私の別ブログに書いたメモ的記事だが、議論の叩き台として転載する。
もちろん、ここに書いた内容は天皇肯定論者にも否定論者にも不満なものだろうが、あくまで叩き台を提出するだけだ。もっと説得力のある否定論や肯定論があれば、私も読んでみたい。
まあ、ここに書いたのは三島由紀夫の「文化防衛論」を、分かりやすい形で、あるいは私なりの理解(誤解)で書いたものとも言える。
なお、「天皇制」という言葉は議論を混乱させる要素があると私は(何となくだが)思っている。たぶん、この言葉はそれだけで「天皇支配」を連想させるのではないか。「象徴天皇制」も同様だ。まあ、感覚的な話だが、「制度」(固定や呪縛)への無意識的な拒否反応を惹起するとも言える。
「肯定論」の8について補足すれば、未来は過去の伝統や遺産としての現在からしか生まれない、というのが永遠の真理だと私は思っている。改変はいいが、過去の消去や過去との断絶は利益よりは損失が大きいだろう。
(追記)このブログに載せてある「『文化防衛論』の考察」の一部を載せる。「日本人とは日本文化が意識的無意識的に体に刻みこまれている者」と定義できる。日本への移民はあくまで過渡的存在としての疑似日本人だ、と言える。日本文化に染まって、真の日本人になるわけだ。もちろん、ならない者もいる。長年日本にいながら日本人を敵視し、軽蔑する者もいる。つまり自ら「自分は日本人ではない」と主張しているわけだ。
13)「文化の無差別的包括性」を保持するために「文化概念としての天皇」の登場が要請される。
(考察)簡単に言えば「日本文化を保持するために、日本文化の象徴としての天皇の存在が重要である」ということだろう。天皇という存在が論じられる時、ほとんどは「政治的存在」としての天皇しか論じられていない。天皇という存在が日本文化の歴史の中心にある、というのは私も主張してきたことであるが、そこには別に三島の影響は無い。単に、日本文学史を見ていたら、それ(天皇が文化の中心にいること)が歴然としているというだけのことだ。記紀と三大歌集が無ければ日本の古代中世文学は無く、古代中世文学が無ければ、当然その発展としての江戸文学も無い。そして、明治の欧風文化採用と太平洋敗戦でその伝統は切られたのである。つまり、あの敗戦と戦後教育は日本の文化の伝統を断ち切ったわけだ。日本文化の伝統を愛する三島が、その伝統の中心に天皇があると考えたのは自然なことである。
(以下自己引用)
もちろん、ここに書いた内容は天皇肯定論者にも否定論者にも不満なものだろうが、あくまで叩き台を提出するだけだ。もっと説得力のある否定論や肯定論があれば、私も読んでみたい。
まあ、ここに書いたのは三島由紀夫の「文化防衛論」を、分かりやすい形で、あるいは私なりの理解(誤解)で書いたものとも言える。
なお、「天皇制」という言葉は議論を混乱させる要素があると私は(何となくだが)思っている。たぶん、この言葉はそれだけで「天皇支配」を連想させるのではないか。「象徴天皇制」も同様だ。まあ、感覚的な話だが、「制度」(固定や呪縛)への無意識的な拒否反応を惹起するとも言える。
「肯定論」の8について補足すれば、未来は過去の伝統や遺産としての現在からしか生まれない、というのが永遠の真理だと私は思っている。改変はいいが、過去の消去や過去との断絶は利益よりは損失が大きいだろう。
(追記)このブログに載せてある「『文化防衛論』の考察」の一部を載せる。「日本人とは日本文化が意識的無意識的に体に刻みこまれている者」と定義できる。日本への移民はあくまで過渡的存在としての疑似日本人だ、と言える。日本文化に染まって、真の日本人になるわけだ。もちろん、ならない者もいる。長年日本にいながら日本人を敵視し、軽蔑する者もいる。つまり自ら「自分は日本人ではない」と主張しているわけだ。
13)「文化の無差別的包括性」を保持するために「文化概念としての天皇」の登場が要請される。
(考察)簡単に言えば「日本文化を保持するために、日本文化の象徴としての天皇の存在が重要である」ということだろう。天皇という存在が論じられる時、ほとんどは「政治的存在」としての天皇しか論じられていない。天皇という存在が日本文化の歴史の中心にある、というのは私も主張してきたことであるが、そこには別に三島の影響は無い。単に、日本文学史を見ていたら、それ(天皇が文化の中心にいること)が歴然としているというだけのことだ。記紀と三大歌集が無ければ日本の古代中世文学は無く、古代中世文学が無ければ、当然その発展としての江戸文学も無い。そして、明治の欧風文化採用と太平洋敗戦でその伝統は切られたのである。つまり、あの敗戦と戦後教育は日本の文化の伝統を断ち切ったわけだ。日本文化の伝統を愛する三島が、その伝統の中心に天皇があると考えたのは自然なことである。
(以下自己引用)
私は天皇肯定論者なのだが、要は日本文化と伝統の象徴としての天皇の存在を貴重だとする思想であり、また日本国憲法肯定者として、憲法の規定する「国民統合の象徴としての天皇」を尊重する意味での天皇肯定論者である。
そして、ネットで見る「天皇否定論」の根拠がどうもよく分からないので、その分析と考察をしてみる。ただし、メモ的なものだ。詳しい考察は後に回すつもりである。
最初に、私が考える「天皇否定論」の根拠を箇条書きにしてみる。もちろん、見落としもあるだろう。その中で私が重要と考えるのは「感情的に天皇の存在が許せない」というものだが、「感情論だからダメ」とは決めつけるつもりはない。ある意味では論理よりも強いのが感情だろう。ただ、とりあえず、ここでは「天皇否定論」と「天皇肯定論」を両方並べて、どちらがより合理的か、あるいは正当性があるかの比較をしてみるつもりだ。
Ⅰ 天皇否定論
1:日本国憲法は国民の平等を謳っており、天皇を国民の上位に置くのは許せない。
2:日本は「民主主義国家」であり、本来は君主的存在だった天皇は不要である。
3:天皇を「国民統合の象徴」とする意義はない。
4:天皇やその親族にかかる財政負担が無駄である。
5:昭和天皇のために死んだ無数の国民の死の責任が昭和天皇にあり、その子孫である天皇家自体、否定されるべきである。
6:天皇が神道連盟などの宗教に利用される可能性が大きい。
7:右翼が天皇を担ぎ上げて、日本を全体主義国家にする可能性がある。
8:天皇が存在しなくても、日本国民は何ひとつ困らない。
9:その他
Ⅱ 天皇肯定論(それぞれ「否定論」の否定であるが数字は対応していない。)
1:日本の歴史は天皇が大きな要素であり、天皇は日本文化の伝統であり象徴である。
2:現在の天皇は単なる象徴であり、日本国民の上位にあるわけではない。
3:憲法は天皇の政治関与を禁じており、民主主義と矛盾する存在ではない。
4:天皇に関係する予算は外交儀礼上必要だが、不満なら削減すればいい。
5:祖先の罪は子孫に関係しない。
6:神社等との関係が大きな問題になった事例は敗戦後は存在しない。
7:天皇が「象徴天皇」である限り、政治利用は不可能である。
8:天皇がいなくなれば、他国との違いが無くなり、「日本人」は過去と断絶する。
9:その他
そして、ネットで見る「天皇否定論」の根拠がどうもよく分からないので、その分析と考察をしてみる。ただし、メモ的なものだ。詳しい考察は後に回すつもりである。
最初に、私が考える「天皇否定論」の根拠を箇条書きにしてみる。もちろん、見落としもあるだろう。その中で私が重要と考えるのは「感情的に天皇の存在が許せない」というものだが、「感情論だからダメ」とは決めつけるつもりはない。ある意味では論理よりも強いのが感情だろう。ただ、とりあえず、ここでは「天皇否定論」と「天皇肯定論」を両方並べて、どちらがより合理的か、あるいは正当性があるかの比較をしてみるつもりだ。
Ⅰ 天皇否定論
1:日本国憲法は国民の平等を謳っており、天皇を国民の上位に置くのは許せない。
2:日本は「民主主義国家」であり、本来は君主的存在だった天皇は不要である。
3:天皇を「国民統合の象徴」とする意義はない。
4:天皇やその親族にかかる財政負担が無駄である。
5:昭和天皇のために死んだ無数の国民の死の責任が昭和天皇にあり、その子孫である天皇家自体、否定されるべきである。
6:天皇が神道連盟などの宗教に利用される可能性が大きい。
7:右翼が天皇を担ぎ上げて、日本を全体主義国家にする可能性がある。
8:天皇が存在しなくても、日本国民は何ひとつ困らない。
9:その他
Ⅱ 天皇肯定論(それぞれ「否定論」の否定であるが数字は対応していない。)
1:日本の歴史は天皇が大きな要素であり、天皇は日本文化の伝統であり象徴である。
2:現在の天皇は単なる象徴であり、日本国民の上位にあるわけではない。
3:憲法は天皇の政治関与を禁じており、民主主義と矛盾する存在ではない。
4:天皇に関係する予算は外交儀礼上必要だが、不満なら削減すればいい。
5:祖先の罪は子孫に関係しない。
6:神社等との関係が大きな問題になった事例は敗戦後は存在しない。
7:天皇が「象徴天皇」である限り、政治利用は不可能である。
8:天皇がいなくなれば、他国との違いが無くなり、「日本人」は過去と断絶する。
9:その他
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