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少年マルス 33

第三十三章 エスカミーリオ

マルスらは、晩餐会の後も王宮に泊まるよう勧められた。もちろん、マルスたちに異存はない。宿屋の湿っぽい、南京虫だらけのわら布団のベッドではなく、よく干されたふかふかのベッドで寝られるのはもっけの幸いである。
王はそれから三日続けて、アンドレとオズモンドに話を聞いていた。マルスは残念ながら、国家情勢にはうといので、あまり相手にされなかったのである。そのかわり、マチルダやトリスターナと共に、王妃ロミーナの話し相手をした。ロミーナには、政治の話よりも、マルスの語る野山の話が面白かったようである。
四日目の朝、オズモンドがマルスの寝室に現れた。
「王に来客があるらしい。それが、グリセリードからの使節だということだ」
「では、レントと同盟を結ぶ気か」
マルスでもそれくらいの予想はつく。
「多分な。アンドレが同席して話を聞くことになっている。僕は追っ払われた」
「なんでアンドレだけ同席がゆるされるんだ?」
「王はアンドレが気に入っているんだ。昨日も、このままここで仕えないかと聞いていた。
それに、アルカードはまだ国というほどの国でもないから話を聞かせてもかまわん、ということだろう」
「だが、アンドレはどうせ我々に話すだろう」
「奴がその気になればな。だが、奴は旅の仲間ではあるが、アスカルファン人ではない。もしかしたら、我々に話さんかもしれんよ」
 オズモンドはアンドレには厳しかった。あいつは、どこか情がない、というのである。マルスから見れば何でもないような事が、オズモンドにはひどく癇に障るらしいのである。
確かに、アンドレには、人間の感情に疎いところがあったが、けっして情がないわけではない。しかし、彼の合理的思考はオズモンドには肌に合わないようだった。
国王とグリセリードの使節の会見が終わった後、オズモンドとマルスはアンドレを捕まえて、会見の模様を聞いた。
「あの使節は実に頭がいい。話し方が気が利いているし、頭の回転がいい。並みの国王では、あの弁舌に簡単に丸め込まれるだろうな」
アンドレは会見の内容よりも、使節の方が気に入ったようで、そんな話をして、オズモンドをいらいらさせた。
「使節の事はどうでもいい。肝心の話の中味は何なんだ」
アンドレは、そんな事、分かりきってると言いたげに、オズモンドを見た。
「もちろん、レントに同盟を申し込んできたのさ」
「で、王は何と答えた」
「それには答えないで、アスカルファンの内乱は、グリセリードが糸を引いたものか、とずばりと聞いたよ」
「使節は何と?」
「違う、と即答した」
「アンドレはどう感じた。その答えは本当か、嘘か」
「さあな。使節は何の動揺もなく答えたが、そこが却って怪しいとも思われる。普通、ああいう質問には、無関係な者でも動揺するものだ。だが、本当のところは分からんさ」
「同盟の件についてはそれで終わりか」
「いや、三日のうちに返答すると言っていた。だが、おそらく断るだろう。前に言ったとおり、グリセリードがこの時期にレントとの同盟を申し込んできたのは、おそらくアスカルファン侵攻を予定してのことだ。そして、アスカルファンの次はレントに決まってるからな。要するに、アスカルファンを攻める間、レントをじっとさせておく事が狙いなのだ。王もそれは分かっている。しかし、断ると、グリセリードにはっきりと敵対することになるから、この判断は難しいことだろう」
「では、同盟を受け入れる可能性もあるんだな」
「まあな」
オズモンドは不愉快そうに、舌打ちをした。さすがに、故国の存亡を目の前にして、自分が手を拱いているのが忌々しいのである。
 
 使節が滞在していた三日の間に、マルスはその使節を目にする機会が二、三度あった。
年はまだ三十前くらいで、ほっそりと優雅な体つきをしているが、体にはバネがありそうな感じである。顔は顎が細い逆三角形の顔で、色浅黒く、ぴんと跳ねた口髭と、顎の先に僅かな顎鬚を生やしている。大国の使節のわりには、威張ったところはなく、挙措も礼儀正しい。だが、マルスの直感は、この男が油断のならない男である事を告げていた。虎や狼ではなく、狐の狡猾さを持った男であり、もしかしたら、その上に狼の残忍さを備えているかもしれない。
 使節の名はエスカミーリオと言った。
三日後、ジュリアス王は、グリセリードとの同盟をはっきりと断った。
「残念です。だが、レントがせめて我々に敵対しないという事を私は望みます。王のように優れたお方と戦場で見えるのは悲しいことですからな。もしも王がアスカルファンとの同盟でもお考えになっているのなら、失礼ながらそれは愚かだと申しておきましょう。小国との同盟で、むざむざと大国グリセリードを敵に回すことになるのですからな」
エスカミーリオはそう答えて、優雅に一礼して、レント宮廷から立ち去った。

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少年マルス 32

第三十二章 晩餐会

「賞金も賞品も要りませんが、王様にお願いがあります」
 マルスの言葉に、王は、ほほうという顔をした。
「何かな、言ってみろ」
「実は、私の父は十五、六年前にこの国に来ているのですが、私はその行方を探しているのです。それを、王様のお力で、何とか探して頂きたいのです」
「ふむ、父が行方知れずなのか。気の毒だな。だが、十五、六年前の事では難しいぞ」
「分かっております。せめて手掛かりでも欲しいのです」
「分かった。役人を使って、村々の物覚えの良い古老に問わせてみよう。十年以上前にアスカルファンの者を見かけた者がいないかだな。今よりも、アスカルファンと行き来のない頃であるから、珍しい旅の者を覚えている者がいるかもしれん」
 王は、マルスが辞退した賞金と賞品も無理に受け取らせた上、マルスの父の事を調べようと約束した。さらに、一行の中にアスカルファン宮廷の重臣のオズモンドと、アルカードから来たアンドレらがいるという事を知ると、非常に興味を持って、彼ら全員を宮中の晩餐会に招待した。
「まあ、大変。宮廷の晩餐会に着て行けるようなドレスなんて持ってないわ。どうしましょう」
マルスがその知らせを旅籠で待っていた仲間に伝えると、トリスターナとマチルダは大騒ぎした。
「オズモンド、古着でもいいから、貴婦人の着られるドレスを買ってきて」
マチルダはオズモンドに要求した。
「大丈夫ですよ。私に任せなさい」
アンドレがジョンに耳打ちし、ジョンは分かったと言って出て行った。
 程なく戻ってきたジョンは、大きな行李を抱えていた。
マチルダがそれを開くと、中から見事なドレスが二着出てきた。
「まあ、これはどうしたの?」
「王様に、事情をお話して借りてきたんです。王様はお笑いになって、快くお后のドレスを貸すようにお申し付けになりましたよ」
「では、これは王妃のドレスなの? 夢みたい」
二人でドレスを合わせながら、ああでもないこうでもないと夢中で話し合うマチルダとトリスターナを、他の男どもは半分あきれて眺めている。女のドレスへの情熱など、所詮男には理解できないのである。
しかし、着替えのため締め出された男達の前に盛装して現れた二人の美しさには、男達も感嘆せざるを得なかった。
「これは、危険ですな。貴女方のあまりの美しさに王妃が嫉妬して、死刑にしますよ」
ジョンが不気味な冗談を口にしたくらい、マチルダとトリスターナは美しかった。
晩餐会は王宮の大広間で行われた。
正面に国王と王妃が座り、その向かいの一段下がったテーブルに客であるマルスたち七人が座る。
御馳走は、さすがに豪勢であるが、味そのものはアスカルファンのものほど繊細ではない。鹿や子牛の肉を炙って塩か胡椒を振っただけの素朴なものである。
 食事の後で、リキュールを飲みながら、王はオズモンドやアンドレにアスカルファンやアルカードの事をあれこれと聞いた。なかなか好奇心旺盛な王様らしい。
「アスカルファンやアルカードは野蛮なところと聞いていたが、話を聞くと、だいぶ違うようだな。だが、そのアスカルファンでは、今、内乱が起こっているそうだぞ」
 国王の言葉に、マルスたちは顔を見合わせた。予想していたことではあるが、やはり、ショックである。
「で、戦況はどんなですか」
「始まって、およそ二月だが、反乱軍が一度は首都バルミア近くまで攻め寄せたのを、押し戻して、一進一退の状況らしい。ポラーノのカルロスとやらに味方する諸侯はほとんどいないようだが、かと言って国王軍に積極的に味方しているわけでもなさそうだ。戦況次第では、カルロス側に寝返る諸侯も出てくるのではないかな」
「これは、私の考えですが、この反乱の背後には、グリセリードがいるのではないでしょうか」
アンドレが国王を直視して言った。
王は、ほほう、と言う顔をしてアンドレを見た。
「考えられることではあるな」
「なら、レントはアスカルファン国王に味方なさったほうが良いでしょう」
「それはなぜだ」
「この反乱が成功したら、いや、成功しなくても、アスカルファンの国力が弱まれば、グリセリードはアスカルファンに侵攻します。そうすると、次はレントに向かうでしょう」
「わが国は、もともと、アスカルファンとは仲が良くないのだよ。それを助けろと?」
「隣り合う国が仲が悪いのは当然です。だが、隣人として、アスカルファンよりもグリセリードのほうが、はるかに恐ろしいはずです。グリセリードの貪欲さはよく御存知でしょう。アルカードのようにまとまりのない国がこれまで無事でいられたのは、隣がアスカルファンだったからです。グリセリードは大陸の東の国を次々に滅ぼして領土を伸ばしています。今度もし、アスカルファンを我が物としたら、北の世界のほとんどはグリセリードに統一されることになります。その時、レントが生き残れると思いますか」
「私はグリセリードなど恐れはせん。だが、お前の言うとおり、グリセリードが野望を持っているとすれば、考える必要はあるな」
この話はこれで打ち切りになったが、アンドレの言葉はレント国王に強い印象を与えたようであった。

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少年マルス 31

第三十一章 弓術大会

 弓術大会の当日、マルスは大会の会場の野原に集まった出場者の中に、ピエールの姿を見つけて驚いた。
「あんたも出るのか」
マルスが言うと、ピエールは、にやりと笑って片目をつぶってみせた。
「俺は弓にかけてはなかなかのものなんだぜ」
やがて、予選が始まった。
言葉通り、ピエールの弓の腕はたいしたものであった。
的を注視することもなく、無造作に狙って次々に射る矢は、一本も的を外さず、ほとんどが黒点近くに突き刺さる。
「どうも動かない的ってのは苦手だ」
そううそぶいてピエールは、次の順番のマルスに番を譲った。
マルスも同じように次々に的を射ていく。
「ほほう、こいつは凄い」
見ていた見物人の間から感嘆の溜め息が洩れた。
マルスの矢は、すべてが黒点に刺さったのである。
結局、予選はマルスとピエールが十本皆中で通過した。二人に次ぐ成績は、やっと六本的中だから、この二人の腕は図抜けている。

「どうだい、マルスに賭けろと言ったのが分かっただろう」
オズモンドが、並んで見物していた旅籠の主人に自慢気に言った。
「確かに、素晴らしいですな。しかし、それでもエドモンド様に勝てるかどうか」
主人はやはり半信半疑である。
本戦が始まった。
旅籠の主人が名を挙げた強豪たちが次々に登場して来た。本戦は、試技が二回行われ、一回目の試技で二人が勝ち残り、その二人で最終決戦が行われる。一回目は近的で、二回目が遠的である。
予選通過者のピエールとマルスの一回目の試射が行われたところで、予選免除者たちの顔色が変わった。二人ともまたしても皆中だったのである。しかも、マルスはすべて黒点命中、ピエールは黒点に九本命中である。
「くそっ、矢羽がまずかった」
ピエールは弓を地面に叩きつけようとしたが、思いとどまって、マルスに握手を求めた。
「あんたは俺以上の弓の名人だ。ぜひ、優勝してくれ」
二人の後を受けて、有名強豪たちが、次々に試技を行うが、二人を超えねばならないという重圧に負けて、いい結果が出せない。
ヨーク公ジョンは六本、黒騎士リットンは七本、サマセットのギルバートに至っては五本しか的中しない。
国王宮廷の名誉を担って、エドモンドが登場した。
年は三十そこそこだろう。金髪で細面の気品のある顔だが、取り澄ました表情は、あまり人好きはしない。
エドモンドは見ている者の息がつまるくらい時間を掛けて的を狙った。
一本目、矢は見事に黒点に当たった。
「幸運だな。これで、後は同じように狙えばいい」
マルスの側にいるピエールが言った。
「しかし、何という遅さだ。これが戦場なら、こいつの弓は使い物にならん」
ピエールの言葉に、マルスは同感だったが、
「あれだけの時間に耐えられる精神力と集中力は凄い」
と弁護した。
 エドモンドは、水を打ったように静まり返った会場で、無念無想の面持ちで、相変わらず長い時間を掛けて矢を射ていった。矢はすべて黒点に刺さっていく。
 最後の一本。エドモンドは額に汗をにじませていた。
 大きく息をついて、構えた足場を一度外す。
(ああ、駄目だ)
マルスはエドモンドに同情した。一度リズムを崩すと、矢は当たるものではない。
 エドモンドの最後の矢は、的にすら当たらなかった。
会場は大きくどよめいた。大本命が敗れたのである。
 ピエールとマルスの間で争われた最終決勝は、十本対八本で、マルスが勝った。さすがに遠的では、すべて黒点命中とはいかなかったが、十インチもの大きさの的をマルスが外すはずはなかったのである。
 マルスとピエールは王の前に呼ばれて、お褒めの言葉を頂いた。
天幕にしつらえられた王座に座る国王は、ジョンの言った通り、非常に若い。オズモンドと同じくらいだろう。顔も、どことなくオズモンドに似ているが、彼よりは繊細で癇症らしい顔つきである。
「お前らは、この国の者ではないな」
「はっ」
王の言葉に、二人は緊張した。
「アスカルファンの者と見たが、なぜこの大会に出た」
ピエールが答えて言う。
「私は賞金が目当てで」
「そちは」
王の目をじっと見て、マルスは少しためらった。

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少年マルス 30

第三十章 エーデルシア

 エーデルシアは、美しい湖畔に聳える水城である。スオミラのような城砦都市ではなく、まず、エーデルシア城が作られて、その後にその周りに城下町が出来てきたものだ。
「きれいな城ねえ。サンドリヨンの御伽噺のお城みたい」
トリスターナが言った。
「アスカルファンの城は古代風の無骨なものが多いからな」
オズモンドが言う。
「こういう城は本では見たが、実物は初めてだ。しかし、中には入れないだろうな」
アンドレが例によって、誰にともなく言う。
「とりあえず、飯だ」
オズモンドの言葉で一同は町の旅籠に馬車を止めた。
旅籠で出来る最上のメニューと言っても知れたものだが、空腹には何でも美味い。兎のシチューや塩漬け鰊、塩漬けの豚肉といったもので一同は何杯もエールを飲んで、良い気分になった。
「お武家様たちは、お城の弓術大会に出なさるんで? それとも見物ですか」
旅籠の主人が、満腹して陶然とした気分のオズモンドに話し掛けた。
「そんなものがあるのか。いつだ?」
「明後日ですよ。その日は町人も見物が許されるというので、皆楽しみにしてまさあ」
「優勝候補にはどんな奴がいる?」
「そうですな。国王のお抱え騎士のエドモンドが一番の候補ですが、他にも腕自慢はたくさんいますよ。ヨーク公ジョン、黒騎士リットン、サマセットのギルバートなどがその中でも強豪でしょうな。もし賭けるなら、エドモンドに賭けるのがいいでしょう」
「カザフのマルスはどうだ」
「そんな人は聞いたことがありませんな」
「ここにいるこいつさ。弓にかけては天下に並ぶ者なし、という男だ」
オズモンドがマルスを指差す。
主人はマルスを品定めするように見て、首を振った。
「なかなかいい体をしてますが、どう見てもまだお若すぎますよ」
「ははは、マルスも見くびられたもんだな」
「弓の試技はどう行う」
アンドレが聞いた。どうにも実務的な男である。
「近射は五十歩、遠射は百歩で、的はどちらも十インチの的に一インチの黒点が入ったものです」
「一インチと言うと、一寸だな」
マルスは想像したが、まるで子供だましである。二百歩先の木の実を射落とすマルスが五十歩や百歩先の一インチの的を外すことはありえない。もっとも、風模様の天気で、その瞬間に突風でも吹けば別だが。
「その弓術大会に出るにはどうすればいい」
アンドレがさらに尋ねる。
「当日、お城で申し込めばいいんでさ。地方から来た者には午前中に予選があって、上位二名が本戦に出られます。有名強豪は予選が免除されますから、本戦は六名で争うことになるでしょうな」
「そうか。親父、いろいろ教えて貰った礼に、いい事を教えてやろう。こいつが予選を通ったら、……まあ、通るのは確実だが……こいつに賭けるんだ。大儲けできるぞ」
オズモンドが言ったが、主人は疑わしそうな目でマルスを見るだけである。

しばらく町を歩いてみると、なるほど国中から集まってきたらしい武芸者、腕自慢の男たちが町を闊歩している。そのほとんどは弓を手にし、あるいは背に担いでいるので、すぐに分かる。
町はお祭りめいた活気があり、辻辻では大道芸人の見世物まで行われている。熊使い、火吹き芸人、軽業師のとんぼ返り、パンチとジュディの人形芝居。鼻をたらした子供達が、ぽかんと口を開けてそれらの見世物に見入っている。
「まあ、楽しい事。ほら、あの人形、おかしいわ」
トリスターナとマチルダは大喜びである。
マルスは日覆いの下で店を開いている占い師の前に立った。
「失せもの、尋ね人、恋の悩み、何がお望みじゃな?」
「失せものだ。青い石の入ったペンダントを探している」
「ほほう、それは高価な物かな」
「それほどでもないが、僕の父の形見だ」
「それはそれは。なら、探してしんぜよう」
男は水晶球をしかつめらしく眺めた。
マルスは笑い出した。
「そんな物を見なくても、自分の心に聞けばいいじゃないか。ピエール」
占い師は高笑いして、付け髭を取った。愛嬌のある、若々しい顔が現れる。
「ばれていたか。だが、ペンダントは持ってないぞ」
「無理に返させようとは思わんが、あれはあんたが思う以上に貴重な物だ。持っているなら、しばらく預けておくから、人には渡さないでくれ」

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少年マルス 29

第二十九章 ジルベールの行方

 さわやかな初夏の風が頬を撫でて吹いていく。
「これこそレントですよ。一年のうちでも今の季節のレントは最高ですな。どうです、この風の気持ちいいこと」
ジョンが、馬車を御しながらまるでレントが自分の持ち物ででもあるかのように自慢する。
 マルスたちは、ここでも馬に荷馬車をつけて、旅をしていた。貴族の乗るような馬車だと目の玉が飛び出るほど高い値段を吹っかけられるし、急に手に入るものでもないが、荷馬車ならたいていすぐに入手できる。その値段はおそらく相場の二倍くらい請求されていると思われるが、オズモンドの懐にはさほどの痛手でもない。
 さすがに、総勢七人ともなると、荷馬車に乗るのも、あまりゆったりとはしていないが、それは辛抱しなければならないだろう。
マルスだけは例によってグレイに乗っているので、その窮屈さを免れている。他の者で馬に乗れるのはオズモンドとマチルダくらいだが、マチルダも乗馬よりは馬車の荷台の方が楽なのである。
「何でもいいから、早くエーデルシアにやってくれ。それともどこかの町の宿屋を早く見つけてくれ」
オズモンドがぼやく。
アンドレは馬車の荷台から、並んで馬を歩ませるマルスに声を掛けた。
「君の父上のことだが、一体何でレントなどへ向かったんだろう。アルカードに君の母上がいないと分かったら、アスカルファンに戻りそうなものだが」
彼はマルスの身の上を聞いて、興味を持っているのである。
「そのことは僕も不思議に思ったんだが、多分、山脈を越えてアスカルファンに戻るよりも、船でレントに行き、そこからアスカルファンに向かおうと思ったんじゃないだろうか」
「山越えの大変さを考えれば、十分うなずける考えだ。だが、それなら、君の父上は実はアスカルファンに戻っているという可能性もあるわけだ」
「それは無いと思うぜ。あんな名家の嫡男が、アスカルファンに戻っていたなら、誰にも気づかれないはずはない」
オズモンドが、マルスに代わって答えた。
「では、レントに来て、ここで恋人の捜索をあきらめて、そのままここに住み着いたとでも?」
アンドレの言葉に、オズモンドは黙り、マルスは考え込んだ。
「気を悪くさせたのなら謝るが、考えられる可能性としては大きく三つある」
アンドレは自分の考えを口にする事で、考えを進めるいつもの癖で、独り言のように呟く。
「第一は、今言ったように、ジルベールがそのままここに住み着いたということ。この場合、ここで結婚までしている可能性もある」
マチルダが非難するような目でアンドレを見たが、アンドレはそれに気づかず、続ける。
「二番目は、ジルベールはアスカルファンに戻ったが、何らかの理由で人目につかないように帰国し、そのままどこかに隠れている、もしくは幽閉されている」
「たとえば、どんな理由だ?」
オズモンドがずばりと聞いた。
「それは分からん。というより、僕にはある想像があるが、言いたくない」
他の者は、アンドレの言葉で、それ以上追求する気を失った。追求すると、マルスを傷つけることになりそうだったからである。
「三つ目は、これはマルスには残酷な言葉だが、一番ありそうな場合だ。……レントでジルベールが死んだということだ。船上でということも考えられるが」
「そんな!」
マチルダが、たまりかねて声を上げた。
「もちろん、これは只の仮定の話だから、そのどれでもない場合もある。だが、行き当たりばったりで行動するよりは、これらの場合を想定して行動したほうが、何かにぶつかる可能性は高いんじゃないかな」
「アンドレさんの言うとおりよ。私自身、マルスが現れるまでは、ジルベールは死んだものと思って疑わなかったもの、ジルベールがやっぱり死んでいたと聞いても驚かないわ」
思いがけず、トリスターナがアンドレの弁護をした。
 マルスはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「アンドレがさっき言った二番目の場合だが、人目を避けて帰国し、そのまま姿を隠すというのは、どんな場合だ? 言ってくれないか」
「……聞かない方がいい」
「いや、ここまで聞かされて後を聞かないわけにはいかない。お願いだから、言ってくれ」
「そうか。……では、言おう。……天刑病だ」
アンドレの言葉に、一同は凍りついたようになった。
 天刑病とは、この頃最も恐れられた病気である。顔や手足に白斑ができ、やがてそこから体が膿み、腐ったように崩れていく病で、しばしば人間と思えない病相を示すため、迷信深いこの頃の人々はそれを何かの罪に対する神罰だと考え、天刑病と名づけたのである。
 天刑病にかかった人間は、もはや一般の人間社会には戻れなかった。村や町の外れに彼らだけの集落を作り、道を歩く時には、自分に普通人が近づかないようにと、銅製の鈴を鳴らして歩かねばならなかった。
「そんな、ありえないわ」
マチルダが悲鳴のように言った。

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少年マルス 28

第二十八章 海賊

やがて海賊船は、マルスらの乗っている船の数百メートル先まで近づいた。
今では、海賊船の甲板で手ぐすね引いてこちらに乗り移ろうと待ち構えている海賊どもの凶悪な顔までもはっきり見える。船の舳先で腕組みしている、素肌に毛皮を着て、頭に角のついた兜をかぶっているのが海賊の頭目だろう。北方系の端正な顔に美しい金髪も、顎まで垂らした口髭のために、動物的で野蛮な印象である。
「インゲモルだ……」
水夫の一人が呟いた言葉に、
「インゲモルとは?」
マルスは尋ねた。
「この海でもっとも有名な海賊だ。『肝食いインゲモル』と言われている。襲った船の乗組員を殺して、その肝を食うんだ」
マルスはもう一度その「肝食いインゲモル」を眺めた。
美男と言ってもいい、三十代の偉丈夫だが、青い目が、ガラス球みたいで奇妙である。見かけよりはずっと野蛮な奴らしい。
マルスは弓を構えた。
こういう場合は、まず大将を倒すに限る。
マルスの放った矢は、しかし海上の風に流されて、僅かに逸れ、インゲモルには当たらなかった。矢はインゲモルの肩をかすめ、後ろのマストに突き刺さった。
だが、通常は届かない距離からマルスの放った矢は相手をあわてさせ、向こうもどんどん矢を射始めた。そのほとんどは、もちろん海上に落ちるだけである。
マルスは二本ある弓のうち、大弓を使っているのだが、その弓は男三人がかりで弦を張った強力なものである。普通の人間では、ぴんと張った弦は一寸も引けない。
矢も特製の長矢を使っている。これだと、遠く、正確に届く。
マルスのその後の矢は、次々に海賊どもを甲板に縫い付ける。時には、同じ矢が二人を同時に刺し貫いたりしている。
「船を相手に近づけるな。この距離なら、マルスの矢は届くが、向こうには手が出せない。常にこの距離を保つんだ」
アンドレが船長に命じた。
そして、一本の矢の先端近くに布を縛り、油を染み込ませたものをマルスに渡した。
「マルス、これであの船の帆を射るんだ」
マルスは彼の意図を了解した。
近くの松明から、その火矢に火を移し、マルスはそれを高々と打ち上げた。布が巻き付いている分の重さを計算し、それだけ上方を狙う。たとえ帆に当たらなくても、甲板には落ちるはずだ。
矢は狙いどおり、敵船のメインマストの帆と帆柱の間に刺さり、やがて帆に火が燃え移った。
敵はしばらくは、自分の船の帆が燃え出したのに気がついていないようだったが、やがて大慌てしだした。帆を張った綱を切り、帆を下ろして火を消そうとするが、マルスは二本、三本と火矢を放った。やがて、帆柱そのものに火がついたらしく、敵は消化活動に大童になって、こちらの船を攻撃するどころではなくなった。
海賊船はとうとうこちらの船をあきらめ、海岸に進路を向けた。海岸に船を停泊させて、避難するか、消火をするのだろう。
「どうする、追おうか」
アンドレが船長に聞いたが、船長は滅相も無い、という顔で首を横に振った。
「そいつは残念だな。今ならあいつらをやっつけることも出来るんだがな」
そうは言ったが、アンドレも強くは主張しなかった。こちらに少しも被害がないのだから、無理に戦闘に持ち込んで、一人でも傷つけたくはない。
宵闇の中を、炎を上げながら岸に進んでいく海賊船は、面白い眺めである。
ワグナー船長は、自分の船の進路を沖に向け、海賊船から遠ざけていった。
やがて、海賊船の火は後方に小さくなって闇に消え、見えなくなった。

マルスたちに対する船長の態度は一変した。
「あんたは我々の命の恩人だ」
彼は何度もマルスに頭を下げ、礼を言った。
 船長が自分用に取ってある最上のワインを十本、礼として貰ったマルスは、それを仲間たちと楽しく味わった。

 海賊船との遭遇から六日後、マルスたちの乗った船の前方にレントが姿を現した。
 真っ白く切り立った崖が特徴的な、レントの海岸線は、美しい風景である。
「とうとう来ましたね。生きてもう一度レントがみられようとは思わなかった」
ジョンは目を潤ませて、懐かしい故郷の海岸を眺めている。
 レントへの上陸は、大きな河の河口に広がった平野にある町の船着場で行った。 
「レントは一人の国王で全土が治められているのですよ。今の国王は二年前に即位したばかりの若者ですが、なかなか優れた王様だという話です。ジュリアスという王様です」
 ジョンがレントの知識をひけらかす。
目の前に広がるレントの風景は、緑の丘と平野が多い、好ましいものであった。

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少年マルス 27

第二十七章 商船

およそ三ヶ月続いた篭城戦は終わった。
三日に渡る祝勝会の後、マルスたちは出発の準備をした。
「どうしても行かれるのかな。このまま、この町で暮らせばよいものを。町の者は皆、あなた方に感謝しても感謝しきれないと思っておるのに」
イザークは別れを惜しんだが、マルスには父を探すという目的がある。
アンドレがためらいがちに言った。
「私も仲間に入れて貰えませんか」
マルスたちは驚いた。
「あなたも町を出ると言うんですか?」
「ええ。世の中を広く見てみたいのです」
おそらくアンドレは今の参事の誰かが死ねば、すぐに参事になり、将来はイザークの後の筆頭参事になるはずの人間である。その人間をイザークや参事会が出すだろうか。
「俺も行きたいな」
と言ったのはオーエンである。
「俺は三男だから、どうせ家を出なけりゃあならないし、狭いこの町で生きるよりも、広い世界を見てみたいんだ」
マルスはイザークの顔を見た。イザークはうなずいた。
「いいだろう。若い者が大きな世界を知るのはいい事じゃ。だが、一年で帰るのじゃぞ。オーエン、お前もじゃ。お前は町にとって大事な若者じゃ。わしはお前をこの町の守備隊長にしようと思っておるのじゃよ」
守備隊長と聞いて、オーエンの顔がぱっと輝いたが、やはり旅の魅力の方が上である。
「ところで、お主らはどこへ向かうつもりじゃな?」
「レントに行くつもりです。実は、この町で聞いた話ですが、父はこの国に母がいない事を知って、レントに向かう船に乗ったようなのです」
「ならば、近いうちにレントに向かう商船があるから、それに乗るがよい。この篭城戦の間で町の食糧はすっかり無くなった。毛皮や鉄、銅や木材などの品は倉庫にたっぷりあるから、それをレントで売って、あちこちの町で食糧を買い込んでこなければならん。その船に同乗すればよい。お主らのような勇者が同乗してくれれば、海賊に遇っても安心じゃ」
「レントですか。久し振りですなあ。おお、わが故郷、レントよ」
レントの生まれであるジョンが歌うように言った。

三日後、マルスたちはレントに向かう商船に乗り込んだ。商船は五十人乗りの中型船で、内海はオールで、外海では帆で進む型である。その船には船の乗組員二十五人の他に、マルスたち七人と、荷物の管理と商いをする者十五人が乗った。船長はワグナーという、厳めしい顔の四十代の男である。
「あんたたちの事はイザークから頼まれているが、船の迷惑にはならんでくれよ」
ワグナーはマルスたちにいきなり言った。あまり同乗を喜んではいないようである。彼はスオミラの町の者ではなく、幾つもの町から請け負って、荷を運ぶ商売人なのである。
 航海は順調に進んだ。
スオミラの川岸から出航して二日後には海に出た。これからおよそ一週間でレントに着くはずである。その間、時々沿岸の町に停泊して、水や食糧を仕入れ、休息するが、そのままレントに向かっても大丈夫なだけの水や食糧は積んであるということである。
「船に乗るのは初めてだが、妙な気分のものだな。足元が頼りなくて不安だ」
オズモンドが言った。
「今はまだましでさあ。これで、海が荒れた日にゃあ、大変なことになりますぜ」
ジョンが経験者ぶりをひけらかして言う。
「海の上の夕日って、実にきれいなものですね。あの雲の上にはきっと神様が私たちを御覧になってますわ」
トリスターナが指差す先には、絢爛たる、とでも言いたいような色彩の雲が海上を彩っている。
「そう、実に美しいです」
とアンドレが答えたが、その目は雲ではなくトリスターナを見ている。
 マルスは別の場所でマチルダと話し込んでいる。この頃では二人の仲は周囲にも知られているのだが、二人だけは、二人の間は仲間には秘密だと思い込んでいる。
「もし、レントにもお父様がいらっしゃらなかったらどうするの?」
「アスカルファンに戻ります」
「私は戻りたくないわ。このままマルスたちと一緒にずっと旅をしていたい」
「そうもいかんでしょう。アスカルファンの情勢も気になるし」
マルスの脳裏をかすめたのは、ジーナの面影だった。もしかしたら戦乱の中にあるかもしれないジーナやその家族を放っておいて旅をしていることが、済まないような気持ちである。
船の舳先で行く手を眺めていたオーエンが後ろを振り返って叫んだ。
「船が見えるぞ! 海賊船じゃあないか?」
人々は火を掛けられたように騒ぎ出した。
確かに、前方に船が見える。大きさはまだ分からないが、漁師の乗る小船ではない事は確かだ。
船はどんどん近づいてくる。
メインマストの上の監視台から目を凝らしてその船を見ていた水夫が、下のほうに向かって叫んだ。
「海賊だ! 海賊船だぞお」

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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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