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放射能で死ぬか交通事故で死ぬか

ブログを書くというのは、自分の頭の中身をさらけ出すということだから、人前で裸になるようなものである。私もこういうブログを書くことで、「あいつの頭のレベルはこんなものか」と嘲笑されたりしているわけだ。まあ、別に笑われてもいいと思うし、「国民の一人一人が自分の言うべき事を言わないから日本はこうなってしまった」と思うからこうしたブログを書いているわけである。
何度も書くが、親しい人間同士が政治論議をしても険悪な間柄にならないような、そんな社会が私の理想なのである。今のように、友人や親類縁者でも政治に関しては話もできないという世の中は窒息しそうだ。かつては自民党系の保守主義のオヤジやジジイたちが大声で保守論をぶちあげ、周りはそれに対して沈黙しているという状況だったのである。原発事故が起こってやっと保守陣営の発言が控え目になったのだ。
「泉の波立ち」の南堂氏も、そういう保守陣営の一人で、相変わらずの原発擁護論をまだやっている。原発事故が起こっても、「たいした被害はない。福島周辺から逃げだす必要はない」などと言い続けている。こうなると御用学者の一人と認定するしかないだろう。
彼の毒舌はなかなか面白いので、まだ時々彼のブログを見ているが、もはや彼の論理は基地外レベルになりつつある。面白いので転載する。しかし、付記部分で橋下大阪府知事を「日本のヒトラー」と呼んでいることには同意である。まあ、すべての発言がダメという人間はいないのだから、我々は「この人は90%信頼できる」とか「この人の信頼度は10%」とかいう感じでさまざまなブログを眺めればよいのである。

ついでだが、確率的に言えば、戦場よりも道路の上よりも、畳の上、つまり家の中にいるのが一番危険である。なぜなら、統計上、家の中で死んだ人間が圧倒的に多いからである。というのはどこかで聞いた冗談。


(以下引用)


では、少しでも危険を避けるために、大阪に行くべきか? 
 しかし、大阪に避難すれば、さまざま交通手段を取ることで、交通事故に遭う危険性が高まる。それによる死亡率の高まりは、放射線による死亡率の高まりよりも、かえって上だろう。
 
 かなりおおざっぱに推測すると、次のようになりそうだ。
  ・ 東京から大阪へ避難する死亡率低下(放射線) …… 百万人あたり 10人
  ・ 東京と大阪で往復する死亡率上昇(交通事故) …… 百万人あたり 2人
 この数字を見て、10-2=8 という計算をして、
 「そうか。避難する方が死亡率が下がるぞ」
 と思い込むとしたら、早計である。

 10人死ぬのは、70歳ぐらいになってからの癌の死亡率だ。仮に癌で死ななくても、別の病気で 80歳ぐらいで死にそうだから、大差があるわけじゃない。
 一方、交通事故で死ぬのは、若いうちに死ぬことだ。10歳の子供が死ぬかもしれない。20歳の若者が死ぬかもしれない。その損失は、あまりにも大きすぎる。70歳の老人が癌で死ぬのと、10歳の子供が交通事故で死ぬのでは、差がありすぎる。
 「東京から大阪へ避難したら、うちの婆ちゃんは癌で死なずに済んだけど、うちのかわいい一人娘が交通事故で死んでしまった」
 というふうになりかねない。

 結論。
 あわてて動くべからず。「慌てる乞食はもらいが少ない」という通り。
 下手にあわてて動き出せば、金を失うどころか、命を失う。

 「大阪ならば放射線が少ない」というのは、真っ赤な嘘だ。大阪も千葉も、たいして違いはない。「関東はもう終わり」なんて語っている大阪人だっているが、それだったら大阪だって同様だ。


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 [ 余談 ]
 大阪に行けば、「日の丸に対する不敬罪」で逮捕される危険もある。  (^^);
 あそこはそろそろ、「日本のヒトラー」が生まれかかっている。「首相公選制による日本征服」を狙いはじめた。

  → 君が代で立たない教員辞めさせる 大阪府の橋下知事
  → 橋下知事:「現行憲法改正、首相公選制を」

 大阪に行けば、放射線では死ななくても、ヒトラーによって逮捕される危険がある。  (^^);

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お役所もとうとう方針転換か

前の記事の追加である。これも「阿修羅」から転載。
原発事故に関連して、アメリカから日本も自然エネルギーに転換してよいとお達しが来たのか、何と環境省が自然エネルギー、特に風力発電で日本の電力需要は簡単に賄えると公表したのである。これまでの「自然エネルギーは実用化できない」論は何だったのか。「泉の波立ち」あたりもその尻馬に乗って、自然エネルギー論者を散々嘲笑してきたのだが、今度は自分が嘲笑される番のようだ。こういうのを「二階に上がって梯子を外される」と言うのである。


(以下引用)


風力発電の実力は「控えめにみても全体の7割可能」 意外にすごい風力発電 ───環境省 (Yahoo news)
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/293.html
投稿者 極楽とんぼ 日時 2011 年 4 月 26 日 22:26:05: /lwF1HCtYSDhs


オルタナ 4月22日(金)20時58分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110422-00000303-alterna-soci

意外にすごい風力発電
環境省は4月21日、風力発電(陸上、洋上の合計)は今後、1億4300万kWの導入が見込めるとした試算を発表した。実に、全国の発電設備総出力2億397万KW(2009年度、電気事業連合会調べ)の約70%に達する。

これまで日本では「風力など自然エネルギーのポテンシャルは低い」という説がなぜか一般的だったが、今回の環境省の試算は、これを根本から覆す数字として注目されそうだ。
この試算は、「2010年度再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査」の名称。国内の自然エネルギー資源量と導入可能な設備容量を試算したもので、対象は太陽光、風力、中小水力、地熱の4つだ。

調査の結果、風力発電の可能性が飛び抜けて高いことが分かった。特に、風力エネルギーが偏在している北海道と東北では、理論上は電力需要を風力だけで十分に賄えるという。
現在の技術水準で利用できるエネルギー資源のうち、採取や利用に伴うさまざまな制約を考慮して絞り込んだ導入可能な量(「導入ポテンシャル」)は、多い順に、風力発電(陸上・洋上)19億kW、太陽光発電(非住宅系)1億5000万kW、中小水力発電と地熱発電(温泉発電を含む)各1400万KWとなった。

全量固定価格買い取り制度(FIT)の適用を前提に、事業収支などを加味して計算した「FIT対応シナリオ」は、より現実的な数字になるが、それでも、風力発電(陸上、洋上)は最大1億4300万kWの導入が見込めるという。これは2009年度の全国の発電設備総出力2億397万KWの約70%に達する。

環境省は、この数字は全量買い取り制度だけを加味した控えめな算出で、技術革新や補助金を駆使すれば、陸と海の合計で15億万kWを見込めるとしている。つまり、風力だけで、日本の全発電設備総出力の7倍以上が賄える計算になる。(オルタナ編集部=瀬戸内千代)2011年4月22日

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地方ごとにエネルギー政策を考えよう

「阿修羅」経由で知ったニュースである。自分の地元のことでも、インターネットなどで他県の人が先に知ったりする、そういう時代だ。
発電コストに関しては、原発を擁護するために様々な不正操作が行われてきたわけだが、自然エネルギーは、設備を一度作れば、ランニングコストは人件費や設備点検費だけで、燃料費はゼロである。そういうエネルギーが割高なはずはない。たった二基の風力発電設備で村の電力をすべて賄えるというのだから、おそらく4、5年ほどで設備投資分を回収し、後はエネルギー費用はほとんどゼロに近くなるのではないか。他の府県や地方自治体もこの村の英断を見習うべきだろう。特に私がお勧めするのは宮古島である。あそこは平坦な土地で、日光と風に恵まれているから、自然エネルギーだけで島の必要エネルギーはほとんどまかなえるだろう。潮力発電などももちろん有効だ。私を宮古島市の市長にでもしてくれたら、即座にその決定を下すのだが、残念なことだ。
だが、自分がそういう立場になったつもりで一人一人の市民が自分の住む場所の未来像を思い描くのも、なかなか楽しいことではないだろうか。


(以下引用)


大宜味村で風力発電 全世帯使用量に相当

琉球新報 5月5日(木)11時25分配信
 【大宜味】沖縄電力(石嶺伝一郎社長)は2013年4月までに、大宜味村根路銘の石山展望台付近に風力発電設備2基を整備し、一般家庭約2200世帯の年間使用量に相当する電力800万キロワット時を供給する計画を進めている。5月中に近隣区で村主催の住民説明会を開き、住民の理解を得た上で6月にも設計などの作業に入る予定。
 村企画観光課によると、整備される風力発電設備は2千キロワット級の出力で、原油に換算すると年間約2千キロリットルを削減でき、二酸化炭素の排出量も約7千トン減らすことができる計算。環境への負荷を低減する効果も期待される。
 同村の世帯数は約1500といい、一般家庭に限定するとすべての世帯の年間消費電力を同設備で賄える計算になる。
 村は09年に「地域新エネルギービジョン」を策定して太陽光や風力、バイオマス、水力などのクリーンエネルギーを積極的に導入する方針を打ち出しており、今回風力発電を導入することで、住民に対し新エネルギーの普及啓発を図りたい考えもある。
 住民説明会は6日の根路銘区を皮切りに、9日に饒波区、押川区、10日に大宜味区の各公民館で実施される。(外間愛也)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110505-00000015-ryu-oki  

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偽ユダヤ人

「井口和基のブログ」から転載。
なぜ転載するかというと、私の立ち位置も同博士と同じだからである。私は反ユダヤ主義者ではない。反白人主義でもない。私の書いた文章中でしばしば非難されている「アングロサクソン」とは、西欧民族の中の侵略者的傾向を指しているのである。まさかアングロサクソンの庶民を私が嫌っているはずはない。私もご多分に漏れず、ハリウッド映画に洗脳され、フランク・キャプラの映画に出てくるような「良きアメリカ人」、ジミー・スチュアートみたいなのがアメリカ人だと思っていた人間である。今さら、欧米人を嫌いにはなれない。嫌いになる気もない。
ところが、そうした庶民とは別に、国家や政治を利用して、無数の庶民の犠牲の上に自らの欲望をかなえようとする連中がいるわけだ。
私がずっと拙い文章を書き続けているのも、そういう連中の存在を一人でも多くの人の目に明らかにしたいからである。
補足しておくと、引用部分の最後にある「シルバースタイン」とは9.11事件直前に高額の保険に入り、ビルの崩壊によって大儲けをした「ユダヤ人」企業家である。まあ、小物だろうが、確かに偽ユダヤ人特有の悪相をしているので、元記事を見るとよい。



(以下引用)


私は反ユダヤでもなければ、反コケイジアンでもないが、相手が反日でくるのであれば、しょうがなく自衛の手段を取る場合もあるということである。私自身は、イスラエルにも知人がいるし、アメリカの白人にも友人はいる。韓国にも昔の留学生仲間もいる。「反イルミナティー」、「反NWO」、「反ネオナチ」、「反白人至上主義」、「反シオニズム」であるに過ぎない。

私は「古き良きアメリカ人」、「昔のイギリス人」、「昔のユダヤ人」、「昔のジューイッシュマザー」、「昔の日本人」、「昔の朝鮮人」、「昔のモンゴル人」、「昔の中国人」などは大好きである。できれば、もう一度昔の時代に戻りたいものである。

日本の天狗のかっこうをしているユダヤ人は古来のユダヤ人である。アルバート・アインシュタインの時代には、アインシュタイン博士は古来のユダヤ人の風習や伝統を受け継いだ東欧の白人種の1人であった。だから、伝統的なユダヤ人の文化を知っている西洋のユダヤ人ということであった。

ところが、最近の「ユダヤ人」は、もはや「昔のユダヤ人」とは異質な存在になってきたように感じるのである。特に、「ザイオン(=シオン)」や「シオニズム(ザイオニズム)」を主張する「ユダヤ人」はかなり異様な感じを受けるのである。何かが違うのである。

まず顔つきが違う。昔のユダヤ人は優しい顔をしていた。良い顔をしていたのである。アンリ・ファーブルのような顔である。昔の、古き良きアメリカ人もそうであった。シートン動物記のシートンに出て来るアメリカ人は実にいい顔をしていたのである。

ところが、「最近のユダヤ人」だと名乗る人たち、「ユダヤ系アメリカ人」と名乗る人たちは顔つきが悪い。非常に邪悪な顔をしているのである。最初のシルバースタインの顔を見たら明白だろう。

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裁判員制度は定着するか?

「毎日jp」から転載。
裁判員制度については、裁判の迅速化という面での効果はあったようだが、様々な面での裁判員の負担が大きすぎるのではないか、という感じがする。
なぜ、裁判を仕事としているわけでもない一般人が、関わった事件についての厳しい守秘義務を負わされるのか、疑問である。一般人を裁判に参加させた時点で、その裁判内容はもはやすべての秘密性を失ったと考えるのが当然ではないのか。つまり、もともと無理な制度なのだが、それを強引に実施し、今後も止める気はないようだ。
裁判員をやった一般人のほとんどが「いい体験だった」と言っているが、それはそうだろう。裁判という、普通の人間には一生縁の無いドラマを目の前で見られたのだから、面白い経験に決まっている。シドニー・ルメットの『十二人の怒れる男』や筒井康隆の『十二人の浮かれる男』、三谷幸喜の『十二人(十三人?)の優しい日本人』など、裁判ドラマは面白いものなのだから。しかし、被告の一生の運命を決める決定を、それが商売でもないのに、被告とはまったく無縁の普通の人間が下すというのはやはり理不尽である。まあ、米国の陪審員制度は、日本とは逆に、「お上など信じず、普通の人間同士が相談して物事を決めていく」という草の根民主主義の現われでもあるのだが、日本人にそれができるか、というと非常にこころもとない。
私に裁判員のお鉢が回ってきたら、私のような粗忽な人間では、「守秘義務」など守れませんと言って断りたいのだが、それは裁判員拒否の理由として成立するだろうか? 


(以下引用)



 ◆改正議論

 ◇部分修正の是非中心に
 裁判員法が定める「施行3年後の見直し」について、同法を所管する法務省は「3年間の実施状況を見て判断する」としており、本格的な改正論議は来年スタートする見通しだ。現在、有識者らで作る「裁判員制度に関する検討会」で課題の洗い出しが行われているが、大勢は「実施状況からみて抜本改正は必要ない」(同省幹部)。運用を担う最高裁も「制度は順調で大きな問題はない。今の段階で法改正の話は時期尚早」とみている。

 「致命的な不具合があり根本的な修正を要する点は、特に認められない」。3月1日にあった検討会の第5回会合で、制度設計にかかわった酒巻匡(ただし)・京都大大学院法学研究科教授は見解を示した。市民代表の立場から参加した主婦連合会の山根香織会長も「順調と思うが、良い見直しが図られ、より参加しやすい制度として定着することを期待する」と述べた。

 会合では「守秘義務が厳しすぎる」、「対象事件に覚せい剤密輸や性犯罪が含まれているのはどうか」などの意見も出たが、制度自体を否定する声はなかった。改正論議では「部分修正」の是非が中心になりそうだ。

 日本弁護士連合会は独自に「3年後検証小委員会」を設置しており、来春をめどに提言をまとめる。前田裕司委員長は「裁判員の熱意が制度を支える大きな力になっている」と評価した上で、修正については「特に守秘義務は緩和の方針を示したい」と語る。

 ◆分析

 ◇2月末現在、1899人に判決 全面無罪0.2%
 09年5月の制度開始から今年2月末までの裁判員裁判の実施状況を最高裁がまとめたところ、3225人が起訴され、1899人に判決が言い渡された。このうち1894人が有罪(このうち1人は一部無罪)で、全面無罪は0・2%の5人。有罪の1894人のうち、殺人罪などに問われた3人に死刑が選択された(今年3月、さらに2人に死刑判決)。一方、執行猶予とされた303人のうち173人(57・0%)に、保護司らの指導監督を受ける保護観察が付されたのが目を引く。

 判決を受けた1899人のうち、起訴内容を争ったのは660人(34・7%)。公判は平均約3・8回で、自白事件は同約3・5回、否認事件は同約4・4回。判決のための評議に費やした時間は平均505分だったが、否認事件になると同630分に増え、より慎重に議論されたとみられる。

 その結果、審理長期化の傾向も読み取れる。制度の設計段階では「対象事件の7割が初公判から判決まで3日以内で終わる」と想定されたが、実際に3日以内で終了したのは36・9%(701人)にとどまった。

 判決を不服として控訴した被告は31・8%(605人)。死刑判決を受けた5人は、いずれも弁護側が控訴した。

 1審で全面無罪となった5人の罪名は、覚せい剤取締法違反が3人、強盗殺人罪が1人、殺人罪が1人。このうち3人は検察側が控訴し、1審での無罪確定は覚せい剤取締法違反と殺人罪のそれぞれ1人だった。

 ◇裁判員8673人選出 「よい経験」95%
 昨年1年間で裁判員に選ばれたのは8673人。最高裁が実施したアンケートによると、63・1%が審理内容を「理解しやすかった」と回答し、判決のための評議では71・4%が「十分議論できた」と振り返った。

 裁判員に選ばれる前は「やりたくなかった」と「あまりやりたくなかった」を合わせて53・5%と過半数だったが、参加後の感想は「非常によい経験」と「よい経験」を合わせると95・2%。いずれも1年目とほぼ同じ数値で、重大で複雑な事件が増えた2年目も、刑事法廷を経験した裁判員の多くが制度を前向きにとらえたといえそうだ。

 ◆守秘義務

 ◇記者会見実態調査 「行き過ぎ介入」…地裁間で基準あいまい
 弁護士や法律学者らでつくる社団法人「自由人権協会」は、裁判員裁判の判決後に地裁職員が立ち会って開く裁判員らの記者会見の実態調査を行い、その報告書を先月公表した。最高裁などに情報公開請求して入手した資料などを基に計672件の会見の様子を分析。このうち45件について「記者と裁判員の質疑応答に、地裁職員が広い範囲で行き過ぎた介入をしている」などと改善を求めた。

 地裁職員の会見立ち会いは、裁判員が評議の内容など守秘義務に触れる発言をしないようにするのが主な目的だ。だが、同協会の報告書は、過度の介入に加え「守秘義務違反の基準があいまいで、各地裁で運用も統一されていない」と疑問を投げかけた。

 「行き過ぎ介入」の例として、大分では「感情移入せず冷静さを保たないと正しい判断はできないと思った」という裁判員の発言が評議内容に触れるとされた。また、「判決は妥当」との発言が名古屋では「感想」とされたが、岡山では「判決の論評にあたり守秘義務違反」になった。広島では「死刑の可能性も考えたが、事実を積み上げて冷静な答えが出せたと思う」との発言が守秘義務違反の恐れがあるとして、地裁側が報道自粛を求めた。記者の質問中に「守秘義務違反を誘発する」と、制止されたケースも複数あった。

 報告書はこうした発言規制の見直しを求めるとともに「(地裁ごとの)ばらつきは、あいまいな法規定に原因がある。守秘義務の範囲を限定したり、罰則規定をなくすことも検討することが望ましい」と指摘している。

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鬼畜の言葉

「東海アマ」ツィッター経由で知った記事だが、阿修羅にも掲載されているようだ。気がつかなかった。
金の亡者という言葉があるが、これから生まれてくる子供がカタワになろうが、今自分たちが、金が手に入るならいいというのは、これは人間の皮をかぶった鬼畜である。そういう人間が市長や知事などをやっているのが多くの原発立地県だ。


(以下引用)


いまカネになるなら50年後に生まれる子供が全部カタワモノでもかまわない、元敦賀市長の暴言 投稿者:恐ろしい・・・ 投稿日:2011年 5月17日(火)23時53分4秒   通報 返信・引用
http://www.asyura2.com/11/genpatu11/msg/338.html

いま大金を貰えるなら100年後、50年後に生まれてくる子供が全部カタワモンでも仕方ない。

これが、1983年1月26日に石川県羽咋郡志賀町で開かれた「原発講演会」(地元の広域商工会主催)での当時の高木孝一敦賀市長が明言した言葉である。

北陸電力原発の建設に絡んで、莫大な金額の表金・裏金および原発に起因する異常事態発生のたびに、北陸電力から恐喝まがいのやり方で多額の金をせびり取っていたことを、講演会で明らかにした。

 その講演で市長は、原発賛成派の市民は、たとえば風評被害が生じた場合などに、実際の被害金額の何倍もの金を電力会社からせびり取っている様子を得意げに語っている。

 これは敦賀市に限らず、どこの原発所在地でも同じことが行われていたことである。そうすると、いま福島原発事故で現地住民が大変な被害にあっているが、賛成派住民は汚いやり方で正当な補償以上の補償金を得ていたことになり、その額は普通の国民が生涯手にすることもできないような莫大なものであり、その金で安楽に暮らしていたわけだから、いまさら原発の事故のせいで困っている、と泣き言を言うのは少しムシが良くはないかという気がする。

 以下は高木孝一元敦賀市長の講演内容である。

 只今ご紹介頂きました敦賀市長、高木でございます。えー、今日は皆さん方、広域商工会主催によります、原子力といわゆる関係地域の問題等についての勉強会をおやりになろうということで、非常に意義あることではなかろうか、というふうに存じております。

…ご連絡を頂きまして、正しく原子力発電所というものを理解していただくということについては、とにもかくにも私は快くひとつ、馳せ参じさせて頂くことにいたしましょう、ということで、引き受けた訳でございます。

……一昨年もちょうど4月でございましたが敦賀1号炉からコバルト60がその前の排出口のところのホンダワラに付着したというふうなことで、世界中が大騒ぎをいたした訳でございます。私は、その4月18日にそうしたことが報道されましてから、20日の日にフランスへ行った。

いかにも、そんなことは新聞報道、マスコミは騒ぐけれど、コバルト60がホンダワラに付いたといって、私は何か(なぜ騒ぐのか)、さっぱりもうわからない。そのホンダワラを1年食ったって、
規制量の量(放射線被曝のこと)にはならない。そういうふうなことでございまして、4月20日にフランスへ参りました。

事故が起きたのを聞きながら、その確認しながらフランスへ行ったわけです。ところがフランスまで送られてくる新聞には毎日、毎朝、今にも世の中ひっくり返りそうな勢いでこの一件が報じられる。止むなく帰国すると、“悪るびれた様子もなく、敦賀市長帰る”こういうふうに明くる日の新聞でございまして、実はビックリ。

ところが敦賀の人は何食わぬ顔をしておる。ここで何が起こったのかなという顔をしておりますけれど、まあ、しかしながら、魚はやっぱり依然として売れない。あるいは北海道で採れた昆布までが…。敦賀は日本全国の食用の昆布の7~8割を作っておるんです。が、その昆布までですね、敦賀にある昆布なら、いうようなことで全く売れなくなってしまった。

ちょうど4月でございますので、ワカメの最中であったのですが、ワカメも全く売れなかった。まあ、困ったことだ、嬉しいことだちゅう…。そこで私は、まあ魚屋さんでも、あるいは民宿でも100円損したと思うものは150円貰いなさいというのが、いわゆる私の趣旨であったんです。100円損して200円貰うことはならんぞ、と。本当にワカメが売れなくて、100円損したんなら、精神的慰謝料50円を含んで150円貰いなさい、正々堂々と貰いなさいと言ったんですが、そうしたら出てくるわ
出てくるわ、100円損して500円欲しいという連中がどんどん出てきたわけです(会場爆笑、そして大拍手?!)。

100円損して500円貰おうなんてのは、これはもう認めるもんじゃない。原電の方は、少々多くても、もう面倒臭いから出して解決しますわ、と言いますけれど、それはダメだと。正直者がバカをみるという世の中を作ってはいけないので、100円損した者には150円出してやってほしいけど、もう面倒臭いから500円あげるというんでは、到底これは慎んでもらいたい。まあ、こういうことだ、ピシャリとおさまった。

いまだに一昨年の事故で大きな損をしたとか、事故が起きて困ったとかいう人は全く一人もおりません。まあ言うなれば、率直に言うなれば、一年一回ぐらいは、あんなことがあればいいがなあ、そういうふうなのが敦賀の町の現状なんです。笑い話のようですが、もうそんなんでホクホクなんですよ。

…(原発ができると電源三法交付金が貰えるが)その他に貰うお金はお互いに詮索せずにおこう。キミんとこはいくら貰ったんだ、ボクんとこはこれだけ貰ったよ、裏金ですね、裏金!まあ原子力発電所が来る、それなら三法のカネは、三法のカネとして貰うけれども、その他にやはり地域の振興に対しての裏金をよこせ、協力金をよこせ、というのが、それぞれの地域である訳でございます。

それをどれだけ貰っているか、を言い出すと、これはもう、あそこはこれだけ貰った、ここはこれだけだ、ということでエキサイトする。そうなると原子力発電所にしろ、電力会社にしろ、対応しきれんだろうから、これはお互いにもう口外せず、自分は自分なりに、ひとつやっていこうじゃないか、というふうなことでございまして、例えば敦賀の場合、敦賀2号機のカネが7年間で42億入ってくる。

三法のカネが7年間でそれだけ入ってくる。それに「もんじゅ」がございますと、出力は低いですが、その危険性……、うん、いやまあ、建設費はかかりますので、建設費と比較検討しますと入ってくるカネが60数億円になろうかと思っておるわけでございます…(会場感嘆の声と溜息がもれる)。

…で、実は敦賀に金ケ崎宮というお宮さんがございまして(建ってから)随分と年数が経ちまして、屋根がボトボトと落ちておった。この冬、雪が降ったら、これはもう社殿はもたんわい、と。今年ひとつやってやろうか、と。そう思いまして、まあたいしたカネじゃございませんが、6000万円でしたけれど、もうやっぱり原電、動燃へ、ポッポッと走って行った(会場ドッと笑い)。あっ、わかりました、ということで、すぐカネが出ましてね。

それに調子づきまして、今度は北陸一の宮、これもひとつ6億で修復したいと、市長という立場ではなくて、高木孝一個人が奉賛会長になりまして、6億の修復をやろうと。

今日はここまで(講演に)来ましたんで、新年会をひとつ、金沢でやって、明日はまた、富山の北電(北陸電力)へ行きましてね、火力発電所を作らせたる、1億円寄付してくれ(ドッと笑い)。これで皆さん、3億円既に出来た。こんなの作るの、わけないなあ、こういうふうに思っとる(再び笑い)。

まあそんな訳で短大は建つわ、高校は出来るわ、50億円で運動公園は出来るわね。火葬場はボツボツ私も歳になってきたから、これも今、あのカネで計画しておる、といったようなことで、そりゃあもうまったくタナボタ式の街づくりが出来るんじゃなかろうか、と、そういうことで私は皆さんに(原発を)お薦めしたい。これは(私は)信念を持っとる、信念!


……えー、その代わりに100年経って片輪が生まれてくるやら、50後に生まれた子供が全部片輪になるやら、


それはわかりませんよ。わかりませんけど、今の段階では(原発を)おやりになった方がよいのではなかろうか…。こいうふうに思っております。どうもありがとうございました。(会場、大拍手)

  ◇           ◇           ◇

 今回のテーマについて、これ以上何の説明も要らないでしょう。ひとつだけ付け加えるなら、原発に限らずこうした事業を誘致した政治家が懐に入れるリベートは、投資金額の1~3%と言われています。原発1基3000億円とすれば、リベートは30~90億円と言うことです。

この講演が効を奏してか、会場となった志賀には北陸電力の志賀原発1号機が建設され、運転を開始しています。

 ★引用文献:内橋 克人著 「原発への警鐘」 講談社文庫

 敦賀市の状況は他の原発所在地においても同じようなものでしょう。つまり、巨額のアブク銭がガッポガッポと入ってくるのですからこたえられないでしょう。事故が起きるといわれていてもその時はそのとき。楽して大金になるなら何でもやります、で来たのが現地の原発賛成派の本心。他の原発建設地でも同じようなものでしょう。そうだとすると、カネに目がくらんで、原発の危険性を無視した福島原発建設賛成派現地住民の今回の原発事故による受難はしかたない、自業自得、恨むなら自分を恨め。こういう風にいうと、原発事故被災者のうちの賛成派に対して酷ですかね。


http://www.kyudan.com/cgi-bin/bbskd/read.cgi?no=1048

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世の中、カネで動いている。
だからこの世界は根本から狂っていて当然。

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原発ジェノサイドと金儲け

「ネットゲリラ」より転載。
原発の安全性については、今回の事故でその大嘘がバレたし、コスト面での優位性についても、それが嘘である証拠が次々に出てくる。
社会問題に関して、これほど一方的に正邪の区別がつく事例というのも珍しいのだが、それでも原発行政を推し進めるという、この国の不思議さ。国土を破壊し、国民を放射能被害で殺し、いったい何のための政治なのか。経済界にしても、国民を大虐殺しても自分たちが金儲けできるほうが大切なのか。まったく理解不能な精神である。


(以下引用)


浜岡が二度と発電できないという証拠。「津波対策を完璧にやって再開する」と言ってるんだが、まぁ、その前に、福島第一が壊れた原因が津波ではない、という話が出てくるので、やるだけ無駄です。つうか、

 住民が「万里の長城」と呼ぶ巨大防潮堤で守られていた街があった。東日本大震災で被災した岩手県宮古市の田老地区(旧田老町)。総延長2.4キロ、高さ10メートルの世界にも類がない二重の壁は、過去2度の大津波で壊滅的な被害を受けた経験から半世紀近い年月を費やし築かれた。だが、長城はあっけなく砕かれ、街は流された。

ギネスブックに載ったとか何とかいう話もあるんだが、世界一の防潮堤で守られていた筈の村が壊滅してしまったわけだ。これ、津波のほうが大きかったから、というわけではない。津波で防潮堤が壊れてしまったのだ。




防潮堤(防波堤とはいわない)建設は半世紀近くかけて78年に完成。総工事費は約50億円。

こうして出来上がった防潮堤は、海寄りと内寄りの二重の構造。高さは約10メートル、上辺の幅約3メートル、総延長約2.4キロと、まるで城壁のよう。岩手県によると、二重に張り巡らされた防潮堤は世界にも類はない。

しかし、今回の津波は二つの防潮堤をやすやすと乗り越えた。海寄りの防潮堤は約500メートルにわたって倒壊した。いずれも想定外の出来事だったのです。


ギネス級の防潮堤が壊れてしまうんだから、津波を防ごうと思ったら、それこそ何千億もかけて、世界にも類を見ない、とんでもない防潮堤作らないと防げない。それも、浜岡だけじゃない、すべての原発は海に面しているわけで、その全ての原発をギネス級の防潮堤で囲うとなったらいくらかかるか判りませんね。そら、「原子力は安あがり」とか言ってられないw

それにそもそも、原子炉には大小さまざまなパイプが100本以上出入りしている。日本には「地震が起こらないと保証された土地」なんかどこにもないので、震度6とか7とかで壊れないように100本のパイプを原子炉に突き刺す事なんか、誰にも出来ません。そんな事が出来るんだったら、浦安の下水道があんな事になってるわけがないw まぁ、時が経てば、福島第一が津波の前に既にズタズタに壊れていたのが明らかになるので、その時点でオシマイですw







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