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戦場にかけた橋は、あるいは人種間の橋だったのかもしれない

マイエン氏がなぜ「無邪気さを恥じた」のか、よく分からないのだが、私は考察すること自体が趣味なので考えてみる。
「クワイ河マーチ」は映画「戦場にかける橋」の主題曲で、この話の骨子は、日本軍の捕虜になった英軍兵士たちが、日本軍の命令により、英国軍人の指導のもとにクワイ河に橋をかけるが、その完成とほぼ同時に、その橋は(たぶん英軍の爆撃によって)破壊される、というものであったと記憶する。
つまり、戦争の不条理を描いたものであり、べつに日本人や日本軍を愚弄する意図はなかったと思う。とすれば、このドイツ人は日本人小学生がクワイ河マーチに合わせて行進したことをなぜ爆笑したのだろうか。私にはその意味が分からないので、マイエン氏が自分の「無邪気さを恥じた」意味も分からないわけである。
想像にすぎないが、このドイツ人氏は「戦場にかける橋」を、日本軍批判、日本人蔑視の映画だと思い込んでいたのではないか。もちろん、この映画の中には日本人や日本軍の思考(教条主義的な、融通の利かないところなど)を揶揄したような描写もあるが、そこは映画の本筋ではまったくない。むしろ人種を超えた共感(不承不承に始まった協同作業からいつのまにか生まれた連帯感や互いへの理解)が、最後の、橋の崩壊で無残に消滅させられてしまうという、運命の皮肉さがテーマだったと思う。



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小学生の頃に運動会等で「クワイ河のマーチ」に合わせて行進した話をふとしたら、日本人の子供があれで行進する姿は想像するだにシュールだとドイツ人に爆笑されたことをふと思い出した。何というか無邪気さを恥じた。






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美とは文化的洗脳である

町山智弘氏が、何の説明もなくこの絵をツィートしたのは、その前後の文脈から見て、某有名絵師から「キッタネー少女像」と揶揄された例の少女像と対比してみろ、という意図だというのは明白だが、なるほど美術というのは必ずしも「美しいもの」だけを描くものではない、というのは事実だろう。そもそも美そのものが主観的なものであり、民族的、あるいは文化的洗脳の下にあるものだ。その意味では「共通性のある主観」という面白い概念である。
我々が胴長短足の体型やデブやハゲや低い鼻や分厚い唇や小さい目を醜いと思うのは、金髪碧眼長身足長人種を美しいと思え、という西洋美術の長年にわたる洗脳の結果ではあるだろう。だが、だからと言って美しいと思えないものを美しいとは思えないというのは残酷な真実であり、美術というのは、できればその名のとおり美を追求するものであってほしいというのは自然な気持ちだろうと思う。
ちなみに、私も下の絵(岸田劉生の「麗子像」か)は、最初に見た時から今に至るまで気味が悪い絵だとしか思えない。おそらくだが、現実の麗子はこれほどの気味悪さは持っていなかったと思うが、その一方では、これほどのインパクトのある描き方をしたから、この絵はあれほど有名になったのだと思う。今でいう「炎上商法」に近いのではないかwww 麗子嬢ご当人の意見を聞いてみたいものだ。










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合掌と挨拶動作

「逝きし世の面影」から転載。西洋人の頓珍漢な「日本人の挨拶としての合掌」についての部分のみ抜粋。その時のクリステル嬢の心理分析もしているが、それは「咄嗟にでたジェスチャー」という理解によるもので、私はそうだとは思わないのでカットした。要するに、滝川クリステルは日本語の上手い西洋人にすぎないので「日本人式挨拶(笑)」をしてみせただけという理解が正しいのではないか。
なお、日本人が合掌するのは基本的に神仏か死者に対してだけだ、というのは私も前に書いたことがある。だから、食事の前に合掌するというのは非常に不自然に思うのだが、映画やテレビなどでその動作が刷り込まれた日本人が今では多数派になっているようだ。神も仏も信じていない、お百姓さんへの感謝の気持ちも無い人間が食事の前だけ神妙に合掌するというのが私は気持ち悪いのである。
なお、人前を横切る時に、その人の視線を遮る無礼を謝して「片手拝み」をするのは、神仏への信仰とは無関係な、ただの挨拶動作だと思う。今は、そういう動作をする人間も少ないかもしれない。




『ご愁傷様でした。残念ながら、すでにご臨終です』

150年前の欧米の新聞雑誌などの挿絵に登場するお辞儀する日本人は、頭を下げた時に手をだらりとぶら下げて描かれたという。当時の知識人が間違った原因は、日本人が腰を曲げてお辞儀する風習を『事実』(経験)としては知らなかった。彼等は日本的挨拶のお辞儀を『情報』(知識)として良く知っていた(と思い込んだ)のです。
日本人が腰を曲げた時に手をぴったりと体に添えるとまでは知らないので、お辞儀の時にはラジオ体操のように肩から垂直に腕を垂らしていると勘違いしたのですね。実は今でも世界では仏教徒は挨拶で合掌すると信じているので、イギリスなど欧州諸国でも相手が日本人だと分かると、礼儀正しく親切の心算で両手を合わして合掌してみせる例が良くある。
日本人は死人に対しては手を合わせるが、生きている人間に向かっては決して合掌しない。日本人にとっては逆に実に失礼なのです。
人間相手にも合掌するヒンズー教のインドとか上座部仏教の東南アジアなどと、神仏以外には合掌しない日本や中国の大乗仏教を混同しているのですが、我々日本人でも偶には人に手を合わせる場合がある。
命乞いとか、究極の謝罪として土下座と共に行われるのですが、これがオリンピック最終プレゼンで滝川クリステルが思わずやった『合掌』の正体であった。

『へらへら笑いながら手を合わせるな。このバカ者が』

日本人なら滝川クリステルの『お・も・て・な・し』のあとの合掌には違和感を持って当然でネット上では、
『だから、合掌なんかしねえんだよ』
『見てるこっちが恥ずかしくなるよな』
『あの合掌は誰も止めなかったのかな』
『あれが日本式かと勘違いされるよな』
『おもてなしで合掌するとかやめろボケ』
『どちらかというとお辞儀だよね 合掌して挨拶や御礼はしない』
『外人的には合掌挨拶が日本人が公式に認める挨拶ってことになっちゃったんだな』
『おもてなし 合掌ってなんか違う おもてなし お辞儀の方が日本らしい』
との声が噴出。滝川クリステルもネイティブな日本人以上に自分の大失敗は熟知しているのでマスコミで『お・も・て・な・し』の動作の再現を求められても、最後の合掌部分は絶対に人前では行わない。

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誰がコック・ロビンを殺したか

記事中の「被告はトランプ大統領との親交で知られた」は、トランプへの印象操作をしているのだが、エプスタインが「お世話した」政治家はたくさんいる。むしろ、ビル・クリントンなど民主党政治家の時代が大繁盛だったのではないか。女性は例外というわけでもなく、女性用の相手もいたかもしれない。エプスタイン自身とかね。
下の記事を見ると、まるでトランプ大統領によって消されたかのような印象だが、トランプは、「エプスタインを逮捕した政権」のトップである。つまり、政権内部、警察内部の「ユダ金の草」が彼を留置所内で始末したのだろうと私は読んでいる。
なお、「誰がコック・ロビンを殺したか」は、言うまでもなくマザーグースの中のひとつだが、コックは男根の意味もあるwww  エプスタインの死は、彼にコックを握られていた誰かの仕業であるのは確かだろう。
記事の中の記述への素朴な疑問だが、売春は「性的虐待」なのだろうか。まあ、本人が不同意の場合には虐待になるのだろうが、合意の上の売春でも虐待なのか。未成年の売春は本人の同意があっても虐待だと見做す、というのなら、分からないでもないが、「個人営業」の場合は誰が誰を虐待していることになるのか。



| コメント(0)

少女買春の世話人富豪エプスタインが留置場で始末されたというんだが、喋られたら困る人というのがいるわけですね。まぁ、VIP相手の女衒なんかやってりゃ、畳の上では死ねないわw 西洋人だからそもそも畳の上では死なないかw まぁ、色々と差し障りが大きすぎて、こういう案件は闇で始末される。だから「内戦」だと言われる。内緒の戦争なので内戦ですw

少女らへの性的虐待などの罪で起訴された富豪ジェフリー・エプスタイン被告が米ニューヨーク・マンハッタンにある施設内で自殺したことが10日、分かった。米メディアが伝えた。被告はトランプ米大統領との親交で知られた。
エプスタイン被告は10日朝、首をつった状態で見つかった。被告は無罪を主張していたが、保釈が認められていなかった。



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日本の男の不自然さと日本の女の自然さ

前の記事で井口博士のことに触れたついでに、久しぶりに博士のブログを読んだので、その記事の一部を引用しておく。日本では男が威張っているが、実は世界で通用するのは日本の女である、という話。
その理由を私なりに考察すると、日本の男は日本社会や組織の中で生きることで人生を縛られ、考え方までその枠内で限定されているのに対し、女性は、「まず自分や自分の周囲の人間を第一に考える」という自然さがあるからではないか。つまり、日本社会や組織へのくだらない忖度が無いから、(個人を個人として評価する)世界に出ると活躍できる、というのが私の仮説である。
日本の老人が、男はみなゾンビのようになり、女性は年を取るほど明るくなる理由もその辺(組織人として生きるか個人として生きるか)にありそうだ。




(以下引用)


ところで、先日山梨の実家に帰ったとき、たまたま高校時代のサッカー部の同窓会があって、それにも出たんだが、みんなが明瞭に覚えていたことがあった。

なにか?

練習中に監督からビンタされたとか、
ホイッスルで頭を殴られたとか、
スパイクの裏で顔面を殴られ歯が折れたとか、
大事な試合前にしこたましごかれたとか、
夏合宿で死にそうで逃亡計画を考えたとか、
女子マネージャーに振られたとか、。。。

要するに、痛い思いをしたことだけを覚えていたんだナア、これが。

楽しかったことや当たり障りのなかったことや良かったことはすっかり忘れ去られていたのだ。

だから、おそらく我々と似た時代を生きた岡本綾子は、我々と同じように、痛い思いをしたことやそういう場面ばかり覚えている。

したがって、解説のたびに、自分はこういう痛い思いをした。こういう失敗をした。そんな言葉がついつい口に出る。


しかしながら、今の若い選手は、ジブリアニメで育ち、まさに「君の名は」「この世界の片隅に」「天気の子」の中で描かれている日本女子のようなメンタルで成長しているわけだ。

それに描かれたその日本にあこがれて、いまや日本全国の高校に年間30万人もの海外からの留学生がいる。


おそらく、この渋野日向子選手の笑顔や立ち居振る舞いや仕草を見た欧米の若者たちは、何か日本のアニメの世界をそっくりそのまま見ているような気がしたはずである。

アニメからそのまま出てきたような感じに見えたに違いない。

そういう時代である。


それにしても、どういうわけか、我が国のスポーツではいつも最初に偉業を成し遂げるのは女子の方だ。

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また今年も西日本は台風被害と大雨被害か

「まだどこに行くかはっきりしません」と書きながら、ちゃんと予想進路を図示している。なぜ、このコースの蓋然性が高いと予測できるのか。赤丸で囲まれた「現時点」の段階では、これから東に行くか西に行くか予想できないのではないか。この図だと、西日本を直撃するのは確かなように見える。そして、実際、そうなる気がする。
昔の台風の進路(単純な、右投手の投げたシュートのコース)と比べて、最近の台風の進路は、ほとんどすべてが妙なコース(スライダーが途中からシュートしたりする)を辿っていると思う。露骨に言えば、台風は誘導できるのではないか、という気がする。そのための施設があちこちにあると、数年前に、井口博士などが頻繁に書いていたと思うが、今でもその主張をしているだろうか。






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大型で強い台風10号は14日9時に940hPaまで発達する予想です。
徐々に予報円は小さくなっていますが、まだどこに行くかはっきりしません。最新の情報を確認するようにしましょう[8月10日午前9時現在]




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なぜ「暗黒の中世」という言葉を忌避するのか

まあ、便利さには「見えない弊害」があるものだが、「暗黒の中世」という言葉は、中世というものをたった一言で理解させる便利さがある。

もちろんその「暗黒」はかなり主観的なものであり、暗黒の中にも光はあり幸福もあっただろう。しかし、現代の人権思想を基準にして眺めれば、中世は暗黒だったというのは非常に正当性のある認識だろう。簡単な話、ドン百姓(農奴)として中世に生まれることは幸福だとは私にはとても思えない。貴族や王侯も幸福なばかりではない、という反論は成り立たないだろう。
現代の人間が「源氏物語」や西欧中世の騎士の世界に憧れるのは結構だが、自分が貴族としてその時代に生まれることしか想像しないのは「なろう小説」の異世界転生物と同じレベルである。庶民には人権の無い世界に、庶民として生まれる可能性をなぜ想像しないのか。社会自体が地獄に近いからこそ極楽往生思想を説く宗教があれほど流行したのである。それは西洋中世も日本中世も同じである。


  1. 近藤ようこ‏ @suikyokitan 17時間17時間前
  1. 中学の世界史の授業で「昔は暗黒の中世と言われていました」と教わったのが約50年前か・・・まだ言われているのね。>RT
  2. 2件の返信 2件のリツイート 11 いいね
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  4. 取り消す
  1. 「暗黒の中世」というレッテルが強力過ぎて、啓蒙思想というメルクマールと関係なく濫用されているのが問題なので、その言葉を使うのを先ずやめよう、言っているのがそんなに理解し難い事が理解し難い。
  2. 1件の返信 8件のリツイート 14 いいね
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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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