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安倍総理は大麻解禁の魁となるか

「つむじ風」ブログに面白い記事が引用されていたので、その部分だけ転載しておく。
大麻は様々な用途があり、石油の代替燃料になる可能性さえもあるようだが、医療用にはもちろん、苦痛低減(ペインクリニック)のために使用できる。だが、「麻薬」扱いされているために、日本では使えない。その「麻薬」を安倍総理が使用し、しかもそれが大腸癌の特効薬でもあるらしいということのようだ。(もちろん、噂でしかないかもしれないが)
この話が事実ならば、総理が率先して大麻を使用してお手本を示しているのだから、日本も大麻解禁に踏み切る日は近いのかもしれない。(笑)橋下がネット選挙禁止の法律に違反をしながら、罪に問われず、逆にネット選挙解禁の機縁を作ったようなものだ。この国では、法の適用は、事実が犯罪の要件を満たすかどうかではなく「罪を犯した者が誰か」で決まるようだ。(嗤)


(以下引用)


バレンタインデーさんの記事に一番最初に書いてあったコメントです。
「現首相が大腸ガンで、主治医の采配で医療○○を使用、改善しているとか!
山崎淑子さんのブログより!」

おもわず、山崎淑子さんのブログを検索しましたよ。。。
その記事は、これです。
『2/7 (木) 山崎ジャーナル!安倍首相の担当医から聞いた独占スクープ!【アベノボトルの中身は何か】「酵素&ミネラルの特製ドリンクと強壮剤OOを服用中で元気回復 した」と聞いた。「ガン特効薬OOで安倍首相、大腸がん克服」とも。潰瘍性大腸炎は、実は『大腸がん』だったという内部情報あり。』


もし、これが、事実なら・・・。
日本は、これから、変わっていきます。

現在、日本は、医療用大麻は認められていません。
それを使用したのであれば、処方したお医者さんも患者も
法に触れていることになります。
自分だけが助かって、多くの人々には使わせない、というのは
エゴです。





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高齢老人の扱い方の好例か

「福島民報」から転載。記事の存在は「東海アマ」ツィッターで知った。

「小さな親切、大きなお世話」という言葉が昔流行ったが、この「高齢老人をあちこち引きずり廻して死亡させた」件は、まさしく「小さな親切、大きなお世話」の好例だろう。何しろ、「88人のうち4割を超える36人が1年半で死んだ」のだから、これは「引きずり廻し」が死亡の主な原因であることは明白だ、と言ってよい。
まあ、私は高齢老人は自然死するのに任せるのが良い、という意見の持ち主であり、老人が死ぬのは当たり前、とも思っているからこの件で当局を批判するような偽善的なことは言いたくはないが、しかし、これらの死の原因が東電にあることは明らかなのだから、遺族にはぜひ東電に対する損害賠償の訴訟を起こしてもらいたい。もっとも、その賠償金は「電力料金値上げ」で、東電支配下の地域住民全員の負担になるのだが。(笑)
しかし、1年半で4割以上が死亡、というのは凄い数字である。
これでは助けるための行為というより、殺すための行為だったと言われても仕方がないだろう。
高齢老人はガラス製品のようにフラジャイルだから、「取扱注意」であると、当局は知っているのだろうか。だいいち、「放射能」の被害は高齢者にはほとんど影響は無いはずだ。これは後で役所の責任を問われないために、無意味(いや、有害)な搬送行為をした、という、ある種の「公務員犯罪」でもある。


(以下引用)



原発関連死 長期避難 死期早める 高齢者施設せんだん(双葉)36人死亡 体調悪化、心労重なり



 東京電力福島第一原発事故の避難で、死者数が平常時を大きく上回った浜通りなどの34高齢者施設のうち双葉町の高齢者施設「せんだん」では、利用者88人の4割超に当たる36人が1年半余りで亡くなっていた。「せんだん」は第一原発から約3.5キロ。切迫した状況下、利用者は5ルートに散り散りになり、約半年で18人が死亡した。一度悪化した体調は回復せず多くの人がその後も死期を早めた。弱者が犠牲になる「原発事故関連死」がなくなる日は見通せない。
 第一原発1号機で水素爆発が起きた平成23年3月12日。施設関係者によると、緊急避難したのは老人ホームの入所者67人、併設するグループホームの9人、ショートステイ8人、デイサービス1人、町社会福祉協議会から介助を依頼された在宅の要介護者3人の合わせて88人だった。
 明確な指示がないまま5グループに分かれた88人は当初、受け入れ先が決まらず転々とした。疲労や心労、体育館や公共施設などの寒さ、不慣れな固く冷たい食べ物、薬の不足など急激な環境変化で持病を悪化させ、衰弱も進んだ。このため19日までに別の高齢者施設、病院、近親者宅に振り分けられた。
 88人のうち67人が福島市、伊達市、会津美里町、栃木県の16施設に移った。このうち28人が、病気や体調を悪化させて死亡した。8人は福島市、郡山市、二本松市、栃木県の病院に入院し、3人が死亡した。家族に引き取られた13人のうち5人も死亡した。
 亡くなった36人(女性25人、男性11人)のうち、避難から約半年で亡くなったのは半数の18人。さらに昨年12月までに18人が死亡している。死因の多くは肺炎や老衰などだったという。
 避難から8カ月後、埼玉県の病院で亡くなった双葉町の102歳の女性は避難前は食事も排せつも自立し、日常生活に大きな支障はなかった。しかし、避難後、肺炎と心筋梗塞を患い、一時は回復したものの再び悪化させて亡くなった。
 岩元善一施設長は「原発が爆発した極限状態の中で避難先を転々とした。生活環境の急変で死期が早まった人は少なくないだろう」と振り返った。
■震災直後、散り散りに移動 
 「せんだん」の老人ホームには要介護4、5の寝たきりの高齢者が25人いた。岩元施設長は移動のリスクを考慮し、当初、職員と施設にとどまるつもりだった。しかし、3月12日昼すぎ、町から「全員避難」を命じられた。
 自衛隊のヘリが迎えに来る双葉高までは約1.5キロ離れていた。寝たきりの入所者はベッドごと玄関先まで運び、自衛隊のトラックや施設の送迎車などに乗せて搬送した。
 半数ほどを誘導し、ヘリを待っていた午後3時36分、1号機で水素爆発。現場は混乱し、県警車両と自衛隊トラック、施設の送迎車、職員の私有車に分乗し散り散りになった。結果として避難は【図】の通りで、5つのグループに分かれた。当日、ヘリで二本松市に搬送されたのは5人だけだった。
 双葉高には利用者12人と岩元施設長が残された。飲み物も食べ物もないまま同校体育館で一夜を明かし、翌日、自衛隊ヘリで二本松市に搬送された。

【特別養護老人ホームせんだんの避難ルート】
(1)南相馬市→川俣町 18人(避難後に5人死亡)
 12日午後2時ごろ双葉高に移動。自衛隊ヘリに乗れず、施設送迎用の車両などで南相馬市へ。道の駅南相馬で一夜を明かす。13日、川俣町の川俣高体育館に着いたが満杯のため同町体育館へ。13人が栃木県の施設に入所。1人が栃木県で入院し、4人は家族に引き取られた。
(2)川俣町→福島市 36人(避難後に22人死亡)
 12日午後3時ごろ、自衛隊のトラックと職員の車で浪江町から川俣町を経て福島市へ。受け入れ先の福島高体育館に行き着いたのは午後11時30分ごろ。31人が福島市、伊達市、栃木県の施設へ。3人が福島市で入院し、2人は家族に引き取られた。
(3)浪江町→南相馬市→郡山市 17人(避難後に4人死亡)
 12日午後、双葉高に移動したが自衛隊ヘリの搬送ができず、県警のバスで浪江町の苅野小へ。警察官らに再避難を促され南相馬市に向かう。午後11時30分ごろ渡辺病院に到着。13日、同市の特別養護老人ホーム長寿荘に移動。16日、福島市などを経て郡山市の郡山養護学校へ。12人が会津美里町と栃木県の施設に入所。1人が郡山市で入院し、4人が家族に引き取られた。
(4)二本松市→郡山市 12人(避難後に4人死亡)
 12日、自衛隊ヘリに乗るため双葉高校庭に移動したが岩元施設長と共に取り残され、体育館で一夜を明かす。13日午後4時すぎ、自衛隊ヘリで二本松市の二本松北小に着陸。午後10時20分に郡山養護学校に避難した。7人が会津美里町と栃木県の施設に入所。2人が郡山市で入院し、3人が家族に引き取られた。
(5)二本松市→郡山市 5人(避難後に1人死亡)
 12日午後4時ごろ、自衛隊ヘリで二本松市の二本松北小に着陸し、同市の県男女共生センターへ。16日、郡山養護学校に移動。4人が栃木県の施設に入所、1人が二本松市の病院に入院した。
※特別養護老人ホームせんだん 社会福祉法人ふたば福祉会が平成17年11月に双葉町長塚に開所した。定員70人。グループホーム「せんだんの家」(定員9人)を併設し、ショートステイ(同10人)と共同型デイサービス(同3人)も運営していたが原発事故で休止を余儀なくされた。24年1月、いわき市の南台仮設住宅の一角にグループホームを再オープンした。

(2013/03/02 14:53カテゴリー:原発関連死)





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易占によるTPP参加後の日本の姿

「播州武侯祠遍照院」ブログの忠武飛龍さんが易でTPPを占ったところ、見事な啓示が出たようなので、転載しておく。
易の言葉は難しいが、現代語の大意の部分を見れば、TPPが今後の日本にどういう結果をもたらすか、明瞭だろう。「水山蹇」は、私が一番嫌いな卦であり、「蹇」は足萎え、いざりのことである。足萎えの人間が水や山という険阻を前に立ち往生する、というのが「水山蹇」という卦だ。まさしくTPP参加後の日本の姿そのものだろう。その先行きはどうかというと、「水風井」、つまり「井戸」の卦である。一見良さそうだが、これも実は「同じことの繰り返しで疲弊し、破れる」という意味合いが強い。つまり、井戸の中を釣瓶が往復するうちに、釣瓶が壊れる様である。これまたTPP後に、日本人がその真実を知って、そこから抜け出そうと悪あがきをしても抜け出せない、という事を示しているようだ。
さて、この卦が日本の未来を示すことはかなり確率が高いが、なるべくならそうならないでほしいものである。
「運命は変えられる」というのがあらゆる占いの基本思想だと私は考えている。でなければ、占いをやる意味など無いだろう。そして、悪い運命に対して警告を与えることが占いの大きな役目であり、その占断で覚醒し、悪い運命を回避できたならば、それは占いの功績だったのであり、「占いが外れた」のではない。
まあ、占いなど最初から信じない人には無縁の話ではあるのだが。



(以下引用)


易にTPPの件を聞いてみる。
カテゴリ:易に聞いてみました。

で、易に「TPPに入るぞ!って安倍さんは言ってましましたが、陰陽虚実・日本の成り行きを教えて」と聞いてみました。

水山ケンの 2爻

http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-44.html

上記文抜粋
・・・・・・・・・・

39 水山蹇(すいざんけん)
蹇 艮下坎上(ごんか かんじょう)

八卦の艮(ごん)の上に、坎(かん)を重ねた形。

蹇とは足萎えという意。
この卦は艮を止まるとし、坎を険難として、険難の中で足が萎えてしまったかのように、身動きできずに止まって出られない様子とする。
だから蹇と名付けられた。
また、険難を見て、足萎えのように自らよく止まって、犯し進まない様子。
だから蹇と名付けられた。
また、この卦は進もうとすれば前方に坎水の険難があり、退こうとすれば艮山が阻んでいて、進退窮まり、足萎えのように身動きが取れない様子。
だから蹇と名付けられた。
また、九五の君が坎険の主として二陰の中に陥り、かつ九三の陽剛の臣は、下卦艮の極に止まって、上に朝せず、あまつさえ二と四との両大臣は共に陰弱にして、君を輔佐する能力はなく、却って九三の不軌の剛臣に密比している。
これは天下に二主、一国両君というべき様子であり、その勢いは内外上下を二つに分断しているのであって、蹇難の至極である。
だから蹇と名付けられた。

卦辞
蹇、利西南、不利東北、利見大人、貞吉、

蹇は、西南(せいなん)に利(よ)ろし、東北(とうほく)に利(よ)ろしからず、大人(たいじん)を見(み)るに利(よ)ろし、貞(ただ)しくして吉(きち)、

また、八卦の配当で言えば、西南は老陰の坤の方位にして平坦な場所の譬え、東北は少陽の艮の方位にして山岳の険阻な場所の譬えであり、陰は退く、陽は進むという意がある。
蹇難のときに当たっては、無理をして先立ち進むよりも後ろに退くほうがよく、険阻な道を行くより平坦な道を行くほうがよいのは、当たり前のことである。
だから、西南に利ろし、東北に利ろしからず、という。

また、蹇難のときは、ひとりで考え込まず、大人有徳の人を探し見つけて、救いを求めるほうがよいのも当然のことである。
だから、大人を見るに利ろし、という。
また、蹇難のときには、落ち着いて貞正な行動を取ることが大事である。
どうしようどうしようと慌てると、得てしてとんでもない失敗を招いてしまう。
したがって、蹇難を脱出するには、常に貞正さを失わないことである。
だから、貞しくして吉、という。

・・・・・・・・
http://mokusai-web.com/shushigakukihonsho/ekikyou/ekikyou_body.html
より

【読み】
〔彖傳〕蹇は、難なり。險前に在るなり。險を見て能く止まる。知なるかな。蹇は、西南に利ろしとは、往きて中を得ればなり。東北に利ろしからずとは、其の道竆すればなり。大人を見るに利ろしとは、往きて功有るなり。位に當たり貞しければ吉なりとは、以て邦を正しくするなり。蹇の時用、大いなるかな。

〔象傳〕山上有水、蹇。君子以反身脩徳。
【読み】
〔象傳〕山上に水有るは、蹇なり。君子以て身に反りて徳を脩む。

六二は、王臣蹇蹇たり。躳の故に匪ず。

王臣蹇蹇たりとは、終に尤无きなり。

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戻って

六二、王臣蹇々、匪躳之故、

六二(りくじ)、王臣(おうしん)蹇々(けんけん)たり、躳(み)之(の)故(ゆえ)に匪(あら)ず、

王とは九五の爻を指す。
臣とは六二の爻である。
五は君王の定位、二は臣下の定位であり、六二は九五の臣である。
だから、王臣、という。

さて、六二の爻は臣の位に居って、中正は得ているが、今この蹇難の時に出遇い、その身は重険の下に居る。
重険の下とは、二三四の坎、四五六の坎で坎為水とすれば、二はその最下だから、そう言う。
そして六二は、九三の過剛不中にして権勢が有り威力強い者の下に承け逼られている。
もとより六二は陰弱微力なので、その九三の剛強不順の横逆ある者を征服することは不可能である。
ただ、これを憂い悩むのみである。
だから、王臣蹇々たり、という。
ただし、六二の蹇難は、自らの躳のための個人的な憂いではなく、九五の君の家のためにする公義にして、自身が陰柔微弱にして国家の蹇難を救う能力がないことを、憂い蹇(なや)んでいるのである。
だから、躳之故に匪ず、という。

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それでもやらないといけないか・・・交渉のテーブルには付かされるのはやむなしか

変卦は、水風井 の2爻


http://uqmk.blog106.fc2.com/blog-category-53.html
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48 水風井(すいふうせい)
井 巽下坎上(そんか かんじょう)

八卦の巽(そん)の上に、坎(かん)を重ねた形。

井は、いわゆる井戸のこと。
この卦は巽の木の上に坎の水があるわけだが、その様子からイメージできるのは、木の器で水を汲んでいるところであり、そうやって水を汲む場所と言えば井戸である。
だから井と名付けられた。
また、易位生卦法によれば、もとは風水渙から来たものとする。
風水渙は、巽の木が坎の水の上にある形だが、この水風井になると、巽の木が下って坎の水の下に入り、坎水は巽木の上に上っている。
これは、木の桶を水の中に入れて、水を汲み上げている様子である。
だから井と名付けられた。
また、交代生卦法によれば、もとは地天泰から来たものとする。
地天泰の六五が来て初に居り、初九が往きて五に居るのが水風井である。
そもそも地天泰の上卦の坤は地、下卦の乾は陽気とすれば、これは地中に陽気がある様子である。
水風井の九五は坎水の主爻であり、坎は陽卦である。
水風井の初六は巽風の主爻であり、巽は陰卦である。
陰気が坤の地の上より入って巽の風となれば、その風の力で地中の陽気が上って坎水を生じる。
これは地脈に水を生じるということである。
もし地中に陽気の水脈がないときは、どんなに地を掘っても水は出ない。
この水風井は水を掘り当てた様子である。
だから井と名付けられた。

卦辞
井、改邑不改井、无喪无得、往来井井、汔至、未繘井、羸其瓶、凶、

井は、邑(ゆう)を改(あらた)めるも井(せい)を改(あらた)めず、喪(うしな)うこと无(な)く得(え)ること无(な)し、往(ゆ)くも来(きた)るも井(せい)を井(せい)とす、汔(ほとん)ど至(いた)らんとして、未(いま)だ井(せい)に繘(つるべなわ)せず、其(そ)の瓶(つるべ)を羸(やぶ)る、凶(きょう)、

およそ邑(集落)を建設するには、必ずその水泉の良し悪しを観ることが第一である。
水泉が不便では、邑を建設しても、生活が不自由になり、誰も住みたがらない。
だからこそ、先ずは水泉が便利な場所を選び得て、そこに井戸を掘り、その後に邑を建設するべきである。
そもそも邑里は、人間の都合で場所を変えたりもするが、井戸は地脈によって得るものであって、人間の都合で場所を改めることはできない。
だから、邑を改めるも井を改めず、という。
そもそも井戸というものは、汲んでも尽きることはなく、汲まなくても溢れることもない。
だから、喪うこと无く得ること无し、という。
また、井戸は水を汲む場所であって、すでに汲んだ人は往き去り、これから汲もうとする人が来るところである。
このように、ひとつの井戸は、みんなで使うものである。
この意味で、往くも来るも井を井とす、という。

さて、普通であれば枯れたり溢れたりしない井戸でも、季節や気候によっては、多少の水位の上下はある。
常に維持管理していないと、いざ汲もうとして、瓶を入れたとき、瓶縄が水面の手前までしか届かず、水を汲めないようなこともある。
また、縄がボロボロになっていたら、水を汲んだとき、その重さで切れてしまうこともある。
だから、汔ど至らんとして、未だ井に繘せず、其の瓶を羸る、凶、という。
これは、何事も日頃の手入れが大事であって、それを怠るとせっかくの事業も八九分に至って支障を来たすものである、ということの喩えでもある。

・・・・・・中略・・・・・

九二、井谷射鮒、甕敝漏、

九二(きゅうじ)、井谷(せいこく)鮒(ふ)に射(そそ)ぐ、甕(もたい)敝(やぶ)れて漏(も)る、

井谷とは、井の中の水が湧き出ている場所、いわゆる水脈のことである。
鮒とは小魚のことであり、初六の陰爻を指している。

さて、初爻の辞は廃止された井戸の様子を書いているが、この九二はその廃止された井戸の汚泥を渫(さら)い尽くしたときの様子であって、新たな泉が少し湧き出して来た様子である。
今、九二の陽爻の水が、僅かに井谷より出て、初六陰爻の鮒に注いでいる象なのである。
だから、井谷鮒に射ぐ、という。
ただし、この爻の義は、その汚泥は渫い尽くして、新たなる泉が鮒に注ぐとしても、未だ十分に満ち足りてはいない。
なおかつ下卦に在って、未だ上体へ出ていないので、多くの人を広く養うほどの用途はない。
わずかに初六の鮒を養うのが精一杯である。

また、上卦坎を水とし、下卦巽を入るとすれば、井の全卦で甕(もたい=水瓶)に水を入れ貯(たくわ)えるという象が有る。
その巽は要するに甕にして、最下の陰の記号が、真中で切れていることから、その底が破れている様子となる。
底が破れている甕に水を入れても、その水は漏ってしまう。
だから、甕敝れて漏る、という。
これは、この爻辞の前半とは別象別義である。
なぜ、別象別義の辞があるのかについては、次のように考察している。
そもそもこの部分は、古くからの卜筮の辞であって、この九二の爻の象義と共通するので、ここに併せて付けた辞ではないだろうか。

・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
抜粋終わり

>九二(きゅうじ)、
井谷(せいこく)鮒(ふ)に射(そそ)ぐ、甕(もたい)敝(やぶ)れて漏(も)る、

こわい!

TPPに入ったものの、日本の産業の体制は整えきらずに、多くの産業がつぶれて、一部の金持ちだけが潤う。

て可能性を示唆している。

ただ見方を変えると
「欲深い連中が、TPPに入れようとするが、最後に失敗して、その連中の一部が儲かるだけ」

かもしれないが、大変危ういことを示唆しているのは確かだ。


再見!






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人の命は平等か?

「東海アマ」さんは「反原発」の闘士であると同時に、「反・死刑制度」思想の持ち主であり、「性的自由主義者」でもあるようで、「反原発」での彼の筋金入りの発言に惚れ込んで、彼のツィートをフォローしていた人々が、彼の「反・死刑制度」や「性的自由主義」の面に驚き、あるいは嫌悪を感じて離れていく例が多いようだ。
私自身は、「東海アマ」ツィッターを、情報源としてしばしば利用させて貰ってはいるが、当人にはあまりお近づきにはなりたいとは思わない。まあ、私は「死刑制度賛成論者」であり、「性的封建主義者(絶対的一夫一婦制主義者・不倫絶対反対論者・偕老同穴主義者)」だから、向こうから交際を断るだろうが。

さて、今日、問題としたいのは東海アマ氏の下記発言である。
この「君」と言われているのは「死刑制度賛成論者」の誰かだと思うが、果たして「死刑制度賛成論者」は「反原発」であることと矛盾するだろうか。

私が、悪人には人権は無い、という思想の持ち主であることは前にも書いたと思うが、もっと明確に言えば、「悪人は積極的に殺すべきである」と思っている。それによって無数の命が助かるからだ。(誰がその判断を下すのかという問題、現実に法的手続き以外で悪人を殺すことが可能かどうかという問題は棚上げにしての話だ)
こういうような「命の問題を数の問題にする」のは、私の大嫌いな「ハーバード白熱授業」のサンデル教授の「正義論」みたいで厭なのだが、しかし、「悪人の命」と「善人の命」とどちらが大事か、と言えば、それは善人の命に決まっている、と私は思う。
もちろん、何が善で何が悪かというとまた面倒な議論になるのだが、簡単に言えば、「他人に害を及ぼすのが悪で、他人に福利をもたらすのが善である」というだけのことだ。ならば、石原、橋下、前原、経団連要人らが悪人であるのは明瞭だし、ユダ金が悪であるのはなおさら明瞭だろう。(私は、彼ら全員がこの世から消滅すれば、この世界は大きく改善されると考えている)そして、庶民のほとんどは善人だが、ヤクザや暴力団が悪であるのも明らかだ。権力の下部組織、つまり警察や検察は、それ自体は善でも悪でもないが、権力のために、あるいは身うちや組織自体のために悪を行うこともあるわけだ。

さて、本題の「死刑制度賛成論者」と「反原発」は矛盾するかどうかだが、私は、まったく矛盾しないと考えている。
それは、人間の命の価値には上下がある、と私は考えるからだ。原発で被害を受けるのは原発近隣のすべての人間だ。だが、死刑で失われるのは、凶悪犯罪者の命である。それを平等視すること自体が異常だと私は思う。
もちろん、神の目から見れば、どの命も同じかもしれないし、あるいは人の命も昆虫の命も、同じかもしれない。だが、我々は人間社会で生きる人間にすぎない。その社会を改善していくためには、悪を減らし、善を増す努力をするしかないのである。
死刑制度は、悪を減らす努力の一つの形であり、「冤罪」に最大限の注意を払い、明らかな凶悪犯だけを死刑にするのならば、まったく問題は無い、と私は考えている。もちろん、社会に経済的余裕があれば、死刑制度を廃止し、「懲役200年」という温情を凶悪犯に与えてもいいだろうが、生活保護も受けられない貧困家庭が無数にある中で、凶悪犯罪者に屋根のある住居と三食を与えるのも「不正義」のようにも思う。
要するに、東海アマ氏の考えは命に関する「悪平等」思想のように私は思うわけである。

もう一度言うが、悪人などこの世から消滅するのが他の人々の幸福なのである。
悪人が社会の上位にはびこるから、今の日本の惨状ももたらされているのではないか。




(以下引用)



1. 私のニセモノに注意‏@tokaiama
@bnr32love 君は絶対に反原発ではないと断言する。原発に反対する理由は命を大切にする思想だからだ。人殺しをしてはいけないという無条件の思想だ。君にはそれが皆無だから、今は口先だけで反原発を言ってもいずれ原発に賛成するだろう





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脱欧入亜の勧め (付け足し 「テーゲー主義のこと」)

「文殊菩薩」から転載。記事の筆者はリチャード・コシミズ氏。
白人と言うか、白んぼと言うか、アングロサクソンというか、ユダ金と言うか、連中のやり方にはフェアプレーという概念は無い。言うこと為すこと虚偽と詐欺ばかりである。(それを象徴するのがハリウッド映画でのキャスリーン・ビグロー映画や、今回の「アルゴ」というプロパガンダ映画のアカデミー賞受賞の一件である。連中は、あらゆる手段で世界をペテンにかけようとする。)
そういう連中を相手にする事自体が間違いだ、というのが私の考えだ。つまり、欧米との関係をすべて断て、ということである。それで日本が失うものは、今や何一つ無い。
日本に必要なのは、市場としての中国や東南アジアと、資源提供国としてのロシアや中東、それにせいぜいが、未来の市場としてのアフリカや中南米くらいであり、欧米から日本が得るものは何も無い。その一方、彼らの詐欺や恐喝で失うものは膨大である。
日本を好きな欧米人も多いらしいから、民間の交際まで断絶するのは問題もあるが、少なくとも、政治と経済の面では、欧米という「悪しき友人」とは断然、絶交すべきだろう。つまり、かつて福沢諭吉が言った、「日本はアジアという悪しき友人と絶交し、欧米という文明国家と結びつくべきだ」の「脱亜入欧」とは正反対に、「脱欧入亜」こそがこれからの日本の進むべき道なのである。
そう考えると、今さらながら、「東アジア共同体」を主張した鳩山由紀夫は先見の明があった、ということである。


なお、この「酔生夢人のブログ」は、気が向いた時だけ書くことにし、内容もその場の気分しだい、とするつもりである。つまり、今以上にいい加減なものにする予定だ。(笑)

「谷間の百合」さんが、少しお疲れらしく、「しばらくパソコンを閉じる」などとおっしゃっているが、世間の愚劣さにあんまり真面目に怒ってばかりいたせいではないか、と推察する。
飯山老人も「テゲテゲ」と言う言葉を使っているが、沖縄にも「テーゲー(=適当、いい加減)」という言葉があり、物事はすべて「だいたい(大概=テーゲー)でいい」と考えるのが沖縄人気質である。これではまず、仕事で立派な成果は上げられないから、本土の杓子定規な人や向上心の強い人、規律を好む人には嫌われることもあるが、精神的にはストレスが溜まらない生き方だ。そういう「いい加減主義」を少しは持つのも、悪くはないと思う。
ということで、「谷間の百合」さんも、記事掲載は時々でもいいから、ブログは継続してほしいものである。
昔、「ゲバゲバ60分」というバラエティ番組があって、その最後でインチキな雷みたいな扮装をしたハナ肇が、「あんたかてアホやろ、わてかてアホや。ほなサイナ~ラ」と一言言って、番組が終わるのが常だったが、この「あんたかてアホやろ、わてかてアホや」という言葉は、なかなか含蓄がある。そういう気持ちでいれば、世の中のアホ(特にカシコぶったアホや高学歴のアホ、社会的地位の高いアホ)どものするたいていの事は我慢できるというものだ。




(以下引用)


軽自動車はTPP協議外=スズキ会長

白んぼが軽自動車作れば良いと
一喝!

相変わらず男前です。


リチャード・コシミズ's blog 2013/02/27 08:24



日本の軽自動車は技術の粋。環境にやさしい優れもの。馬鹿でかい燃費の悪い車は日本にはいらない。狭い国土狭い道路を縦横無尽に走り回れる小回りの利く軽自動車に優遇税制を設けるのは至極当然。

ユダヤ米国は自動車に輸入関税をかけているのに日本は非課税。それでも参入できないのは「無能」だから。燃費が悪いから。環境にやさしくないから。左ハンドルだから。(TPP後は日本も左ハンドルにしろとか言ってきそうですね。)アセンブリーがいい加減で「当たりはずれ」があるから。毎週違うところが壊れて毎週修理工場入りだから。無駄に高いから。ダサイから。営業所ネットワークを拡充して一生懸命売らないから。ハイブリッドもろくに作れないから。

スズキの鈴木会長、「(米国メーカーが軽自動車を)造って輸出しても結構だ」と一喝。勿論、そんな能力はないが。正論です。
実力で勝負できない無能者集団、ユダヤ米国。経済ヤクザ商売で人様から収奪するしか生きる道が残っていない破綻者。

そのヤー公に雇われた安部偽総理とユダヤ家畜政治家の群。屠殺場はあちらです。


2013/2/26 17:45

白んぼが軽自動車作れば良いと一喝! 相変わらず男前です。

軽自動車はTPP協議外=スズキ会長 時事通信 2月26日(火)17時0分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130226-00000104-jij-bus_all

スズキの鈴木修会長兼社長は26日、環太平洋連携協定(TPP)をめぐり、米国側が軽自動車の優遇税制を問題視していることについて、「全然関係ない。こじつけだ」と反論し、協議の対象にはならないとの見方を示した。新車発表会の席上、記者団に語った。 鈴木会長は米国が自動車に輸入関税を課しているのに対し、日本は課税していないと指摘した上で、「(米国メーカーが軽自動車を)造って輸出しても結構だ」と米国の主張を批判した。 






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「ゼロ」で「ダーク」で「最低」な生き方

「ザウルスでござる」というブログに引用されていた記事を転載。
「ザウルスでござる」の存在は、さきほど「ネットゲリラ」で知ったばかりである。NHK放送の、沢木耕太郎によるロバート・キャパの謎を解明したドキュメンタリー番組がやらせだとかパクリだとか書いている記事が今話題になっているようだが、コメント欄まで読むと、その記事自体には勘違いや妄想も多いようだ。しかし、自分の目と頭で世の真実を検証しようという姿勢の強いブログのようで、いろいろと面白い記事もありそうだから、とりあえず「お気に入り」に入れておいた。
下記記事は、キャパの記事などよりも重要性がある記事だと私は思う。
つまり、映画による大衆洗脳という問題がここにはあるからだ。
私は「ハートロッカー」の頃から、彼女(キャスリーン・ビグロー)の映画製作姿勢に強い不快感を持っていて、彼女の「洗脳映画」は最初から見ないことに決めている。彼女の映画作家としての力量はなかなかのものだという評判だが、それがワシントンのプロパガンダだけのために使われているのは、実に情けないことである。




(以下引用)



「ゼロ・ダーク・サーティ」 ハリウッド映画はCIAの道具になりさがっている



以下は、元米国国務次官補代理ピチェニック氏のスピーチ(2012/12/28)の抜粋である。ピチェニック博士は、米国国務省で5人の大統領の元で仕事をしてきた、キッシンジャーと並ぶエリート官僚であり、米国政府の裏の裏を知り抜いた人物である。トム・クランシーの小説に出てくるジャック・ライアン、また1992年の映画「パトリオット・ゲーム」でハリソン・フォードが演じた主人公のモデルにもなった人物でもある。なお、同氏は精神分析医、神経学者、作家でもある。



アメリカという国は欺瞞に満ちているが、一部に真実を語る人間もいる。こういう人間の言葉にもいちおう耳を傾けておく必要がある。



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ファンタジーの世界では虚構が当たり前である。だからハリウッドには虚構を売る権利があるし、「ゼロ・ダーク・サーティ」の監督キャスリン・ビグローにもその権利があるし、ハリウッドを動かす演出や技術の専門家たちにも、好きなように事実や小説を歪曲したり作り上げたりする権利がある。しかし、今回のこの「ゼロ・ダーク・サーティ」は、“実話をうたった悪質なでっちあげ”である。



わたしの論拠はこうである。まず、この映画はビン・ラディンが米軍のシールズ部隊によって殺害されたという2011年のウソの上塗りであるということだ。あの時にオバマ大統領はビン・ラディン殺害という大芝居をプロデュースしたが、それは大統領に再選されるためにどうしても必要だったからだ。オバマ大統領自身、それがウソであることは承知だったし、このわたしもウソであることはわかっていたし、わたしが長年いっしょに仕事をしてきたCIAの職員は誰でもウソだとわかっていたし、米軍の諜報部も、政府の諜報関係の世界でもみんな「ビン・ラディン殺害」がウソであると知っていたのだ。そして、今ではほとんど世界中が、あれが真っ赤なウソであることを知っている。



なぜ“ウソ”であると言えるのか。そもそもビン・ラディンは2011年以前にすでに死んでいたのである。これはわたしの作った話ではない。ビン・ラディンについての基本的な情報として彼がマルファン症候群という病気であったことをわたしは当時国務次官補代理として知っているからである。このマルファン症候群という病気は何も医者であるわたしがでっちあげたものではない。ちなみにわたしは有資格の精神分析医であり神経学者でもある。このマルファン症候群という病気は遺伝病で、ビン・ラディンは生まれつきこの病気だった。国務省勤務していたわたしはアフガニスタンの紛争の際に彼の活動について知る立場にあった。そして彼の病歴記録から彼がこのマルファン症候群であることを当時すでに知っていた。この病気では身体の結合組織が徐々に分解していくために寿命が非常に短くなる。この短命の病気は、変性遺伝子疾患であって治療法がなく、寿命を延ばすこともできない運命的な病気である。



実は2001年の7月に国家安全保障担当大統領補佐官とCIA医療部門の医師が中東のドバイにある米国の陸軍病院に派遣されたことがある。何のためか。瀕死状態にあったオサマ・ビン・ラディンの治療のためである。このことは記録があるのでだれでも確認できる。2001年7月ということは9.11事件の起きる2カ月ほど前のことである。9.11事件の真実についてはここでは深く立ち入らないが、わたしはあのとき翌日のインタビューで「これはでっち上げだ」と言っている。「ブッシュ、チェイニー、ネオコン連中の仕組んだ“被害演出”の陰謀である」とわたしはあのときにはっきり言っている。そして対テロ戦争としてイラク戦争が始まったわけだが、この戦争はオサマ・ビン・ラディンの殺害によってしか終結し得ないものであった。ブッシュ政権からオバマ政権に変わり、そして2011年の5月にオバマ大統領はビン・ラディンがパキスタンで米軍のシールズ部隊によって殺害されたと全世界に向けて公表した。このときもわたしは意見を求められた際に「ありえない話で馬鹿げている」と言った。米海軍特殊部隊(シールズ)の精鋭部隊チーム6が、すでに死んで存在していない人間をどうやって殺害できるのだ。遺体安置所を襲撃したと言うのか。ビン・ラディンを追い詰めて彼の頭を撃ち抜いたというお話には開いた口がふさがらない。そして話はさらに発展して遺体を海に投棄したという笑い話のようなオチまでついている。そして米国政府は投棄に先だってビン・ラディンのDNAを採取したなどとほざいている。そんなものを誰が信じると言うのか。



今回の「ゼロ・ダーク・サーティ」という映画でいちばん馬鹿を見るのは監督のキャスリン・ビグローである。なぜならば、この作品によって彼女に対する信頼性が大きく損なわれるからである。これは彼女の「ハートロッカー」などの今までの作品を賛美し彼女に対して敬意を払っていたわたしにとっても残念なことである。CIAと米軍諜報部には特別な或る部署があり、その部署の仕事の対象はハリウッド映画であり、それらを米国政府のプロパガンダに利用することである。そしてそれらは我々米国民の税金でなされているのである。そういったCIAなどの息のかかった映画を米国民や世界中の人々が知らず知らずに受け入れているのである。この点はよく心しておかなければならない。そうした映画の最近のものではベン・アフレックが監督をした「アルゴ」がある。これはCIAがベン・アフレックにもちかけた構想である。同様に「ゼロ・ダーク・サーティ」はCIAと国防省がキャスリン・ビグローにオファーした構想である。



すでに述べたようにビン・ラディンはすでに何年も前に死んでいたわけで、シールズが殺害しようにもそこには存在しなかった。そもそも第三者が検証できるようなビン・ラディン殺害の証拠は何一つないのである。遺体もないし、米政府は遺体の写真すら出せないのである。にもかかわらず、ハリウッドはこのシールズによる実体のない演出ドラマを今度は事実であったかのような作品として創り上げることができるのだ。ハリウッドに“不可能”はない。キャスリン・ビグローはCIAから持ちかけられただけではない。彼女にはすでにCIAの秘密要員としての顔があり、お国のためと思って活動しているのである。彼女が共和党支持か民主党支持かはもはや問題ではないのだ。



このようにCIAはハリウッドに奥深く入り込み、その人脈も自在に操ることができる。テレビドラマも同様にCIAの洗礼を受けることになる。そうしたドラマに出てくるテロリストやアルカイダのイメージはCIAの指示に従って創られている。もちろんストーリー制作のプロセスにも関与している。国防省、陸軍、CIAなどがこぞってハリウッドを活用し、ハリウッド関係者をごっそり抱き込んでいるのだ。その時々の政府の国策や計画に応じてきめ細かく世論形成と大衆的思考操作がなされる。イラク戦争突入の際も、アフガニスタン派兵の際もそうであったし、現在ではイランやシリアのアサド政権に対する大衆の反感を醸成するためにやっきになっている。



ハリウッドは今でこそCIAや軍部の言いなりになって政府のプロパガンダの道具になり下がっているが、60年前はそういった権力の介入をはねつける心ある人々が多くいた自由の砦であった。中でも“ハリウッド・テン”と呼ばれる10人の映画人はマッカーシズムによる赤狩り旋風が吹き荒れるなか、信念を貫いて権力と闘った。彼らは“共産主義者”というレッテルを貼られ、ほとんど魔女裁判とも言えるようなかたちで弾圧されたが、屈服しなかった。今日のキャスリン・ビグローやスピルバーグやキャサリン・ケネディなどと違って、当時の映画人、中でも「真昼の決闘」の脚本のカール・フォアマンの場合、そのストーリーでは悪漢を恐れて協力を拒む友人や町民に見捨てられながらも一人逃げずにとどまって闘う保安官の姿を描いたが、それはまさに当時のハリウッドにおける状況そのままであった。その名作「波止場」で有名なエリア・カザンの場合はちょっと話は複雑で、彼自身は元共産主義者で過去の同志の名前を売った密告者であった。わたし自身は共産主義を是認しないが、密告も是認しない。わたしが共産主義と闘ってきたことは皆さんもご承知のとおりである。さて、映画「橋からの眺め」の中で原作者のアーサー・ミラーはこうしたカザンのような“密告”を告発し、異なる文化や異なる主義に対するハリウッドにおける排他主義的傾向を批判した。このようにハリウッドは自由な表現をめぐって常に闘いがある場所であった。自由な表現を脅かすもの、権力の手先になるような働きかけ、プロパガンダの道具になるような誘い、こういったものと闘う人々がいる場所であった。今日のハリウッドは、CIAの道具であり、米軍の道具、産業と軍部の牛耳る米国政府の道具になり果てている。その目的はわれわれを楽しませながら米国政府のプロパガンダを広めて洗脳することにある。



さて、今回のキャスリン・ビグロー監督の「ゼロ・ダーク・サーティ」をあなたが観に行くのなら、それはそれで結構。それはあなたの選択である。わたし自身はこの映画を観ることを拒否する。アメリカ国民の皆さんにお願いする。どうかCIAによるハリウッド操作に皆さんの税金が使われていることを考えて頂きたい。税金にはもっと重要な使い道があるはずではないだろうか。プロパガンダはFOXニュースのようなメディアだけでも十分すぎるくらいである。



出典: Title - Hollywood Films Secretly Dictated By The CIA. YouTube Video





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弱者や下の者に自己犠牲を要求するという姿勢

「ネットゲリラ」から転載。最後の「なぜ農業をするか」についてのブログ管理人野次馬氏の発言は、彼にしては珍しく偽善的な発言だなあ、と思う。崖っぷち社長ではないが、誰もが自分の利益、自分のエゴのために戦うのが世間であり、この資本主義の社会ではないか。

「アンタの作ったトマト、美味しいわぁ」と、客が喜んでくれる、その顔見たくてトマトを作るという、そういう、素朴な動機で作られる作物を食べたい。それが、農業の基本だと思う。

こういう考えで農業をやる人間が農業で生きていけるわけはない、と私は思う。そもそも、今どきの農業で、生産者が消費者の顔を直接見ることなどあるわけがない。「金のためではない」というような「精神主義」こそ、ネットゲリラ氏がこれまで嫌ってきた偽善ではないだろうか。そして、そういう偽善を偽善と知らずに好む人間(素朴な善人)は、この世界にはたくさんおり、そうした善人を美辞麗句で騙すことで悪は勢力を伸ばし、支配を強化してきたのである。(まさに「地獄への道は善意で舗装されている」のである。)
実は私は「偽善」そのものは必要だと考えている。「偽」とは分解すれば「人為」であり、無意識的な善ではなく、意識的に、努力して行う善が本来の「偽善」だったのである。そして、そのような「偽善(人為的善)」は褒めるべきものであることは言うまでもない。だが、悪を隠すための偽善は、巨大な害悪の原因であり、何よりも嫌悪すべきものだ。
そして、そうした虚偽に騙される人々にも、騙された責任というものがある。なぜなら、無知な人々が騙されることで、社会全体はどんどん悪化していくからである。TPP問題も、そうした「無知との戦い」になるだろう、と私は見ている。
ネットゲリラ氏の上記の言葉は、百姓は利益など求めるな、と言っているように私には聞こえる。他人(下の者)に正当な利益(農業補助金などはそうではないだろうが)の獲得を許さない姿勢は、この社会の上位層に蔓延する姿勢である。あらゆるブラック企業経営者の姿勢がそうであることは言うまでもないが、経団連も官僚もすべてそうなのである。
そして、「自分の利益のことを口にしたり、そのために戦ったりするのは恥ずかしい」という日本人的なシャイさが、日本社会の理不尽な「上による下からの搾取」を容易にしている。だから、私はネットゲリラ氏の言葉を否とし、崖っぷち社長の言葉を是とするのである。
下の記事の中の瑣末な問題を取り上げただけで話が終わりそうだが、こうした「他人に(または上の者が下の者に)無私・無欲を要求するという図々しさ」こそが、日本をどんどん悪い状態にしていると思うので、この問題はけっして瑣末だとは思わないのである。
もちろん、日本が現在直面しているのはTPPという「日本占領計画」といかにして戦うかという大問題なのだが、それについては無数の記事がネットに溢れているので、私が論じるまでもない。また、下記記事における「農業ギルド」のこれまでの陋習は批判されて当然であり、それを変えないと農業はTPPが無くとも死滅するはずである。


(以下引用)



自民の反対派はこれどーすんのかな
野次馬 (2013年2月23日 14:21) | コメント(29)

勝谷誠彦氏が、農協から頼まれて原稿を書いたんだがボツになったそうで、嫌がらせにその全文をネットで公開してます。全文転載可だというので、ここに転載します。

 <言葉を紡ぐことを商売にしているので、私は用語には比較的厳格である。だからTPPという言葉に関しては、最初から怪しいと思っていた。TPPに懐疑的な人々はまずここから入ればいいと思うのだが、この協定の正式名称を英語で言える人も実は少ない。
 正式には『Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement』である。これを霞が関はどう訳してきたか。言うまでもなく『環太平洋戦略的経済連携協定』だ。
 英語が少しでもわかる人なら「あれ?」と思いませんか。Teans を英和辞典で引くとこう出る。<「越えて」「横切って」「貫いて」「通って」「...の向こう側の」>。これのどこをどう読めば「環太平洋」になるのだろうか。もし「環太平洋」ならばPan-Pacific にならなくてはおかしいでしょう。現にさまざまな団体や条約の名称はそうなっている。
 言葉は真実を語る。つまり「太平洋のあっちとこっち」の条約なのである。もっとあからさまに言うならば「アメリカと日本の決まり事」なのだ。これは御存知のように、全体で扱う金額などのほとんどを日米が占めていることでもよくわかる。「アメリカに言われて従わざるを得ない命令」であることを誤魔化すために「環太平洋」などというデタラメな翻訳を役人はしたのだと私は思う。このことを霞が関の連中に指摘すると、みんな黙ってしまう。ホントだからだろう。
 日本人は「みんな仲良く」に弱い。大東亜戦争の戦勝国の仲良しクラブに過ぎない国連に過大な期待をするのでもわかるように。「シンガポールも、ブルネイも入っていますよ。ここで経済大国の日本が欠けるというのは国際協調を国是としているプライドにもとりませんか」と言われると、日本人はついグラリと来る。日本の役人は外交で他国をやりこめられないくせに、自国民を騙す技術は天下一品なのだ。その結果が積み上がっている国家の債務であることは言うまでもない。
 私はまずこの「すべてが嘘つきから始まっている」という認識を持つことが大切だと思う。あらゆる業界で横断的にだ。
 この国は長年の利権談合共産主義によって、業界団体がタコツボ的にオノレの利権を守ることに慣れてきた。だから今回の国際的な詐欺にしてもすぐにそれぞれの事情を持ちだして来る。たしかにいずれも根拠のあることだが、こうなると互いの足を引っ張り合うのもまた、私たちの宿痾だと自覚しよう。
 農業は特に国内の批判にさらされてきた。さまざまな問題はある。しかし、だからといって「外に放り出して鍛えてもらえ」というのは乱暴すぎる話だ。いま問題になっている体罰ではないが「根性を叩き直す」だけではなく、殺されてしまう可能性もあるのではないか。だが、他の業界の中には農業を目の敵にして、こういうことをしきりに主張する向きも目立つ。「自分はそう見られているんだ」という自覚と謙虚さはまさに「戦略的に」農業界は持った方がいい。
 それには被害者面をやめることだ。もっと雄々しく立ち回ることだ。これが日本の農業界にもっとも欠けていた。さきほど体罰について書いたが、いまもうひとつの大きな問題として「いじめ」がある。さまざまな業界にとって農業って「いじめたくなる存在」だという自覚はありますか?数をたのみ、先生という名の政治家に可愛がられ、過保護な扱いをされているのに、外でケンカするとすぐに負けて泣いて帰ってくる。こんな子どもがいたら、よくないことではあるが、いじめたくなる奴も出て来ると思いませんか?
 日本酒の本をたくさん書いている私は、長く酒蔵の方向から農業を見てきた。有名な産地の山田錦の蔵への割り当てが、いかに利権と談合にまみれているかも知ってきた。今や立場は逆転し、山田錦を蔵に「買ってもらう」時代になったのは慶賀の至りだ。
 日本酒業界はこの農業界からの逆な「いじめ」に耐えてきた。自らを鍛え、昨年度はついに日本酒の出荷量は底を打ち、反転攻勢に立っている。「クール」な日本酒は今やわが国が誇る輸出産業だ。誰も守ってくれてはいない中、自助努力で復活したのだ。これはひとつの学ぶべきモデルではないだろうか。
 農業だけではなく特に医療や保険など明らかにマイナスとなる部門は多い。極端な話、モノを書いて飯を食っている私の業界でも「日本語が参入の邪魔になる」として全部英語で発信しろと言われるかも知れないのだ。マンガみたいな話だが、あながち冗談だけではない。それほど「丸飲み」の約束というものは怖い。そんな「詐欺師」を相手にして、いま農業にもっとも必要なのは「ファイティングポーズ」なのだ。国民の同情を引いたり、脅したりすることではない。「こんなかわいそうな農業」ではなく「こんな立派な農業」を危機にさらすわけにはいかない、そう国民に思わせて欲しい。>

以上、転載でした。

おいら、日本の農業をダメにしたのは「補助金」だと思う。働かなくてもカネが貰える。いや、むしろ、休耕田で働かない方がカネになるとか、そんな事をやってりゃ、勤労意欲が薄れて当たり前だ。「アンタの作ったトマト、美味しいわぁ」と、客が喜んでくれる、その顔見たくてトマトを作るという、そういう、素朴な動機で作られる作物を食べたい。それが、農業の基本だと思う。作った作物が、市場に出せばカネになる。後は知ったこっちゃない、どこに運ばれてどこの誰が食うのか、ゼニになりゃ、知ったこっちゃない、しかも、その上に補助金ばかり欲しがって、あっちからもこっちからも「カネくれ」「カネくれ」と手ばかり出て来るので、世間では「千手観音」とまで呼ばれているのを、農業従事者さんは知ってますか? そういう、今までの農業のカタチに見切りをつけて、自分で作った作物を自分で直売所に持ち込んで、買って行く客の顔を見ながら、励まされながら、ゼニ儲けのためにアメリカが、中国が作る農産物と戦う。そこに、価格だけでない「価値」を見い出して、客が買って行く。それが商売というモノだと思うし、農業以外の分野ではみんな、そうして戦っている。カネ寄越せという話だけではなく、どうしたら戦えるのか、それを考えないと生き残れません。


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酔生夢人
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考えること
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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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