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人を愛するということ

「青葉台ブログ」から転載。
私ははっきり言って爺いである。その爺いがアニメを見るだけでも馬鹿にされそうだが、そのアニメのタイトルが「魔法少女まどか☆マギカ」となると、下記記事ではないが、「気が狂ったか」となるだろう。だが、この「まど☆マギ」は、10年に一度という傑作であるから、ぜひ多くの人に見てもらいたい。
内容については下記記事が簡潔に説明しているが、これは脚本・映像・キャラクター・音楽・演出の総合的なレベルの高さによる傑作なので、ストーリー要約だけでは、あまり内容は伝わらないと思う。しかも、第三話の途中までは、まったくの「お気楽魔法少女物」にしか見えないのだから、けっこう多くの人は第一話だけで投げ出す可能性もある。だが、第三話で「えっ?」となり、それから後は「ええっ?」「ええーっ!」となり、後は怒涛のラストまで引きずり込まれていくのである。その間、見る人の心には「これは傑作だ、傑作だ」という思いが絶えず渦巻いているはずだ。もしも、これに感動できない人がいたら、本当に可哀想なことだ。
私は作品をテーマで論じるのは嫌いだが、この作品を一言で言えば、「あなたはどこまで人を、そして人類全体を愛することができるか」という問いのように思える。家族への愛、友達への愛、あこがれの人への愛、そして、自分と同じ魂を持った過去の人々への愛。
愛する人のために自分の人生を捧げた、その愛がまったく報われなかった時、愛は憎しみに変わるかもしれない。それでも、あなたは相手のために自己犠牲ができるか。あるいは、転校生として不安に怯えていた自分に優しい声をかけてくれたという、それだけであなたはその相手に、自分の人生を賭けて後悔しないか。
愛は必ずしも打算と無縁ではないだろう。しかし、人生のある時期には、まったく打算の無い愛に生きることも可能であり、その時人は人間以上のものになるのである。


(以下引用)


「魔法少女まどか☆マギカ」が素晴らしすぎる。
テーマ:書評・映画・演劇・音楽など
私がこんなブログをアップしたら、この作品を知らない人からは、「魔法少女」というタイトルだけで、ついに気でも狂ったかと思われるだろうが、いや、「魔法少女まどか☆マギカ」を見たことがある人なら、うんうん、あなたもね、と共感してもらえると思う。

「魔法少女まどか☆マギカ」は今年前半に、深夜枠で放送されていたアニメで、DVDの1巻が発売されるやいなや、6000円ぐらい単価もするのに、5万枚以上も売れて、この手のアニメではギネスをつくった作品である。
http://www.madoka-magica.com/

この作品の魅力は語り尽くすのも難しくて、ゆえに、あちこちでネット上も考察がたっているし、新聞や雑誌でも評価がとりあげられてきた。

「子連れ狼」原作者の小池一夫氏が激賞し、
http://getnews.jp/archives/137487

またSPAでは、四人のオトナの評論家が大まじめに作品の魅力を語った。
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20110822/zsp1108221121004-n1.htm

なかなかこの魅力を文章で表現するのは難しいが、私の場合は、「意外性の連続」に虜になってしまった。まあ、みごとなまでに、裏切る展開が続き、そして最後には落ちつくべきエンディングにくるというスマートさもある。

まずタイトルからして裏切りである。
「魔法少女」とタイトルをつけて、少女漫画っぽく見せながら、ぜんぜんそんな雰囲気から変えていく。
マスコットっぽく登場したキュゥべぇ。そもそもキャラデザインが「萌え系」であること。
それらすべてが、どんどん裏切っていって、ジェットコースターに乗せられた気分になる。
最終回まで見終えて、「魔法少女まどか☆マギカ」って、これ主人公は、まどかなの?とそういう最後の裏切りも感じた。しかし、先入観を打ち砕く裏切りの連続が心地いいのである。

また音楽も映像も素晴らしい。魔女の世界に入るあたり、まるでディズニーランドのホーンテッドマンションに初めて入った時のようなワクワク感があった。

作品の世界観としては、芥川龍之介や、太宰治の作品を読んでいるような錯覚を感じたりもする。

最後に、私自身が一番響いた示唆は、最終回で時間遡行を繰り返すほむらが、まどかのことを「道しるべ」と呼んだことだ。

この作品のこれまた魅力なのだが、私たちもまた現実世界では、彼女たちのようなしがらみや悲しみ、迷いの中に生きている。

キュゥべぇのようなブラック企業の人事担当に騙されて、入った会社が、ひどいことばかりだが、「契約」のために逃げられないしがらみに苦しむこともある。

魔法少女たちのように、誰かのためにやったことを、恩をアダで返されて、また、理解されないことなんて毎日のことだ。

流されて、囚われて、逃げられなくなって、自分を見失い、どうすることもできない無力感の中で、私たちはどうやって生きていけばいいかと途方に暮れる。
そんな中で、「道しるべ」となるべきものの存在。

ほむらにとっては、まどかだった。

ぜひ、この作品はできるだけ多くの人に見てほしい。
そう思って、ブログ記事を書きました。

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なぜ彼らは「国連救援」を拒否するのか

「つれづればな」というブログから転載。外国在住の60代の女性のブログらしい。
ソマリアという国は、いわば「無政府国家」に等しいと私は思っているのだが、その惨状を見れば、日本のような腐敗国家でさえ天国に見える。やはり、国家には政府が必要であり、官僚も必要ではある。大事なのは、「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」というテーゼを我々が常に意識し、政府や国家システムを監視する方法を構築していくことだろう。
それにしても、ソマリアへの仕打ちを見れば、国連やユネスコの正体が欧米の利権擁護組織でしかないのは明らかだろう。世界中の善意の寄付は、こうしてソマリアを苦しめることに使われてきたのである。


(以下引用)


この三年で一滴の雨もふらない、そんなひどいことが日本人の思い浮かぼうか。



「ソマリア」「飢餓」で検索すればソマリアの惨状の写真がご覧いただける。やせ細って衰弱した子供の写真などは子を持つ身にしてみれば胸の潰れる思いがする。

ただ、アフリカの草原の民が飢えに苦しむ写真や映像は、とても悪い言い方をすれば「見慣れて」しまっている。視覚情報の氾濫がもたらす弊害とも考えることができるが、いま骨と皮だけになった子供たちの写真を見せられても多少こころが痛みこそすれ「アフリカだから仕方ない」、「何とかするのは国連の仕事」というせりふがすぐに我々の口をついて出る。

なにかがおかしくはないだろうか。

本稿はソマリア飢餓への寄付を募ることを目的としているわけではない。
援助を必要とする人々は日本のなかにも溢れており、善意の行動は各自の良心ある判断によってなされるべきである。
ただ、日本では知り得ないいくつかの事をぜひ書きとめておきたい。

西欧諸国からの救援物資が避難民に届かない―――その原因は欧米からテロ組織と指定されている「アル・シャバブ」の妨害によるものだという。
アル・シャバブはイスラム過激派組織の一つに数えられているが、アルカイダのようなアメリカ製のインチキ組織とは異なり、ソマリアというイスラム社会の内部から興ったものである。ではその敬虔なイスラム教徒のアル・シャハブがなぜ苦しむ同胞たちに差し伸べられた手を払いのけるような真似をするのか?

以前から、WFP(国連世界食糧計画)によってソマリア国民に対して食料の援助が行われていた。2006年、あろうことかWFPはソマリアの農民がその年の穀物を市場に出荷するのと時を同じくして一年分の穀類を援助し配布した。当然市場は凍りつき農民は大打撃を受けた。激しく抗議する農民に対しWFPはその非を認め、必要な調査を行い二度と同じ事態を招かぬことを約束した。だが2007年の出荷時、WFPは前の年と同様に一年分の穀類の分配を行った。ただ、エチオピアの軍隊を護衛に配備していたことが唯一の違いだった。

アル・シャバブはこの時点で彼らの活動拠点であるソマリア南部からWFPを追い出し一切の援助を拒否する方針を固めた。が、食糧難が深刻化した二年前からふたたび救援を受け入れるようにはなっていた。しかしその後、WFPから配布された食料から健康障害を引き起こす物質が検出されたという理由から、非イスラム国家および団体からの救援を強硬手段を用いて遮断するようになった。

近年世界を騒がせたソマリア海賊、その所以となった核廃棄物投棄事件を思い出していただきたい。
海賊の正体は窮地に立たされたソマリアの漁民であった。1991年、内戦によりソマリア政府が崩壊し国家としての機能しなくなった隙をねらい西欧アジア諸国の船がこぞって核廃棄物をソマリア海に投棄した。それだけではない。豊かな漁礁に目をつけた諸国は乱獲を重ね、禁漁の季節は無視され、魚介類は激減し、ソマリアは漁業という重要な収入源をも剥奪された。そして放射能による汚染は刻一刻と進み人々は被爆という悪夢に晒され今もそれは続いている。
国連は彼らを救済するどころか調査にもやって来ない。

不特定多数国家の船をソマリア海から駆逐する目的ではじまった自衛行動はその後海賊行為へと変容した。いったいどちらが海賊か考えてみて欲しい。皮肉なことに、この事態は西欧諸国の海軍に海賊を取り締まるという名目でアラビア海からソマリア海をうろつきまわる権限を与えてしまうことになる。ちなみにアル・シャバブは海賊行為はイスラム法に反する、海賊に組してはならない、と漁民たちに説いている。

国連をはじめユネスコなどの団体は飢餓写真を公表し飢餓救済キャンペーンを催してはパタリとやめてしまう。そしてそれを何年かごとに定期的に繰り返す。なぜか?自ら「飢え」を加速させ、自ら「救世主」を名乗り手を差し伸べる。その手をはたくイスラム教徒を「告発」し、西欧の理念をより崇高なものと世界に見せ付ける。
我々といえば、今にも折れそうな子供たちの脚を見てももはや驚かなくなっている。戦争映画の虐殺場面と同じ頻度でそれを見慣れて(見慣れさせられて)いるからだ。ソマリアが、あるいは他の国が飢えに苦しむ事実は理解できても心が動かない。

人を愚鈍にさせる術はよく研究されている。

弱者に対し悪事を働いた者たちはいずれ神に罰せれれよう。しかし、この悪事に「無知」という形で加担した我々は、果たして同じ罰をうけることになるのだろうか。

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山にいる人は仙人、谷にいる人は俗人

私はブログのプロフィールに「職業:仙人」と書いているが、それはもちろん、精神的には、ということで、現実にはただのサラリーマンだ。しかし、世の中には仙人らしい仙人もいる。「がま仙人」という人だ。
もとはIT技術者で、社長か何かだった人で、合気道か何かの武道の達人で、現在は仙人らしい。まあ、いろいろと世の中を経験した後で仙人になる、というのは、私などのように華々しい現実と渡り合うことなくのんべんだらりと老年を迎えた人間からは少々羨ましい。
その「がま仙人のブログ」の一部を紹介する。最近の仙人はアニメも見るし、ピアノも弾く、その合間に百姓をして自分で作った玄米を食べて健康的に生きているのである。
私のように、世の中の政治や経済に悲憤慷慨している人間は仙人には程遠いようだ。
今回のブログタイトルは、もちろん、漢字の絵解きである。私も、精神的には山から下界を見下ろしてはいるつもりなのである。


(以下引用)



うさぎドロップが終わってしまった
リンちゃんの乳歯がごそって抜けて
スキッ歯でにっこり笑って終わってくれた
実にほっとした
育児放棄したお母さんが
リンちゃんを取り返しにくるなんていう
ありきたりなドロドロにならずにすんでよかったと思う
うん、あの終わり方でよい
リンちゃん、ほんと可愛いい
名作だった

あ、ちなみに
「うさぎドロップ」って深夜枠のアニメです
死んだ祖父の隠し子を
30代独身の男が引き取って
育てるという物語



ただそれだけの物語なんだが
仕事と育児との両立の難しさとか
小学校に上がるときの男の
あわってっぷりとか
髪の毛をどうやって決めてあげるとか
縄跳びを教えるとか
風邪ひいたときの看病の大変さとか
いろいろ
子育ての戸惑いを丁寧に描いてる
みんなワシも経験したことなので
毎週見るのが楽しみで
画面に向かって
そうじゃないだろ、こうだろ
とか先輩ぶって一人つっこみしてた
まあ、そういう男手一つの育児の物語なわけで
すごく共感できたのである

 俺がリンを育ててるのか
 俺がリンに育てられてるのか
 ちょいちょいわからなくなる

そういうことです
子育てってさ
実際には子供に育ててもらってるんだよね
このへんを勘違いしてる親がほとんどです
このアニメでそのへんを
考えてみるといいでしょう

ところで、これって実写の映画もあるんだね
松ケンと、なんとかマナとかいう子役が出る映画だけど
ワシ、映画のほうは興味ないな
どうでもいいや
まあ、見ないでしょ

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ヒトラーと「ユダヤプロトコル」

iguchi kazumotoブログから転載。前にも引用したかもしれないが、ヒトラーの「我が闘争」再出版論争に関連して、ヒトラー再研究がブームになりそうな気がするので、掲載する。
なにしろ、ヒトラーは「ユダヤプロトコル」の実践者であり、本人もユダヤ人であるという疑いがありながら、ユダヤ人粛清をもやったという奇妙な存在である。しかしこれを奇妙に感じるのは、我々がユダヤ人という場合に「金持ちユダヤ人」と「ユダヤ民族」を混同していることから来るもので、金持ちユダヤ人がユダヤ民族を迫害するのに加担してもおかしいことはない。旧ソ連でユダヤ人迫害を行ったスターリンもロス茶の子供だとも言う。ユダヤ人はユダヤ人によって迫害されてきたわけだ。そして、その迫害の歴史が「金持ちユダヤ人」に利用されて、彼らへの批判の防波堤になってきたのである。
ヒトラーの大衆支配の方式は、「ユダヤプロトコル」そのままであり、それが米国によって日本でも用いられてきたのは言うまでもない。
我々はその支配から脱するために、まず「ユダヤプロトコル」をあらゆる人々に伝え、一般常識にすることから始めねばならないだろう。


(以下引用)


そして、いよいよその筋では非常に有名らしい「ヒトラーの山荘予言」の話につながる。この「山荘予言」は例のヘキサゴン・インリのサイトの詳しいので、ここでは「1999年以後」の「今もあてはまるヒトラーの法則」というセクションにある「ヒトラーの悪魔の法則」というものをまずメモしておこう。

これは俗に「ウソは大きいほどいい」とか、「小さなウソならばれるが、大きなウソならばれない」とかいう言葉で知られたヒトラーの言葉のもっとも核心部分であったらしい。選挙で勝つにはどうするか?大衆を動かすにはどうすれば良いか?というようなことに対する、ヒトラーの考え方である。

ヒトラーは次のようなことを述べたという。


どうだ、わたしの言ったとおりだろう。選挙の極意とはこういうものだ。つまり大衆は限りなく愚かだ。大衆は女のように感情だけで動く。だから女をモノにするときのように、優しくしたり威圧したりすれば、大衆も政権も簡単にモノにできるのだ。

青少年も同様に愚かだ。彼らには車とオートバイと美しいスターと、音楽と流行と競争だけを与えてやればいいのだ。
 それでシャンペンの空気を抜くように、かれらの頭から”考える力”を抜き取る。あとは車とスターと流行と音楽の力を借りて、ワッとけしかければ、彼らは武器を抱いて地獄の底へでも突っ込んで行くよ。

そのためにも、大衆や青少年には、真に必要なことを何も教えるな。必要がないバカのようなことだけを毎日毎日教えろ。それで競争させろ。笑わせろ。ものを考えられなくさせろ。真に必要なことは、大衆と青少年を操るものだけが知っていればいい。

そしてあとは、”国家のため!”と何千回も呼びかけて、戦わせ殺し合わせるのだ。1人の人間を殺せば殺人犯だが、戦争で100万人を1度に殺せば、その男は必ず国家から最高の勲章をもらえるぞ。

このヒトラーの政策上の言葉が「ヒトラーの法則」あるいは「ヒトラー地獄の法則」と呼ばれたようである。

いやはや、この「ヒトラーの法則」は、今まさに世界中の国々、それも先進国で行われていることである。「どうでもいい、バカなこと」に「アニメ」や「映画」や「CG」や「マンガ」や「カラオケ」などが加わっただけのことである。

日本の在日電通、アメリカのハリウッド、こういう場所でやっていることがすべて「ヒトラーの法則」である。

はたしてこのアイデアもまた「あいつ」が教えたのだろうか? あるいは、ヒトラーを裏からコントロールさせたというイギリスのロスチャイルドの手による一種のマインドコントロールのせいなのだろうか?

おそらく、これについては、後者だろうと私は見ている。これはユダヤ人の「シオン議定書」とか「ロスチャイルドの行動計画プロトコル」とか、ジョン・コールマン博士の見つけたユダヤ人の「人類牧場化計画」とか、そういった数々のものにある基本的な考え方と同一だからである。ヒトラー自身がロスチャイルドの子孫だったという説もあるほどだから、特に驚くことはないだろう。

しかしながら、日本では、小泉純一郎時代になって、あからさまに「ヒトラーの法則」と同じような方法で選挙戦略を練ってきたのだからこれには恐れ入る。いわゆる「B層戦略」というものである。民主党の鳩山/小沢政権、そして今の菅直人政権もまったく同様である。そしてアメリカの「3S戦略」も同じである。「セックス、スクリーン、スポーツ」だけを国民に与えて、アメリカ人を馬鹿者の豚野郎にしてしまったというユダヤ戦略である。

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ワクチンを打った。さあ安全だ

「thinker blog」から転載。
久し振りに子宮頸がんワクチンの話だが、まだ性行為などしてはいけない年齢の少女たちに、性行為を前提とするワクチン接種を義務付けることにも疑問があるし、そもそもそのワクチンは子宮頸がん対策に有効であるどころか体にとっては明らかに有害である。だが、その話はネットで調べればいくらでも出てくるから、今さらここでは言わない。今考えるべきことは、このワクチン接種の義務化・強制化からいかにして国民が逃れるか、ということである。
今の時代、アメリカのどの地方自治体も財政的に余裕のあるところなど無い。にも関わらず、ワクチンの「無料接種」を行う、というのは要するに税金から支払うということだ。こういう不要不急の題目に、乏しい財政から優先的に支出する意味がどこにあるのか。まあ、誰でも分かるように、これは企業と政治の癒着による金儲けに住民の税金が使われるということだ。しかも、その結果、住民に健康被害が出ても、企業が責任を問われることはない。そのように法律が作られているのである。
下記記事はアメリカの話だが、ワクチンの「半強制接種」は日本のあちこちですでに行われている。馬鹿な母親たちは、お上の言いつけだからと、まだ子供でしかない自分の娘たちにいそいそと「性交前提のワクチン」を接種させているのである。そうですか、ワクチンを接種したからもう大丈夫、どんどん性交しなさい、と言うわけですな。しかし、ワクチンでは性病は防げません。梅毒、淋病、エイズ、妊娠、の危険性のほうが、「子宮頸がん」よりははるかに起こる確率は高いのです。


(以下引用)

NVIC(ナショナル・ワクチン・インフォメーション・センター)の代表バーバラ・
フィッシャーさんは、NVICのHPでこう警告しています。

「すべての母親の子に対する思いは、どの国の法律や価値観や信条よりも深く、
本能に刻み込まれたものです。

ワクチンとワクチン政策は、実際に国民全体や個人を健康に保つような安全で
効果的なものなのでしょうか。21世紀のワクチンに関する議論は、純粋に科学
に基づいたものではありません。

医療製薬業界のロビイスト達によって、カリフォルニア州では親の承諾なしに子
供たちにワクチンを接種できる法律の制定が裏で急速に進められています。

もし、この法律が制定されれば、ガーダシルとB型肝炎ワクチン、また将来に開
発される性感染症ワクチンが、保護者への説明と同意を得ることなく12歳以上
の児童に接種されることになります。これらの接種にかかる費用はカリフォルニ
ア州政府の負担となり、その利益の大半は、ガーダシルを製造するメルク社など
の大手製薬企業の手に渡ります。その上、彼らはワクチンの副反応の責任を負う
こともありません。

これは、全米の親への警鐘です。カリフォルリニア州で起きていることは、他の
州でも起こり得ることです。ワクチンについての説明を受ける権利、接種を選択
する権利のために立ち上がってください。」

ワクチンがある程度、危険でも実際に効果があるのであればそれなりの正当性も
あります。

しかし、そもそも子宮頸がん予防ワクチンが予防するとされているのは子宮頸がん
になる前の前駆病変。

精神科医の遠山高史氏の著書『医者が薦める不養生』の中にこうあります。

「癌の中で取り扱いが容易とされる子宮頸癌は早期の癌と診断されると、通常はことごとく手術となってしまう。取ってなくなってしまうので、早期の癌に自然消滅があるなどと確かめられない。集団検診によって、子宮頸部の上皮内癌(早期の癌)と診断されながら、治療を受けなかった女性を、20年間追跡したニュージーランドの疫学調査がある。このような女性750人のうち、子宮頸癌となった者は、10人(1.3%)しかいなかった。しかも、検診で見つけられた上皮内癌から本当の癌に進展したと認められたのは2例しかなく、他は、当初の上皮内癌とは関係なく起こったものと考えられたという。むろん、ニュージーランドの疫学調査を100%うのみにはできないにしても、日本の癌学者がこの論文を否定しうる根拠を示し得ないことは確かなのである。従って、日本の癌医学は定量的に未来の予測をなし得ておらず、科学とはまだいえる段階に達していない」
 
ワクチンが予防するとされる前駆病変(早期の子宮頸がん)が実際に子宮頸がん
に進行するという科学的証拠がないにもかかわらず、「子宮頸がん予防ワクチン」
と称した商品を公費助成で児童に接種することについて、我々は疑問を持った方が
よいでしょう。

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嫉妬や憎悪という負のエネルギー

神秘思想家KAYさんのブログから転載。
一部の人間の貯めこんだ金の負のエネルギーが日本にさまざまな災厄を及ぼしている、というか、一部の人間の独占のために金を得られない人々の恨みや苦しみが日本を暗黒にしている、という感じである。
金などというものは使わないと意味のないものであり、また、金は社会の血液であるから、一か所に滞留させてはならないものなのである。
日銀が紙幣大増刷を行って、それを政府が日本の貧困家庭にどんと与えれば、日本全体がすぐにも明るくなるのだが、「他人にただで金をやる」ということがどうしてもいやだという人間もまた多い。

嫉妬や憎悪という負のエネルギーは誰の心にもあるもので、他人が自分より幸せになると誰しも不愉快な気分になるものだ。その一方で、いやな他人の不幸は、これほど気分のよいものはない。これが普通の人間の心である。自分が幸せになれなくてもいいから、他人が不幸になるのを見ていたい、とすら思うほどだ。それほどに嫉妬という感情は強烈だ。
特に分不相応な利益を得ている人間は他人の憎悪を集めやすい。東電の清水社長なども、ああいう事故がなければ普通の「偉い人」で一生を終えることができただろう。
東電や原子力関係者は、今は誰もが安心して悪口が言える相手になっているが、それは彼らのこれまでの「分不相応な利益」に対する世間の憎悪のせいである。言いかえれば、嫉妬によるものだ。そういう他人の憎悪を一身に浴びて生きるという点では、社会の上のクラスに生きることは、精神衛生的にはあまり良いことでもない。他人の憎悪を受けないためには、その仕事や活動が他人のためになっている、ということが必要なのである。


(以下引用)


歌手の桑田佳祐さんが、食道癌の手術後、テレビで、「僕の何が間違っていたのかなあと思った」と言っていたのが印象的だった。
思い出すのは、何年も前だが、彼が、歌手活動を引退し、資産管理をするとかいう話が報道されたことだ。芸能関連の報道など信じるべきところは全くないが、何十年も成功し続けて、膨大な資産を作ったのは確かだろうし、資産管理も大変だろう。
金持ちというのは、まるで、その溜め込んだ金を使わされるように、大病になったり、大きなトラブルに巻き込まれるもののように思う。お金というのは、一種のエネルギーだと言う人はよくいる。そして、エネルギーは循環すべきもので、溜め込まれて死蔵されると、開放されようとして、持ち主に作用するらしい。それが病気や、金のかかるトラブルであるように感じられるのだ。
誰だったか忘れたが、有名雑誌でインタビューを受けていたのだから有名な人なのだろうし、役者か何かだと思うが、彼が、「僕は、金持ってるように思われるが、50歳にもなって、貯金は百万もないですよ」とあっけらかんと語っていたのをよく憶えている。しかし、彼は別に不足しているようでもなく、見栄を張っているのでもないのに金持ちに見え、健康で活躍しているのである。要は、彼の生き方が良いので、そういったインタビューを受けていたのだろう。

アメリカのユニティ教会の創始者であるチャールズ・フィルモアの思想を、谷口雅治さんが説いた『無限供給の鍵』という本で、「人は、今日必要なもの以外は一切いらない」と強調されていた。そして、金を溜め込んで死蔵させることは非常に悪いことであるという。なぜなら、常に必要を満たしてくれる創造主を信頼していないことの表れだからである。
昔、沢村忠という超人的なキックボクサーがいたが、野球の王、長嶋や、大相撲の大鵬らと肩を並べるスターで、実際、三冠王だった王貞治を差し置き、プロスポーツ大賞を取ったりしていた。この沢村が、宵越しの金を持たない人で、仲間と楽しく過ごすのに使ってしまう人だったらしい。しかし、ホテルや旅館で、当然ながら良い部屋を用意されるのだが、そんなものは誰かと換わってしまい、若い人達と大部屋で過ごすといったように、自分個人のためには金を使わない人でもあった。彼は、引退してからは、キックボクシング界と一切関わりを持たなかったので、現役時代のダメージで廃人になっただのというデマが流れたが、一から自動車整備工の修行をして、油まみれになって働く傍ら、武道家としての修行は続け、いつまでも現役選手のような身体を保っていた。

日本は千兆円近い負債を抱え、破産状態の国である。一方、国民は資産を溜め込み、国民総資産は3千兆とも4千兆とも言われ、金融資産だけでも1千兆をはるかに超えると言われる。この死蔵されたエネルギーが日本を揺さぶっているのが、いろいろな形で現れてきているようにも感じられるのである。

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F1はカーレースだけでいい

料理研究家若杉友子さんのインタビューから転載。74歳の元気なおばあちゃんらしい。日の丸弁当こそ健康にいい、という主張もしていて、明治以来の食生活の欧米化が日本人を不健康にしてきた、と述べている。
下記インタビューに書かれているF1種の野菜の件は、日本の食糧安保の面でその危険性が語られることが多かったが、栄養面での危険性についての発言は初めて聞いた。まあ、ただの直観的発言だろうが、たしかに、一株から在来種の何十倍もの実が取れるなら、その栄養分も何十分の一になっていると考えるのは自然だ。
また、塩分の採り過ぎも気にすることはない、というのは、高血圧でありながら塩辛い物が好きな私としては大いに喜ばしい発言だ。そもそも、高血圧の原因など、実は医者でも本当は分かっていないのではないか、と私は疑っている。また、どれくらいからが高血圧で、どれくらいまでなら許容範囲か、ということも年齢相応の変動があるだろう。
私は、常識というものをほとんど信じない人間だが、事が自分自身に関係してくると、つい常識的発言に気弱に従ってしまいそうになる。
もちろん、若杉さんの言葉を信じるかどうかは個々人の自己責任である。しかし私は、専門家の言葉だから信じるとか、素人の意見だから馬鹿にする、という人間のほうが馬鹿だと思っている。専門家の大半は、「専門的常識」を詰め込んだだけの馬鹿であり、その常識なるものは愚民支配や商売の都合のために仕組まれた常識も無数にあるのである。


(以下「JBプレス」より引用)

「また、明治時代の人で食養の元祖と言われる石塚左玄という人がいます。明治維新で日本の食文化が大きく崩れ、日本人の健康が害されることを懸念して『食物養生法』という食物と人間の体の関係を深く研究した人です」
 「その石塚左玄によると食養には次の5原則があります」
食養の5原則とは
(1)食物が健康と幸福の基礎である
(2)ナトリウムとカリウム、陰と陽の2つの拮抗が基本的要素
(3)穀物が人間の一番正しい主食である
(4)一物全体(食物を丸ごといただくの意)の完全な調和のあるものでなければならない
(5)身土不二、三里四方に採れるものがよい
 「石塚左玄は『食育』という言葉を最初に使った人でもあります。また、『食養道歌』というものをつくっています。その中に、春苦味、夏酢の物、秋カラミ、冬は油と合点して食えというのがあります」
 「夏の暑いときは陽性の臓器である肝臓がますます強くなる。だから陰性の食物である酢の物を食べて調和を取りなさいという教えです。このように食べ物の陰と陽は常に意識していないと体に良いと思っていたのに、全く逆ということもあるんです」
若林さんはお塩の効用についても強調されています。しかし、日本ではお医者さんの指導で高血圧予防のためにお塩をできるだけ控えるように指導されています。お塩を取って大丈夫なのですか。
体に十分な塩分がないと病気になりやすい
 「塩梅(あんばい)という言葉があるでしょう。人の体を気遣うときに使いますね。お体の塩梅はどうですか、と。人間にとって塩気のバランスがとても大事なことを言っています。最近、日本人で腑抜けの人が増えているでしょう。みんな塩気が足りないんですよ」
 「お塩をちゃんと取らないと体温が上がらないんです。だから最近の若い人たちには冷え性や貧血、便秘症が増えているんです。そして気持ちも暗くなって覇気がなくなってしまうんですよ」
 「昔の人は1日に30グラムほどお塩をとっていました。陰陽で言えば、塩気を持っている陽性の魚にも陽性であるお塩を振って、それを陽性の火で焼いて陽性の醤油をかけて食べていた。みんな陽性だから、それを食べている人は元気だったんですよ」
 「貧乏人の子沢山という言葉もあるでしょう。たとえ貧乏でもみんな明るく元気で、今の男性のように精子が少ないなんていうことがなかったから元気な子供がいっぱい生まれた。人間の元気の源がお塩であることを再認識すべきだと思いますよ」
 でも、そんなにお塩をとったらやっぱり高血圧が心配でしょう。
高血圧は塩分ではなく肉食に起因する
『体温を上げる料理教室』(致知出版、若杉友子著)
 「高血圧になるのは、お肉を食べ過ぎるからなのよ。お肉をいっぱい食べるとその副作用として甘いものが欲しくなる。これがいけないんですよ」
 「お塩をたっぷり使った味噌や醤油、梅干には体温を上げ、新陳代謝を活発にする作用があります。また造血作用もあるから人間を元気にするんです。高血圧が塩分のせいというのは間違いなのよ」
 「それからこれは大切なんだけど、日本で作られている野菜など多くの食物はその種がF1と呼ばれるもので、1代限りの種になっています。こういう種からは非常にたくさんの野菜や果物が取れます」
 「例えばピーマンなんか1本の苗から300~400個も採れるの。しかし、日本の在来種のピーマンの種から作った苗からはせいぜい数十個しか採れません。工業化された野菜を食べるのは体に良いわけがありません」

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