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三蔵法師と女性原理

某ツィートを転載。
言っている内容にすべて賛同するわけではない(悪人をハグする、という表現が気持ち悪い)が、末尾の「西遊記」のキャラ役割分担の分析は案外多くの人が見逃していることだと思う。これは、「面白い活劇の中に、面白くないキャラの三蔵法師がなぜ必要か」、という疑問への答えである。
子供のころの私は三蔵法師が大嫌いで、「こいつのために問題解決が難しくなり、かえって新たな問題の種を作る」イヤなキャラとしか思わなかった。かえって、悪役たちのほうが、欲望に正直で面白かったくらいだ。まあ、そういうのが「子供思考」であり、実は世間の大人の大半は大人になっても同じ思考である。つまり、善をすべて「偽善的だ」と批判する類だ。
「西遊記」が低レベルの「勧善懲悪」小説と一線を画しているのは、まさに三蔵法師というキャラの存在によるもので、これは仏教的思想の理想主義性を示すものだろう。
ただし、再度言うが、これは粗雑な思考の子供には通用しない。子供ほど現実主義者なのであり、子供っぽい人間ほど現実主義(単なるエゴイズム的思考が多い)が至高だと思っている。
昔のテレビ番組の「西遊記」で、三蔵法師を女性(夏目雅子)に演じさせたことがあって、あの配役は、下手をしたら視聴者に嫌われる可能性の高い三蔵法師を美人が演じることで、うまく役柄への嫌悪感を解消した、妙手だったと思う。
それまでの三蔵法師はナヨナヨした男がヘナヘナした逃げ腰で孫悟空に「悪人を過剰に懲らしめてはいけません」と説教して自分たち一行をさらに窮地に追いやるのがパターンだったので、視聴者が三蔵法師を嫌わないでいるのは難しかったのである。しかし、夏目雅子がそう言うなら、まあいいか、という感じであったわけだ。(念のために言えば、私はそれまでは夏目雅子はさほど好きな女優でもなかったのだ。)
私は「ドラゴンボール」はほとんど見たことが無いが、あの中に「三蔵法師」的立ち位置の存在はいたのだろうか。いなかったからこそ子供の多くの支持を得たのかもしれないし、いたらもっと高度な(大人の視聴に耐える)レベルの話が作れた可能性もあったのかもしれない。



(以下引用)


他人を虐げる事に正義を求めること自体がすでに誤った道なんだよね。本当の正義(普通の人間には実現しがたい理想)は悪を見たらハグして他者を憎悪する必要はないと諭すべき。悪い奴はぶん殴ってぶっ殺していいって言うのが悟空で、それを諭すのが三蔵法師だったんじゃないかな










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