トイレで「論語」を読んでいると、こういう一節があった。
子曰、惟仁者、能好人、能悪人。
読みは、「ただ仁者のみ、よく人を好み、よく人を悪(にく)む」
だが、「能(よ)く」は可能を意味する。そして「悪人」を「あくにん」と読むべきではないのはもちろんだが、「悪」を「にくむ」と読むことは知らない人が多いだろう。
多くの人は「にくむ」の漢字は「憎む」でしか知らないと思う。
では「悪む」と「憎む」の違いは何か。
漢和辞書によると、「悪」は上の「亜」の字が「みにくいこと」を意味し、「(ある対象を)心に醜く思うこと」となる。
それに対して、「憎む」の「憎」は旁(つくり)の「曽」が「増加」の「増す」と同じく「積み重なる」意味で、心に積み重なった感情の意味の「憎しみ」を表すようだ。
つまり、「善悪」の「悪」の意味は何かと言うと、我々が「心に醜く思う対象」を意味すると言える。すなわち、「倫理」とはもともとは美意識だったわけだ。そしてまた「憎悪」は本来は「醜く思うものを憎む」意味だったのが、特に相手や対象に憎悪される原因(広い意味の醜さ)が無くても、理不尽に憎悪することも含まれるようになったかと思う。
たとえば、相手に美点があって自分より上だと感じる時、我々は劣等感からその相手を憎むこともあるわけだ。またその嫉妬心を賞賛の言葉に変えて「憎いねえ」という言葉で褒めることもある。
まあ、「論語」の各章(節)はトイレで読めば1分もかからないが、娯楽としての考察のネタにはなる。
なお、宮崎市定はこの一節を「好むべき人を好み、憎むべき人を憎むことができたなら、それは最高の人格者だと言える」と訳している。もちろん、冒頭の「子曰く」は「孔子がおっしゃるには」の意味であり、「好むべき」や「憎むべき」の「べき」は宮崎市定の解釈である。「仁者」を「最高の人格者」としたのは、解釈としては微妙かと思う。確かに「仁」は儒教の最高の道徳ではある。「衆愛」とでも訳すべきだろうか。
「論語」の次の一節では「いやしくも仁に志さば、悪むなきなり」とあるので、前節の「好むべき人」とか「憎むべき人」に分かれるというのは、やや問題のある解釈ではないか、と私は思うわけだ。では、この矛盾をどうするかは、私は知らない。
まあ、「儒教の初学者は安易に人を好んだり憎んだりしてはならない。的確にそれが判断できるのは至道の人(仁者)だけだ」と解釈するべきか。ただ、それを「最高の人格者」と表現するのがいいかどうかだ。私は儒学の目標は「社会の品位と幸福の向上に有為な人」を作ることだと思っており、「単なる人格者=有為な人」とは思っていないのである。
(追記)宮崎市定は東洋史学者であって漢文の専門家ではないのに、やたら自信家で、異説を立てたがるので、その訳した「論語」には変な訳が多い。その最たるものが
「子曰く、賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり」
を「子曰く、えらい人間を見たなら、付きあって見習うがよい。悪いやつを見た時は、わがふりを正せ。」と訳した例である。赤字にした部分が、好き勝手な訳だというのは明瞭だろう。「わがふりを正せ」も微妙な訳だ。
まあ、宮崎訳の岩波書店「論語」は視覚的に見やすいところだけが取り柄だ。
ただし、東洋史学者としての宮崎には、一度感心したことがある。それは、なぜ元が東アジアをほぼ統一し、西洋まで攻め入ることができたかの理由だ。それは、戦って征服した国の兵士を次の戦いの先頭に使ったので、本来の戦力を常に保持できたからという、見事な発想である。先頭部隊は常に後ろから監視されているので、死力を尽くして戦うわけである。本部隊が「督戦隊」でもあったわけだ。
子曰、惟仁者、能好人、能悪人。
読みは、「ただ仁者のみ、よく人を好み、よく人を悪(にく)む」
だが、「能(よ)く」は可能を意味する。そして「悪人」を「あくにん」と読むべきではないのはもちろんだが、「悪」を「にくむ」と読むことは知らない人が多いだろう。
多くの人は「にくむ」の漢字は「憎む」でしか知らないと思う。
では「悪む」と「憎む」の違いは何か。
漢和辞書によると、「悪」は上の「亜」の字が「みにくいこと」を意味し、「(ある対象を)心に醜く思うこと」となる。
それに対して、「憎む」の「憎」は旁(つくり)の「曽」が「増加」の「増す」と同じく「積み重なる」意味で、心に積み重なった感情の意味の「憎しみ」を表すようだ。
つまり、「善悪」の「悪」の意味は何かと言うと、我々が「心に醜く思う対象」を意味すると言える。すなわち、「倫理」とはもともとは美意識だったわけだ。そしてまた「憎悪」は本来は「醜く思うものを憎む」意味だったのが、特に相手や対象に憎悪される原因(広い意味の醜さ)が無くても、理不尽に憎悪することも含まれるようになったかと思う。
たとえば、相手に美点があって自分より上だと感じる時、我々は劣等感からその相手を憎むこともあるわけだ。またその嫉妬心を賞賛の言葉に変えて「憎いねえ」という言葉で褒めることもある。
まあ、「論語」の各章(節)はトイレで読めば1分もかからないが、娯楽としての考察のネタにはなる。
なお、宮崎市定はこの一節を「好むべき人を好み、憎むべき人を憎むことができたなら、それは最高の人格者だと言える」と訳している。もちろん、冒頭の「子曰く」は「孔子がおっしゃるには」の意味であり、「好むべき」や「憎むべき」の「べき」は宮崎市定の解釈である。「仁者」を「最高の人格者」としたのは、解釈としては微妙かと思う。確かに「仁」は儒教の最高の道徳ではある。「衆愛」とでも訳すべきだろうか。
「論語」の次の一節では「いやしくも仁に志さば、悪むなきなり」とあるので、前節の「好むべき人」とか「憎むべき人」に分かれるというのは、やや問題のある解釈ではないか、と私は思うわけだ。では、この矛盾をどうするかは、私は知らない。
まあ、「儒教の初学者は安易に人を好んだり憎んだりしてはならない。的確にそれが判断できるのは至道の人(仁者)だけだ」と解釈するべきか。ただ、それを「最高の人格者」と表現するのがいいかどうかだ。私は儒学の目標は「社会の品位と幸福の向上に有為な人」を作ることだと思っており、「単なる人格者=有為な人」とは思っていないのである。
(追記)宮崎市定は東洋史学者であって漢文の専門家ではないのに、やたら自信家で、異説を立てたがるので、その訳した「論語」には変な訳が多い。その最たるものが
「子曰く、賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり」
を「子曰く、えらい人間を見たなら、付きあって見習うがよい。悪いやつを見た時は、わがふりを正せ。」と訳した例である。赤字にした部分が、好き勝手な訳だというのは明瞭だろう。「わがふりを正せ」も微妙な訳だ。
まあ、宮崎訳の岩波書店「論語」は視覚的に見やすいところだけが取り柄だ。
ただし、東洋史学者としての宮崎には、一度感心したことがある。それは、なぜ元が東アジアをほぼ統一し、西洋まで攻め入ることができたかの理由だ。それは、戦って征服した国の兵士を次の戦いの先頭に使ったので、本来の戦力を常に保持できたからという、見事な発想である。先頭部隊は常に後ろから監視されているので、死力を尽くして戦うわけである。本部隊が「督戦隊」でもあったわけだ。
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