「反戦な家づくり」記事の一部だが、私は一見些細なことをあれこれ考えるのが好きで、特に言葉について考えるのが好きなので、明月氏の驥尾に付して妄想してみたい。
私の考えは、「trust in 」の「 in」は或るものそのものではなく、「その中にある」ことを意味するという常識的なinの用法にすぎないというものだ。
つまり、「justice」も「faith」も細かく見ればいろいろであるし、特に「正義(公正)」と言っても、それが勝者の正義でしかないようなことは多々ある。だが、そういう「戦勝国の正義」も「第三者の正義」も全部ひっくるめ、その中にある「正義の本質部分」を信頼しようという意味合いがこの「trust in」の「 in」ではないか、というわけだ。だからこそ「諸国民の公正と信義」なのである。つまり(実際はどうであれ)「戦勝国の正義」ではない、と暗示しているのだろう。
なお、「正義」と「公正」は違う、という議論もあるだろうが、ここではほぼ同じとしておく。
ちなみに「in god, we trust」も同様で、神の御業はいろいろで人間の目からはそのどこが正義だよ、と思われることも多々あるが、その神の御業を総体として信じる、というニュアンスが「集合の中にある」ことを意味するinで示されていると思う。明月氏流に言えば「四の五の言わず無条件に信じる」ことでもある。
(以下引用)
私の考えは、「trust in 」の「 in」は或るものそのものではなく、「その中にある」ことを意味するという常識的なinの用法にすぎないというものだ。
つまり、「justice」も「faith」も細かく見ればいろいろであるし、特に「正義(公正)」と言っても、それが勝者の正義でしかないようなことは多々ある。だが、そういう「戦勝国の正義」も「第三者の正義」も全部ひっくるめ、その中にある「正義の本質部分」を信頼しようという意味合いがこの「trust in」の「 in」ではないか、というわけだ。だからこそ「諸国民の公正と信義」なのである。つまり(実際はどうであれ)「戦勝国の正義」ではない、と暗示しているのだろう。
なお、「正義」と「公正」は違う、という議論もあるだろうが、ここではほぼ同じとしておく。
ちなみに「in god, we trust」も同様で、神の御業はいろいろで人間の目からはそのどこが正義だよ、と思われることも多々あるが、その神の御業を総体として信じる、というニュアンスが「集合の中にある」ことを意味するinで示されていると思う。明月氏流に言えば「四の五の言わず無条件に信じる」ことでもある。
(以下引用)
日本国憲法のキモは前文の TRUST IN である
またまた護憲派リベラル諸氏には不評を買いそうなことを書いてみる。
でも、安倍改憲が現実味をもつ今だからこそ、護憲派の皆さんにこそ読んでもらいたいと思って書いていることは信じていほしい。
日本国憲法の原文は、GHQから渡された英文だったと言うことは議論の余地がない。
ただ、たとえ押しつけであっても、良いものは良いじゃないか という護憲派の意見には、私も概ね賛成だ。
自民党の改憲案や、安倍ちゃんの改憲案と比べても、月とすっぽん以上に現行憲法の方が良い。
その上で、原文である英文を見ていると、こんな文章がある。
We have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
私が注目したのは trust in というところだ。
この文章を日本語訳(すなわち憲法の前文)でみるとこうなる
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
ここについては、公正と信義「に」 ではなく 「を」 じゃないか。日本語がおかしい、という議論はよく聞くはなし。たしかに、なんとなく不自然な感じはする。
でも、やはりここは 「を」 ではなく 「に」 なのである。
何故かというと
trust の後に、 in が入っているからだ。
ちょっとややこしいけど、ここは非常に大事ところなので、我慢して読んでみてほしい。
trust という英単語は普通は他動詞なので、in は必要ない。
おまえを信用するよ なんて言うときは
I trust you. てことになる。
じゃあ わざわざ in をつけるのはどういうときかというと、これは米国人なら誰でも知っているあれに書いてある。
IN GOD WE TRUST
倒置法を元に戻すと We Trust in God. である。
つまり、信じる方の主体性にかかわらず、神が正しいとか正しくないとか四の五の言わず、無条件に信じる という場合に使われるのが trust in なのである。
まあ、ちょっと極端な書き方をしているけれども、辞書をひいても、「神を信じる」とか「運を天に任せる」とかいう例文が出ており、意味合いとしては間違っていないはずだ。
さらに昔々勉強した英文法を必死に思い出すと、 この文章は分詞構文という形になっている。
細かい説明を省くと trustingの前にある「、」の、後が原因で、前が結果ということ。
前文の訳では、因果関係が薄められているけれども、「trust in(無条件信頼)するから 安全と生存を保持できるんだよ」っていうこと。
よって、憲法前文のこの部分は、直訳するとこうなる
「平和を愛する諸国民の公正と信義を無条件に信頼することで、われらの安全と生存を保持しようと決意できました。」
どうだろう、「平和を愛する諸国民」のまえに跪(ひざまづ)いて、決意を述べる WE(日本人)の姿が浮かんでこないだろうか。
でも、安倍改憲が現実味をもつ今だからこそ、護憲派の皆さんにこそ読んでもらいたいと思って書いていることは信じていほしい。
日本国憲法の原文は、GHQから渡された英文だったと言うことは議論の余地がない。
ただ、たとえ押しつけであっても、良いものは良いじゃないか という護憲派の意見には、私も概ね賛成だ。
自民党の改憲案や、安倍ちゃんの改憲案と比べても、月とすっぽん以上に現行憲法の方が良い。
その上で、原文である英文を見ていると、こんな文章がある。
We have determined to preserve our security and existence, trusting in the justice and faith of the peace-loving peoples of the world.
私が注目したのは trust in というところだ。
この文章を日本語訳(すなわち憲法の前文)でみるとこうなる
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
ここについては、公正と信義「に」 ではなく 「を」 じゃないか。日本語がおかしい、という議論はよく聞くはなし。たしかに、なんとなく不自然な感じはする。
でも、やはりここは 「を」 ではなく 「に」 なのである。
何故かというと
trust の後に、 in が入っているからだ。
ちょっとややこしいけど、ここは非常に大事ところなので、我慢して読んでみてほしい。
trust という英単語は普通は他動詞なので、in は必要ない。
おまえを信用するよ なんて言うときは
I trust you. てことになる。
じゃあ わざわざ in をつけるのはどういうときかというと、これは米国人なら誰でも知っているあれに書いてある。
IN GOD WE TRUST
倒置法を元に戻すと We Trust in God. である。
つまり、信じる方の主体性にかかわらず、神が正しいとか正しくないとか四の五の言わず、無条件に信じる という場合に使われるのが trust in なのである。
まあ、ちょっと極端な書き方をしているけれども、辞書をひいても、「神を信じる」とか「運を天に任せる」とかいう例文が出ており、意味合いとしては間違っていないはずだ。
さらに昔々勉強した英文法を必死に思い出すと、 この文章は分詞構文という形になっている。
細かい説明を省くと trustingの前にある「、」の、後が原因で、前が結果ということ。
前文の訳では、因果関係が薄められているけれども、「trust in(無条件信頼)するから 安全と生存を保持できるんだよ」っていうこと。
よって、憲法前文のこの部分は、直訳するとこうなる
「平和を愛する諸国民の公正と信義を無条件に信頼することで、われらの安全と生存を保持しようと決意できました。」
どうだろう、「平和を愛する諸国民」のまえに跪(ひざまづ)いて、決意を述べる WE(日本人)の姿が浮かんでこないだろうか。
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