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読点ひとつでも大事

とある、滑落死した登山家についての批判的連続ツィートへのコメントだが、一読した時には文意が分からず戸惑った。文章のニュアンスは、その批判的連続ツィート(亡くなった登山家は実力の無い、無謀な登山家だった、という主張)に同意している(「~だったんですね」が、その書かれた内容への同意を示している。)ようなのに、「実力のない登山家とも言えない方だったんですね」と書いてあるからだ。これだとつまり「実力のある登山家だった」となるのだが、と首をひねっているうちに、「あっ、これは『弁慶がな、ぎなたを持って』や『(数珠を)二重にしてくびに掛ける』と同様の読点の問題だ」、と分かった。
実力のない、登山家とも言えない方だったんですね」と、読点をひとつ入れれば解決である。「なぎなた」に勝手に読点を入れて読むと「な、ぎなた」のようになるし、読点が無いと「二重にして、首に掛ける」のか、「二重にし、手首に掛ける」のか分からなくなる。
最近のネット文章の粗雑さ(特に句読点のいい加減さ)への警鐘になる話だろう。
なお、私も段落の頭の一字下げを守っていないが、これは操作が煩雑だし、さほど読解に影響は無いからである。

(以下引用)

久しぶりに栗城さんの名前ききました。実力のない登山家とも言えない方だったんですね…知らなかった…

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目は心の窓、とやら

「目は人間のマナコなり」という、小泉進次郎も及ばない名言を言ったのは志ん生だったか誰か忘れたが、目に人間性というのは現れるようだ。東海アマ氏も、人を殺したことのある人間は目で分かる、と書いていた。
で、荻生田だが、彼の高校生の頃の写真を見たら、将来は確実に暴力団入りか人殺しだろうという目をしている。まあ、それと大差ない商売に入ったわけだwww 太って眼鏡をかけ、ニコニコしていても、その暴力的な本性は目に表れているだろう。それは身近な人間、彼と関わった人間が知っているのではないか。

顔に嘘をつく心の葛藤が出てこない

というのは重要なところで、詐欺師の特徴だが、これは長年の修練の結果でもある。素人はそうそう嘘をつく機会が無いから修練しようがないwww
普通の人間は、嘘をつくとその不利益がすぐに自分に跳ね返るから、さほど嘘はつけないものだ。一般には「正直は最善の政策(Honesty is the best policy)」なのである。ところが不思議なことに、一番正直さが求められる政治家や官僚が、いくら嘘をついても黙認されるという社会風土がこの日本にはある。

ちなみに、ナマコにはマナコは無い。

(以下「ネットゲリラ」常連コメント欄より)

こういうこと、レッテル貼りで言いたくないんだけど、それでも言わざるを得ないこと、それは・・


安倍晋三・萩生田光一・下村博文・杉田水脈・稲田朋美・田中富弘..


息を吐くように嘘をつく人達は皆同じ顔の動き・臭いがするんだよねw これはもう独特のフォーマットだと言える。これが詐欺師の共通フォーマットなのかは知らんけど、嘘つきが自然集合して似た者同士が集まったのか・・ 類は友を呼ぶわけだなー


こいつら何の躊躇いもなく嘘をつく、顔に嘘をつく心の葛藤が出てこない、敢えて多少の差異を見るならば、杉田水脈は少し違ってて、やたら攻撃的で顔の歪みが強く出てはいる。安倍晋三は平気で嘘を吐く、典型的なサイコパス。




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「ジンジロゲ」の考察

「世界の民謡・童謡」というサイトでの、森山加代子でヒットした謎の歌「じんじろげ」の考察をしているが、かなり合理的で丁寧な考察である。ちなみに、ジンジロゲを陰毛とする解釈は不可のようだwww 子供のころの私は「ヒラミヤパミヤ」の部分を「シラミやパミや」と聞いていた。「パミ」が何だか分からなかったが、まあ、シラミは知っていた。

(以下引用)

じんじろげ 歌詞の意味・由来

歌詞には大正時代に流行していたという俗謡・わらべうたも

60年代の歌謡曲『じんじろげ』の歌詞の意味を考えるにあたって、まず明確に区別しておきたい点がある。


下の図は、作詞:渡舟人、作曲:中村八大、歌:森山 加代子による歌謡曲『じんじろげ』の一番の歌詞を引用したもの。


この曲の歌詞は、由来が異なる3つの部分が一つにまとめられて構成されているのだ。

歌詞は大きく三つに分かれる


赤の歌詞は、作詞家の渡舟人(わたるふなんど)により歌謡曲として追加された部分。


青の歌詞は、大正時代に流行していたという俗謡・わらべうたの部分。


緑の歌詞は、インド民謡をルーツとする空耳ソング部分。


このページでは、赤と青の歌詞について、特に青の俗謡・わらべうたについて注目して解説していく。


インド民謡と『じんじろげ』の関係については、こちらのページ「インド民謡「雨期礼賛の歌」 じんじろげ ヒラミルパニア」で解説している。

冒頭の歌詞について

まず、『じんじろげ』冒頭の歌詞について簡単に。上の図でいうと赤い枠で囲った部分。渡舟人(わたるふなんど)により作詞された歌詞だ。



「ちんちくりん」とは、背が低いこと。または、背丈に比べて衣服が短すぎること。


「つんつるてん」とは、衣服の丈が短くて、手足が出ている様子を表す。つるっぱげの意味でも使われる。


「おさんどん」とは、台所などで働く下女・女中のこと。


これらの言葉は、語感の面白さ重視で、ほとんど意味のない言葉として使われているように見える。どれも「ん」が2回使われ、最後が「ん」で終わる言葉であり、連続して並べることで独特のテンポが生まれている。

大正時代の歌詞(青い部分)

青枠で囲んだ部分の歌詞については、遅くとも大正時代には俗謡などでその存在か確認されている。



その代表例としては、京都・岡山にあった旧制第三高等学校、いわゆる「三高」において、大正時代に出版された三高漫画歌集に掲載された『ヂンヂロゲ踊の歌』が有名。


大正時代にはすでに、この青枠で囲まれた部分の『じんじろげ』の歌詞と、緑枠で囲まれたインド民謡由来の歌詞「ヒラミルパミア」が、二つ合わせて一つの歌として結合していたようだ。

じんじろ=つむじの毛

「じんじろげ」という言葉の意味については定かではないが、毛髪の名称である可能性は高い。


岸和田だんじり祭で有名な大阪府の泉州(せんしゅう)地域では、頭のてっぺんにある渦巻き状の髪の毛「つむじ」のことを「じんじろ」または「じんじり」ということがある。


ちなみに、大阪・京都を中心とする畿内の上方(かみがた)で演じられる上方落語では、寄席囃子(よせばやし)・出囃子(でばやし)の一つに『じんじろ』という有名な曲がある。

日露戦争と『一列談判』

歌詞の一部にある「ホーレツラッパノツーレツ」とは、筆者の私見では、日露戦争に関連する手まり歌・わらべうた『一列談判』(いちれつだんぱん)がルーツではないかと考えている。


一列談判破裂して 日露戦争始まった
さっさと逃げるは ロシヤの兵
死んでも尽くすは 日本の兵


<わらべうた『一列談判』冒頭の歌詞より>


まりをついた数を数える「手まり歌」なので、「一、二、三、四(いち、に、さん、し)」と数字の掛詞(かけことば)になっているのが分かる。


なお、『一列談判』(いちれつだんぱん)は、子供でも発音しやすいように「いちれつらんぱん」と読まれることもある。


この「いちれつらんぱん」が「ホーレツラッパ」の由来である可能性が考えられる。

ドンガラガッタは軍楽隊?

また、歌詞の一部である「ドレドンガラガッタ」についても、日露戦争の軍楽隊が行軍する際のドラムの音を「ドンガラガッタ」と表現している可能性がある。


リズム的には、トルコ軍楽隊のメフテルが演奏する名曲『ジェッディン・デデン』の一部と合致する。

マージョリンはマーガリン?

「マージョリン マージンガラ」という歌詞については、バターに似た加工食品の「マーガリン」がルーツではないかと考えられる。


マーガリンは、日本へ1887年に初めて輸入され、1908年(明治41年)に横浜の帝国社(現在:あすか製薬)によって国産化に成功している。


マーガリンを英語で発音し、その発音をあえてカタカナ表記すると「マージョリン」に近い表記となる。まだ当時目新しかったマーガリンが歌に組み込まれたのではないだろうか?


なお、歌詞の「マージンガラ」の部分については、手まり歌・わらべうた『いちりっとらい(いちりっとらん)』の「しんがら ほけきょ」との関連性も伺われる。

謎のヒッカリコマタキ

「ヒッカリ コマタキ ワーイワイ」については謎が多い。「しっかり釜を焚け」が訛化(がか)したものとも考えられるが、いまいち決め手に欠ける。


俗謡やわらべうたの歌詞は、歌われる地域や時代によって歌詞が少しずつ変化して伝えられることが多く、この「ヒッカリ コマタキ」も元は何らかの意味を持った言葉であった可能性はあるが、果たしてそれが何だったのかは定かではない。

兵庫県のお手玉歌

一般社団法人 兵庫県こども会連合会Webサイト上で公開されているPDF資料「兵庫県のわらべ歌」によれば、『じんじろげ』の歌詞の一部と関連する「お手玉の歌」が現代まで伝えられているようだ。その歌詞は次のとおり。

お手玉の歌

じんじろげ じんじろげ ど~れ
どんがらがっちゃ ほうりつらっぱの
つうやつう まんがりんよいよい
いなりにおしずし じんじろげ
じんじろげ ほーれ どんがらがっちゃ
ほーい ほーい


この歌詞では、上述の「マージョリン」の部分が「まんがりん」となっており、よりマーガリンとの関連性が伺われるのが興味深い。

宮城県のわらべうた

当サイトのお問い合わせフォームから情報提供して頂いた、宮城県のわらべうたをご紹介(情報提供感謝いたします)。歌詞は次のとおり。


じんじろげーや じんじろげ
どーでどんがらばったの
ほーれづらっぱのつーれづれ
まーじょれん まーじょれんが
じょーいじょい
すっかれかまどで わーいわい


かんぐるなっつー かんぐるなっつー
ぷろたーの かーわーな
ぱーみんな ぱーみんな
わがぜっとの ねーぶるか


みーよーみーよーかんね
かねなちゅーな
ちょいなーのちゅーや


「ヒッカリ コマタキ」の部分が「すっかれかまどで」というある程度意味の通るフレーズになっているのが興味深い。


最後の「ちょいなーのちゅーや」の部分は、インド民謡由来の歌詞「ヒラミルパミア」における「ジョリ ナナ ディーヤ」が訛ったものと考えられる。

関連ページ

インド民謡「雨期礼賛の歌」 ヒラミルパニアと『じんじろげ』
歌謡曲『じんじろげ』歌詞の一部の元ネタとされるインドの歌
琵琶湖周航の歌
京都大学(当時は第三高等学校)の学生だった小口太郎により作詞された
大正時代の童謡・唱歌・流行歌
大正ロマンあふれる時代の名曲・流行歌まとめ

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新コロ患者が出た職場

「はてな匿名ダイアリー」のコメントのひとつだが、案外誰も言わないことを指摘しているのが面白い。まあ、こういうコメントは「病気の人を攻撃している」とされて逆に非難されるからだろう。なぜか、そういう「ポリコレ」病が社会の空気の中にはあるようだ。それが人々の「本音」を封じている。

(以下引用)


コロナ罹って軽症で仕事10日も休んで保険からお金出て会社からお見舞金出て(職場感染してるから)…


羨まし過ぎる


取り残された陰性の我々が必死仕事カバーして


こちら側にこそ慰労金や休暇出して欲しいところなんですけど


そういう思考は無いよね


馬鹿らしい

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「ビッグバン説」の怪しさ

我々は、あまりに明白なものはかえって目に入らない(意識に上らない)性質があるようだ。忙しい現代だと、自分の家族の顔さえ注意して見ない人間は多いのではないか。
と言うのは前置きで、私が「ビッグバン説」を信じていないことは何度も書いてきたが、その疑問の根拠は書いてこなかった。だが、下のロシアの科学者が(相対性理論批判の論文の中で)言うように、「何が」爆発したのかというあまりに明白な疑問、起こって当然の疑問は私の頭の中には浮かばなかったのである。
ビッグバン以前には宇宙は存在しない、つまり「何物も存在しなかった」わけだから、そこに突然、爆発が起こるとしたら、その爆発したとされるものは何なのかwww
なお、私は引用した論文を読んだわけではなく、単に漠然と眺めて、その中で興味を惹いた「ビッグバン否定論」の部分を抜き出しただけである。

(以下引用)

 概して言えば,ビッグバン(大爆発)理論は大きな疑惑を抱かせる。何が,どこに向か って,いつ爆発したのかというありふれた疑問(何しろ,空間も時間も物質*も存在しなか ったのだから)の他に,ブラックホールに関する一般相対性理論の結論(限界速度である 光速度は超えられないという結論)はどうするのかという疑問が生じる。何しろ,宇宙は, 83 第 2 章 一般相対性理論の基礎 ゼロ時点においては(さらに,ゼロ時点においてだけでなく,ある長さの時間にわたって) ブラックホールでなければならなかったのだから。一般相対性理論が課す条件はどうする のか? 何しろ,ブラックホール内における収縮といった比喩的記述の代わりに,今や, 我々はあらゆる場所における膨張を実験的に観測しているのだから。どうやら,検証不可 能なものをでっち上げるのがよっぽど面白いにちがいない(ただし,そんなものは科学と 呼ぶに値しない)。 次の原理的な問題に進もう

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邪馬台国から大和朝廷へのlong long way

「副島隆彦の学問道場」の「重たい掲示板」にKONAという人が投稿した邪馬台国についての考察記事である。文中の「小林説」の小林は小林恵子(やすこ)という人のようだ。なかなか興味深いことをその著作に書いている。ただ、私がそのすべてに賛同しての転載ではないことは勿論だ。
要するに「邪馬台国」は「大和朝廷」の前身だ、というのは中学で日本史を習った最初に誰でも考えることだろう。だが、なぜか学者たちの間でその説を言う人があまりいないようで、私は知らなかったが、小林がその説を言っているようだ。
下の引用では「邪馬台国」と「奴国」の関係が書かれていないが、邪馬台国の北上・東遷に伴う「邪馬台国→奴国→大奴国→大和」という名前の変遷が伺われる。つまり「奴国」の「奴(な)」が「奴隷」を表すのは当然(「魏志倭人伝」の「倭」は小人の意味のようだ。どちらも蔑称である。これは「和人」という自称を魏の書き手が「倭人」と表記したのだろう。「倭人」は当時の魏が記(志・誌)した日本史上の日本人全体である。)で奴国の人間には不愉快なので、「奴(な)の国」が類似音変化で「和(わ)の国」となり、そして「大」という美称をつけて「大和国」と改名したのだろう。
「大和」が「やまと」と呼ばれたのは、当時そのあたりの土地が「山の戸(入口)」を意味する「やまと」と呼ばれていたからではないか。これは、奈良地方が四辺を山に囲まれていたからだろう。「たたなづく青垣、山籠れる大和し麗し」である。「大和」を「やまと」という無理な読み方をしている理由は、「大和」という漢字が先にあり(まず国名が作られ)、それに「やまと」という読み方をこじつけたからだと思う。

(以下引用)

(2)邪馬台国は「間違いなく」太宰府にあったか?
下條説では「間違いなく」太宰府としているため、本当に間違いはないのだろうか?
下條説は大きくは北九州説ですが、北九州説では、気候風土が合わないという致命的な問題点がある。魏志倭人伝にある邪馬台国の気候風土は熱帯から亜熱帯であり、近畿は寒すぎて話にならないし、北九州だとしても特に冬はやっぱり寒い。

(引用はじめ「江南~神武」p133)
魏志倭人伝の記述にある、一年中緑の野菜があること、海水に潜って魚貝を捕ること、裸足でいられることなどから、少なくとも温帯地方であることをうかがわせているが、庶民の男子が上半身裸だったことは、奄美大島から沖縄にかけての東南アジアの関連を感じさせる。(中略)つまり「魏志倭人伝」にみえる男性は上半身を様々な文様の入墨で飾り、下半身はサロンのように、布を腰に巻いていたのである。また女性の来ている貫頭衣が南方系であることはすでに定説となっている。人々がこのような姿でいられるのは、熱帯から亜熱帯地域に限られるであろう。
(引用終わり)

Konaです。気候風土の問題を脇に置くとしても、邪馬台国の距離と方角についてはどう考えるべきか?
下條説では岡田英弘氏の見解に沿い、邪馬台国の距離と方角について魏志倭人伝は「記述がでたらめ」(「邪馬台国の謎」p101)としている。そして邪馬台国の位置が分からない理由は、「魏志倭人伝」が司馬懿の実績を高く評価するために改ざんされたからとしている(同書p105)。
この点、小林説は邪馬台国の所在地を不明確にしている最大の理由を魏志倭人伝が紀元前後から3世紀後半までのことを3世紀前半の記述の中に「同時に押し込めたから」としている。
(引用はじめp142)
邪馬台国の所在地にしても、紀元前後の奄美大島と、3世紀中頃までの伊都国の2箇所が同時に記載されている。「魏志倭人伝」は行程において邪馬台国が最初に都した奄美大島までの日数を記したが、政治経済については邪馬台国が北九州に移動し、伊都国がその主体となった3世紀前半の実情を記録しているのだ。その上、3世紀後半、倭国の主体が近畿の大和地方に移って、大倭と国名を変えた後のことも紛れ込ませている。
(引用終わり)

Konaです。小林説によれば、前述の気候風土の問題は奄美大島の記述として問題を解消でき、政治経済については北九州とすることでこちらも矛盾が起こらないことになります。小林説でも下條説でも結果としては近畿ではなく、北九州に邪馬台国があることでさほどの違いはない(伊都国なのか、太宰府なのかはおきます)。しかし、単に司馬懿の実績のためにデタラメを記載したとして邪馬台国の位置を推論していく下條説(岡田説)よりは小林説のほうに説得力があると私は思います。

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頭の良さと「幸福度」

たまたま目についただけの記事だが、案外面白く、少しイソップ物語風の寓話の味がある。「兎と亀」の類だ。ただ、記事タイトルはダメダメで、「親孝行」は話の大筋ではないだろう。どちらの人生行路が幸福だったか、という話である。
山本周五郎の小説にも、頭のいい、才気のある人間がその才気のために人生に失敗する話が多い。頭の良さとか才能は必ずしも幸福を招くわけではない。良く例に出すが、芥川龍之介や太宰治は一種の天才性を持っていたが、彼らの実人生は(人間関係において)実につまらないものだった。頭が良すぎるのは、周囲と合わないから当然そうなりがちなのである。ただし、逆は必ずしも真ならずであり、単に性格が悪いから(狷介固陋という言葉もあるが)孤立している者も多いwww ヤンキー的人種はだいたい仲間が多いが、単に似たような馬鹿が群れているだけということもある。まあ、幸福か不幸かはすべて物差しの問題だ。何を基準にするかである。


(以下引用)

「秀才で東京に行った兄」と「ロクに勉強せず地元に残った弟」 親孝行はどっち?

2018年1月16日 16:00 マネーポストWEB


優秀な兄と平凡だった弟、それぞれの人生(イメージ)

「とても勉強ができたため、地元を離れて東京に行った兄」と「ロクに勉強しなかったため、地元に残った弟」は、どちらが親孝行なのか? 東北地方出身の男性・Aさん(40歳)は、このお正月、久々に実家に帰省して、突きつけられた現実に愕然としたという。


 Aさんは弟との2人兄弟。Aさんは学業優秀で、県下トップの県立高校に進学し、そこでも抜群の成績を残して、都内の名門私立大学に推薦で入学した。Aさんは文武両道を貫き、高校時代には部活でインターハイにも出場。両親にとってまさに自慢の息子だった。


 一方の弟は、小学生時代から勉強が大嫌いだった。中学までは兄と同じく地元の公立校に通ったが、弟が選んだ高校は、不良の巣窟となっていた工業高校。運動でも兄に敵わなかった弟は、勉強もせず、運動もせず、もっぱら釣りに没頭する日々を送った。


 Aさんはその後も順調に“表通り”を歩き続けた。成人式では、新成人代表としてスピーチを行い、大学卒業後は不動産関係の会社に就職。その後、2度転職を重ね、現在は名前を知らない人はいない超一流企業でバリバリと働いている。一方の弟は高校卒業後、両親のコネをフルに活用して地元のメーカーに就職。工場勤務で日夜汗を流している。


 20代後半までは、Aさんが帰省すると両親は大喜びし、周囲にもAさんのことを自慢していたようだった。しかし弟が結婚したことで、徐々にパワーバランスが変わり始める。Aさんが語る。


「弟の結婚式に出た時に、『弟が先に結婚するなんて…』と、人生で初めて父親に批判めいたことを言われたんです。ただ、弟は24歳で結婚して、当時自分は27歳。田舎ではともかく、東京の自分の周りで27歳で結婚するのはかなり早い方だったので、その時は『田舎と東京は違うから』と言い返したんです」


 しかしその後、Aさんは仕事が充実し、転職をしたことなどもあって、40歳の今に至るまで結婚していない。弟には、すでに3人の子どもがいる。

兄の収入は弟の倍以上あるが……

 そんなAさんが昨年末に帰省すると、Aさんは兄弟のポジションが完全に“逆転”していることに気付かされたという。


「実家に帰ると、両親は私が乗る列車を確認して、必ず最寄り駅まで迎えに来てくれたのですが、今回はそれがなく、こたつに入ったまま『あー、お帰り』というだけだったんです。その時は、『両親も年をとったから仕方ない』と思ったのですが、その後も全然私に話題がふられることはなく、話題はもっぱら孫のことでした。そこでふと気がついたんです。弟と自分と、結局どちらが親孝行なのか、そして“勝ち組”なのかと。


 多分、私の収入は弟の倍以上あると思います。けれども、住まいは賃貸で車もなく、家族もいません。正直、貯金もあまりありません。弟は、10年ほど前に一軒家を買っていて、車も2台あります。


 私は毎日、通勤ラッシュに揉まれて1時間近くかけて会社に通っていますが、弟の通勤時間は車で15分程度。私は毎日12時間近く会社にいて、平日に夕飯を自宅で食べることはありませんが、弟は毎晩自宅で家族と晩御飯を食べています。


 私は週末は2週に1回は出勤、そうでない時は、土曜は昼過ぎまで寝ていて、その後もテレビやインターネットを見てゴロゴロ。日曜も映画に行くぐらいです。一方、弟は3人の子どもとキャッチボールをしたり、釣りをしたり、ショッピングセンターに行ったりしています。


 弟は、私の『東京ドームのイエローモンキーのコンサートに行った』『渋谷で○○(有名アイドル)を見た』といった話に、『いいなぁ~、東京は』『やっぱり東京で働いてる兄貴はすげぇなー』と言ってくれるのですが、私から見れば、弟の生活が羨ましくて仕方ありません。


 実は今回、実家に帰る前、『そろそろ結婚しないのか?』とか『良い子がいるんだが……』など、両親から結婚のことについて色々言われるのではないかと身構えていたんです。でもそれは取り越し苦労でした。両親はほとんど私に対する関心を失っており、帰る時も『頑張れ』『元気でね』と言うだけでした。両親が、地元に残り、孫を連れて頻繁に遊びに来てくれる弟を可愛がるのは当たり前なのですが、私は居場所を失ったようで、少し寂しかったです」



 ただ皮肉なことに、弟はAさんのことを大変自慢に思っており、子どもたちに「兄貴みたいに勉強して、東京の大学に行け」と言っているそうだ。



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HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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