第5章 友愛
翌朝、目覚めた時、私は何だか不思議な感覚に襲われた。誰かに保護されている、という感覚である。それが何のためか、一瞬分からなかったが、布団から顔を出して、それが、私を抱きかかえるように寝ているクィークェグの腕のせいだとわかり、私は照れくさい気分になった。
「おい、クィークェグ、よしてくれよ。新婚夫婦じゃあるまいし、男がこんな風に男を抱きかかえて寝るなんて、おかしいよ」
私はぼやいて、クィークェグの腕をどかそうとしたが、彼を起こさずにその作業をするのは難しそうで、やがて私はあきらめて、窓から射す朝日を眺めつつ物思いに耽った。
いったい、昨夜の私の狂態は何だったのか。彼が自分と違う風体をし、奇妙な儀式を行っているというだけで、彼を野蛮人と決めつけて一人で大騒ぎしたことを考えると、私は恥ずかしかった。それに比べて、クィークェグの振る舞いは、紳士的と言っていいくらい立派なものであった。突然、ベッドの中に現れた人間に死ぬほど驚いたのは当然だが、それに文句も言わず、ベッドの半分を明け渡したではないか。人間の気品という奴は、こうした振る舞いに現れるもので、文明人だとか、白人という連中が、違う肌の色をした人間より決して優れているわけではないのである。
そんな事を考えているうちに、クィークエグは目を覚まし、私を不思議そうに見た。「俺のベッドで寝ているこいつは一体何者じゃ」とでも考えていたのだろう。やがて昨夜のことを思い出したらしく、その目に親愛とまではいかないが、こちらを許容するような光が浮かび、同時に軽い羞恥心のような表情を見せた。
彼は、私に、先に身支度するように手真似で言い、私の後で朝の支度をした。
一緒に朝食をする頃には、私とこの「野蛮人」は、すっかり親しく打ち解けていたのであった。
第6章 クィークェグの身の上
朝食の席で私がクィークェグからぽつぽつ聞き出したところでは、彼は太平洋の赤道に近いある島の酋長の息子であったらしい。つまり、蛮人のプリンスだ。彼はある日、海を越えてやってきた捕鯨船を見て、世界を自分の目で見てみたいという冒険心に取り憑かれ、その捕鯨船にこっそりと乗り込んで、以来十何年も鯨取りをしているとのことである。
彼が、その事を後悔しているかどうか、私は聞かなかった。おそらく後悔はしていないだろう。世間的な見方からすれば、王位を捨てて一介の船乗りになり、上級船員に顎でこき使われているなんていうのは、実に愚かな生き方ということになるのだろうが、しかし、この世に奴隷でない人間などいない。王といえど、境遇の奴隷にすぎない。少なくとも、クィークェグは、島の王様でいたら一生目にすることのない様々な不思議を見てきたのである。この世に生まれた目的のひとつが、物見をすることならば、一生を王宮の中で何不自由なく暮らすよりも彼は有意義に生きたのだと言えるのではないか?
翌朝、目覚めた時、私は何だか不思議な感覚に襲われた。誰かに保護されている、という感覚である。それが何のためか、一瞬分からなかったが、布団から顔を出して、それが、私を抱きかかえるように寝ているクィークェグの腕のせいだとわかり、私は照れくさい気分になった。
「おい、クィークェグ、よしてくれよ。新婚夫婦じゃあるまいし、男がこんな風に男を抱きかかえて寝るなんて、おかしいよ」
私はぼやいて、クィークェグの腕をどかそうとしたが、彼を起こさずにその作業をするのは難しそうで、やがて私はあきらめて、窓から射す朝日を眺めつつ物思いに耽った。
いったい、昨夜の私の狂態は何だったのか。彼が自分と違う風体をし、奇妙な儀式を行っているというだけで、彼を野蛮人と決めつけて一人で大騒ぎしたことを考えると、私は恥ずかしかった。それに比べて、クィークェグの振る舞いは、紳士的と言っていいくらい立派なものであった。突然、ベッドの中に現れた人間に死ぬほど驚いたのは当然だが、それに文句も言わず、ベッドの半分を明け渡したではないか。人間の気品という奴は、こうした振る舞いに現れるもので、文明人だとか、白人という連中が、違う肌の色をした人間より決して優れているわけではないのである。
そんな事を考えているうちに、クィークエグは目を覚まし、私を不思議そうに見た。「俺のベッドで寝ているこいつは一体何者じゃ」とでも考えていたのだろう。やがて昨夜のことを思い出したらしく、その目に親愛とまではいかないが、こちらを許容するような光が浮かび、同時に軽い羞恥心のような表情を見せた。
彼は、私に、先に身支度するように手真似で言い、私の後で朝の支度をした。
一緒に朝食をする頃には、私とこの「野蛮人」は、すっかり親しく打ち解けていたのであった。
第6章 クィークェグの身の上
朝食の席で私がクィークェグからぽつぽつ聞き出したところでは、彼は太平洋の赤道に近いある島の酋長の息子であったらしい。つまり、蛮人のプリンスだ。彼はある日、海を越えてやってきた捕鯨船を見て、世界を自分の目で見てみたいという冒険心に取り憑かれ、その捕鯨船にこっそりと乗り込んで、以来十何年も鯨取りをしているとのことである。
彼が、その事を後悔しているかどうか、私は聞かなかった。おそらく後悔はしていないだろう。世間的な見方からすれば、王位を捨てて一介の船乗りになり、上級船員に顎でこき使われているなんていうのは、実に愚かな生き方ということになるのだろうが、しかし、この世に奴隷でない人間などいない。王といえど、境遇の奴隷にすぎない。少なくとも、クィークェグは、島の王様でいたら一生目にすることのない様々な不思議を見てきたのである。この世に生まれた目的のひとつが、物見をすることならば、一生を王宮の中で何不自由なく暮らすよりも彼は有意義に生きたのだと言えるのではないか?
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