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「癌治療」についてのナカムラクリニック氏の見解

「大摩邇」所載の「中村クリニック」記事で、他者からのインタビューの内容で、癌治療に関するそのコメントは私が自分のブログで最初のころから一貫して言っている(と記憶する)内容と同じなので、自慢の意味で(笑)転載する。

(以下引用)

「医師である私ががんになったら」

吉田氏「もしがんになってしまった場合、当然医師に診ていただくことになりますが、医師によって治療法が異なる場合があります。最近はセカンドオピニオンも定着してきましたが、なかにはいまだに患者さんから「セカンドオピニオンを受けるなら他の病院に行ってくれ」などと主治医に言われたという話も聞きます。
そこで、医師自身のがんに対するお考えや、どのような選択をとられるのかなどをがん治療で活躍されている先生にうかがうシリーズ。
今回は、病気の症状を薬により一時的に改善させる対症療法ではなく、栄養バランスを重視したオーソモレキュラー医学により病気そのものの根本治癒を目指されているナカムラクリニック(神戸市中央区)の中村篤史院長にお話を伺いました。
中村院長は、A.ホッファー、A.W.ソウル両博士が書き上げた『オーソモレキュラー医学入門』を翻訳され、日本でのオーソモレキュラー医学の発展に大きく貢献されました。また、有機ゲルマニウムをご自身の医療に取り入れられ、がんをはじめとする難病に対する治療にも日々取り組まれています。
そこで今回は、中村院長にご自身についての日頃のがん予防や、仮にがんになられたとしたらどのようにされるのかをお聞きしました」




ナカムラクリニック 中村篤史 院長


取材・構成 吉田繁光 本誌発行人


・がんは早期発見が大事だと言われますが、かからないことに越したことはありません。先生は日頃何かがん予防はされていますか?


癌にならないためにと、あえて何かをしていることはありません。ただ、サプリとか健康食品の類いはかなり取っているほうです。それは日々の健康を維持し、生活の質を高めるために取っています。でもそういうサプリが結果的に癌予防になっている可能性はあると思います。たとえばアサイゲルマニウムは患者にもよく勧めますし、僕自身も飲んでいます。


・早期発見のために検診は受けていらっしゃいますか?


癌の早期発見は無意味なので癌検診は受けません。いや、無意味ならまだマシで、むしろ有害じゃないかと思っています。これは僕の意見というか、検診の有効性を調べた論文があって、結果は負の有効性だった。つまりむしろ有害無益というのが研究の示唆するところです。「早期発見早期治療」というのは、医療業界が生み出した単なるマーケティングフレーズに過ぎません。



実際のところ、癌は見つけてはいけません。よく言うでしょう。「人間は誰しも1日5千個くらいの癌ができている」と。それでも、ほとんどの人は癌を発症しない。免疫系が適切に機能していれば、発生した癌もすみやかに処理されるからです。
しかし検診なんか受けてしまうと、うっかり見つかってしまう。レントゲンで「影がありますね。癌の可能性があるので精査が必要です」などと言われて、CTを撮る。生検をする。さらにリンパ節への転移の有無なんかも見る。
まず、検査自体のリスクを軽視し過ぎです。レントゲン100回分とも言われるCT被曝。日本はCT大国だから、CT由来の発癌が絶対あるはず。仮に被曝とは無関係の癌だったとして、生検のせいで癌が転移する可能性もある。せっかく癌が被膜に包まれておとなしく寝てるのに、針を突き刺して起こしてしまう。それで散って全身転移してしまっては、元も子もない。




「癌です。リンパ節に転移しているので少なくともステージ3です」なんて言われて、ショックを受ける。放っておけば何も悪さをしなかったものを、わざわざ見つけに行って、それで癌宣告されて、絶望している。バカみたいですね。検査に行きたい人をあえて止めることはしませんが、僕自身はそういう茶番には付き合いません。


・残念ながら、がんが発見されてしまったらどうされますか?治療法などをお聞かせください。


自分が癌になったら、という仮定ですが、そんな仮定をすること自体、癌のことを分かっていません。先ほども言いましたが、癌は健康な人にも毎日5千個くらいはできていると言われています。だから、僕らはいわば「毎日癌になっている」わけです。
しかしその質問の意味はもちろん分かりますよ。たとえば肺とか大腸に5㎝くらいのしこりがあって、調べてみると癌だった。さて、どうしますか、ということですよね。
基本的には放置ですね(笑)何もしない。
「癌は体の中の濾過装置」という考えがあります。僕らの日常生活って、毒まみれでしょ。農薬、添加物、電磁波、ワクチンなど、僕らはさまざまな毒を日々摂取しているはずで、こういう毒のなかには発癌性がある物質も含まれている。僕は普段、極力そういう毒を摂取しないようにしていますが、それでも完全に回避できるわけじゃない。そんなふうに少しずつ体内に蓄積した毒が、癌を起こす可能性もゼロではないでしょう。
となれば、やるべきことは解毒です。解毒の方法はいくつかあると思いますが、たとえば酵素風呂に行って、しっかり汗をかく。あるいは断食。3日断食を断続的に繰り返すと、体内のマクロファージの貪食能が高まって、解毒力が高まります。あと、アサイゲルマニウムの服用量を増やすでしょうね。たとえば1日2gとか。


・今お話しになったことで、がんの発生時期が若い時期であったり、もっと先の老年期だったりした場合であれば、何か違いがあるか、お話ください。


高齢者が癌になるのは自然なことです。癌以外の死因で死亡した高齢者を解剖したところ、ほとんどの人で小さな癌が見つかったという研究があります。男性なら前立腺に、女性なら乳房に癌があるものです。しかしその癌は、何ら悪さをしません。ただ、そこにあるだけ。
でも、健康マニアの高齢者は「早期発見早期治療」なんていうお題目にだまされて、定期的にがん検診に行ってたりする。それで、癌を見つけてしまい、治療レーンに乗ってしまう。無症状の癌は、見つけてはいけません。やはり、寝た子を起こしちゃいけないんです。
若い人が癌になったとなれば、必ず原因があると考えます。たとえば今なら、コロナワクチンの接種歴の有無を聞きます。女性なら併せて子宮頸癌ワクチンの接種歴なんかも聞きます。食生活の習慣、たとえば砂糖菓子ばっかり食べてるとか、IHや電子レンジで加熱したものをいつも食べてるとか、何かしらの問題がないか、詳しく問診します。


・考えたくないことですが、万が一がんが進行して、医師より「もう治療法はない」と言われたらどのようになされますか?


それは考えたことがなかったな。「もう打つ手なし」と言われたら、どうするか。
うーん、どうするだろう。考えたこともなかったから、ちょっと即答はできないな。
でも、今しゃべりながら考えると、そういうことを考えたことがないのは、僕が、癌というのがどういう病気か、一応分かっているからだと思います。先ほども言ったように、癌は毒の病気です。だから、上手に排毒すれば治らないはずがないと思っているし、日々毒を避けるように努めていればそもそも癌にならないと思っています。だから、癌が進行して「もう打つ手なし」と言われる可能性は、僕としては極めて低いと思っている。だから、そういう仮定を考えたことがないわけです。
癌が手のつけようもなく進行した人というのは、なまじっか西洋医療に頼った人だと思います。先ほども言ったように、癌は体内の濾過装置ですから、本来ありがたいもののはずです。しかしそれを「悪の根源」などとみなして切除すれば、体は別の個所に再び濾過装置を作ります。僕らはそれを「再発」とか「転移」と呼びます。毒物を一点に集約することで全体の恒常性を保とうとするありがたい生命力の現れを、あろうことか、憎むべき病的状態だととらえているわけです。まったく、現代医学の癌治療は野蛮極まりない。
あちこちに転移が広がって切除不能となれば、抗癌剤治療をします。これが決定打です。治療と称して投与する抗癌剤こそが、患者にとっての致命傷となります。
癌という、免疫系が本来持っている生理的な解毒作用を悪とみなし、手術、抗癌剤、放射線などで、免疫系がズタボロになった状態。ここに至って、「もう打つ手なし」となるのが多くの癌患者がたどる道だと考えています。
僕はこういう構造を知っているので、自分自身が「もう打つ手なし」と言われることを想像したこともなかった。ただ、質問の意味は分かりますよ。仮にそうなったら、どうするかってことですよね。

まず、仕事をやめるでしょうね。それで、自分のやりたいことだけをやる。日中は日光浴をして過ごして、飽きたらうちの子供(1歳半の男児)と遊ぶ。あるいは、飼い犬(2匹のゴールデンレトリバー)と遊ぶ。それにも飽きたら、ネットで将棋の対局をしたり。とにかく、自分の楽しいことだけをやります。あ、今気づいたのですが、それって今の僕の休日の過ごし方そのものでした(笑)


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新コロ煽りへの志村けんの死の「功績」

新コロや新コロワクチンの話はもうウンザリするくらい書いたのだが、小池都知事の話などは少し面白いので、長い記事(画像多し)を半分ほど転載する。

(以下引用)

志村けんと松本人志

ナカムラクリニックさんのサイトより
https://note.com/nakamuraclinic/n/n0f5ef20f06e3
<転載開始>


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最初に結論から言うと、志村けんは完全に政治利用されたと思っています。


もう5年前のことで、みなさんすっかり忘れたかもしれないけど、2020年当初、1月とか2月とか、テレビが「諸外国でコロナが猛威を振るっている!」「バタバタと人が死んでいる!」と恐怖を煽りまくっていた頃、まだコロナが流行っている実感なんて、みなさん全然持っていなかった。
それもそのはず。


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コロナ感染者数のデータを見ると、日本全体で1日数人~数十人程度の感染者しかいない。確率的に言って、ほとんどの人にとって「周りは誰もかかっていない。テレビは一体何を大騒ぎしてるんだ?」という感じだったはずです。




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高橋洋一さんが「この程度のさざ波で五輪中止とか、何だそれ(笑)」とツイートしたことで、つるし上げを食った。
狂気のコロナ禍では、真実を語った者にはすぐさま鉄槌が下されました。高橋さんもその例に漏れません。
2020年東京五輪中止は、日本の感染者数の多寡にかかわらず、既定路線だった。それは「コロナでオリンピック中止!」となれば、世界へのメッセージになるからです。「五輪を中止せざるを得ない、それぐらい大変な感染状況なんだ」と。
この既定路線に逆行するような言動をする人物を、要職に置いておくことはできない。
本当のことを言ったがためにメディアから袋叩きにあった高橋さんは気の毒です。
コロナがひと段落した今、改めてコロナの総括が必要だと思う。コロナの恐怖を煽りコロナワクチンを推進した人たちに対して責任追及が行われるべきだし、同時に、コロナ禍で真実を言ったがために迫害された人の名誉回復が行われるべきだと思う。


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さざ波程度の感染者数しかいなかったときに、志村けんがコロナにかかって死亡したというニュースが飛び込んできた。
これは衝撃でした。
志村けんといえば、日本人の誰もが知る超有名人です。彼がコロナにかかったことも大きなニュースだったけど、まさか、コロナで亡くなったというのだから、とんでもないショックです。

僕は、このときに初めて、日本人の意識の中で、本当のコロナが始まったと思う。それまでは、いわば絵空事でした。屋形船だとかダイヤモンドプリンセス号とか、いろいろメディアが騒いでるけど、「コロナが流行ってる?何の話をしてるんだ?」実感はまるでなかった。でも、テレビの中の見慣れた志村けんが死んだということで、コロナが一気に身近に迫ってきたように感じられました。
しかし、この一件について、今、冷静に考えてみましょう。

報道によると、志村さんは3月17日にコロナに罹患したとのこと。データによると、3月17日にコロナに罹患したのは、日本全国で45人だった。
その45人のなかに、志村けんが含まれる確率はいくつですか?高校数学レベルの『確率』の問題です。


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0.000000375です。0.0000375 %という、まず起こり得ないことが、起こったということになる。しかもこれはコロナに罹患する確率であって、コロナで死亡する確率ではありません。死亡となれば、もっと起こり得ない。
さらにいうと、志村けん逝去の1か月後くらいに、岡江久美子さんもコロナで亡くなったという報道があったけど、この確率も計算してみればいい。


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日本でコロナがほとんど流行していなかった時期に、芸能人がなぜかコロナで立て続けに亡くなった。どういうこと?芸能人はコロナに特別かかりやすく死にやすいってこと?そんなわけない。絶対あり得ないんです


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志村けんのお兄さんは、入院中の面会はもちろん、亡くなった後の顔を見ることも許されなかったという。本当、狂った時代でした。

誰もが知るスターの訃報ということで、当時の都知事もコメントを発表した。


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「コロナの危険性をみなさんに届けたという、最後の功績も大きい」
ここでは詳しく繰り返さないけれど、コロナは世界的なプランデミックだった。人工的に合成したウイルスを散布し、マスコミを通じて人々の不安を過大に煽り、ワクチン接種に走らせ、地球人口の削減をはかる。それがコロナ騒動の目的だった。
目的遂行にあたって、当然都知事にも指示が出ている。なんといっても、ジョージ・ソロス(DS幹部)と昵懇であることを隠そうともしない人なんだから。
「功績」という言葉を選択したあたりに、うっかり本音がこぼれているようだ。


(以下省略)

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老化と健康と精神の解放

「健康関係」の記事が(新コロやワクチンの話はうんざりするほど書いたので)、関心を惹くほどのものもないので、岡氏の記事を転載する。
私は長寿にはあまり興味が無い。問題は「健康」であり、健康と長寿はイコールではない。病気の状態で苦しみながら長寿であるというのはむしろ不幸な人生なのではないか。
そして「運動」は「健康を良化させる」意味があるからしばしばこのブログで取り上げているのである。食品や栄養の話も同様だ。長生きする食品など存在しない。
要はQOL(quality of life:生活の質)であり、健康ほどQOLを根本から左右するものはない。

図書館から借りた「ハウルの動く城」はなかなか面白いが、特に面白いのは老婆となったソフィの老化の症状や苦痛がかなり正確に描写され、また老婆になることによってむしろ精神が解放され「図々しくなる」という描写があることだ。図々しさ(他者の評価を気にしないこと)こそ、生きる力かもしれない。これは老人に限らない。(アニメのほうの「ハウルの動く城」は宮崎アニメではレベルの低い部類だろう。原作の良さも出ていない。視覚的面白さはもちろんある。)

(以下引用)

「運動と寿命の長短には基本的に何の関係もない」ことをフィンランドの研究者たちが30年間の追跡調査で突き止める

地球の記録 - アース・カタストロフ・レビューさんのサイトより
https://earthreview.net/exercise-has-nothing-to-do-with-lifespan/
<転載開始>

cure.ae

運動と寿命の関係

運動は健康にいい、という概念は、もうずっと以前から常識的な概念となっています。


もちろん、曖昧な意味では健康にはいいんでしょうが、それと共に、


「運動をすることが長寿につながる」


ということについても、何となく常識的に定着しています。


しかし、最近、フィンランドのユヴァスキュラ大学の研究者たちが、


「運動をよくした人たちと、していなかった人たちの間に寿命の長さに有意な差を見つけることができなかった」


という結論に達した論文が発表されていました。


これは、1958年以前に生まれたフィンランドの双子 2万2750人が含まれているという研究で、実に 30年に渡って追跡調査が続けられたという、運動と長寿の関係についての世界最大の研究のひとつだと思われます。


その結果として、


「差はない」


となったのでした。



ただし、「短期間」での寿命に関しては、運動をしている人たちの死亡率のほうが低かったということも示されています。つまり、若いうちは、運動をしている人たちのほうが亡くなりにくいと。


しかし「長期間」となると、ほとんど同じだったようです。


長期間ということは、つまり「寿命」ということと関係するものですが、これに関しては、運動はほぼ関係しないようです。


まあ…漠然とした概念で恐縮ですが、「長生き」という観念で考えますと、スポーツマンなどの職業の人たちよりも、画家とか作家とか美術家などの「ずっと座っているような人たち」のほうが長生きしているようなイメージ(あくまでイメージですが)はあります。


このフィンランドの研究で面白かったのは、「最も運動をしない人たちと、最も運動をしていた人たちが、共に最も死亡率が高かった」ということです。


全然運動をしない人と、激しく運動をし続けていた人たちが、寿命の最短グループだったようです。


結局、寿命というのは、遺伝の関わりが最大で、そして、それに続くのがストレス(特に持続するストレス)などの外的な要因なのだとは思います。


もちろん、適度な運動が悪いわけはないですので、歩いたり何なり程度の身体活動をすることはいいことなのだとは思います。私は今はほとんどしていないですが。


フィンランドの研究に関しての医学メディアの記事です。

運動は本当に寿命を延ばすのか? 双子研究が新たな知見をもたらす

Does exercise really extend life? Twin study offers new insights
medicalxpress.com 2025/03/13



片方の双子が運動ガイドラインを満たし(右)、もう片方(左)は満たしていない一卵性双生児ペアの記録。


身体活動は人間の寿命を延ばす方法と考えられているが、フィンランドの双子研究によると、身体活動が長寿にもたらす利点はこれまで考えられていたほど単純ではない可能性があることが判明した。


フィンランドのユヴァス​​キュラ大学の研究者たちは、長期にわたる余暇時間の身体活動と死亡率の関係、また身体活動が遺伝的疾患素因による死亡リスク増加を軽減できるかどうかを調査した。


さらに、身体活動とその後の生物学的老化との関係も調べた。


この研究には、1958年以前に生まれたフィンランドの双子 2万2750人が含まれており、1975年、1981年、1990年に余暇時間の身体活動が評価された。


死亡率の追跡調査は 2020年末まで続けられた。


結果は、医学誌『Medicine & Science in Sports & Exerciseおよび『European Journal of Epidemiology』に掲載された。


15年間の追跡期間中の余暇時間の身体活動に基づくデータから、


・座位中心 (座っていることが多い)
・中程度に活動的
・活動的
・高度に活動的


という 4つの明確なサブグループが特定された。


30年間の追跡期間でグループ間の死亡率の違いを調べたところ、座位中心と中程度に活動的なグループの間で、死亡リスクが 7% 低下するという最大のメリットが得られたことがわかった。 (※) ほとんど座って生活している人たちと、少し運動している人たちの死亡リスクが同じで、最も死亡率が低かったということです。


身体活動レベルが高くなっても、追加のメリットはなかった。


死亡率を短期と長期に分けて調べたところ、短期的には明らかな関連性が見つかった。身体活動レベルが高いほど、死亡リスクは低くなっていた。


しかし、長期的には、非常に活動的な人と運動不足の人との死亡率に差はなかった


「運動不足自体が原因ではなく、病気の前段階の状態が身体活動を制限し、最終的には死に至る可能性があります」とスポーツ・健康科学部のエリーナ・シランパー准教授は言う。


「これにより、短期的には身体活動と死亡率の関連性に偏りが生じる可能性があるのです」


 


WHOの身体活動ガイドラインを満たしても死亡リスクが低くなるとは限らない


研究者たちは、世界保健機関の身体活動ガイドラインに従うことにより死亡率や遺伝病リスクに影響を及ぼすかどうかも調査した。


WHO ガイドラインでは、中程度の運動を毎週 150~ 300分、または激しい運動を毎週 75~ 150分行うことが推奨されている。


この研究では、これらのガイドラインを満たしても死亡リスクが低下したり、遺伝病リスクが変化したりすることはなかった。


15年間にわたって身体活動の推奨レベルを満たした双子でも、活動量の少ない双子ペアと比較して死亡率に統計的に有意な差は見られなかった


「身体活動と死亡率の間に広く見られる好ましい関係は、さまざまな情報源からの偏りが生じやすい観察研究に基づいています」と、スポーツ・健康科学部の博士研究員であるローラ・ヨエンスー氏は言う。


「私たちの研究では、さまざまな偏りの原因を考慮することを目指しましたが、追跡期間が長かったため、身体活動ガイドラインを順守することで遺伝性の心血管疾患のリスクが軽減されるか、死亡率が低下するかは確認できませんでした」


 


身体活動と生物学的老化の関係はU字型


双子のサブサンプルについては、エピジェネティック・クロック (DNAのメチル化のレベルによって予測される年齢の時計)を使用して血液サンプルから生物学的老化を判定した。


エピジェネティック・クロックにより、遺伝子発現を制御し、老化プロセスに関連するメチル基に基づいて、人の生物学的老化速度を推定できる。


「余暇時間の身体活動と生物学的老化の関係は U 字型であることがわかりました。つまり、運動量が最も少ない人と最も多い人では生物学的老化が加速していたのです」とシランパー准教授は言う。


喫煙やアルコール摂取などの他のライフスタイルは、身体活動と生物学的老化との好ましい関連性を主に説明した。


この研究では、4,897組の双子の遺伝子データを入手できた。


冠動脈疾患、収縮期血圧、拡張期血圧に対する双子の遺伝的感受性は、ゲノム全体の罹患感受性を合計した新しい多遺伝子リスク・スコアを使用して評価された。


さらに、180組の一卵性双生児の全死因死亡率と心血管疾患死亡率が追跡された。1,153組の双子の生物学的老化率は血液サンプルから評価された。


この研究は、ユヴァスキュラ大学のスポーツ・健康科学部および人間科学方法論センター、ヘルシンキ大学のフィンランド分子医学研究所と協力し実施された。


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現代人の食生活

「大摩邇」所載の「ナカムラクリニック」記事で、読んでの判断は個人責任であるのは当たり前の話だ。別に、塩を大量に摂取するのがいいという話ではない。塩分不足も問題だ、という話である。特に現代人は天然の塩ではなく、悪質成分の入った精製塩を普通は使用しているようだ。悪質成分とは言っても、体にどの程度の悪影響があるかは不明だ。
私の経験では天然の塩は甘みがあるようだ。まあ、その製品特有のものかもしれない。
現代の食品は味噌などにもあまり感心できない成分が入っている気がする。これは私個人の印象なので、詳しくは書かない。
コメも小麦も野菜も果物も肉も調味料も「農薬・除草剤・添加物だらけ」である。それでも長寿を保つ人も多いのだから、人間は本来は頑丈な生物ではある。つまり、気にしすぎるのも良し悪しだ。


(以下引用)



「2月下旬から塩水を飲み始めました。天然の塩を小さじ1杯お湯に溶いて、これを朝晩飲む。
最初、ひどい下痢をしました。塩分こんなに摂っちゃいけないのかなと思ったけど、この方法を教えてくれた娘が「下痢は悪いものが出ている証拠だから、ちゃんと出したほうがいい」というので、塩水を続けました。
今、2か月ほど続けているのですが、花粉症がすっかり治りました。この時期、いつもなら鼻水が出て、抗アレルギー薬が手放せないところ、今年は症状がないので、薬も飲んでいません。20年以上悩んできた花粉症が、2か月塩水を飲み続けて、治ってしまったんです。驚きました。こんなに効くのかと思って。
どんな塩を使ってるか?これです。
ちょっとにおいのある塩で、のどに引っかかるような感じがあるけど、効果を実感しているので、我慢して続けています。大阪に堀江発酵堂というのがあって、そこでこの塩を勧められて買いました。
それと、電車にも乗れるようになりました。
小麦をやめたのもよかったし、マグネシウムも効いたけど、どんなサプリよりも何よりも、私には塩が一番効きました
もう治らないとあきらめていた花粉症やパニックが、ここ最近、まったく出ていない。健康ってこんなに快適なのか、と思います」


心の症状だから対話が必要かと思ったら、なんと、塩水を飲むというアプローチで、花粉症やパニック発作が治ってしまった。
この患者の治癒に際して、僕は何もしていない。経過フォローというか、2年ぶりに来られた人だから、正直顔も覚えていない。
でも、こうやって来院して、すばらしい治療経験を僕に教えてくれる。
僕はただ、観察者として、劇的な改善を記録する。こういう変化が見られるのも医者冥利に尽きます。


塩と水の効用を説く良書は多い。


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上記のような症例を経験すると、塩の重要性を実感します。もちろんサプリも有効だけれども、より根本的には、塩と水。まずそこにこだわった上で、それでもなお症状改善が難しいときにサプリを検討する、という順番にすべきでしょうね。

塩の質には、ぜひこだわりましょう。僕が「塩」というとき、それは決して精製塩のことではありません。
塩と精製塩は、別ものです。この点は強調しておきたい。
海水をコップに入れて、そのまま放置すると、水が蒸発し、コップの底に白い粉が残る。これが塩です。
精製塩は化学的に作る。中学生のとき理科の授業で「酸とアルカリを混ぜると塩(えん)ができる」と習ったでしょう。たとえば、


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のように、塩酸と水酸化ナトリウムの反応によって塩化ナトリウムができる。あるいは、イオン交換膜を使って塩化ナトリウムを作る方法もある。いずれにせよ、法律上、塩化ナトリウムの含有量が97%以上になれば食塩と呼んで差し支えない。
純度の高い塩化ナトリウムは、保存しておくと固化してしまう。こうなっては、消費者の印象が悪い。そこで、固化防止剤(anti-caking agent)が添加されることになる。具体的には、フェロシアン塩やアルミノケイ酸塩が用いられます。


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厚労省はフェロシアン化ナトリウムを無害だとしているけれども、構造式を見ると、シアンがたっぷり含まれた鉄。本当に大丈夫なの?固まって「だま」になるのを防ぐため、精製塩にはこんな添加物が含まれています。


繰り返しますが、塩と精製塩は似て非なるものです。前者は自然の産物であり、後者は科学(化学)の産物です。ものが違えば、当然、体に対する作用も違う。しかし世間一般の人にとっては、いずれも「塩」で、わざわざ両者を区別しようとしない。「塩は高血圧の原因」「塩の摂取量は1日6g以下に」などというマスコミの声を真に受けて、現代の僕らは塩を「避けるべき憎っくき悪」だと思っている。
しかし江戸時代以前の人々は塩が命の源であることを知っていました。「敵に塩を送る」ということわざは、現代日本では成り立たない。塩が命の源だという前提がすでに崩れているのだから、「高血圧の原因物質を送り付けて敵軍の健康状態を弱体化させる狙い」などと解釈されかねない(笑)
かつて罪人に課される刑罰のひとつに「塩抜きの刑」というのがありました。普通に食事をとらせるが、ただ、塩っけだけは一切とらせない。そうすると、罪人はたちどころに音を上げる。体が衰弱して元気が出なくなる。この罪人が現代日本にタイムスリップして病院に行けば、「うつ病」と診断されるだろう。「塩不足によるエネルギー障害」と正しく診断できる医者はいない。

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なぜ「抗癌剤」治療が行われ続けるのか

「プレジデント オンライン」記事の一部で、筆者は京都大名誉教授で医師の和田洋巳氏。
抗癌剤は無意味でむしろ有害だというのは私が大昔からブログで書いていることだ。私は職場の同僚が咽喉癌の治療を始めて半月で歩行困難になり(「咽喉」癌であるにも関わらずだ)、およそひと月で亡くなったのを目撃している。治療内容の詳細は知らないが、切除手術でないのは明白で、抗癌剤か放射線治療のはずで、放射線治療でも歩行不能にはならないと思う。抗癌剤なら全身が関係するだろう。体の一部位だけに効果のある抗癌剤があるはずがない。また、癌だけを消滅させる薬があるはずがない。

(以下引用)


がんの病期(ステージ)は、病勢の進行とともに、I期(ステージI)、II期(ステージII)、III期(ステージIII)、IV期(ステージIV)へと深刻化していきます。このうち、原発巣以外の他臓器や遠隔リンパ節などに転移のないI期からIII期までの段階であれば、おおむね手術は可能です。


しかし、原発巣以外の他臓器や遠隔リンパ節などに転移のあるIV期の場合、手術はほぼ不可能(手術適応外)とされ、標準がん治療では「もはや治癒は望めない」と判定されてしまうのです。


そして、標準がん治療では、このような絶望的なショックの底にいる患者や家族らに抗がん剤治療が追い討ちをかけていくのです。

「IV期がんは治らない」と分かって薬を投与している

そもそも、抗がん剤には「がんを治す力」は基本的にありません。


確かに、睾丸がんや絨毛がんなどごく一部の固形がん、白血病や悪性リンパ腫などの血液がんについては、抗がん剤で治ることがありますが、がん全体から見ればレアケースにすぎません。つまり、圧倒的多数を占める固形がんについては、再発がんや転移がんも含めて、抗がん剤治療で治癒に至ることはほとんどありません。そして、がん治療医らは「IV期がんは治らない」ことを前提として治療を行うのです。


言うまでもなく、がん治療医らはこれらの事実をよく知っています。ただし、患者や家族らに「抗がん剤治療を受けても、がんが治ることはありません」とは明言しにくいものです。そのため、多くの場合、医師は次のような“励ましの言葉”を駆使して、患者や家族らを説得しようとします。


「最近はいいお薬(抗がん剤のこと)もたくさんあります」
「私たちも全力で支えますから、希望を持って頑張りましょう」


これらの励ましの言葉が医師の悪意から発せられている、すなわちウソを伝えて患者や家族らを騙そうとしている、とまでは私も言いません。医師の胸の内に患者や家族らを何とか勇気づけたいという気持ちがあるのもまた事実でしょう。


しかし、「厳然たる事実」と「励ましの言葉」との間にある大いなるギャップは、結果的に患者や家族らをさらなる絶望の淵へ追い込んでいくことになるのです。

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コウモリを食べると風邪をひく?

まあ、WHOはロックフェラー医薬品帝国(ビル・ゲイツが最近は表に出ている)の一部門だと私は認識しているが、下の記事の出来事もその「新作戦」の導入だろう。
よく読むと、その「新しい未知の病気」の症状は風邪やインフルエンザの症状と変わるところはない。

発熱、頭痛、悪寒、発汗、首のこり、筋肉痛、複数の関節痛や体の痛み、鼻水や鼻血、咳、嘔吐、下痢などの症状

しかし、最後は「出血熱」という変な症状で死んでいる。ここがミソだろう。つまり、「恐怖心を煽り立てる」わけだ。その次は世界への「感染」の広がり(何しろ、初期は風邪と同じ症状だし医者が「これはコンゴ熱です!」と言ったら「感染」が広がるに決まっているww そして知ってか知らずか劇薬を処方したりする。あらゆる薬は患者によっては毒薬でもあるわけだ。そして患者の数パーセントが死亡して社会問題化する。)、そして新ワクチンの発売で大儲けという予定である。
まあ新コロで世界はこりごりだろうから、今回は失敗する可能性が大だと私は思うが、要は、「彼ら」はいつも機会を狙って行動しているということだ。

*「出血熱」というと「エボラ出血熱」を思い出すが、あの騒ぎはどう解決したのか覚えている人すら稀だろう。そもそも、なぜ「熱」で「出血」するのだ? 体温が100度くらいになって沸騰して目や鼻や口から出血するのか? (ちなみに「華氏」だと体温は100度以上にもなるが、もちろん沸騰はしない。これは冗談だ。まあ、本当は「出血」と「熱」の関係はないが、単に「血が出る」という言葉や概念が恐怖を煽る効果があるとされ「出血熱」と命名されたのだろう。)

(以下引用)

コウモリが原因とされるコンゴの謎の病気がさらに多くの村に広がる

BrainDead Worldさんのサイトより
https://nofia.net/?p=26161
今回はどのような実験をしているんでしょうか?
<転載開始>

以下で報じられた病気です。すべて、同一の病気かどうかは不明です。


コンゴ民主共和国:「未知の病気」に数百人が感染し、53人が死亡
BDW 2025年2月22日

コウモリが原因とされるコンゴの謎の病気がさらに多くの村に広がる

breitbart.com 2025/02/28


Congo Mystery Disease Linked to Bats Spreads to More Villages



世界保健機関(WHO)は 2月28日、コンゴ民主共和国(DRC)で発生した謎の病気が別の村に広がり、感染者数が 141人増加し、死者数は 60人になったと発表した。


新たな感染クラスターは、最初の感染発生地域から約 40マイル離れたバサンクス保健区域で報告された。これまでのすべての症例は、コンゴ民主共和国の赤道州内で発生している。赤道州はケンタッキー州とほぼ同じ大きさで、コンゴ川にまたがっている。


感染拡大は 1月21日、コウモリの死骸を食べたとされる幼児 3人が、その後急速に進行する出血熱に罹患して死亡したことから始まった。


被害者に行われた検査では、エボラ出血熱、マールブルグウイルス、黄熱病などの既知の病気の可能性は否定された。


WHOは 2月27日、「疾病監視の強化により、発熱、頭痛、悪寒、発汗、首のこり、筋肉痛、複数の関節痛や体の痛み、鼻水や鼻血、咳、嘔吐、下痢などの症状を示す患者が合計 1096人確認された」と発表した。


WHOは、被害者から採取されたサンプルの約半数が「この地域でよく見られるマラリアの検査で陽性反応を示した」と指摘した。


コンゴ病は、マラリア、髄膜炎、あるいは食中毒によって患者の体内で悪化する可能性があるようだ。WHOは、調査員らが、この病気の毒性と致死性を説明するかもしれない「異常なパターン」を探していると述べた。

 

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疲労と疲労感と「健常」概念

「農業社会の遺制としての家族」「封建社会での労働力としての子供」という問題を考えようかと思うが、それはまた気が向いた時にやる。
ここでは、早朝散歩の時に考えた「疲労と疲労感と『健常』概念」という、何のことやらと思われそうな浮遊思考を少し考察してみる。まあ、「医療・健康」分野の話だ。

最初に言いたいのは「疲労と疲労感の違い」である。これは本質的に違う、というのが先ほど私が考えた浮遊思考である。
「疲労」とは文字通り「労働(運動・体の使用)」による「疲れ」である。
ところが「疲労感」は体を使っていなくても生じるのである。つまり、或る種の体の不全状態、不調に対して日本社会がいい加減につけた名称が「疲労感」なのである。私の推測では、その不調はある種の栄養分の欠乏から来るもので、「運動」によるものではない。まあ、細胞活動も運動だと強弁すれば話は別だ。
たとえば、朝起きた段階から体がぐったりして足が重い、そしてその原因が特に思い当たらない、というなら、それは「運動による疲労」ではないから、それを「疲労感」と名付けること自体が不適切なのである。まあ、強いて名付けるなら「不全感」だろうか。「不調」だと漠然としすぎているようだ。少なくとも「疲労感」ではない。

では「健常者」とは何か。どういう状態を指して「健常」と言うのだろうか。
一般的にはこれは五体満足で病気でない者を指すようだが、慢性的な病気を持っていても、肢体不具者でなければ健常者だとみなすことが多いようだ。精神面は無視するので、残忍非道酷薄そのものの健常者はゴマンといる。
そして、なぜか人というものは、身体的健常者であることをもって、身体部位に欠損を持つ者を「自分より劣った者」と見なす資格があると思っているものだ。同情すら、自分が上位であることを意識する満足感を伴っていることもあるだろう。だから、不幸な人々は同情されることを嫌うのである。まあ、そのあたりは小説や漫画でうんざりするほど描かれたものだ。

で、健常という状態は、私の考えでは「自分が存在し、生きていること自体に幸福感を持っている状態」と定義したい。その前提が「身体的苦痛がない」だが、それ以上に「身体的精神的に健康であることの実感や幸福感があること」でありたい。まあ、老年になればなかなかそうはいかないが、若い時期なら、そよ風が頬を撫でる感覚や、道を歩いて、足が地面から受ける反動自体が、生きている幸福感を呼びさますこともあるのではないか。そういう状態をこそ私は「健常」と呼びたい。そういう意味で自分が健常なら、世界や他者への悪意は生まれようがないはずだ。

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