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我が「代表歌」と「代表句」

こちらのブログに数日書いていないのは、意図的なもので、この前数回に書いた記事で、私の「宿題」はほぼ完了したからである。後は、風流な着想や思索が起これば書くし、起こらなければ書かない。
まあ、とりあえず、前にも書いた内容だとは思うが、私が自分の作品としてこの世に残したい短歌ひとつと俳句ひとつを載せておく。実に平凡極まる作品で、特に俳句のほうは、もしかしたら既にまったく同じ作品があるのではないかという気もするが、まあ、それもよくあることだ。

(短歌)

 神宮の大広道の樹を繁み 幾許(ここだ)散り敷く春の落葉かも

これは二十代後半に代々木に住んでいたころ、近くの明治神宮に散歩に行き、大きく広い参道に散り敷いた春の落葉を見て、わずかの思案で出来上がった歌である。「大広道(おおひろみち)」は造語で、「~を~み」は「~が~なので」という意味の古語、「ここだ」は「たくさんの」の意味の古語で、「かも」は感動(詠嘆)を表す終助詞である。最後の「春の落葉かも」は字余りで、無意識だが、源実朝的なおおらかさを出そうとしたのだろう。

(俳句)

 突堤を 波打ち越ゆる野分かな

これなど、同じ風景を絶対にどこかの誰かがまったく同じ文句で俳句にしていると思うのだが、私自身は見た記憶がないので、たぶん盗作ではないと思う。それほど、実にありふれた光景なのである。だが、「打ち越ゆる」という当たり前の表現が、ここでは「波が」(突堤を)「打って越えていく」とうまくつながって、それと最後の「野分(台風)」の古風な語とかなり微妙なバランスで調和している、と私自身は思っている。ちなみに、「打ち」は単なる強調の接頭辞でもある。「打ち笑う」「打ちひしがれる」のような用法だが、ここでは波が実際に突堤に打ち当たって越えていく様子である。

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HN:
酔生夢人
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男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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