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気の赴くままにつれづれと。
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こういうこと、レッテル貼りで言いたくないんだけど、それでも言わざるを得ないこと、それは・・
安倍晋三・萩生田光一・下村博文・杉田水脈・稲田朋美・田中富弘..
息を吐くように嘘をつく人達は皆同じ顔の動き・臭いがするんだよねw これはもう独特のフォーマットだと言える。これが詐欺師の共通フォーマットなのかは知らんけど、嘘つきが自然集合して似た者同士が集まったのか・・ 類は友を呼ぶわけだなー
こいつら何の躊躇いもなく嘘をつく、顔に嘘をつく心の葛藤が出てこない、敢えて多少の差異を見るならば、杉田水脈は少し違ってて、やたら攻撃的で顔の歪みが強く出てはいる。安倍晋三は平気で嘘を吐く、典型的なサイコパス。
60年代の歌謡曲『じんじろげ』の歌詞の意味を考えるにあたって、まず明確に区別しておきたい点がある。
下の図は、作詞:渡舟人、作曲:中村八大、歌:森山 加代子による歌謡曲『じんじろげ』の一番の歌詞を引用したもの。
この曲の歌詞は、由来が異なる3つの部分が一つにまとめられて構成されているのだ。

赤の歌詞は、作詞家の渡舟人(わたるふなんど)により歌謡曲として追加された部分。
青の歌詞は、大正時代に流行していたという俗謡・わらべうたの部分。
緑の歌詞は、インド民謡をルーツとする空耳ソング部分。
このページでは、赤と青の歌詞について、特に青の俗謡・わらべうたについて注目して解説していく。
インド民謡と『じんじろげ』の関係については、こちらのページ「インド民謡「雨期礼賛の歌」 じんじろげ ヒラミルパニア」で解説している。
まず、『じんじろげ』冒頭の歌詞について簡単に。上の図でいうと赤い枠で囲った部分。渡舟人(わたるふなんど)により作詞された歌詞だ。

「ちんちくりん」とは、背が低いこと。または、背丈に比べて衣服が短すぎること。
「つんつるてん」とは、衣服の丈が短くて、手足が出ている様子を表す。つるっぱげの意味でも使われる。
「おさんどん」とは、台所などで働く下女・女中のこと。
これらの言葉は、語感の面白さ重視で、ほとんど意味のない言葉として使われているように見える。どれも「ん」が2回使われ、最後が「ん」で終わる言葉であり、連続して並べることで独特のテンポが生まれている。
青枠で囲んだ部分の歌詞については、遅くとも大正時代には俗謡などでその存在か確認されている。

その代表例としては、京都・岡山にあった旧制第三高等学校、いわゆる「三高」において、大正時代に出版された三高漫画歌集に掲載された『ヂンヂロゲ踊の歌』が有名。
大正時代にはすでに、この青枠で囲まれた部分の『じんじろげ』の歌詞と、緑枠で囲まれたインド民謡由来の歌詞「ヒラミルパミア」が、二つ合わせて一つの歌として結合していたようだ。
「じんじろげ」という言葉の意味については定かではないが、毛髪の名称である可能性は高い。
岸和田だんじり祭で有名な大阪府の泉州(せんしゅう)地域では、頭のてっぺんにある渦巻き状の髪の毛「つむじ」のことを「じんじろ」または「じんじり」ということがある。
ちなみに、大阪・京都を中心とする畿内の上方(かみがた)で演じられる上方落語では、寄席囃子(よせばやし)・出囃子(でばやし)の一つに『じんじろ』という有名な曲がある。
歌詞の一部にある「ホーレツラッパノツーレツ」とは、筆者の私見では、日露戦争に関連する手まり歌・わらべうた『一列談判』(いちれつだんぱん)がルーツではないかと考えている。
一列談判破裂して 日露戦争始まった
さっさと逃げるは ロシヤの兵
死んでも尽くすは 日本の兵<わらべうた『一列談判』冒頭の歌詞より>
まりをついた数を数える「手まり歌」なので、「一、二、三、四(いち、に、さん、し)」と数字の掛詞(かけことば)になっているのが分かる。
なお、『一列談判』(いちれつだんぱん)は、子供でも発音しやすいように「いちれつらんぱん」と読まれることもある。
この「いちれつらんぱん」が「ホーレツラッパ」の由来である可能性が考えられる。
また、歌詞の一部である「ドレドンガラガッタ」についても、日露戦争の軍楽隊が行軍する際のドラムの音を「ドンガラガッタ」と表現している可能性がある。
リズム的には、トルコ軍楽隊のメフテルが演奏する名曲『ジェッディン・デデン』の一部と合致する。
「マージョリン マージンガラ」という歌詞については、バターに似た加工食品の「マーガリン」がルーツではないかと考えられる。
マーガリンは、日本へ1887年に初めて輸入され、1908年(明治41年)に横浜の帝国社(現在:あすか製薬)によって国産化に成功している。
マーガリンを英語で発音し、その発音をあえてカタカナ表記すると「マージョリン」に近い表記となる。まだ当時目新しかったマーガリンが歌に組み込まれたのではないだろうか?
なお、歌詞の「マージンガラ」の部分については、手まり歌・わらべうた『いちりっとらい(いちりっとらん)』の「しんがら ほけきょ」との関連性も伺われる。
「ヒッカリ コマタキ ワーイワイ」については謎が多い。「しっかり釜を焚け」が訛化(がか)したものとも考えられるが、いまいち決め手に欠ける。
俗謡やわらべうたの歌詞は、歌われる地域や時代によって歌詞が少しずつ変化して伝えられることが多く、この「ヒッカリ コマタキ」も元は何らかの意味を持った言葉であった可能性はあるが、果たしてそれが何だったのかは定かではない。
一般社団法人 兵庫県こども会連合会Webサイト上で公開されているPDF資料「兵庫県のわらべ歌」によれば、『じんじろげ』の歌詞の一部と関連する「お手玉の歌」が現代まで伝えられているようだ。その歌詞は次のとおり。
お手玉の歌
じんじろげ じんじろげ ど~れ
どんがらがっちゃ ほうりつらっぱの
つうやつう まんがりんよいよい
いなりにおしずし じんじろげ
じんじろげ ほーれ どんがらがっちゃ
ほーい ほーい
この歌詞では、上述の「マージョリン」の部分が「まんがりん」となっており、よりマーガリンとの関連性が伺われるのが興味深い。
当サイトのお問い合わせフォームから情報提供して頂いた、宮城県のわらべうたをご紹介(情報提供感謝いたします)。歌詞は次のとおり。
じんじろげーや じんじろげ
どーでどんがらばったの
ほーれづらっぱのつーれづれ
まーじょれん まーじょれんが
じょーいじょい
すっかれかまどで わーいわいかんぐるなっつー かんぐるなっつー
ぷろたーの かーわーな
ぱーみんな ぱーみんな
わがぜっとの ねーぶるかみーよーみーよーかんね
かねなちゅーな
ちょいなーのちゅーや
「ヒッカリ コマタキ」の部分が「すっかれかまどで」というある程度意味の通るフレーズになっているのが興味深い。
最後の「ちょいなーのちゅーや」の部分は、インド民謡由来の歌詞「ヒラミルパミア」における「ジョリ ナナ ディーヤ」が訛ったものと考えられる。
2018年1月16日 16:00 マネーポストWEB

「とても勉強ができたため、地元を離れて東京に行った兄」と「ロクに勉強しなかったため、地元に残った弟」は、どちらが親孝行なのか? 東北地方出身の男性・Aさん(40歳)は、このお正月、久々に実家に帰省して、突きつけられた現実に愕然としたという。
Aさんは弟との2人兄弟。Aさんは学業優秀で、県下トップの県立高校に進学し、そこでも抜群の成績を残して、都内の名門私立大学に推薦で入学した。Aさんは文武両道を貫き、高校時代には部活でインターハイにも出場。両親にとってまさに自慢の息子だった。
一方の弟は、小学生時代から勉強が大嫌いだった。中学までは兄と同じく地元の公立校に通ったが、弟が選んだ高校は、不良の巣窟となっていた工業高校。運動でも兄に敵わなかった弟は、勉強もせず、運動もせず、もっぱら釣りに没頭する日々を送った。
Aさんはその後も順調に“表通り”を歩き続けた。成人式では、新成人代表としてスピーチを行い、大学卒業後は不動産関係の会社に就職。その後、2度転職を重ね、現在は名前を知らない人はいない超一流企業でバリバリと働いている。一方の弟は高校卒業後、両親のコネをフルに活用して地元のメーカーに就職。工場勤務で日夜汗を流している。
20代後半までは、Aさんが帰省すると両親は大喜びし、周囲にもAさんのことを自慢していたようだった。しかし弟が結婚したことで、徐々にパワーバランスが変わり始める。Aさんが語る。
「弟の結婚式に出た時に、『弟が先に結婚するなんて…』と、人生で初めて父親に批判めいたことを言われたんです。ただ、弟は24歳で結婚して、当時自分は27歳。田舎ではともかく、東京の自分の周りで27歳で結婚するのはかなり早い方だったので、その時は『田舎と東京は違うから』と言い返したんです」
しかしその後、Aさんは仕事が充実し、転職をしたことなどもあって、40歳の今に至るまで結婚していない。弟には、すでに3人の子どもがいる。
そんなAさんが昨年末に帰省すると、Aさんは兄弟のポジションが完全に“逆転”していることに気付かされたという。
「実家に帰ると、両親は私が乗る列車を確認して、必ず最寄り駅まで迎えに来てくれたのですが、今回はそれがなく、こたつに入ったまま『あー、お帰り』というだけだったんです。その時は、『両親も年をとったから仕方ない』と思ったのですが、その後も全然私に話題がふられることはなく、話題はもっぱら孫のことでした。そこでふと気がついたんです。弟と自分と、結局どちらが親孝行なのか、そして“勝ち組”なのかと。
多分、私の収入は弟の倍以上あると思います。けれども、住まいは賃貸で車もなく、家族もいません。正直、貯金もあまりありません。弟は、10年ほど前に一軒家を買っていて、車も2台あります。
私は毎日、通勤ラッシュに揉まれて1時間近くかけて会社に通っていますが、弟の通勤時間は車で15分程度。私は毎日12時間近く会社にいて、平日に夕飯を自宅で食べることはありませんが、弟は毎晩自宅で家族と晩御飯を食べています。
私は週末は2週に1回は出勤、そうでない時は、土曜は昼過ぎまで寝ていて、その後もテレビやインターネットを見てゴロゴロ。日曜も映画に行くぐらいです。一方、弟は3人の子どもとキャッチボールをしたり、釣りをしたり、ショッピングセンターに行ったりしています。
弟は、私の『東京ドームのイエローモンキーのコンサートに行った』『渋谷で○○(有名アイドル)を見た』といった話に、『いいなぁ~、東京は』『やっぱり東京で働いてる兄貴はすげぇなー』と言ってくれるのですが、私から見れば、弟の生活が羨ましくて仕方ありません。
実は今回、実家に帰る前、『そろそろ結婚しないのか?』とか『良い子がいるんだが……』など、両親から結婚のことについて色々言われるのではないかと身構えていたんです。でもそれは取り越し苦労でした。両親はほとんど私に対する関心を失っており、帰る時も『頑張れ』『元気でね』と言うだけでした。両親が、地元に残り、孫を連れて頻繁に遊びに来てくれる弟を可愛がるのは当たり前なのですが、私は居場所を失ったようで、少し寂しかったです」
ただ皮肉なことに、弟はAさんのことを大変自慢に思っており、子どもたちに「兄貴みたいに勉強して、東京の大学に行け」と言っているそうだ。
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