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「合掌」の謎

私の趣味は「分析と解釈」であり、それも、誰も気にも留めないような些細な事柄の中に潜む謎を分析したり解釈したりするのが一番好きだ。であるから、下のような記事は大好きである。
合掌という動作の持つ意味は、おそらく宗純氏が言うとおりだろう。死者の冥福を祈る、もしくは謝罪し自らの命乞いをする、というものであり、食事の際の合掌も、これも宗純氏が言うように、食べ物となった生命体の冥福を祈ることであり、謝罪の気持ちだろう。
そう考えると、滝川クリステルのオリンピック招致プレゼンでの合掌が、何の冥福を祈り、あるいは何に謝罪したのか、ぜひ本人に聞いてみたいものだ。
だが、もちろん正解は、「日本文化について無知な帰国子女」が、西洋式の誤解で「単なる挨拶」と思い込んで合掌したにすぎないのだろうが、そういう人物にプレゼンをさせた日本政府の責任は大きい。世界中に「日本人は挨拶で合掌する」という西洋式の誤解を確定させたようなものだ。まさに「売国政権」にふさわしい所業である。

ところで、合掌という動作がなぜ祈りや謝罪や、インドや東南アジアでの感謝の動作となったのか、空想してみるのも面白い。頭を軽く下げる動作も、同様な意味を表すことが多く、こちらはもっと世界的な広がりがあるのではないか。こちらも、なぜそうなったのか、誰にも分からない、つまり「日常の些細事の中の謎」である。動物も同じ動作をするだろうか。まあ、感謝の動作はしないだろうが、謝罪(命乞い)の動作として、頭を下げることはやりそうな気もする。相手の目を見て、あるいは相手を睨んで威嚇の声を上げる、というのが攻撃意思を表すのなら、頭を下げることは、その威嚇に屈したポーズ、つまり命乞いの動作となるわけだろうか。
さて、合掌はどうか。片手だけを前に立てる、「片手拝み」というのもあるが、そちらは「手刀」を額の前まで立てるのに対し、合掌は胸の前で手を合わせ、軽く頭を下げるのが普通だろう。その際、瞑目することも多いと思う。いや、たぶん、ほとんどの人は合掌と頭を下げることと瞑目は無意識のコンビネーションで行うのではないか。それに対し、「片手拝み」は頭を下げることも瞑目も伴わないのが普通ではないか。いや、伴うのかもしれないが、それは「武士が相手を殺した場合」くらいのものだろう。少なくとも、たとえば原爆慰霊祭などで「片手拝み」などするのは相当に失礼な動作になる気がする。これは単なる「略式」なのか、それとも「片手拝み」は、実は合掌とは全然別の起源なのか。
これはあるいは武士を起源とする動作かもしれない。つまり、片手には刀を持っている、という前提での動作。よく考えると、私は日本人以外では「片手拝み」をしているのを見たことが無い気がする。(「手刀」を頭の右横に持っていく「敬礼」の姿勢は西洋起源だと思うが、これもまた、その動作がなぜ「敬」や「礼」を表すことになったのか、よく分からない。)
合掌は両の手を合わせることで、「武器を持たない」ことを示す意図から来たのではないか、というのが取りあえずの私の仮説である。(ならば、両の手の平を相手に見せる動作でもいいではないかと言われそうだが、こちらは「降参」の姿勢に近い。合掌は降参を意味するものではないだろう。)あるいは、「武器を持たない」というよりも、もっと積極的に「武器を放棄する意思」「戦いをしない意思」を示すものとして生まれた動作ではないだろうか。
想像すればすぐに分かるとおり、合掌しながら相手と戦うのは不可能である。戦うには、少なくとも拳を作るか、手指が自由に使える状態でなければならない。合掌しているとそれが不可能になるのである。頭を下げ、瞑目すればなおさら闘争は不可能だ。
つまり、合掌はまさしく「平和」を暗示する姿勢であるわけだ。これが祈りや感謝の姿勢となったのも当然かもしれない。
話が長くなるので、とりあえず、この問題はここまでとしておく。


(以下「逝きし世の面影」から転載)

日本の一番長い日から70年目 日本の最も暑い日に

2015年08月08日 | 政治
『2年前のアルゼンチンのオリンピックの最終プレゼンで、本音が(無意識に)思わず出てしまった滝川クリステルの大失敗(合掌)』

150年前の欧米の知識人は、日本的挨拶(お辞儀)を『情報』として知っていたが、お辞儀で腰を曲げる時に手をぴったりと体に添えるとまでは知らなかったので、当時の新聞の挿絵に登場する『お辞儀する日本人』は、頭を下げた時にラジオ体操のように肩から垂直に手をだらり下げて描かれている。
この150年前の勘違いに似た間違いでは、ハワイなど日本人観光客が多い場所では少ないが、世界では今でも『仏教徒は挨拶で合掌する』と信じているので、イギリスなど欧州諸国でも相手が日本人だと分かると、礼儀正しく親切の心算で両手を合わして合掌してみせる例が良くある。
日本人は死人に対しては手を合わせるが、生きている人間に向かっては決して合掌しない。
相手の英国人は礼儀正しい心算なのですが、日本人にとっては逆に実に失礼である。
人間相手にも合掌するヒンズー教のインドとか上座部仏教の東南アジアなどと、神仏以外には合掌しない日本や中国の大乗仏教を混同しているのです。
滅多にないが、我々日本人でも偶には生きている人間に手を合わせる場合がある。
オリンピック最終プレゼンで滝川クリステルが思わずやった『合掌』の正体ですが、日本では例外的に、命乞いとか、究極の謝罪として土下座と共に両手を合わせる。
平身低頭『すみません。すみません』の究極の謝罪なら合掌する時が有るが、『おもてなし』の気持ちで合掌する例は無い。
(話は少し横道にそれるが、)
ところが、何故か日本でも食事を始める時の『いただきます』には両手を合わせて(オリンピック最終プレゼンの滝川クリステルのように)合掌する。
今の文明化した日本人はすっかり忘れ果てているが鶏肉を食べる為には先ず飼っていたニワトリを殺す必要があり、実は日々の食事とは(他者の生命の一部を)『いただく』という厳粛で少しだけ残酷な『神聖な行為』だったので合掌していたのでしょう。(肉食に限らず植物食でも動物食でも同じで『食べる』と『殺す』とがコインの裏表、一体不可分の関係にある)
ドイツ生まれの生物学者ルドルフ・シェーンハイマーが指摘したように『生命』とは機械の様な『不動のもの』では無く、持続する『動的平衡』(変化のバランス。破壊と生成とが絶え間なく変化する流れ)のことだったのである。

『へらへら笑いながら手を合わせるな。このバカ者が』

日本人なら滝川クリステルの『お・も・て・な・し』のあとの合掌には違和感を持って当然であり、2年前のインターネット上では、
『だから、合掌なんかしねえんだよ』
『見てるこっちが恥ずかしくなるよな』
『あの合掌は誰も止めなかったのかな』
『あれが日本式かと勘違いされるよな』
『おもてなしで合掌するとかやめろボケ』
『どちらかというとお辞儀だよね 合掌して挨拶や御礼はしない』
『外人的には合掌挨拶が日本人が公式に認める挨拶ってことになっちゃったんだな』
『おもてなし 合掌ってなんか違う おもてなし お辞儀の方が日本らしい』
との声が噴出。
滝川クリステルもネイティブな日本人以上に自分の大失敗は熟知しているのでマスコミで『お・も・て・な・し』の動作の再現を求められても、最後の合掌部分は絶対に人前では行わない。
失敗しないように何遍も何遍も事前に練習したのだろうが、本番では極度の緊張状態で思わず隠していた本心(羞恥心やら謝罪やら罪悪感やら)が無意識に動作に表れて、滝川クリステルは『お・も・て・な・し』の最後に合掌して仕舞ったのである。
オリンピック最終選考会での滝川クリステルの『合掌』の意味とは、フロイト心理学の無意識が動作に表れた大失敗でないとしたら、日本の田舎の選挙戦の最終盤では良くある一票欲しさに恥も外聞もかなぐり捨てて行う保守系候補の土下座の浅ましいパフォーマンスである。何れであるかは不明だが、恥ずかしい事実に変わりはない。
ところが、合掌と『お・も・て・な・し』の珍妙な組み合わせから2年が経過して、やっと隠されていたトンデモナイ意味が判明する。(暴いたのは8月8日の毎日新聞)


『なんと!2020年東京オリンピック開会期間の日付は酷暑の7月24日から8月9日だった』

『2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会計画』

オリンピック競技大会開催概要
正式名称第32回オリンピック競技大会(2020/東京)
英文名称The Games of the XXXII Olympiad
開催期間2020年7月24日(金)~8月9日(日)
競技数28競技

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