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「ハンニバル指令」という名称のこと

「逝きし世の面影」の宗純氏が好んで使う「ハンニバル指令(ハンニバル作戦)」という言葉だが、これが歴史的偉人でありカルタゴの名将であるハンニバルとどういう関係があるのか、私がネットで探した範囲ではいっこうに分からない。出て来るのは「羊たちの沈黙」の「ハンニバル・レクター」ばかりである。つまり、「ハンニバルという名前に殺人鬼の汚名を着せよう」という動きをこれらの背後に私は感じるのである。
我々は、マスコミが流す言葉は背後にDSが存在することを常に意識すべきであり、彼らの悪意や策謀はこのような一見「どうでも良さそうな」言葉ひとつにも存在すると思う。少なくとも、この名称は、イスラエルのパレスチナへの蛮行に対し、「これはあの歴史的名将ハンニバルもやったことだ」という言い訳を与えるのである。そして、ハンニバルが実際にそういう作戦をやったどうか、分かったものではない。戦争である限り、どのような非道な作戦も有り得ただろうが、それに「ハンニバル」の名前をつける理由があるとは私には思えないのである。
ちなみに「生きて虜囚の辱めを受けず」は日本の戦陣訓であり、近代以前なら、特に珍しい思想でも無かっただろう。戦闘の最前線から逃亡しようとする自軍兵士を後ろから攻撃し殺害するという「督戦隊」があるのだから、いわばハンニバル指令的なものは珍しくも何ともなかったと思う。ただ、それをたとえば「ジェリコ作戦」とでも言えば、人権意識が高まっている現代においてジェノサイド的作戦を行ったイスラエルという国の非道さ、野蛮さが際立つだけのことだ。まあ、彼らは紀元前の「旧約聖書」の頃から変わっていないとも言える。

(追記)

モーゼの死後ジョシュアは意志を継いで民を率いてヨルダン川を目指した。激流に行く手を阻まれたが、神の奇跡が起きて川は干上がり、一行は川を渡りきった。ジェリコの街では壁に阻まれるが、司祭の角笛の先導でジェリコの街を6日間周回して城壁を打ち崩し、ジェリコ攻略を果たした、というのが「ジェリコの戦い」(Joshua fit the battle of Jericho)という歌になった背景らしい。

(以下引用)

イスラエル軍、ハマス攻撃時 (10/7) に自国の民間人や兵士を殺害(イスラエル有力紙)

<記事原文 寺島先生推薦>
Israeli Army Ordered Mass Hannibal Directive on October 7
原題:10月7日、イスラエル軍は大規模なハンニバル指令を出していた。
筆者:ザ・クレイドル(The Cradle)
出典:Internationalist 360°  2024年1月11日
<記事翻訳 寺島メソッド翻訳グループ>  2024年1月17日


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訳註:「ハンニバル」は2001年の米国映画のタイトル。「人食」を表す「カニバル」を連想させることばであり、実際この映画の登場人物「ハンニバル」も人肉を食べる。ここでの「ハンニバル作戦」とは、「自分の味方をも犠牲にして厭わない作戦」の意味で使われている。


 イスラエルの有力紙の調査によれば、イスラエルは、ハマスのアル・アクサ・フラッド作戦の際、ガザに捕虜として連れ戻されるのを防ぐため、自国の民間人や兵士の多くを故意に殺害したという。

 イスラエルの有力紙、イェディオト・アハロノト紙の調査によると、イスラエル軍は10月7日のハマスの攻撃時に「ハンニバル指令」を実行し、ハマスが捕虜としてガザに連れ帰るのを防ぐために自国の民間人や兵士を殺害したという。

 同紙ヘブライ語版は1月11日付で、「調査で明らかになったことのひとつは、10月7日の真夜中に、IDF(イスラエル軍)は、『ハンニバル手順』を使用するよう、すべての戦闘部隊に命令していた。ただし、はっきりとことばでその指示は出していなかった」と報じた。

 その命令とは、「テロリスト・ハマスがガザに戻ろうとする試みはどんな犠牲を払っても、つまり、拉致被害者が敵方にいても」阻止することだった、と同紙は書いている。

 タイムズ・オブ・イスラエル紙によると、ハンニバル手順(指令)は、「兵士が敵の手に落ちるのを防ぐために、兵士が潜在的に大量の武力を行使することを許可している。その兵士を捕虜にさせないためにはその命を危機に晒すこともあり得る」という流れになっていた。

 以前イスラエルのハアレツ紙がこの指令について調査したところ、「軍から見れば、死んだ兵士の方が、捕虜となった兵士が苦しむよりマシであり、その兵士の解放を得るために国家は何千人もの捕虜を解放せざるを得なくなってしまう」という結論に達した。

 10月7日の攻撃で、ハマスと他のパレスチナ人は、入植地(キブジムとも呼ばれる)や軍事基地から約240人のイスラエル軍兵士と民間人を捕虜としてガザに連れ戻すことに成功した。ハマス側は、イスラエルの刑務所に収容されている女性や子どもを含む数千人のパレスチナ人と彼らを交換することを望んでいた。

 ハマスはトヨタのピックアップトラックやオートバイ、入植地から盗んだ車を使って、捕虜をガザに連れ帰った。また、徒歩やトラクターに引かれた荷車で連行された者もいた。

 イェディオト・アハロノト紙によると、入植地とガザ地区の間の地域で、約1000人の「テロリストと潜入者」が殺害されたという。

 しかし同紙は、ハンニバル指令の発動によって何人の拉致被害者が殺されたかは、現時点では明らかではないと付け加えた:

 「攻撃の翌週、精鋭部隊の兵士たちは、入植地とガザ地区の間に残された約70台の車両を確認した。これらはガザに到着しなかった車両で、途中で戦闘ヘリや対戦車ミサイル、戦車に撃たれ、少なくとも車両に乗っていた全員が死亡した事例もあった。」

 ジャーナリストのダン・コーエン氏が報じたように、イスラエル軍は10月7日、エフラット・カッツさん(68歳)を、キブツ・ニール・オズからトラクターに引かれた荷車に乗せてガザに運ぶ途中で殺害した。彼女の娘ドロン・カッツ=アッシャーちゃんと2人の孫娘ラズちゃん(2歳)とアビブちゃん(4歳)もその荷車に乗っていた。

 ドロン・カッツ=アッシャー氏が後にイスラエルのチャンネル12に語ったところによると、イスラエル軍はトラクターに発砲し、母親のエフラットさんを殺害し、2人の娘を負傷させた、という。

 イスラエル軍が非公式にハンニバル指令を発令していたことが明らかになったことで、当初ハマスの捕虜となったと推定されながら、後にガザ国境フェンス付近で遺体が発見された多くのイスラエル民間人の死について疑問の声が上がっている。

 多くの場合、遺体はひどく焼かれたり、切り刻まれたりしており、歯の記録やDNAでしか身元を確認することができない。このことは、彼らが国境付近でハマスによって機関銃を使って処刑されたのではなく、イスラエル軍の戦車やヘリコプターの射撃などの重火器によって殺されたことを示唆している。

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