第29章(前半) 最後の戦い
フェデラーを失ったエイハブの短艇に、最後尾の漕ぎ手として指名されたのは、私だった。他の四人のマレー人漕ぎ手の黄色い顔は、私には何とも薄気味悪く感じられたが、それにもまして恐ろしいのは、エイハブ船長だった。彼は、白鯨が死ぬか、自分が死ぬまで追跡をやめないだろう。そして、前の二日の追跡の結果は、死ぬ運命にあるのはエイハブの方である事を明らかに知らせている。エイハブの死とは、その乗組員全員の死、すなわち私自身の死である。私が、本船に残った人々をいかに羨ましく思ったか、想像できるだろう。
だが、運命の奇妙さは、この話の結末をそれほど単純なものにはしなかった。
翌日、ピークォド号が再び白鯨を見つけたのは、日が高く昇るころだった。エイハブの怒鳴り声で三つの使用可能な短艇が下ろされ、私たちは白鯨に最後の決戦を挑んだ。
ああ、あの青い空を私は永遠に忘れないだろう。波を切って走るボートの前方に待ち構えているのは、白鯨ではなく、死そのものである。そもそも、我々の生とは、死に向かって後ろ向きでひたすらボートを漕いでいくようなものではないか? 誰が死の顔を真正面から見ただろうか。それができるのは、エイハブのような異常な人間だけである。
彼には、ナンタケットに残した若い妻があり、子供たちがいた。それらの優しい腕を振り切って彼を恐ろしい死に立ち向かわせるものは何か。ピークォド号の乗組員全員を死の危険に曝させる事を敢えてさせるのは何のためか。私には、分からない。
私は、ボートの後方に飛んでいく波の飛沫を見ながら、必死でオールを動かした。
モゥビィ・ディックは、このしつこい追跡者の姿を認めて、こちらに向かってきた。一度海面下に体を沈めた彼が再び姿を現した時、他の二隻の舟が彼の前にあった。
私は、体から滝のように海水を振りこぼしながらせりあがるモゥビィ・ディックの偉容に、恐怖と同時に美しさを感じていた。それは、雪に包まれた白い山脈であり、古代の王の作った白い巨石の壁であった。
彼は、スタッブとフラスクの舟のちょうど中間に現れ、その恐ろしい尾を二つの小舟に叩きつけた。二隻のボートは、その一部を壊されたが、幸いに転覆は免れた。
モゥビィ・ディックが向きを変えた時、私の舟の乗組員たちから恐怖の声が上がった。
彼の横腹には無数の槍や銛が刺さっていたが、その中でも一際新しいそれは、昨日の死闘の際にエイハブが投げたものである。その銛には、ロープが付いていたが、そのロープによって白鯨の体に幾重にも縛り付けられていたのは、フェデラーの半ば千切れかかった体であった。
彼は、膨れ上がった目でエイハブを見ていた。そして、波で上下するその腕は、まるでエイハブを招いているかのようであった。
エイハブは手にした銛を落とした。
「そうか、貴様、また現れおったな。あくまでわしとの約束を守って地獄への供をしようというのか。よしよし、待っておれ、わしももうすぐお前の所へ行こう」
彼は、落ちた銛を拾い上げ、漕ぎ手たちに怒鳴った。
「白鯨めはどこへ行った?」
他の二隻の舟は、破損したためそれ以上鯨を追うことができず、本船に戻っていた。今や白鯨に立ち向かうのは、このエイハブの舟だけであった。
フェデラーを失ったエイハブの短艇に、最後尾の漕ぎ手として指名されたのは、私だった。他の四人のマレー人漕ぎ手の黄色い顔は、私には何とも薄気味悪く感じられたが、それにもまして恐ろしいのは、エイハブ船長だった。彼は、白鯨が死ぬか、自分が死ぬまで追跡をやめないだろう。そして、前の二日の追跡の結果は、死ぬ運命にあるのはエイハブの方である事を明らかに知らせている。エイハブの死とは、その乗組員全員の死、すなわち私自身の死である。私が、本船に残った人々をいかに羨ましく思ったか、想像できるだろう。
だが、運命の奇妙さは、この話の結末をそれほど単純なものにはしなかった。
翌日、ピークォド号が再び白鯨を見つけたのは、日が高く昇るころだった。エイハブの怒鳴り声で三つの使用可能な短艇が下ろされ、私たちは白鯨に最後の決戦を挑んだ。
ああ、あの青い空を私は永遠に忘れないだろう。波を切って走るボートの前方に待ち構えているのは、白鯨ではなく、死そのものである。そもそも、我々の生とは、死に向かって後ろ向きでひたすらボートを漕いでいくようなものではないか? 誰が死の顔を真正面から見ただろうか。それができるのは、エイハブのような異常な人間だけである。
彼には、ナンタケットに残した若い妻があり、子供たちがいた。それらの優しい腕を振り切って彼を恐ろしい死に立ち向かわせるものは何か。ピークォド号の乗組員全員を死の危険に曝させる事を敢えてさせるのは何のためか。私には、分からない。
私は、ボートの後方に飛んでいく波の飛沫を見ながら、必死でオールを動かした。
モゥビィ・ディックは、このしつこい追跡者の姿を認めて、こちらに向かってきた。一度海面下に体を沈めた彼が再び姿を現した時、他の二隻の舟が彼の前にあった。
私は、体から滝のように海水を振りこぼしながらせりあがるモゥビィ・ディックの偉容に、恐怖と同時に美しさを感じていた。それは、雪に包まれた白い山脈であり、古代の王の作った白い巨石の壁であった。
彼は、スタッブとフラスクの舟のちょうど中間に現れ、その恐ろしい尾を二つの小舟に叩きつけた。二隻のボートは、その一部を壊されたが、幸いに転覆は免れた。
モゥビィ・ディックが向きを変えた時、私の舟の乗組員たちから恐怖の声が上がった。
彼の横腹には無数の槍や銛が刺さっていたが、その中でも一際新しいそれは、昨日の死闘の際にエイハブが投げたものである。その銛には、ロープが付いていたが、そのロープによって白鯨の体に幾重にも縛り付けられていたのは、フェデラーの半ば千切れかかった体であった。
彼は、膨れ上がった目でエイハブを見ていた。そして、波で上下するその腕は、まるでエイハブを招いているかのようであった。
エイハブは手にした銛を落とした。
「そうか、貴様、また現れおったな。あくまでわしとの約束を守って地獄への供をしようというのか。よしよし、待っておれ、わしももうすぐお前の所へ行こう」
彼は、落ちた銛を拾い上げ、漕ぎ手たちに怒鳴った。
「白鯨めはどこへ行った?」
他の二隻の舟は、破損したためそれ以上鯨を追うことができず、本船に戻っていた。今や白鯨に立ち向かうのは、このエイハブの舟だけであった。
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