思う。まあ、神についての当時の議論はそういうのが「当たり前」だったわけで、兆民の議論そのものは実に明快で合理的なものであった。
そういう、自分でも忘れかかっていた問題に、私なりの回答を出すことができたことで、いわば「人生の宿題」がひとつ片付き、もうほとんど思い残すことは無いので、いつ寿命が来てもほとんど文句は無い。できれば、「世界から戦争と貧困を完全に無くす方法」という宿題にも答えを出せたらいいのだが、まあ、これはおそらく「答えの無い質問」というか、答えがあっても当分は実現不可能な問題だろう。25世紀くらいには、そういう世界が実現している可能性もあるかもしれない。
「世界から貧困を無くす方法」は、労働の機械化と、まともなBI(ベーシックインカム)のふたつを推進すれば可能だろうと思う。しかし、社会の貧困化は主に「富者(資本家)による貧者(消費者)からの収奪」で生じるわけだから、社会全体がある程度社会主義化して、福祉と人民保護を最優先する政府が世界中のスタンダードになる必要があるかと思う。
戦争も同様であり、これも基本的には「戦争で金儲けをする人間」の存在が戦争が起こる主な原因であるから、マスコミやジャーナリズムが健全に機能し、戦争が起こる前に、それを阻止する社会システムを構築することが大事だろう。
私は、人間には闘争本能があるから戦争は永遠に無くならない、という意見には与しない。動物が他の動物を殺して食うのは、あれは「闘争本能」ではなく、自分の生命維持のために闘争するだけだ、というのが私の意見だ。(野生の肉食動物は、腹が一杯の時には他の動物を「面白半分に」殺したりはしないはずである。)ならば、野生動物よりは少しは知能が高いはずの人間が、その「闘争本能」とやらを抑えきれないはずはないだろう。そもそも戦場で殺し合いをする兵士たちは上の命令に従って殺し合いをするのであり、「闘争本能」から殺し合いをするわけではない。ならば、上官たちや為政者は「闘争本能」の塊で、人間と人間が殺しあうのを眺めるのが大好きなサディストしかいないのか。すべて、誰かに操作されて為政者は戦争を命じ、軍隊は殺しあいをさせられているだけである。

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酔生夢人
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男性
職業:
仙人
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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