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新コロと金儲けと「絆」(つまり「三密」)

私は年中行事そのものは日本文化の大事な要素のひとつだとは思っているが、「大勢の人が集まって騒ぐ」イベントというのは、個人的には嫌いである。だから、新コロ騒動のメリットは、社会全体が引きこもりになったことではないか、とこっそり思っているwww 
四六時中仲間と集まって何かをしていなければ生きている気がしないヤンキー体質の連中は、この新コロ蟄居の間、どういう暮らしをしていたのだろうか。まあ、彼らをヤンキーではなく「陽キャラ」と肯定的に言えば、このコロナ騒動は「陰キャラの天下」、陽キャラの地獄だったのではないか。
それもまもなく終わりだが、この2年間の経験で、人々は「独りを楽しむ」生き方も悪くないと感じるようになっただろう。
しかし、資本主義的にはこれは困ったことで、なぜなら、イベントを興し、人間を集め、カネを使わせるのは金儲けの大事なチャンスだったからだ。だから「絆」だのなんだのと言い、311復興にまで「東京オリンピック開催」という、まったく無関係なイベントをくっつけたのである。要するに「絆」とは「三密」であり、三密禁止とは「絆はダメ」ということだったのだ。まして、世界中の人が一か所に集まるオリンピックというお祭りが新コロ対策と矛盾していたのは自明の理だろう。ところで、今回のオリンピックでも選手たちに無料コンドームは大量に配布されたのだろうかwww

(以下「阿修羅」某コメントの一節)

もう、前のようなイベントに掛ける情熱も、どこやらへ吹っ飛んで、
街中の神輿や川越の祭りも姿が消えた。

来年こそはと思うのに、年寄りばかりが、詰めよって
実はコロナの前から、若者は嫌だったみたい。

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不老と不死

まあ、考え方は人それぞれだが、私も下の考え方に近い。
もちろん、現在の体力や思考力のまま80歳90歳になるならいいが、脳も身体もどんどん老化していくのである。スイフトが「ガリバー旅行記」で書いていた「不死人」が、不死だが老化はどんどん進むというパターンだったと記憶している。つまり生ける屍だ。いや、多少の意識があるだけ屍より悲惨かもしれない。
なお、リスクとクスリは同じ音で構成されている。「クスリのリスク」は当たり前。効能と副作用の比較衡量で用いるだけだ。不老不死の薬はまだ無いようで、それに近い「若返り法」は、DSの老人たちがやっているという、自分の身体の血液をすべて若者の血液と入れ替えることだろうか。当然、その若者は死ぬ。つまり現代の吸血鬼だが、もちろん、ただの噂である。

(以下引用)

保険屋さんも「みんな死ぬリスクばかり考えているが本当のリスクは長生きすることです」と言っていた。

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コロナは終わったか

「はてなダイアリー」での「コロナって終わったんじゃねえの」というスレッドへのコメントが面白い。特に「終わったと思ったら終わりだぞ」は面白い。アニメや漫画での主人公の油断を戒める先達者の言葉に似ているが、実際、終わったら終わりである(のは当たり前だ)、という言葉遊びになっている。

(以下引用)


  • ク・・・しかし浮かれるなよ・・・たとえワシが倒れようとも いずれ第100とか1000とかのウイルスが・・・



  • 終わったと思ったら終わりだぞ


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フェミニストの目に映る世界www

まあ、冗談だと思ってくれればいいのだが、これを転載しただけで私はフェミニストの敵と認定されるかもしれないwww 
sell out breederが今ひとつ分からないが、乳母車を押している女性は子供を持つだけが人生の目標の女という趣旨か? つまり、子供は出来たから、もはや商売は終わり、と?
赤ん坊が「未来のレイピスト」と断定されているのがおかしい。
ベンチに掛けている女性のanorexicは「拒食症の」の意味らしい。平均より痩せている女性は拒食症と断定されるわけであるwww


no title


(夢人注)絵の中のベンチに足を掛けて立っている男はmansplainingで、ベンチに腰掛けている男はmanspreadingである。後者は大きく足を広げて座っているので、「男らしさを誇示している」ということか。前者は下のウィキペディアの説明を参照。また、背景のビルディングは、おそらくフェミニストには「陽根(男性性器)のシンボル」に見えるということだろう。

マンスプレイニング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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マンスプレイニング英語mansplaining、男(man)と説明する(explain)という動詞の非公式な形のsplainingのブレンド語)は、「(男の)見下したような、自信過剰な、そしてしばしば不正確な、または過度に単純化された方法で女性や子どもに何かについてコメントしたり、説明したりする」という意味の批判的な用語である[1] [2] [3] [4]。作家のレベッカ・ソルニットは、この現象を「自信過剰と無知」の組み合わせだとしている[5]。『アトランティック』紙のリリー・ロスマンは、この現象を「説明を受ける者が説明者よりも多くのことを知っているという事実を無視して説明すること、多くの場合、男性が女性に行うこと」と定義している[6]


本来の使い方では、男性が女性よりも知識が豊富であることを前提にしていると言われていた点で、他の見下しとは異なっていた[7]。しかし、現在ではより広く使われるようになり、年齢や性別を問わず、男性が誰に対しても見下したような口調で説明することを指すことが多くなっている[8]。2010年には、『ニューヨーク・タイムズ』紙の「ワード・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた[9]。アメリカ方言協会(American Dialect Society)は、2012年に「最も創造的な」新語としてマンスプレーニングをノミネートした[10]





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何のためのネット投稿なのか

「阿修羅」の或るスレッドのコメントのひとつだが、投稿者の人格があまりに下種で下品すぎてかえって興味深い。いくらネットではあまり身バレしないとしても、ここまで自分の人格の下品さをさらけ出せるのがある意味凄いわけだ。つまり、自分では自分の下種さや下品さに気づいていないのか、それとも、それをさらけ出すことに或る種の快感を感じて投稿しているのだろうか。
まあ、貧乏ゆえの「貧すれば鈍す」なのかもしれないが、実は金持ちでも精神的にはこの人物以上に下種で下品な人間もたくさんいる。

(以下引用)


36. 夢本さん[1] lrKWe4KzgvE 2021年10月15日 06:31:28 : LQJI5ahyFc MWd4Q3NhSXJENE0=[-997]  報告
 お金、お金と言う記事がよくネットに出るのですが
いくらネットに投書してもお金の申し出はありません
 全く実感がないです
 与党のちょうちんいっぱい持ってますがホンマにお金にならないです
梨の礫もこないです 野党はどうなのですか
 惨めったらしい格好とか服とか着たり、同情を買おうとしたり、色々
しても、ネットは危険という記事がいっぱいありますが危険どころか
オナラも風も何も吹いてすらきません なんか虚しいです

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dappi!

森山高至の力作だが、残念なことに元歌の最後の「溜息の数だけ重ねたブーケ」(だったか?)が無い。「ツィートの数だけ重ねた悪事」でどうか。少し語調が良くないので、ご自分で考案するといい。

(以下引用)

ツイート止めて一週あなた深刻な身バレしたから そこから何も言わなくなるのカスクズロンリネス きっと依頼した党を大切にして言えずに臆病なのね 閉めた会社にも居ないふり スレ開示や調査をあと何回受けたら法に触れあうの お願いDappi Dappi ここにDappi あなたからDappi 手を揚げて出て来てよ

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コロナからコロナへ

まあ、笑い事ではないし、他人事と暢気に構えていると明日は我が身だが、この給湯器(湯沸し器と同じだろう)が「コロナ給湯器」だと少し面白い。(今、「尾身城井」と打ってしまった。コロナつながりwww 「城井」は無関係だが)

(以下引用)


一昨日の深夜、風呂場でシャワーを浴びてたら突然水しか出なくなり今朝業者さんに見てもらって交換手配となったのだが、先程管理会社から連絡があり「今コロナの影響による半導体不足で国内に給湯器の在庫がひとつも存在してないんです」と。給湯器が入手出来るのは早くて11月、、、マジか(白目)。


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プロフィール

HN:
酔生夢人
性別:
男性
職業:
仙人
趣味:
考えること
自己紹介:
空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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