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「両論併記」的教育

「逝きし世の面影」から抜粋転載。(大阪市の「社会的実験」の記事が、「天皇系統問題」で分断されているので、その部分は略。長崎の殺人事件の記事も略。)
私は、この「教科書が二つ」は、面白いと思う。どうせなら、概して中立性の高い、これまでの歴史公民教科書よりも、思い切って左寄りの教科書(そんなのがあれば、だが)と、超右翼の行く放射、じゃない、育鵬社の教科書の二つを与えて、生徒を混乱させ、そこから「自分で情報は選択するものだ」という姿勢、「自分の頭で考える」姿勢、そして「理系も文系も含め、教科書内容はすべて現在採択されているだけの便宜的仮説であり、絶対的に正しい教科書など無い」という姿勢を身に付けさせるのがよかっただろう。日本に民主主義が根付かない根本は、何よりもまず「教科書を信じる」「(先生や組織のボス、有力者など)上の人の言うことを信じる」という盲従性にあるからだ。(この盲従性は、軍隊やスポーツでは集団全体としては威力を発揮するが。)
宗純氏の言うように、この「教科書が二つ」は、教育長の自己保身、小役人根性の結果だと思うが、逆に考えれば、橋下へのささやかな抵抗と見えないこともない。さすがに、育鵬社の右翼教科書で無垢な中学生を洗脳することへの罪悪感があればこそ、こういう「逃げ道」を作ったのだろうし、それはけっして悪いことではない。「面従腹背」は、上が悪党や人間のクズの時は正しい行為なのである。


(以下引用)


朝日新聞『大阪市教委、育鵬社の歴史教科書採択 来春から使用』

大阪市教育委員会は5日、市立中学校129校(在校生徒約5万4千人)が来春から使う歴史と公民の教科書に「新しい歴史教科書をつくる会」の元幹部らが編集した育鵬社版を、教育委員6人の多数決で採択した。「歴史観や社会観が異なる教科書を通じて多面的な見方を知る」などとして、次点で採択されなかった教科書を副読本として使うことを検討することも決まった。
この日の会議で、歴史は育鵬社と帝国書院を、公民は育鵬社と日本文教出版を評価する声が多く、多数決の結果、いずれも育鵬社版を4人が支持した。昨年の市立小学校の教科書採択から市内8カ所に分割していた採択地区を一本化し、市内全域で共通の教科書が使われる方式になった。4年前の前回は育鵬社版を採択した地区はゼロだった。
市教委の育鵬社版の採択決定後、大森不二雄委員長が2番目に高評価だった教科書の副読本化を提案。5対1の賛成多数で認められた。保護者負担ではなく公費負担による購入をめざす。
2015年8月5日朝日新聞

『今年中に引退する維新の橋下徹の迷惑な最後っ屁』

大阪市の純真な子供達に対して、極右歴史修正主義の『新しい歴史教科書を作る会』の御バカ教科書を無理やり押し付けるルサンチマンの権化橋下徹ですが、同和でヤクザで自殺した実父の恨みを晴らしたいのか、今まで自分を差別した社会全体を不幸にしたい愉快犯なのかは不明だが、はた迷惑な話である。
しがない宮使えの悲しさで、上司である大阪市長の橋下に逆られない市役所職員の大森教育長としては『作る会教科書』の採択は、止むを得ない選択だったのである。
4対2の多数決で『御バカ右翼教科書』を採択した大森教育長ですが、その直後に今度は5対1でまともな普通の教科書を『副読本』との口実で採択する。
なんと、大阪市だけは一つの教科に対して教教科書が二冊もある異常事態が発生したが、少し考えれば当然で、数ヵ月後には右翼御バカ教科書をごり押しした橋下徹はいなくなる。
それなら、当然『二冊目の教科書が必要になるだろう』との、今回の(権力の横車には絶対逆らわないが、失敗の責任も取りたくない小役人)大森教育長的な発想は、誰でもが考え付く。
まさに賛成反対両方を一応提示して公平を装うが、結果的には常に権力べったりの池上彰の姑息な何時もの手口の真似なのである。(電波芸者池上彰の反対意見の提示は、責任逃れのためのアリバイ作りだった)
橋下徹が大阪市にいる間は批判は直接橋下だけに向かう。ところが風除け(弾除け)の橋下がいなくなれば責任は全て採択した教育長一人(+5人の教育委員会)にぶつけられる。
批判が多い低脳右翼が作った教科書以外に事前にまともな教科書を用意して、(しかも購入は公費なので保護者の負担はゼロ)自分が叩かれないように工作するとは見上げた役人根性である。(日本が負けることを予測して、敗戦直前に寝返った吉田茂の様な策士中の策士)



『吉と出るか、凶と出るか。5万4千人が参加した大阪市の教育大実験』

疑うことを知らない子供達の前に、唐突に内容が違っている『正しい教科書』が同時に二つも提示されたら、今の学校教育について行くだけでいっぱいいっぱい。必死で努力しても落ちこぼれ寸前の崖っぷち状態なら間違いなく最後の止めを刺されて仕舞うだろう。
正しいモノが一つでも精一杯なのです。それなら、二つも同時に存在して自分で『正しい』を選択しなければならなくなった場合、知的負荷が能力の限界を超えてしまうので落ちこぼれる。
逆に今の大人たちの欺瞞や二重基準の存在を口には出さないが内心では疑っていた子供なら、瓢箪から駒で今回の大阪市の『二つも有る、正しい教科書』以上に素晴らしい教材は無い。
子供達にとっては『目から鱗』であり、今まで何がなんだか分からずに悶々として苦しんでいた真実の断片が明らかになります。
今回の大阪市教育長の判断ですが、今までの日本の教育の大改革。コペルニクス的な革命である。
成功するか大失敗するかの境目ですが、これは一にも二にも社会に対して『少しでも疑問に思っている子供』と『何も疑っていない(完璧に信じている)純真無垢の子供』との比率で結果が大きく左右されるでしょう。
それなら答えはもう出ている。
大人や社会を無条件で正しいと信じているのは小学校の低学年までであり、今回対象となる中学生では全員が何らかの疑問を感じている。
今の安倍晋三を信じているのはアベノミクスの成功を願っている一部の大人だけで、他は大人も子供の一人の例外も無く全員が疑問に感じているのです。



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