スガがますます暗くなって、幽霊のようだ、というんだが、もともと陰険な東北人で、性格が暗く、無能。無能な人間ほど、悪巧みだけは長けている。時代劇だったら、直参1500石くらいの旗本で、お普請奉行かなんかで、商人から賄賂もらって、それがバレそうになって目撃証人を殺し屋に殺させて、渡辺謙の御家人斬九郎に退治されるヤツだ。いや、それじゃ褒めすぎかw 官邸内の暗がりの中に、落ち武者のような菅義偉総理の姿が、白く淡いライトを浴びて、ぼうっと浮き上がる。 早く死なねーかなw |
「ネットゲリラ」から転載。
記事内容には文句は無いが、記事タイトルの「人間として気持ち悪いは」には文句がある。日本語で「は」がしばしば「わ」と読まれるのは日本語の宿命的欠陥ではあるが、終助詞としての「わ」に「は」の字を使うのは好ましくないと思う。これは「今日は」が「konnichiwa」と読まれることから来た錯覚だろう。この場合の「は」は終助詞ではなく、「今日は良いお天気で」などの後半が省略された結果だと思うし、それ以外に文末が「は」で終わる例は無いと思う。つまり、「人間として気持ち悪いわ。」が正しい表記なのではないか。
ちなみに語尾の「わ」をやや尻上がりに発声すると女性的(男ならオカマ的)印象になるようだ。
念のために言えば「人間として気持ち悪いはこいつ」は、「人間として気持ち悪いは。こいつ」の句点の省略である。つまり「は」を終助詞として使っている事例だ。こういう用法と「悪い(の)はこいつ」とは別。後者の用法は童謡などに出てくることが多いが、今思い出せないので自作すると「丸いはお目目、長いはお鼻」といった感じである。つまり、「は」は一文の主題(話題)を提示する機能がある。
「象は鼻が長い」の「は」と「が」では、「は」が大集合、つまり話題の包括的集合を示し、「が」が部分集合、つまり焦点的主題を示すのだろう。「が」は「取り立て(特にそこが焦点だと示す)」機能のようだ。「私は田中だ」と「私が田中だ」では明らかに違うのである。
(以下引用)
記事内容には文句は無いが、記事タイトルの「人間として気持ち悪いは」には文句がある。日本語で「は」がしばしば「わ」と読まれるのは日本語の宿命的欠陥ではあるが、終助詞としての「わ」に「は」の字を使うのは好ましくないと思う。これは「今日は」が「konnichiwa」と読まれることから来た錯覚だろう。この場合の「は」は終助詞ではなく、「今日は良いお天気で」などの後半が省略された結果だと思うし、それ以外に文末が「は」で終わる例は無いと思う。つまり、「人間として気持ち悪いわ。」が正しい表記なのではないか。
ちなみに語尾の「わ」をやや尻上がりに発声すると女性的(男ならオカマ的)印象になるようだ。
念のために言えば「人間として気持ち悪いはこいつ」は、「人間として気持ち悪いは。こいつ」の句点の省略である。つまり「は」を終助詞として使っている事例だ。こういう用法と「悪い(の)はこいつ」とは別。後者の用法は童謡などに出てくることが多いが、今思い出せないので自作すると「丸いはお目目、長いはお鼻」といった感じである。つまり、「は」は一文の主題(話題)を提示する機能がある。
「象は鼻が長い」の「は」と「が」では、「は」が大集合、つまり話題の包括的集合を示し、「が」が部分集合、つまり焦点的主題を示すのだろう。「が」は「取り立て(特にそこが焦点だと示す)」機能のようだ。「私は田中だ」と「私が田中だ」では明らかに違うのである。
(以下引用)
人間として気持ち悪いはこいつ
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