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新コロ詐欺は首相の首より重い

誕生パーティを開いただけで警察の捜査対象になり、下手をしたら政権が倒れるかもしれない(現在、支持率が20%まで下がっているらしい)というキチガイ沙汰だが、一国の首相が「誕生パーティを開いた」だけでこうなる、ということこそ、DSの存在を明白に示しているのではないか。


(以下引用)


英警察、官邸パーティー疑惑で捜査 政権不信増大も


配信

コメント357件
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時事通信

ジョンソン英首相=19日、ロンドン(EPA時事)



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人間の高齢化だけでなく建物・設備も「老朽化」

読売新聞とも思えない好記事だが、冒頭の写真はコピーできなかった。
これからは、高度成長時代やバブル時代のつけを全国民が税金で払うことになりそうである。つまり、一部の無責任な馬鹿の尻ぬぐいである。


(以下引用)

廃虚となった巨大観音像、なぜかオーナーは国…「税金」9億円かけて異例の解体工事中

2022年1月21日 13:03読売新聞オンライン

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人気は落ちたが体重は増えたww

まあ、大統領になり損ねて以来の欲求不満から過食症になったのではないか。
欲求不満というのは、食う事で案外解消されるのである。だが、その結果はこうなるwww
人前に出ること(マスコミに出ること)が少なくなると、自分の容姿を維持する気力も無くなるのだろう。

(以下引用)

【画像】ヒラリークリントンさん、ガチで変わり果てた姿で発見されるWWWWWWWWWWWWWWWWWW




1 くーるびゅー 2021/06/07(月) 23:54:05.999 ID:Wah3DE2E0
no title

 


2 くーるびゅー 2021/06/07(月) 23:54:20.048 ID:Wah3DE2E0
だれ…?ωω

 

6 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2021/06/07(月) 23:55:29.498 ID:wYtuesNsa
えー

 (追記)ついでにこの画像も転載。刺青というのは、ヤクザに近い連中が一般人を威嚇するために入れるのであり、まともな人間はほとんどやらない。そう言えば、川瀬某も父親が刺青男で、当人も刺青を入れているらしい、と前に書いた。

【画像】電車内での喫煙を注意され高校生をボコボコにして逮捕されたヤニカス宮本一馬容疑者(28)のご尊顔、公開される


1: 以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします 2022/01/25(火) 17:08:02.084 ID:wJUBJpNF0

輩じゃん

no title

no title

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「男性皆殺し協会」www

男を皆殺しにするとなると、未来のセックスはレズだけ、生殖は人工生殖だけになると思うが、精子はどのようにして入手するのか。まあ、カタツムリのように単性生殖が人間でも可能になるようになるのだろう。そうすると、以前にも書いたが、処女のまま妊娠出産することも可能になり、イエス・キリストが大量に生まれるわけであるww (フレドリック・ブラウンの短編にそういう話がある。)ついでに言うと、芥川龍之介の作中に出て来るキリシタンが唱える「ヴィルゼン・サンタ・マリア」の「ヴィルゼン(表記はビルゼンだったか?)」は「バージン」のこと。そうだと気付いたのは、その作品を読んでから数十年後だった。読書にはそういうブラックボックスが大量に存在するのが普通だろう。
まあ、世の男どもの逃げ道は、「自分を女性だと認識している男性は女性とする」というキチガイ沙汰が認められるようなので、「ワタシはチンチン付いているけど、心は女よ」と言えばいいww 女風呂にも入れるしwww
ただし、私は急進的フェミニズムには反対だが、世間で普通に行われている「制度として明らかな女性差別」は解消するのが当たり前だ、という意見である。何も男と女が殺し合う必要はない。

(以下引用)

本当に主張している人はいないわけじゃないから問題視されるわけなんだが。 例えば世界的に有名な事例がこれ↓で米ハフポスト副編集長が新年の誓いで「連帯して男を皆殺し」と公言してるわけ。 ご同類も大同小異なわけで、揶揄する余裕なんてないわけよ。
画像
引用ツイート
rionaoki
@rionaoki
·
そもそも、「男性皆殺ししようとしている」なんて本当に主張している人はいなくて、男性皆殺し協会なんて言葉で盛り上がってるのを揶揄してるだけでしょ。




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子供に対する大人の「教育」のいい加減さ

引用したツィートは、まあ、大人は自分の視点からしか物事(ここでは子供)を見ない、という事例である。
最近読み終えたバートランド・ラッセルの本(「怠惰への賛歌」という随筆集で、本の題名はお気に入りだが、私には興味が無く当然理解困難な話もあるし、おそらく訳はかなり下手だと思う。たとえば、こんな文章「もっと自分自身を真面目に考えなければならない必要がある。」……これは「考えなければならない。」あるいは「考える必要がある。」が普通の日本語だろう。そのほかにも、三重否定の文末などがあって、読みにくい。翻訳は簡単な仕事ではない。外国語と日本語の両方に熟達していないとできない。たとえば、朱牟田夏雄など。中野好夫は名翻訳者だが、コンラッドの「闇の奥」の訳は自信が無いと正直に語っている。)の中に少し面白い話がある。いわゆる「愛の笞」の話である。色文字にして引用する。

誰でも、次のような子供の話を知っている。その父親が笞でなぐりながら、「お前、この笞は、お前をきずつけるよりも、私をきずつける方がひどいのだぞ」というと、子供はこれに答えて、「ではお父さん、私をなぐる代りに、私にお父さんをなぐらせてください」。

(以下引用)

中2のとき、仲のいいグループからフル無視されて教室に入れなくなった。職員室で、「それはイジメじゃない。ちょっと無視されたくらいで甘えてたら大人になって通用しないぞ」と言う先生に、「それ、自分の子供にも言えるんですか?」と会話に割って入ってきてくれた先生が、救世主にみえた。

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「I love you」を日本語にどう訳すか

「はてな匿名ダイアリー」の一記事だが、これは「日本文学研究」の論文として学術誌に載せる価値があるのではないか。もしも私が国文学の大学教授だったら、この短い文章に卒業論文としてでも何の試験でもいいが、「優」を与える。論文の価値は長さにあるわけではなく、質にある。
もともと、loveという言葉自体が日本語訳はできない。神への愛と性愛がどちらもLoveであるのはおかしいだろう。ギリシャ語(だと思う)ならアガペーとエロスを区別するが、英語では区別しない。

(以下引用)

夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る

夏目漱石は「月が綺麗ですね」となんか訳していない」という話から、「初出であるとされる70年代以前がどうだったのか知りたい」という話が出ていたので、Googleブックス検索していたのだが、1962年刊行の『日本人の知恵』にこのような話があるらしい。


さらにいえば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき西洋人のように、


「私はあなたを愛していますI love you)」


などとはけっしていわない。そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、


「いいお月さんですね」


そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。


日本人の知恵 - 林屋辰三郎 - Google ブックス


この『日本人の知恵』という本は、


なんと、昭和37年に発行された本で、その前年朝日新聞に連載された「日本人の知恵」を再編集したもの


日本人の知恵 林屋辰三郎、加藤秀俊、梅棹忠夫、多田道太郎 *** - 意思による楽観のための読書日記


ということらしいので、つまり1961年朝日新聞掲載されたのだろう。


それならば世間に広く知られたとしてもおかしくないと思われる。


もうひとつさらに遡って戦前1935年刊行笠間杲雄『沙漠の国 ペルシア アラビア トルコ遍歴』にもよく似た表現があるようだ。


第一欧米人にとつては一生の浮沈を定める宿命的な宣言『アイ・ラヴ・ユウ』の同意語すら、日本語には無い。(中略)斯ういう意味外国人に答へると、然らばあなた日本人は、初めて男なり女なりを愛する場合に、どんな言葉意志を通ずるのかと、必ず二の矢の質問が飛ぶ。私は答へる。我々は「いい月ですね」と言つても、「海が静かね」といつても、時としては「アイ・ラブ・ユウ」の翻訳になるのだと。


沙漠の国: ペルシア・アラビア・トルコ遍歴 - Google ブックス


こちらは「いい月ですね」と「海が静かですね」が並列されており、あくまで「無数の表現のうちの2例」といった趣きではある。


さらに「I love you日本語にうまく訳せない」という話に限っては、


漱石文庫」に残された漱石メモ書きの中に、ジョージメレディスというイギリス小説家作品を取り上げて、「"I love you,Signora Laura."―Vittoria p.113.此I love you ハ日本ニナキformulaナリ」と記した一節がある


夏目漱石が「I Love You」を「月が綺麗ですね」と訳したという伝説について - Togetter


ということであったが、同様の主張が1922年刊行されて当時のベストセラーになったという厨川白村近代恋愛観』に書かれている。


日本語には英語の『ラヴ』に相當する言葉が全く無い。『戀』とか『愛』とか云ふ字では感じがひどくちがう。" I love you "や" Je t'aime "に至つては、何としても之を日本語に譯すことが出來ない。


近代の戀愛觀 - Google ブックス


この厨川白村夏目漱石の教え子で、深い付き合いがあったというから、これは夏目漱石受け売りだった可能性が高い。


というわけでグルグルまわっているうちに夏目漱石に戻ってきてしまった。


夏目漱石が「I love you日本語に訳せない」と言う


→その話が厨川白村を通じてよく知られるようになる


→じゃあ日本人恋人に何て言うの?


→「いい月ですね」とか「海が静かですね」とかそういうことを言うんじゃね?


日本人は「愛しています」とは言わず「いい月ですね」と言うんだ!


→その話が朝日新聞を通じてよく知られるようになる


→なんかいろいろ混線して「夏目漱石I love youを月が綺麗ですねと訳した」という話になる


みたいな流れが朧気ながら見えてくるような見えてこないような。


いかがでしたか

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東大理Ⅲという「虚栄の塔」

「絵に何が描いてあるかは明白に分かるが、何が描かれていないかは分からない」というのは私が以前に何度か書いたことだが、これは「何を言っているかは分かるが、何を言っていないかは分からない」「何を文章に書いているかは分かるが、何を書いていないかは分からない」ことの比喩であるのは言うまでもない。
下の文章も、「医学部に行くことと理Ⅲに行くことは意味が違う」ことは分かるが、「理Ⅲに行くことのメリットは何か」が書かれていない。単に「最難関だからこそ行く」という、劣等生から見たら、虚栄心としか思えない話である。まあ、自分から苦労を背負いこむだけの馬鹿の集団ではないか、とすら思う。努力することの価値と、その努力で得るものの価値は別の話だ。理Ⅲを出たからといって、医者としての能力が高いとはまったく言えないだろう。医者になるというだけで、普通の人間から見れば、あきれるほどの努力が必要なのである。その上に、東大理Ⅲを目指すことなど、「最高峰を目指す」という、いわば「自分は偉い、凄い」を周囲に示したいという虚栄心以外の意味は無い。つまり、学歴社会のヒエラルキーの象徴が理Ⅲだが、その「虚栄の塔」のために膨大な数の若者が無内容な「受験勉強」に苦しみ、貴重な青春の時間を勉強だけに費やし、それに耐えきれない者は劣等感を持ち周囲から軽蔑の視線を浴びながら廃棄されるわけだ。まあ、社会のほとんどの人間は高学歴の人間から見れば、そういう廃棄物だろう。
ついでに言えば、理Ⅲを出た人間が日本の支配層になるわけではない。成蹊大だろうが法大(明大か?)だろうが、前々総理と前総理である。地方議員には三流どころか名前も聞いたことが無い私大卒もたくさんいる。政治だろうが普通の会社内の出世だろうが、出世したければ、学校の勉強をするより、弁舌を磨くのがマシだろう。そう言えば、アナウンサー出身の女性政治家も多い。なぜか右翼系というか、自民党系に多いのは、彼女らが「社会を泳ぐための嗅覚」が鋭いからだろう。

(以下引用)


 
 
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受験生が切り付けられた現場を調べる捜査員ら。逮捕された少年は在籍する高校の偏差値を叫んでいたという(時事通信フォト)© NEWSポストセブン 提供 受験生が切り付けられた現場を調べる捜査員ら。逮捕された少年は在籍する高校の偏差値を叫んでいたという(時事通信フォト)

 新型コロナウイルスオミクロン株の拡大により濃厚接触者の入試方法が変更されるなど注目を集めていた2022年の大学入学共通テストは、初日に起きた東京大学前の刺傷事件によって、別の関心も集めることとなった。殺人未遂で現行犯逮捕された名古屋市在住の私立高校2年生の少年は事件の目撃者によれば、事件時に高校の偏差値や「僕は来年東大を受けるんです」と叫んでいたという。警察で「医者を目指し東大(理III)に入りたかったが、約1年前から成績が振るわず自信をなくした」と話していることが報じられ、動機と起こした事件のちぐはぐさに驚かされた人も多いだろう。俳人で著作家の日野百草氏が、東大に入ることを当然と考える子供たちがどんな心の闇を抱えるリスクを背負うのか探った。


 * * *


「東大に入れなければ負けです。極端ですが日本のトップ校の子というのはそういうものです。とくに理IIIは別格です」


 そう言ってのけるだけのトップ校を卒業した教育関連企業のベテラン室長が語る。


「日本のトップ校というのは田舎の公立進学校の話ではありません。本当に日本のトップ、選ばれた子供たちが通う学校のことです」


 それは開成、灘、筑波大学附属駒場(以下、筑駒)、桜蔭、ラ・サール(鹿児島)、麻布、東大寺、洛南、甲陽学院、東海(愛知)といったテレビでもお馴染み、全国区のトップ私学だという。東大、まして理IIIとなるとこうした中学から(高校入学もまれにある)一貫校に入る道を選ぶことが多い。もちろん地域によっては地元公立のナンバースクール以外選択肢のないところもある。本稿では便宜上、東大に入ることが当然のような日本の最上位層の私学を「トップ校」としている。


「日本でトップを競う子たちです。口には出さずとも小中時代は誰もが東大、とくに理IIIを目指します。東大生は珍しくもありませんが、理IIIとなると別です」


 あえて平易に書くが、東大の理III(理科III類)とはいわゆる東大医学部のこと。日本国の受験でもっとも難しいとされている。実際、日本の大学受験の最高偏差値は常に理IIIである。定員はわずか100人。


「勉強で勝ち続けた受験エリートが集まる学校ですから、できれば一番偏差値の高い大学の、一番偏差値の高い学部に入りたい、それが理IIIなわけです。プロ野球とかと同じ構図ですね」


 なるほど、確かにプロ野球も強豪校には少年野球のエリートが来る。その中でプロになる子は一握りどころかひとつまみ、東大理IIIも毎年の合格者が約100人と考えればプロ野球も全12球団で毎年約120人(例外あり)がドラフトに掛かるわけで、そのジャンル別の難易度はともあれ数字の上では似ているかもしれない。


「はい。野球やサッカーのエリートがプロを目指すように、受験のエリートは理IIIを目指します。あくまで最初は、ですが」

秀才かつ受験に特化した訓練と対策をした人しか東大理IIIは入れません

 素朴な疑問だが野球やサッカーのエリートはプロを目指す、理IIIということは医者を目指すのだろう。ごく一部には医師免許を持たずに研究者を目指す場合もあるが、ほとんどは医者になる。理III入試という日本で一番難しい試験に合格することと医者になることは命題が違うような気がするのだが、どうか。


「いえ、トップクラスの子たちにとっては医者より理IIIなんです。親や学校からずっと思い込まされてきた子たちです。洗脳と言っても構いません」


 洗脳とは穏やかでないが、親にそのつもりがなくとも、そうした学校や環境で自然とそう思い込んでしまう子もいるのかもしれない。だが、程度の差はあれそれくらいの「受験マシーン」にならなければ日本のトップ校、まして日本の受験上位100人とされる理IIIには入れないのだろうか。


「違います。それでも入れないんです。いや、受けるレベルに達しない。よく『勉強しない秀才が入った』なんて話がありますが実際はどうか」


 極稀にニュースでスポーツなど他のことも成し遂げながら理IIIに入れてしまう子などが話題になるが、レアケースだからこその全国ニュース。受験業界からすれば、何十年も関わってきた関係者からすれば一般的な現実は違う、ということだろう。本旨ではないのでエクスキューズに留めるが、世の中には何もかも自然に記憶できてしまう特殊な人もいる。


「東大というだけならそういう子もいますが、理IIIとなると別です。(経験上は)秀才かつ受験に特化した訓練と対策をした人しか入れません。その上で受験の向き不向きがある、ともいえます。極端な向き不向きで理III受験に向いているような子、それを『才能』と言う人はいるかもしれませんが」


 日本中の子供は中学であれ、高校であれほぼ全員が受験を経験しているだろう、理IIIに入るのがその世代の受験上位100人余(多世代から入る浪人もいるだろうが)と考えれば恐ろしいほどの狭き門。ましてやその毎年合格者の3割から5割近くを占めるとされる筑駒、灘、開成、桜蔭の子たちは受験における「究極」だろうか。それにしても受験に「向き不向き」とは面白い話。


「おっしゃる通りその4校が日本では別格です。他のトップ校なら(理III は)数人出れば万々歳です。それすら凄い。田舎の公立進学校で1人出たら学校側も大喜びですよ。宣伝になります」


 受験の価値観はさまざまだが、こと理IIIとなると問答無用にトップ中のトップ、正直、普通に生きていると別世界のように感じる。実際、別世界なのだろう。しかし先の言葉を借りるなら「洗脳」が溶けないままに、その合格者100人余に入れなかった、その前の段階で否定された子はどうなるのか。


「これに限りませんが、普通は子供なりに軌道修正するじゃないですか。中学受験でふるい落とされて、高校受験でふるい落とされて、校内や予備校でふるい落とされて、どこかで『それなり』に落ち着きます。でもふるい落とされても洗脳が解けない、洗脳され続けてしまう、勝手に思い込んでしまう場合があります。その子次第、と言われればそれまでですが」


 かけっこの速い子も、いずれ明確なタイムでふるい落とされる。受験も模試なり定期テストで点数は出る。こちらも明確な偏差値の輪切りで志望校を決めるわけで、理IIIも不合格はもちろん受けるに達しない、という結果が100mの持ちタイムと同様に突きつけられる。芸術や創作の世界は才能のあるなしを量るに難いが、数字の世界は残酷なほどに明確だ。


「はい。だから怖いんです。それまで理IIIに行くはずと思い込んでいた受験エリートがその100人にはなれないと知ってしまう。洗脳がひどい場合や思い込みの激しい子だとおかしくなる子もいます。とくに学校のプレッシャーと家庭のプレッシャー、最近だとネットのプレッシャーの三方向で追い詰められた子は『それなり』に落ち着けなくなるのです」


 極端で多くの大人からすれば異常に思えてしまうかもしれないが、ずっとそう思い込まされてきた子供、その期待に応えてきた子供からすれば「逃げ場」が無くなってしまうということか。またネットというのは匿名掲示板やSNSはもちろん、学校や塾の仲間で内々に作られるメッセンジャーアプリによるグループのことだろう。昔はなかったこうした情報の氾濫もまた、多感な思春期には堪えるかもしれない。


「学校や教師によっては東大か医学部以外は負け、と考えるトップ校は普通にあります。私学も営利企業ですから理III合格者はいい宣伝になりますからね。それでも受験段階で多くはエリートとしての『それなり』に落ち着くのですが、そうなれない子は追い詰められます」


 なんだか甲子園常連の野球エリート校のようだ。少年野球時代はエースで4番でも3年間スタンド応援というのは珍しくない。もちろん大半は『それなり』の進路に落ち着いたり、野球部を去っても別の夢に切り替えたりするが、不器用で真っ正直な子供によっては行き場をなくす、いや、生き場をなくしてしまう。真摯で本気だったからこそ。親も学校も手を差し伸べなければ、そう錯覚してしまう。


「残酷ですけど、日本の上位100人とかになるって時点でなれない確率のほうが高いわけです。オリンピックのメダリストとか宇宙飛行士に比べれば間口は広いですが、プロ野球も理IIIもその点は同じです」


 同世代で「世界の数人」に比べれば間口が広いのは確か。例えばバレエは「世界一残酷な職業」とまで言われるほどに死屍累々である。日本限定なら将棋がその究極のひとつだろうか、あれは本当に残酷で、それをわかって目指すものだ。プロになれるのすらごくわずか、ほとんどが奨励会で挫折する。中には不幸な道をたどる人もいる。それらに比べれば同世代の100人は間口としては広いが、やはり理III合格が究極の「選ばれし受験勝者」であることには変わらないのだろう。


「医者になるという夢なら国公立でも私立大学でも、当たり前の話ですが東大以外たくさんあります。日本の最上位クラスの私立高校の子ならどこかの医大には入れるでしょう。裕福な家ばかりですしね。でも医者になりたいのではなく受験の頂点に立ちたい子もいるんです。そういう子は理IIIでなければだめなんです。そういう子の親も教師、学校もです」

たとえ勉強ができても心の不器用な子は追い込まれると思考停止に陥る

 2018年度から理IIIは面接試験が復活した。一連のオウム真理教事件で理IIIはじめ多くの理系エリートがカルトにハマり犯罪に関与したこと、合格者に同じ私学の高校生が大半を占めたことなどをきっかけに1999年度から面接が導入されたが、2008年度から廃止されていた。


「東京大学受験指導の専門塾とかにいる『医者になる以上に理IIIに受かりたい』という受験マシーンを排除するためでしょう。もっとも、そういう塾はその対策もしてますが」


 日本中の一番勉強ができる子供たちが受けに来るだけに東大、とくに人の命を扱う医師や研究者を養成する理IIIとしては対応に苦慮していることが伺える。あくまで目的は医師養成なので当然だ。


「それでも受験エリートはまず東大を目指すんです。理IIIを目指すんです。それは社会も認めています」


 受験業界の長い彼の話なので極端に思えるかもしれないが、こうしたトップ校は存在し、なにがなんでも理IIIという親子は実在する。テレビも東大には「東大王」として「王」までつけている。社会もそれを受け入れている。むしろ煽っている。


 しかし彼もその危険は知っている。最後に教えてくれた。


「いくらトップ校でも、挫折のリスクヘッジを子供に作らない学校や親は危険です。勉強ができることと心の器用さは違います。たとえ勉強ができても心の不器用な子は追い込まれると思考停止に陥ります」


 また中学受験や高校受験の成功を過信するのは危険だという。


「大学受験とは別です。子供によっては中学(高校)受験まで、という極端な子もいます。遊びまくったとか勉強サボったでなく、ただ大学受験に向いてない子ですね。不思議なんですが、偏差値70超えの学校に入れたのに大学受験では中堅大学がやっと、なんて子もいるんです。そのときこそ『それなり』に落ち着くことを親も学校もサポートすべきですね」


【プロフィール】


日野百草(ひの・ひゃくそう)ジャーナリスト、著述家、俳人。1972年千葉県野田市生まれ。日本ペンクラブ会員。出版社勤務を経てフリーランス。社会問題や生命倫理の他、日本のロジスティクスに関するルポルタージュも手掛ける。





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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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