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「神」についての一考察

前回予告しておいた「神という存在」についての断片的思考だが、中心思想は、「神とは人間的な人格や意思を持った存在ではなく、宇宙という存在の中心にある、或る種の力である」というものだ。しかも、それは「自分から動くのではなく、他の存在がその中心に向かって自動的、あるいは自発的に動くように惹きつけられる、磁力のような存在である」と思われる。「宇宙の中心」とは言っても、それは物理空間的な中心ではなく、その力は全宇宙に偏在している。あるいは、宇宙のすべての存在が、その力を幾分かずつ持っている。つまり、あなたも神であり、私も神であり、道端の一木一草、小石にもその力はある、という思想である。他者や他の存在に対する愛憎や好意や反発も、その「生まれ持った磁性の相性による」面が大きいのかもしれない。まあ、そこまで行く(磁力や磁性という比喩にこだわる)と一種の運命論になるので、これは強く主張はしない。
人間世界において、「自分は動かず、他の存在がその存在に向かって自動的に、自発的に動くようなもの」を観念面から言えば、「真・善・美」であるということになり、従って、「真善美」が神の属性と考えられた、と思われるが、もちろん、「悪の誘惑」という強力な力もあり、必ずしも善だけがそういう「磁力的存在」とは言えない。
つまり、神は人間的な倫理の外にあるものだ、と言えるだろう。そこが、この思想が多くの宗教と異なる部分で、日本神話の中の神、あるいはギリシャ・ローマ神話の中の神は、そうした「人間的な能力の範囲を超えた力」を擬人的に表現したものではないかと思う。人間から見れば、それは畏敬や畏怖の対象であり、一神教的な帰依(しばしば愛情ですらある)の対象ではない。
そう考えると日本の「八百万(やおよろず)の神」という思想は、案外大正解なのではないか、という気がする。
ただ、私の思想は、神を「人間的な範囲を超えた力」と定義しながら、その力はすべての存在に大なり小なり分有されている、というあたりが論旨として弱いかな、とは思う。しかし、すべての存在に「神性」がある、という考えは魅力があり、捨てがたい。神を磁力的な力とするなら、その磁力に応じるのも或る種の力だろう、という考えなのである。
例を挙げれば、素晴らしく魅力的な人間(書物でも自然の美でもいい)がいたとしても、その魅力をまったく感じない、感受性ゼロの人間に対しては、その魅力の力はゼロだ、ということである。一神教的な神に至上の魅力を感じる人もいれば、頭から受け付けない人もいる、というのも、そうした相性の問題に尽きるかもしれない。



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