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仮面の維持と真面目病

「マドモワゼル愛」のブログから転載。
私は現実生活では真面目そのものの人間であり、たまに冗談を言ってもそれが冗談と受け取ってもらえないような男である。まあ、単に冗談が下手なだけだが、周囲とは冗談やユーモアの感覚が違うとも言える。そもそも筒井康隆を好むような人間の冗談が普通の世界で受け入れられるわけがない。だから、あえて真面目を装っているという部分もある。
たとえば、こんなジョーク(いわゆるシック・ジョーク、あるいはブラック・ジョークだ。)を人前で話したら、とんでもない人でなしだと思われるのは請け合いだ。


(ここで「セカンドベース」というジョークを書いたのだが、やはりあまりにひどいジョークなので消してしまった。障害者差別ジョークというよりは、「人間そのものを物のレベルに引きずり下ろして笑う」というスラップスティック的な笑いなのだが、そういう笑いを嫌う人は多いだろうから、あえて地雷を踏むことはしないでおく。臆病者と笑わば笑え。)


どうでもいい話が長くなった。下記記事で言う「真面目病」の人というのは、現実生活では周囲とよく協調し、お互い冗談なども言ったりするが、実は生活の大半が「仮面」の維持に費やされていて、その生活のストレスを心の中に溜め込み過ぎて鬱病になるというタイプだ。実際、鬱病になる人間はかなり多いらしいし、鬱病予備軍は膨大な数に上るだろう。そういう人には、それが「真面目病」だ、と教えれば、それだけで治るのではないか。
もっとも、真面目病は社会で成功する要因の一つでもあり、社会全体が維持される要因でもあるから、それを「完治」させるのはまた問題かもしれない。真面目病の完治とは、いい加減人間の出来上がり、なのだから。(というわけで、昨日の「『いい加減』は『良い加減』」へと話がつながるわけだ。)
私自身のストレス対策は単純で、「対世間」の時間とプライベートな時間を完全に分けること、そしてプライベートな時間ではあくまで怠惰に、気楽に過ごすことである。いやまあ、ストレス対策と言うよりはただの怠け者の自己弁護なのだが。(念のために言うが、これでも若い頃は「生きるべきか死すべきか」で毎日のように悩んだ真面目人間でもあったのだ。ある意味、真面目病を克服してただのゴクツブシ・駄目人間になったとも言える。まあ、他人に迷惑さえかけなければ、人間、どう生きようがいいのである。)


(以下引用)



2014-05-23 23:36:15

真面目病

テーマ:ブログ


この世にあるもっとも重い病気は真面目病。

まあ、そんなことはないだろうが、時代が押し迫ってくると、一番割に合わなくなるのが、真面目な人だ。

会社が言うままに、、、国が言うままに、、、お医者さんが言うままに、、、真面目だから反発せずに従う。

本気で従うのならいいが、心の片隅には不信があり、気は乗らない。

でも反発したり、反抗することなどはできない。真面目な人なのだから。上が言うままに、従うのが美徳であると信じているが、本当のところは怖いからだ。

ノーというのが怖い。真面目でいれば周囲から浮き上がらない。嫌われない、、そう本気で思ってしまうのだろう。

言いたいことも言えず、真面目に生きてきた人が、不運にも亡くなったとしたら、その葬式は本当に暗いものになると思う。

きっと、どこかで恨んでいることだろうと、、、葬儀に来た人はなんとなく感じてしまう。

この世で善人、、、あの世で悪魔に変身、、、きっとそうなるのではと人は恐れる。

反対に好き勝手やって長寿をまっとうした人の葬式なら、思い出話しにも花が咲く。厄落としの酒も安心して飲める。

もともと、真面目というのは、周囲から期待された人物を演じるという役であり、しょせん無理がある。

癌にかかり、医者が言うままに抗がん治療を行う、、、あまりの苦しみにもうやめたいというのが、絶対の本音だと思う。

しかし、もう一度やりましょう、、という医者の魔の声にノーと言えない。そしてのたうちまわる苦痛。もう死んだってこんなことよりはましだ、、、と怒鳴れない。

怒鳴れば、道が開けるかもしれないのに。一番大事なイノチを見ず知らずの医者に預けてしまう。

医者は決して自分が癌になったら抗ガン治療などしないというのに、そんな医者の進めに従う。

でもどこかおかしい、、、どうしても嫌だ、、、でも真面目だから言えない。

そんな日本人が本当に多いと思う。どうせ殺されるのなら、もっと、感情的な抵抗してもそろそろいいのではないかと思ってしまう。

真面目に苦しみに耐える限度を今の日本は越えてしまっているように感じるのだ。

ブラック企業がのさばるのも、政治のあまりの圧政が続くのも、真面目な人が多いからインチキが通用してしまうのだ。

癌に関しては、世界の主流はとっくに抗ガン治療などやっていないと聞く。じゃ何が主流かというと、「放っておく」と。私も最初は耳を疑った。

真面目な人の上に、白衣を着た悪魔が踊っている、、
白衣は医学であり、科学であり、法曹であり、教育であり、政治であり、経済であり、金融であり、、、

そろそろ真面目病からさよならする時期が来ているのではないか。「これじゃ殺されちまう」と言っていい頃合いではないだろうか。

本当に殺されちゃうかもしれないのだから。真面目に我慢しても、もう誰も喜ばない。イノチが悲しむだけ。

食堂チェーンで一斉にバイトがストライキを行う、、、という話しがあるが、そこまで本当に追い詰められているのだと思う。

アメリカでもすごい人の数がワシントンに集まりだしたようだ。退役軍人が怒りだしている。私がイノチをかけて守ろうとしてきたアメリカとは違う、、、きっとそういう気持ちなのだと思う。

日本も同じだろう。下級裁判官とはいえ、やっと原発再稼働をダメと言ってくれた。偉いものだ。一縷の望みを感じて、心がスーッとした日本人も多かったと思う。

天皇皇后両陛下はその頃、足尾銅山に出向かれた。私的に行かれたようである。足尾銅山では公害により多くのイノチが奪われた、負の記録を記念した場所だ。

原発再稼働の違法性を裁判が認め、同時に天皇は足尾銅山へ出向かれた。偶然かもしれないが、思いは一つとの希望が湧いてくる。

面白いことに、政権のブレーンの一人は、天皇のご発言が安倍政権を批判しているように国民が誤解すると、大御心を批判した。

天皇は憲法順守をお述べになっただけで、当たり前のことである。それは日本の決まりごとなのだから。天皇も政治家も国民も憲法を守る、、当たり前のご発言。

憲法を順守するのが政治の仕事。憲法解釈が首相の自由なら、憲法など不要。

一体何がしたいのか。真面目な人はまだそれでも従うのか。今の日本は真面目な人の口を無理やり押えて抗がん剤を流し込むような暴挙に出ているように、私には思えてしまう。

しかしあまりにおかしすぎるので、ここまで来ると、やはり多くの人がおかしいと思い出す。

おかしなもののあぶり出しと考えると、逆に納得がいく。誰の目にも、今、おかしなものが、各地で各階層で、あぶりだされつつあるのではないだろうか。




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キリング・フィールド・フクシマ

「東海アマ」ツィッターから転載。
私には、一瞬これが白骨の山、頭蓋骨の山に見えた。
実際、それだけの死体をフクシマはこれから生み出すはずである。


(以下引用)


             さんがリツイート

こうなるよね。 垂れ流しには出来ないしね。 RT: はてしない使用済み防護服の山。 燃やしたら灰と煙が出るし、埋める場所もないし、こっそりどこかに広域処理されてたら怖い…。

埋め込み画像への固定リンク





(追記)同じく「東海アマ」ツイッターより。




             さんがリツイート

「東京電力は22日、福島第1原発事故の賠償資金として、原子力損害賠償支援機構から1759億円の交付を受けた…累計4兆547億円…東電が…支払った賠償金は約3兆8085億円」|5/22共同:東電に1759億円交付 原賠機構、累計4兆円超 












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「いい加減」と「良い加減」

「in deep」の最新記事に次のような感慨が書かれていたが、「いい加減に生きる」というのは非常に大事なことだと思う。後になると、その時の「いい加減」が、実はその人にとっては「良い加減」であったことが分かったりするものだ。(言うまでも無いが、これは根が真面目な人に関しての話である。)
「大事な決断は簡単にやれ」という言葉もある。大事な決断は、あまりに考察要素が多く、場合によっては問題が紛糾していて、そのすべてを考えていては「ムカデが自分の足をどう動かしてどう歩くべきか考えて歩けなくなる」ようなことにもなりかねない。そこで、大事な決断は軽くやるのである。結婚とかね。(笑)ただし、「責任はすべて自分で引き受ける」意志で行うことが大事だろう。
私の父から教えられた言葉がある。と言うより、その遺した備忘録の中にあった昔の人の言葉なのだが、(フランスの詩人ヴィーニーとやらの言葉らしい。)

うめくも、泣くも、祈るも、
同じく卑怯。
運命がお前を招いた道で
長く苦しいお前の務めを
逞しく果せ。
その後で俺のように物言わず
苦しんで死ね。


という言葉は、人生の嫌なことから常に逃げてきた私にはなかなか厳しい叱責だが、「人生に過剰な期待をするな」という一点では私自身の人生訓の一つにもなってきたようだ。要するに、人生の精神的苦痛とは、予定していたもの(妄想的期待)と受け取るもの(現実)との落差から来るものがほとんどだ、と私は考えているのである。昔の農民や農奴の生活を考えれば、今の平凡な暮らしも天国のようなものだ、と私は思っている。私が政治に不満を言うのは、政治が人々の暮らしをより悪化させる方向に動いているからにすぎないのである。



(以下引用)



私などはもう 50代ですし、すでに遅い感じはありますが、ただ、ひとつだけ救いがあるとすれば、私は「自分の理想に沿った理念のもとで生きてくることができた」という意味では、比較的幸せな部分が多かったといえる部分があるということがあります。

その理念の具体的なところは、気分を害される方もあるかしれないですので、曖昧にしておきますけれど、傍から見れば、「単にいい加減な生き方」と言われて当然な生き方ですし、そう言われても怒るどころか、「そう言われることを目指していたので嬉しいです」と言ってしまいかねない部分もあるのですが、ここまでの人生はともかく、これから年齢を重ねて、1日1日と「死」へと近づいていく中で、

「生と死のそれぞれの本当の意味」

をもう少しきちんと知りたく、そして、知るだけでなく、「意識してみたい」、あるいは「体感してみたい」ということがあります。

どれだけ健康に気をつけようと、80歳、90歳、100歳、あるいはもうちょい位までには確実に人は「生」を終えます。

それでまあ・・・もしかすると、薔薇十字的な学問、あるいはそれを書いているシュタイナー的な概念というものを勉強することによって、「自分が死ぬことに対しての恐怖がなくなる」ということも生じるかもしれないですが、それ以上に、

むしろ死を心待ちにする時

ということにまで行き着いたりするのかもしれないですし。


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福井地裁の歴史的名判決

「春と修羅☆」から転載。
この判決を下した福井地裁の裁判官の名前は知らないが、歴史的な名判決だろう。そして、この判決文要旨は、日本では原発そのものの存在が許されるべきではないことを詳細かつ論理的かつ明瞭に示している。まさに永久保存版の文章である。


(以下引用)



宝石緑関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた21日の福井地裁

の判決要旨は次の通り。素晴らしい判決文ですこれは保存版だと。

【主文】

 大飯原発3、4号機を運転してはならない。

 【福島原発事故】

 原子力委員会委員長は福島第1原発から250キロ圏内に居住する
住民に避難を勧告する可能性を検討し、チェルノブイリ事故でも同様
の規模に及んだ。250キロは緊急時に想定された数字だが過大と判断できない。

 【求められる安全性】

原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である
経済活動の自由に属し、憲法上は
人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。

自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範に
奪われる事態を招く可能性があるのは原発事故以外に
想定しにくい。

具体的危険性が万が一でもあれば、差し止めが認められるのは当然だ。

 【原発の特性】

 原子力発電技術で発生するエネルギーは極めて膨大で、
運転停止後も電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならない。

その間、何時間か電源が失われるだけで事故につながり、
事故は時の経過に従って拡大する。これは原子力発電に
内在する本質的な危険である。

 施設の損傷に結びつく地震が起きた場合、
止める、冷やす、閉じ込めるという三つの要請がそろって初めて原発
の安全性が保たれる。

福島原発事故では冷やすことができず放射性物質が外部に放出された。

 【大飯原発の欠陥】

 地震の際の冷やす機能と閉じ込める構造に欠陥がある。

1260ガルを超える地震では冷却システムが崩壊し、
メルトダウンに結びつくことは被告も認めている。

わが国の地震学会は大規模な地震の発生を一度も予知できていない。

頼るべき過去のデータは限られ、大飯原発に1260ガルを超える
地震が来ないとの科学的な根拠に基づく想定は本来的に不可能だ。

 被告は、700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震へ
の対応策があり、大事故に至らないと主張する。

しかし事態が深刻であるほど、混乱と焦燥の中で従業員に適切、
迅速な措置を取ることは求めることができない。

地震は従業員が少なくなる夜も昼と同じ確率で起き、
人員の数や指揮命令系統の中心の所長がいるかいないかが
大きな意味を持つことは明白だ。

 また対応策を取るには、どんな事態が起きているか把握
することが前提だが、その把握は困難だ。

福島原発事故でも地震がどんな損傷をもたらしたかの確定には
至っていない。現場に立ち入ることができず、原因は確定できない可能性が高い。

 仮にいかなる事態が起きているか把握できたとしても、
全交流電源喪失から炉心損傷開始までは5時間余りで、
そこからメルトダウン開始まで2時間もないなど残された時間は限られている。

 地震で複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり、
故障したりすることも当然考えられ、防御設備が複数あることは
安全性を大きく高めるものではない。

 原発に通ずる道路は限られ、施設外部からの支援も期待できない。

 【冷却機能の維持】

 被告は周辺の活断層の状況から、700ガルを超える地震が
到来することは考えられないと主張するが、2005年以降、
全国の四つの原発で5回にわたり想定の地震動を超える
地震が到来している事実を重視すべきだ。

 過去に原発が基準地震動を超える地震に耐えられたとの事実
があっても、今後大飯原発の施設が損傷しないことを根拠づけ
るものではない。

基準地震動の700ガルを下回る地震でも外部電源が断たれたり、
ポンプ破損で主給水が断たれたりする恐れがある。

その場合、実際には取るのが難しい手段が功を奏さない限り大事故になる。

 地震大国日本で、基準地震動を超える地震が大飯原発に
到来しないというのは根拠のない楽観的見通しだ。

それに満たない地震でも冷却機能喪失による重大な事故が生じうるなら
、危険性は現実的で切迫した危険と評価できる。

このような施設の在り方は、原発が有する本質的な危険性に
ついてあまりに楽観的だ。

 【使用済み核燃料】

 使用済み核燃料は原子炉格納容器の外の建屋内にある使用済み
核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれている。

本数は千本を超えるが、プールから放射性物質が漏れた時、
敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような
堅固な設備は存在しない。

 福島原発事故で、4号機のプールに納められた使用済み核燃料
が危機的状態に陥り、この危険性ゆえ避難計画が検討された。

原子力委員会委員長の被害想定で、最も重大な被害を及ぼすと
想定されたのはプールからの放射能汚染だ。

使用済み核燃料は外部からの不測の事態に対し、堅固に
防御を固めて初めて万全の措置といえる。

 大飯原発では、全交流電源喪失から3日たたずしてプールの
冠水状態を維持できなくなる危機的状況に陥る。

国民の安全が優先されるべきであるとの見識に立たず、
深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しで対応が成り立っている。

 人格権を放射性物質の危険から守るとの観点からみると、
安全技術と設備は、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に
初めて成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない。

 【国富の損失】

 被告は原発稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながる
と主張するが、多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代
の高い低いという問題を並べて論じるような議論に加わり、
議論の当否を判断すること自体、法的には許されない。

原発停止で多額の貿易赤字が出るとしても、豊かな国土に
国民が根を下ろして生活していることが国富であり、
これを取り戻すことができなくなることが国富の損失だ。

 被告は、原発稼働がCO2(二酸化炭素)排出削減に資すると
主張するが、福島原発事故はわが国始まって以来最大の
環境汚染であり、原発の運転継続の根拠とすることは甚だしく筋違いだ。




(追記)「阿修羅」より転載。裁判長は樋口英明という人らしい。この硬骨の裁判官の名前は覚えておきたい。




大飯原発の運転差し止め命じる 福井地裁が判決
福井新聞ONLINE 5月21日(水)15時8分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140521-00010002-fukui-l18


大飯原発3、4号機の差し止め判決で喜び沸く原告団=21日、福井地裁前


 安全性が保証されないまま関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)を再稼働させたとして、福井県などの住民189人が関電に運転差し止めを求めた訴訟の判決言い渡しが21日、福井地裁であり、樋口英明裁判長は関電側に運転差し止めを命じた。


 全国の原発訴訟で住民側が勝訴したのは、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の設置許可を無効とした2003年1月の名古屋高裁金沢支部判決と、北陸電力志賀原発2号機(石川県)の運転差し止めを命じた06年3月の金沢地裁判決(いずれも上級審で住民側の敗訴が確定)に続き3例目。


 大飯3、4号機は昨年9月に定期検査のため運転を停止。関電は再稼働に向け原子力規制委員会に審査を申請し、新規制基準に基づく審査が続いている。


 審理では、関電が想定した「基準地震動」(耐震設計の目安となる地震の揺れ)より大きい地震が発生する可能性や、外部電源が喪失するなど過酷事故に至ったときに放射能漏れが生じないかなどが争点となった。


 大飯原発3、4号機をめぐっては、近畿の住民らが再稼働させないよう求めた仮処分の申し立てで、大阪高裁が9日、「原子力規制委員会の結論より前に、裁判所が稼働を差し止める判断を出すのは相当ではない」などとして却下していた。


 脱原発弁護団全国連絡会(事務局・東京)などによると2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、全国で住民側が提訴した原発の運転差し止め訴訟は少なくとも16件あり、福井訴訟が事故後初めての判決となった。


福井新聞社






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ヘレン・メリルの「夜来香」

「神州の泉」を読んでいたら、最後にこういう一節があったので、「我が同士ここにあり」と思ってしまった。
と言うのは、私がこの世で一番好きな歌は「夜来香」で、それに次ぐのが「蘇州夜曲」だからだ。念のために言うが、私はこれらの歌が流行った時代の人間ではない。私が子供のころには、これらの歌はすでにナツメロだったのである。だが、「夜来香」という歌は、誰が歌っても素晴らしい、世界最高の歌だと私は信じている。「蘇州夜曲」は、好きな歌だが、そういう世界性は無いと思う。まあ、好きな歌に優劣をつけること自体が野暮である。
「夜来香」の世界性を示すのが、ジャズシンガー、ヘレン・メリルの歌ったそれだろう。英語の歌詞で歌っているので、曲に乗らないところが少しあるが、その詞もなかなかいいので、それを手元のCD解説から書き写しておく。



YEA LEI SHANG

The southern wind is on my cheek
The flowers sway and leave me week
Weak with the fragrance of you and love
Oh Yea Lei Shang
Lovely flower of the night
A nightengale on silent wings
A mournful song to me she sings
She knows the story of you and love
Oh Yea Lei Shang
Lovely blossom of the night

Yea Lei Shang
My heart sings for you
Yea Lei Shang
May my dreams come true
How I kiss your lovely face
Hold you here in my embrace
 
(以下略。そのうち追加するかもしれない。)





(以下「神州の泉」より引用)



こんな辺境のブロガー、神州の泉が期待してもどうにもならないが、いつか千明せらさんのカバーで「蘇州夜曲」を聴いてみたい。(^^)





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タイで軍によるクーデターか

タイで軍によるクーデターが起こったようである。
「in deep」が詳しく伝えているので、転載する。
正直に言えば、私はタイの政治情勢にはまったく無関心だった。中東のように「西側」の関与やユダ金の関与が、私にとっては明確ではないからだ。つまり、ただの政治屋たちの利権争いによる政治騒動に国民が乗せられているだけ、としか思っていなかったわけだ。タクシン派と反タクシン派の政治姿勢の違いも私にはまったく分からないし、お互いが何を理由にいがみあっているのかも分からない。だから、これまでまったく取り上げなかったのだが、軍によるクーデターとなると、話の次元がまったく違ってくる。言うまでもなく、軍の背後には何かがいるはずだからだ。その正体はまだ不明だが、今後は少し注目していこうかと思っている。



(以下引用)





「タイ戒厳令」の進行状況

衛星テレビ局の前を封鎖するタイ陸軍兵士。この後、この放送局は放送停止

thai-coup-tv.jpg

▲ 2014年5月20日タイ字紙 thairath より。


タイのクーデターは5月20日の未明、唐突に軍の放送で宣告されたものですが、そもそも「戒厳令」という言葉は何となく意味は知っていても、厳密な定義を今一度見てみたいと思います。


戒厳 - Wikipedia

戒厳とは、戦時において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合において、国民の権利を保障した法律の一部の効力を停止し、行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の権力下に移行することをいう。また、戒厳について規定した法令を戒厳令という。


つまり、戒厳令というのは「国の体制が軍のもとに入る」ということで、


・現行法律の一部の効力を停止
・行政権・司法権の一部ないし全部を軍隊の権力下に移行する


などの状態になるということのようです。

その「戒厳」の状態となった今日 5月 20日のタイの動きを記してみます。

日本語の情報は newsclio.be など。
写真はタイの現地メディアからのものです。

5月20日未明

タイ軍、戒厳令布告


タイ陸軍のプラユット司令官は20日朝、戒厳令を布告した。国民の安全、財産を守るためで、クーデターではないとしている。

陸軍は20日未明に主要な地上波テレビ局、衛星テレビ局に兵士を配置した。


5月20日午前

戒厳令布告のタイ軍 デモ隊の移動禁止、政府の治安維持権限奪取


軍は戒厳令を布告して、政府の治安対策本部を解散させ、権限を軍による治安対策司令部に移管させた。また、必要な場合はテレビ放送を管理するとして、主要な地上波テレビ局、衛星テレビ局に兵士を配置した。


thai-coup-tv3.jpg

▲ テレビ局内に配置された兵士。 matichon online より。


5月20日午前

タイ軍、反政府系など衛星テレビ10局の放送停止


戒厳令を布告したタイ陸軍は同日、反タクシン元首相・反政府派、タクシン・政治支持派などの衛星テレビ局10局と地方の違法ラジオ局の放送を停止させた。

地上波テレビ局は放送を続けているが、時折、軍からの布告で放送が中断されている。


というように、同日中に、

・デモ行進の禁止
・治安維持の全権を掌握
・放送局の放送停止


などをおこない、メディアのコントロールを含む事実上のクーデターをおこなったといえるようです。 newsclip の記事でも、


タイの政治混乱は陸軍による戒厳令布告で新たな局面を迎えた。

プラユット陸軍司令官は「クーデターではない」と主張しているが、政府の権限を奪い、テレビ局、ラジオ局に兵士を送り込み放送内容を管理する手法は実質的なクーデターといえる。


と記事に書いています。

また、一方で、newsclip は「戒厳令布告のタイ、バンコクの市民生活は通常通り」というタイトルの記事も書いていて、通常生活には影響は出ていないというようなことが書かれてあります。

しかし、現地の写真を見ると、バンコクの街の中に至るところに自動小銃を構えた兵士たちが立っているという光景は「通常通り」というものとも心情的には違うような感じもします。

以下は今日のバンコクの様子です。

arm-01.jpg


arm-02.JPG


arm-03.JPG

▲ すべて、タイ Post Today より。


近代のタイでは軍がクーデターを起こした後、政権のどちらか側について決着というパターンが多いのですが、しかし、最近のタイの政情の混乱と、人々のデモの激しさは常軌を逸していたことが気になります。

昨年からの反政府デモでは、治安当局との衝突や、集会への爆弾や手りゅう弾での襲撃などで、昨年11月から 25人が死亡して、700人以上が負傷しています。

ですので、仮にタイ軍が今後どのような方向に動くにしても、今のタイの国民の、一種の「荒さ」は尋常ではないものがあるように思えるだけに、どうにも不穏な雲行きを感じざるをえません。





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フィクションとしてのヤンキー

広島カープのバリントンが「広島はヤンキースよりも強い」と言ったということで、某サイトにスレッドが立っていたが、次のコメントに思わず笑ってしまった。なるほどねえ。何しろ、載ったのが東スポだし。
それで思い出したのが、前々からヤンキーについて何か書こうと思っていたことである。もちろん、暇人の雑談だ。
というのは、最近ネットテレビでずっと『スラムダンク』のアニメを見ているのだが、これはヤンキー漫画だよなあ、と内心思っていたからだ。原作の漫画も読んだはずだが、そっちの記憶はまったく無いので、アニメと原作の相違は知らない。主人公の青田赤道、じゃない、桜木花道は、髪の毛を赤く染めたまったくのヤンキーで、その仲間も皆ヤンキーだから、『スラムダンク』はヤンキー漫画だと言って不思議は無いと思うのだが、この漫画をそう見ている人はあまりいないようで、スポーツ漫画だとカテゴライズされている気がする。いや、もちろんスポーツ漫画なんだが、ヤンキー漫画でもあるのではないか、ということだ。
で、ヤンキーとは何か、ということを考えたのだが、現実のヤンキーは、昔なら不良と呼ばれたただの品性下劣なクズどもだとは思うが、漫画やアニメのヤンキーは、その理想化、あるいはかなりの美化が行われているのではないか。
私の定義では、その理想化されたヤンキーとはこんなものだ。

1)学業では劣等生(あるいは勉強には興味無し。先生や大人の受けは悪い)
2)でも、根は善良。(ここにかなりの美化がある。)
3)喧嘩が強く、筋の通らないことが大嫌い。(ここもかなり美化。ヤクザの美化と同じ。)
4)無意味な規則を頭から馬鹿にして、従わない。(これはある意味では若者の理想像。社会的権力に従わないだけの力を持っている、ということだから。だが、実際にはヤクザなどにはぺこぺこしているのが現実だろう。)
5)仲間や恋人のためには命を懸けて戦う。(これもかなり美化)

つまり、漫画などでのヤンキーは、規律に従うことで自分の居場所を確保せざるを得ない、無力な若者たちにとってはヒーローたりうる存在である、ということだ。
まあ、現実にはそんなヤンキーなどいないだろう、と私は思うのだが、フィクションとしてのヤンキーとは、実は「任侠の徒」の一変形なのである。どちらも、社会の爪弾き者でありながら、純情と義侠心を心の中に秘め、愛する人々のために悪と戦って死んでいく。
そういう「侠」の一字が社会から失われた現代だから、ヤンキー漫画の需要も結構あるのではないだろうか。ということは、「任侠漫画」や「仁侠映画」の需要も本当はある、ということである。
アニメの『スラムダンク』については書けることはまだあるが、長くなったのでここまでとする。



30: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2014/05/19(月) 11:49:55.06 ID:k1EAP0s+.net
バリ「カープは若いヤンキーたちがいて強い」 
東スポ「カープはヤンキースよりも強い」





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