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梅の木は枯れた

もはや「梅ちゃん先生」は批判するために見ているような状態だ。
で、ヤフー感想サイトで批判コメントを見て、その中にズバリと的を射た批判コメントを見つけて快哉を叫び、溜飲を下げる、という邪悪な楽しみ方をしている。
下記コメントなど、実に的確であり、このドラマの脚本家は、こうした批判コメントを全部読んで、勉強すればいいのである。
片岡鶴太郎は前から嫌いなタレントだったが、あまりにぴったりな役柄すぎてますます嫌いになった。そういう意味では、その息子役の「モモスモモ」じゃない、桃李とやら同様、脚本のせいで貧乏籤を引かされたようなものである。下手な脚本の害毒は、原発事故よりも大きい。(ドラマ製作においてはね)
もうどうでもいいんだが、ヤフー感想板では5段階評価で最低の1をつけた人が69%である。それももっともであり、ドラマの滑り出しの頃の爽やかでほのぼのとした印象はまったく失われた。ひたすら予定調和の結末に向って登場人物をやり繰りしながら無理に脚本を作った結果がこの支離滅裂さと陳腐さのオンパレードだろう。私が脚本家や演出家なら、この感想板を見れば自殺したくなるだろうな。このドラマに出た役者たちも可哀想である。戦後を庶民と共に生きた劣等生女医、という最初の設定は悪くはなかっただけに残念である。


(以下引用)


謝れだって? 見てるほうが恥ずかしいよ23人がこの感想に票を入れています。採点:
投稿者:pyo*****さん投稿日時:2012/8/1 9:08

見合いの場へ突然襖と共に倒れてくるどこかの親父。
慌てて謝るでもなく、ふてぶてしくビールを飲み続ける。
ヘラヘラととりなす女房。

これじゃ「下品」と言われても仕方ない。
あの見合い相手はいかにも嫌味な言い方させられてたけどね。
「私の大切な人達です。謝って下さい」
そんなの相手は知ったこっちゃないよ。
オマケに立ち上がって上からものを言うってどんな神経の女だ。
そんなに大事な人なら、その人に成り代わってまず非礼を詫びよ。
「私の知り合いなんです。大切な席で失礼しました」くらい言えんのかね。

ああいうズレてる正義感て、見てる方が恥ずかしいんだよ。

それと「結婚して大切な人が出来ると患者さんを大切に出来ないんじゃ」って摩訶不思議な言葉。
本気でこんな事考える人間がいるのか(笑)
そんなコト言ってたら複数の患者なんか診れないだろ。
第一、梅子ってそれほど患者を大事にしてた?
受け持っていたギランバレーの患者もほったらかしでとっとと開業しちゃうし。
開業すれば時間が自由なのをいいことにあっちこっちフラフラ。
嘘ばっかりなんで何も心に響きません。



アナタの言い分は正しい33人がこの感想に票を入れています。採点:
投稿者:goo*****さん投稿日時:2012/8/1 9:07
お見合い相手がつぶやいた「下品な人たちだ…」

よく言った!

誰が見たって、その通りです。

見合い会場の設定の陳腐さに閉口しながら我慢してましたが、今日の段取りはなんかもう破滅に向かってまっしぐら…

梅子の「大切な人ができたら患者さんを大切に思えないかも」にはケータイ投げたくなりました。

医者じゃなくても、フツーの人間として破綻してますよ。
ラブラブな旦那ができたら仕事に身が入らないんですぅ~って?
グーで殴ってやりたい。
医師免許返してください。

社会に出て責任ある立場にある人間なのに、30手前でもその自覚がない。
人と向き合う、人が好きだから、と言った過去のセリフが空々しくこだましてます。



一生2人でやってろ!周りを巻き込むな!44人がこの感想に票を入れています。採点:
投稿者:sho*****さん投稿日時:2012/8/1 8:36
結局2人が見合いして、お互いの「特別さ」を改めて気付き土曜日を迎えるんだろ?

ノブの見合い相手に「工場が小さくて」断られ、キレる鶴太郎だが、容姿を理由に相手を代えたアンタはキレる資格ないよ。因果応報、当然の結果。
オマケに襖越しに盗み聞き、有り得ない。同じ時間帯に同じ料亭(?)なのも有り得ないが。

梅も見合いする気ゼロな表情と発言。相手側にも失礼だし、両親の顔にも泥を塗る行為、馬鹿じゃないの?
「医者はたくさんの患者を大切にしなきゃいけない」ってさ、梅は患者はおろか身内や周囲を大切にしてるか?いつも自分第一のくせに。「医者って大変なの」と自己陶酔してるだけ。

早野夫妻に「どういういきさつで…」「結婚の決め手は?」等と平気で聞けるのも、自分が見合いする事を最優先に考えてる証拠。「患者第一」の医者なら、親しくなった患者でもそんな事は聞かない。

最初は良いキャラに思えたノブも、梅と本格的に絡んで大嫌いになった。2人の世界が大切なら、見えない所で勝手にやれ。



(追加) 例の感想板をさらに読んでいくと、面白い視点のものがあったので追加しておく。この脚本家のドラマ作りの手法(というか、初めてドラマを書く人間がやりがちな「辻褄合わせがすべて」式のドラマ制作法だが)をはっきりと見抜いた感想は珍しいので、紹介するのである。
この脚本家は、パターン的ストーリーの上にキャラをはめ込めばドラマは作れる、と思っているわけだ。そのキャラもまったく人物像の掘り下げが無いので、ヒロインはヒロインであるだけでしかなく、ヒロインの相手には「幼馴染」であればそれで十分、という実に低俗陳腐な脚本になってしまったのだろう。そもそも、全体の構想や途中の小事件、プロットの数をそろえるという準備はあったのだろうか。まあ、無かっただろう。最近の展開は行き当たりばったりを絵に描いたようなものだ。
要するに、この脚本家にとってキャラとはただの人形なのであり、生きた人間ではないから、適当に作ったその場しのぎのプロットに応じてキャラの人物像が奇妙な変化をしていく、という、役者泣かせの脚本になっている、ということである。


(以下引用)



もう本心から唾棄したくなるドラマ107人がこの感想に票を入れています。 採点:.

投稿者:kum*****さん投稿日時:2012/7/31 19:06.

陽造叔父さん、けっこう好きだったけど最近どうも変だなぁ~と思ってたら言いましたね。
「お前達、ホントにそれで良いのか?」「自分に嘘つくんじゃないぞ」
本来なら身内として喜ぶべき事だし、まだ見合いの段階なのに普通こんな事言うか?
まだ本人たちは互いのことを何とも思ってないってのにクサ過ぎない? このセリフ。
作者はまるでパズルか何かでもしてるような感覚で、登場人物をあちこち動かし、変に説明的なセリフで流れを作って、一件落着の安直ラブストーリーに持って行こうとしてるとしてるのがミエミエで、観ていて白けると言うよりこっちが恥ずかしくなる。
この作者の癖は「空いた所に誰かと誰かをくっ付ける」という超シンプルなもの。
加藤と松子の時もそうだったし、今度のノブもちゃんと咲江と別れさせてあるし。
それにしても不思議なのは、梅子が松岡や坂田医師を全く思い出さないということ。
もうそんな人達の事は忘れちゃったの?
「松岡さん、どうしてるだろう」って手紙の一通でも出そうよ。
「坂田先生、見守っていて下さい」って墓参りか仏壇に手を合わせようよ。
ホントに観てて残念なドラマだ。

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昔の怒れる若者が、今はイカレた老人か

作家丸山健二のブログから転載。
このように考え、感じるのがまともな知性、感性だと思うのだが、案外とそれが大多数の意見でもなさそうなのが不思議なところだ。特に若い連中にはこうした考え方は不評で、だいたいにおいて若者の間に見られるのは、

1) この競争社会、弱肉強食の世界を全肯定し、自分のスキルを磨いて競争の勝者になろうとする。そして競争を否定する者を負け犬として軽蔑する。これは男女とも存在する。
2) この弱肉強食の社会にうんざりしながら、それを変えようとはまったく思わず、ただ虚無的に毎日を生きる。

のどちらかだ。若者ほど保守的だ、ということになる。
で、それも当然なのであり、若者には前途に長い時間がある。下手な行動を取れば、そのツケを一生背負い込むことになるのだから、今の社会の権力の前に身をかがめて生きるしかないのである。
ネットの中で社会改革の熱意に溢れる言説をなすのは、だから年寄りばかり、ということになる。若い連中から見れば「あいつらは先が無いから、いくらでも好きなことが言えるんだよ」と不愉快な思いもあるだろう。しかし、年寄りでも家族はいるのだから、何のリスクも無しに発言しているわけではない。そして、その「老人革命家」たちは自分のためではなく、未来のため、つまり若者たちのために発言し、行動しているのである。
日本の未来がどうなってもいいのなら、わざわざ自分から不利益を背負い込むことはない。
まあ、しかし若者にはもう一つ困難がある。それは、この社会の実相を老人ほどは知らない、ということだ。世界全体、社会全体を見渡すパースペクティブの点では、やはり老人が上だろう。ネットなどでいくら情報を仕入れても、そのほとんどは何の裏付けも無いゴミ情報である。それを選別できるだけの見識があってはじめて情報が利用できるのだ。一日中ネットに貼り付いていれば賢くなる、というものでもない。

(以下引用)

あれからすでに一年半以上の歳月が、未来への明るい展望やしっかりとした成果を得られぬまま、だらだらと流れてしまった今、正義や理念なるものは非現実的というレッテルを貼られ、あくどいだけが取り柄の現実的に過ぎる現実によって世間の片隅に追いやられ、ふたたび冷酷で残虐な弱肉強食の法則が罷り通ってきているのです。
 動物としての命であるならばそれが自然の摂理ということで納得できないこともないのですが、しかし、我々は曲がりなりにも人間なのです。その気になりさえすれば人間として生きることが可能な、実に希有な動物なのです。にもかかわらず、他者を踏み台にし、他者を突き落とし、他者を食い物にしてでも自分だけはいい思いをしたいという動物以下の生き物どもが、その強靱に過ぎる生命力を裏打ちする強い我欲の力を存分に発揮することで、この国をふたたび私物化の方向へ持ってゆこうとしています。
 そうはさせじとする、こいつらの好き勝手にさせてたまるかとする、強い心組みを持続させ、おのれの精神にしっかりと根付かせることこそが、動物の立場を離れて人間になるための道であり、それ以外の、つまり、善の怒りを抜きにした、温厚な道をいくら捜しても絶対に見つからないでしょう。

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老衰まで病気扱いだからね

「ダイヤモンドオンライン」の香山リカの記事から一部転載。

「以前は知られていなかったADHD(多動性障害)やアスペルガー症候群といった発達障害に対する社会の認知度は、ここ十年で格段に高まっている。」

というあたりに、自分の職業への疑問を持たない香山リカの限界があるかなあ、と思っていると、引用部分後半ではまさにその疑問を提出していて、少し見直した。
病気の中には現代医学がそれを病気だと定義したために病気になったにすぎないものも結構あると私は思っている。精神病の大半は、昔ならばただの「ちょっと変な奴」で済んだのが、病名を付けられたから病人扱いされるようになっただけだろう。下の記事に書いてあるADHD(覚えにくい名前だ。青魚に多い、頭脳活性化の栄養素の名はDOHCか)とかアスペルガー症候群など、筆者自身が書いているように、病気扱いされたために、その後の運命も「精神病者」と周囲から見做されながら生きることになるわけだ。きっと本人もそう思いこむだろう。
で、それを病気扱いしたから、「病気」はよくなるか、と言えば、「精神病は治らない」というのが通り相場である。もちろん、薬物の中には精神に多大な影響を与える物もたくさんある。いわゆる向精神薬というもので、麻薬なども実はその中に入る。
で、子供を薬物治療すれば、立派な麻薬患者のできあがり、となるだろう、と私は推測する。実際、アメリカの子供による銃乱射事件の多くはリタリンなどの、向精神薬でもあるインフルエンザ薬を処方されていた、ということを聞いたことがある。
医学の目的は患者を治すことだが、もう一つの陰の目的は患者を作り出すことだ、と私は皮肉に考えるわけである。
「五体不満足」なあの人でさえ「身体障害は個性だ」と言っているのだから、「精神病は個性だ」と言ってもおかしくはない。個性的であるという点に関しては彼らほど個性的な人たちはいないくらいである。精神病者は危険だ、と思うかもしれないが、実は本当の精神病者はそれほど危険性は無いらしい。すっとんきょうな言動をするから周囲を驚かすだけで、危険性で言えば某東京都知事や某大阪市長などのほうがはるかに危険だろう。彼らは早いとこ閉鎖病棟に監禁するのが社会のためである。ついでに野田、前原、岡田、仙石も。おっと、こちらは監獄のほうが適切か。枝野はただの道具だろうから除外。
補足:「社内ノマド」って何だ? 香山リカの文脈では「社内落ちこぼれ」としか読めないが、「ノマド(遊牧民)」はむしろ会社に縛られないクールで自由な生き方という意味に使われていたんじゃないのかな? まあ、良く知らないけど。



(以下引用)

「発達障害」はケアされるべきか

 先日、ある県の学校の先生と不登校問題について話す機会がありました。その先生がこう断言したのです。「学校の運営がいい方向に向かっているとは思えない。不登校児も増えるばかりだ」と。聞くと、数年前から不登校問題の解決に向け、新たな体制を組んだそうですが、それがちっともうまくいっていない。「担任の先生だけに任せるのではなく、心理士、スクールカウンセラー、ケースワーカーなどの専門家を加えたチームを組んだのです。そうすれば、もっといいケアができるだろう、と。けれどね……」
 結局は一人の先生の「私がこの子を立ち直らせるんだ」という熱意に勝るものはないのでしょうか。システマチックに役割分担をはかったことが、逆に責任の所在をあいまいにしてしまった。肝心の不登校児を減らす結果に結びついていないそうなのです。
 実は、ずっと感じていることですが、精神医療においても同様のことが起こっています。はっきり実感したのは、数年前のこと。長年、出席していなかった小学校の同窓会に出たのがきっかけでした。同級生と久々に語らいながら、自分の思い込みにハッとさせられたのです。
 発達障害という言葉を耳にしたことのある人は多いはず。以前は知られていなかったADHD(多動性障害)やアスペルガー症候群といった発達障害に対する社会の認知度は、ここ十年で格段に高まっている。学校内でも専門家による特別なケアが実施されるようになっています。
 しかし、私が子どもの頃は、研究も進んでいなければ、ケアシステムも存在しませんでした。精神科医になりたての頃、発達障害の概念に触れた私はこんなふうに思ったのです。「そうか、授業中に落ち着きがなかったA君は、きっとADHDだったんだな」「コミュニケーションが苦手だったC子ちゃんは、アスペルガー症候群だったに違いない」
 けれど、彼らはちょっとした「変わり者」「個性的な子」として、普通の子どもたちと同様に過ごしていました。「今だったら適切なケアが受けられたのに、彼らは不遇な時代を生きてしまったもんだなあ」。勝手にそう思い込んでいたのです。
 ところが、同窓会で数十年ぶりにA君、C子ちゃんに会ってビックリしました。予想に反して、彼らは立派な大人になっていたのです。確かに言動には幼少時の「個性」が見え隠れする。けれど、A君は営業マン、C子ちゃんは美容師として、それぞれ活躍している。
 私は考え込んでしまいました。彼らが今の時代に小学生として生きていたらどうだっただろう、と。発達障害の子どもとして特別支援学級に入れられていたら? カウンセラーや特別学級の先生から熱心なケアを受けていたら? 数十年後、彼らは今のようになっていたでしょうか。
 医学に限らず、様々な分野で最先端の研究が進行しています。ある種の勘や情熱や根性で押し切ってきたことが、よりシステマチックに明文化・制度化されるようになっています。
 たとえば、会社の組織も旧来の部署制から合理的なプロジェクト制やチーム制に移行しつつある。そのほうが成果も見えやすく、ムダもないでしょう。けれど、一方で組織の団結力が失われ、制度からこぼれ落ちるような「社内ノマド」が生まれてきているのは以前にも書いた通りです。

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無神経・鈍感人間ドラマ

「梅ちゃん先生」はもう見るのが苦痛なレベルになってきた。
脚本は「ベタ」という言葉を脚本化したらこうなる、という好例で、最初の頃はそれが意図してやっているならむしろ偉い、と思っていたのだが、出てくるキャラ出てくるキャラがみんな嫌なキャラばかりであり、こちらがいいな、と思ったキャラはすぐにいなくなる。しかも、最初は好ましかったキャラがどんどん嫌なキャラになっていくし、最初から嫌なキャラはもっと嫌なキャラになっていく。
朝から、こういう嫌なキャラだらけのドラマを見るのは、もう惰性と、わずかな希望のためである。もしかしたら、これから良くなるのではないか、というかすかな希望。蜘蛛の糸にしがみついたカンダタのような気分だ。
主人公の梅子はどんどんウザい性格になっていくし、脚本のデティールも不愉快な種類の「ベタ」さである。よくもまあ、これほどにありがちなパターンを持ってくるものだ、と逆に感心する。
この脚本家は、「観客の生理(何を気持ちよく思い、何を不愉快に思うか)」というものについての理解がゼロであるようだ。登場人物のそれぞれが極度に無神経で不愉快な人間であるのは、脚本家自体の無神経さ、人間についての理解の浅薄さの現れだろう。
明日から見るのをやめようか、と思っているのだが、かすかな希望とマゾヒズムからまた見てしまうかもしれないなあ。


(以下「ヤフー」感想板投稿から引用)

投稿者:mio*****さん投稿日時:2012/7/30 9:07
梅子とノブを結びつける お見合いセレモニー
ついに始まりましたね
ノブのお見合い相手・・・町内一の美人だそうです・・・
ここ笑い所ですか? 笑えないし・・・せめて梅子と対抗
出来る女性であれば まだ話が膨らむかなーと思いましたが
でもこのお見合いエピは ふたりを意識させるだけの
ただのセレモニーですから ドキドキもワクワクも致しません
どうせ結婚しないでしょ~

松岡さん・・・あなたの存在は何だったの?
梅子はもう完全にあなたの事忘れましたよ
今はノブの事で頭がいっぱいですよ

梅母さん、梅父に家族の近況報告に行くのも
あなたの務めではないでかすか?
毎日お見舞いに行ってあげて下さいな

梅姉・・・段々この人が嫌いになる・・・
物欲が半端ない・・・人格変わった?

とにかく お見合い相手両名は
今週お役を演じきり消えていくでしょう
(ノブの見合い相手は写真のみで退場かもね)



投稿者:tam*****さん投稿日時:2012/7/30 9:08
のんきにケーキ食べながら洗濯機がどうのと、くだらない話してる場合か。
松の夫・加藤に許される買い物は靴にカバンとか・・・働く人間をバカにするな!

久々登場の加藤母。すっかり元気そうだが、なぜ息子夫婦は一緒に住まないの?
梅白母、結婚後初めて会ったみたいによそよそしいね。
どんな努力って・・・下品な脚本。夏休み中ですよ(怒)

タコは左手で右手を押さえてたが、逆じゃなかったっけ?

梅は「そばにいたけど倒れたり死んだ人達」のことは、もはや忘却の彼方。
はぁ~!何て冷たいドラマだろうか。
これで一気にノブがどうの結婚がどうのったって、見てるほうはシラケるばかり。
あの包帯グルグル巻きも、普通ならほほえましいと思える・・・のか・・・?ハァ。

どうもあの方は安定感が足りませんね・・・首の?
どっしりかまえてないと不安にさせます・・・視聴者を?

そういえば、ツル夫妻がハワイ、じゃなくて熱海行ってる間って料理洗濯どーしてたの?

町内一のベッピンさん、相変わらずのギャグですね。開いた口が塞がりません。

投稿者:yun*****さん投稿日時:2012/7/30 8:56
ノブのお見合い写真の相手、健康的でいいですね。
こんな人が工場のお嫁さんに来てくれたら最高だと思います。
今は梅子の方が頬がこけて貧相で見てられませんよ。

ふっくら女性をこういう意図で使うの、今作だけで3回目ですね。
いい加減しつこくて、気分が悪いです!
誰が見ても受けるとタカを括って、
これなら笑い取れるやろ!と笑いながら皆でチョイスしたのでしょう。
その下品な状況が目に浮かびます。
でも視聴者はこの女性蔑視に怒ってますよ。
スレンダーな美人のみ女として扱う最低な感覚!
こんな事続けてると、今に大きな代償払わされますから!


投稿者:yas*****さん投稿日時:2012/7/30 8:47
いやな言葉使いばかりです…
日常の会話でも相手のことを思いやれば
使えない言葉が多すぎます。
期待していたのに裏切られ続けてここまできました。
残念です。

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飯田哲也、Who?

山口県知事に立候補した飯田哲也については橋下のブレーンだったというだけでその正体はただの詐欺師だろう、としか思っていなかったので何の興味も無かった。NPO法人「環境エネルギー政策研究所」所長という肩書も胡散臭く思われたのだが、ウィキで調べてみると、まともな経歴のようだ。
しかし、橋下のブレーンになったというだけでも、人を見る目の無い人間であることは分かるし、政治家になるべき人物ではないだろう。まだしも今回当選した元官僚の方が、政治のプロではあるし、官僚同士のつながりで地元に利益誘導してくれるのは確かだろうから、山口県民の選択は、必ずしも間違いではないと思う。しかし、こうして官僚政治のネットワークが地方政治にまで張り巡らされると、日本が官僚政治から脱却するのはまだまだ先になりそうだ。
話は少し変わるが、マスコミによる小沢叩きの原因は小沢が「脱官僚政治」をずっと前から掲げているからだ。マスコミは官僚の指示に従っているにすぎない。小沢が「脱米政治」を目標にしているから叩かれている、というのは、考えすぎだろう。もちろん、「官僚=米国」と見做すこともできるが、米国にとっては日本などただの植民地であり、そこの政治にいちいち口出しなどしない。大体の方針さえ示してやれば、後は日本の買弁どもがよろしくご主人さまのために働いてくれる、というシステムである。
(引用2)は飯田哲也という人の人間性を知るために、橋下の「原発容認」について飯田がどんな弁明をしているか、その一連のツィッターを掲載した。要するに「官僚が悪い」論である。官僚が悪いのは当然であり、最初から分かっていたはずだ。敗戦の責任は相手にあるのではない。負けた自分の方にあるのではないか。
こういうレベルの言い訳をするような人物では、今後もまた「よんどころない事情で」いろいろな不都合を許容することにしかならないだろう。まあ、負けたのは橋下であって橋下の子分の自分には責任は無い、と言うのなら、学者の世界の処世術としては許されても政治の世界では許されないことだ。
そもそも、「環境エネルギー政策」というすぐれて政治的問題を扱う法人でありながらNPO(非政治的組織)を称するというところに、この男の頭の不明晰さは現われている。まあ、学者にはこういう馬鹿はけっこういるものだ。なまじそういう人間は「いい人」であることも多いから、他人に政治的に利用されているうちに舞い上がったりするのだろう。


(以下引用)


クローズアップ2012:山口知事選 保守王国に動揺
毎日新聞 2012年07月30日 東京朝刊

 29日投開票の山口県知事選は自民、公明両党の推薦を受けた元国土交通審議官の山本繁太郎(やまもとしげたろう)氏(63)がNPO法人「環境エネルギー政策研究所」所長の飯田哲也(いいだてつなり)氏(53)の追い上げを振り切る形で初当選を果たした。原発再稼働に反発する声が全国に広がる中、「脱原発」を掲げた飯田氏に無党派層の支持が集まり、既成政党批判が「保守王国」を揺るがした。不戦敗に終わった民主党内の衆院解散・総選挙に対する恐怖感も強まっている。
 ◇無党派票、半数飯田氏に
 飯田氏は29日夜、山口市で「保守王国の中で自公を追い詰める良い戦いができた。明日につながる足場はできた」と語った。
 選挙戦は自民、公明両党の推薦を受けた山本氏を、政党の支援を受けない飯田氏が追う展開となった。「大阪維新の会」を率いる橋下徹大阪市長のブレーンだった飯田氏は無党派層の支持を集め、山本氏を脅かした。投票率が45・32%にとどまり、組織票を固めた山本氏が選挙戦を制したが、飯田氏の善戦は原発政策などをめぐる既成政党批判が広がっていることを印象づけた。

(引用2)


まとめ
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【橋下市長の「事実上の容認」の背景と真相1】昨日5/31の橋下大阪市長の「事実上の容認」発言について、昨夜、MBSラジオ「たね捲きじゃーなる」に電話出演したが、「わかりにくい」ことは確かで、質問・問合せが相次いでいるため、ここに整理して私見を開陳します
iidatetsunari2012/06/01 12:48:59

【事実上の容認真相2】5/30に4大臣会合で大飯再稼働が事実上決まり、翌5/31に橋下市長が「事実上の容認」発言、「橋下市長がぶれた」と報道。この経緯は古賀茂明氏のメルマガ( http://t.co/4068y8JU )に整理。有料のため未読の方のためにポイントを反映
iidatetsunari2012/06/01 12:49:41

【事実上の容認真相3】大阪府市統合本部特別顧問かつエネルギー戦略会議座長代理である私としては、政権がなりふり構わず再稼働を強行する事態に対し、率直に自分の力不足を認め、原発無しでこの夏を乗り切ろうという皆さんの期待を裏切ることになったことをお詫びします。申し訳ありません。
iidatetsunari2012/06/01 12:49:50

【事実上の容認真相4】飯田の立場は、今でも不変。安全性無し、(電力需給上の)必要性無し、政治手続きの正当性無しの「3無し」の原発再稼働をすべきではない・してはならない。しかし橋下市長や嘉田知事らの考えと判断は理解できるため、今後も積極的に助言する所存(以下、説明)。
iidatetsunari2012/06/01 12:50:00

【事実上の容認真相5】橋下市長や嘉田知事らが「事実上の容認」をせざるを得なくなった背景①(明らかに経産官僚が用意したと思われる)原発礼賛論まで記された共同声明案が29夜に井戸兵庫県知事からメンバー首長に配布されたこと
iidatetsunari2012/06/01 12:50:11

【事実上の容認真相6】背景②関西電力(とおそらく経産省)は関西立地の大手企業に対して「計画停電脅し」を行い、大手企業から各首長を責め立てたこと。しかも計画停電を個別には回避する特例があることを伏せて「脅した」ことで、政治的に首長が持たなくなってきたこと
iidatetsunari2012/06/01 12:50:21

【事実上の容認真相7】背景③会議の途中で斉藤官房副長官から「もう決める時期」という最後通牒と当日夜に4大臣会合がセットという「再稼働強行」との観測。こうした「背景」で押された結果、「反対を貫いて手ぶら」か「抵抗ラインを下げて取るものを取る」かの判断を迫られた
iidatetsunari2012/06/01 12:50:33

【事実上の容認真相8】この先は、まさに橋下市長や嘉田知事らの「政治判断」。「反対を貫いて手ぶら」とは、政権がなりふり構わず再稼働を強行する中で、反対を貫くとその後の交渉力を失う恐れとの政治判断
iidatetsunari2012/06/01 12:50:49

【事実上の容認真相9】一方、「抵抗ラインを下げて取るものを取る」とはこちら(関西広域連合)が少し譲ることで、再稼働の「7~9月の時限」「大飯3・4号のみに限定」や「安全基準が暫定的であることを国に認めさせる」といったことでクギを指すとの判断
iidatetsunari2012/06/01 12:50:58

【事実上の容認真相10】結果として橋下市長や嘉田知事らは「後者の政治判断」をした。橋下市長は「ぶれた」のではなく、正直に「限定的とはいえ容認した事実」を伝えるとともに、「安全基準が暫定的であること前提とした時限・限定」は譲らず「次の闘い」が始まったことを宣言したもの
iidatetsunari2012/06/01 12:51:07

【事実上の容認真相11】なお現時点では、この「時限・限定」に西川福井県知事が難色を示していることが再稼働難航の要因となっているとのことで、まだ一山二山ありそう。さらにその先には原子力規制庁や新しい安全基準のあり方を巡る議論に移ってゆくので注目下さい
iidatetsunari2012/06/01 12:51:16

【事実上の容認真相12】今回の再稼働政局は脱原発という大きな目標の「緒戦」。敗戦というより痛み分け、むしろ得たものが大きい。政権のデタラメぶりが浮き彫り、電力不足のウソと対策も周知、デマンドレスポンスや広域連携など新しい電力市場のツールも導入
返信するRTするふぁぼる
iidatetsunari2012/06/01 12:51:26

【事実上の容認真相13】大阪府市エネルギー戦略会議としては、次回以降、引き続き節電や安定供給を議論しつつも、「第2ステージ」の闘いに備えて、中長期の脱原発・エネルギー政策の方向性の議論に着手しますので、引き続き注目ください


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白人のための祭典オリンピック

昨日はロンドンオリンピック開幕式について毒舌を書いたが、ああいう感じを受けたのは私だけではないようだ。下に引用する「マドモワゼル愛」さんも同様な印象を受けたようである。だいたい、オリンピック自体がただの金儲けイベントになっているのは多くの人が知っていることであり、後はただそれがどの程度の娯楽になるか、という問題でしかない。
で、私にとってはオリンピック競技で見て面白いという競技はほとんど無い。せいぜいがボクシングくらいだが、それもプロの方が面白いし、そのプロも八百長が半分だ。100メートル走は、わずか10秒で終わるところはいいが、競馬ほどの面白さは無い。マラソンも同様だ。
要するに、マスコミがスポーツ選手についてあれこれ書きたてて架空の「ドラマ」を貼りつけたおかげで人々はスポーツに興奮するのである。自分が現実には知らない人間が勝とうが負けようが、どうでもいいではないか。
などと言いながら、私もイチローが活躍すると嬉しいし、不振だとがっかりするのだが。
話は変わるが、開会式でスピーチしたセバスチャン・コーは映画「炎のランナー」のモデルのコーか? ならば、ユダヤ人だから映画のモデルにもなり、IOCのお偉方にもなれたという話か。スポーツの世界も背後は汚いもののようだ。(このあたりは記憶違いや勘違いがあるかもしれない。調べるのも面倒なので取り合えず書いておくだけだ。)
そう言えば、どの有色人種国の選手団にも必ずと言っていいほど、一人は役員に白人が混じっていたようだが、IOCとのパイプ役は白人に限定されているのだろう。
つまり、世界は白人とユダヤ人に支配されているのがオリンピックからも分かるということである。有色人種は、無料で使えるただの舞台役者にすぎない。


(以下引用)


しかし、今朝の開会式を見ていてなんだかとても疲れた。これでもか、というイルミネーションと大音響。

一昔前のジュリアナというダンススタジオと間違うような感じ。お立ち台みたいのもあるしで。

世紀の祭典のどこに、これからの人類の方向も、未来の創造のエネルギーもあるというのだろうか。

あんなものに沿ってこれからの人類は未来を築いていくというのだろうか。

あの程度のものに誰が乗ってくるのだろう。それとも私がおかしいだけで、見ている人は感動してのだろうか。

現場に居れば、臨場感から面白いというのはわかるし、中には感動する人もいるとは思うが、テレビ観戦ではどうなんだろう。私は気味が悪く感じただけだった。

こんなレベルで人類を規定し、この程度のもので未来を作ろうとし、それでみんなが本当についてくると思っているのか、不思議でならない。

少なくともオリンピックという世紀の祭典だから、そこの開会式には、これからの人類の方向性や歴史がよって立つエッセンスが盛り込まれているに決まっている。

それがこの程度というか、あまりにひどいレベル。しかしそれが実行されたということは、世の中、本当はやっぱりちっともよくなんてなっていないのか、、、と怖くなってしまう。

みせかけのイルミネーションとノイズと言っていい大音響。そこに繰り広げられるまったく浅い人生感や見せかけの愛情や人類愛。

魂の重さがもっとあった昔の人が見たら、きっと本当に窒息して死んでしまうのでは。

まあ、楽しく見られた方もいると思うので、あまり悪く言うわけではないが、あそこに何等かの精神性や愛情や確信、夢をもし、感じられる方がいたとしたら、申し訳ないが、完全にマインドコントロールの範疇にあるだろう。

やっぱり地球は乗っ取られているということが本当によくわかった開会式でした。

落ちていく太陽の演出などは、けっこう怖いものもあり、人類にはもう先がない、、、そういう運命を決定した、、、というようなアナロジーにも思える。

病院に入院している子供には、大体、親がいない。かなり思い切った設定であり、支配者が今後の地球と人類の方向をどうするつもりか、よくわかる。

ここまで思い切った演出をするのだから、相当な自信であり、もう地球人類を質に取ったような形だ。そうでなければあんなことはできないと思う。

これからの人類は見せかけの光、、、映像、、、そして見せかけの音、、ノイズ、、周波数によって、こうした未来を運命づけられていく、、、、ということであろう。

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雑談あれこれ

今日の記事は雑談だ。
先ほどまでロンドンオリンピックの開会式を見ていたが、半分はテロが起きるんじゃないかという好奇心からである。したがって、たいして興味無しに何か別の事をしながら横目でチラチラ見ていただけだが、いやはや、あちこちで話題になっているように「イルミナティの祭典」という感じである。
最初のあたりは見ていないのだが、中盤はワルプルギスの夜かと思ってしまったよ。サバトだね。ロック音楽とヒップホップダンス(と言うのかどうかよく知らないが、日本でも小学生から高校生まであちこちで踊っている奴だ)だらけの狂人の祭典である。ダニー・ボイルとかいう監督が演出したようだが、とにかく音楽とダンスは最悪であった。途中に出たロックバンドのドラマーなど、観客に向かって舌を出してはっきりと侮辱していたが、ああいうのはロックの正式作法なのかね。
しかし、世界中のトップアスリートたちを見ていて気付いたのは、黒人系美女が増えたことだ。おそらく混血の結果だろうと思うが、他の人種に黒人の血が入るとスペイン美女風になることが多いようである。そのはっきりした顔立ちに比べると純粋白人の顔が弱弱しくさえ見える。
もう一つは、英国から「独立」した植民地が今でも英国の実質的属国であることによって、英国は国連などでの議決の際の票数を一国で20近く持っているのではないか、ということだ。つまり、英国はかつての植民地をどんどん独立させ、それを陰で支配することで世界の実質的支配権を握っている、ということだ。カナダやオーストラリアなど、今でも英国との同君連合なのだから、本当は国連での投票権を持つ資格はないはずだ。
テロがこのまま起こらずにオリンピックが無事に終わるかどうかは、閉幕まで分からないが、競技についてはまったく興味がない。科学によってサイボーグ化した運動選手たちがどこまで記録を伸ばそうが、あるいは勝とうが負けようが、別の世界の話だ。大リーグの選手たちがステロイド注射によって怪物化し、怪物的記録を出すようになったために大リーグは実質的に終わったが、オリンピックも同様だ。水面下で似たようなことはやっているだろう。実質プロ選手だけのスポーツの祭典ならば、古代ローマで剣闘士を戦わせてその生死を賭けた戦いを面白半分で眺めていた観客と、現代の観客に違いはない。オリンピック競技で本当に娯楽的要素の高い競技など、何があるだろう。マスコミや観客が選手をだしにして自分勝手にドラマを作って楽しんでいるだけのことだ。
野球もソフトボールも無いオリンピックには、私は興味はない、ということである。
もう一つ、各国の選手紹介の中で「テコンドー」をやっている選手が世界中に数多くいるのに驚いたのだが、テコンドーはいつの間にか柔道や空手を抜いて世界的格闘技になっていたようだ。その理由について誰か識者に分析してもらいたいような気がする。

最後に、オリンピックとはまったく関係ないが、「梅ちゃん先生」は最悪の展開をたどっている。どうやら脚本家は私が心の底から大嫌いなノブと梅子をくっつけるつもりのようなのである。あの「人間のクズ」とだよ。こうなると見るのが苦痛になってきそうな予感がある。いろいろと幼い日の思い出とか、ノブの隠れたいいところとか小出しに出してきているが、これまでに蓄積されたノブの悪印象がそれで変わるはずはない。
私はあまりにもノブが嫌いなので「ゴールド先輩♡」のコマーシャルを見るのまで不愉快なほどだ。たぶん、あの俳優はノブとまったく同じ性格に決まっている。でなければあれほど不愉快な顔のはずはない、とまで思っているのである。

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HN:
酔生夢人
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趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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