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いざ鎌倉?

前回記事のついでに「逃げ若」こと北条時行についてのコラムも載せておく。学者の書いた記事と違って、かなり面白い。学者の発言や文章は、大半がポジショントーク(地位防御目的の発言)だからまったく面白くないのである。

(以下引用)

北条時行はなぜ【逃げ上手の若君】なのか?【鎌倉殿の13人】北条義時との関係は?(家系図/相関図)

陽菜ひよ子歴史コラムニスト・イラストレーター









2024年7月より、アニメ『逃げ上手の若君』(原作:松井優征)がTOKYO MXなどで放送開始しました。



原作は2021年1月『週刊少年ジャンプ』8号より連載開始、2022年、「全国書店員が選んだおすすめコミック」にて第8位、2023年、第69回小学館漫画賞を受賞した話題作です。



『逃げ上手の若君』(以下・逃げ若)とは、南北朝時代に活躍した武将・北条時行のこと。コミックは作者の大ヒット作『暗殺教室』を彷彿とさせるシュールでポップな世界観で、時行もある意味ちょっと「ヤバ目」に描かれています。



物語冒頭の時行はまだ8歳と幼少。武芸の稽古から逃げ続け、戦力はあまり期待できません。その代わり、防御力がとてつもないのです。自分を殺害しようとする相手の刀を笑顔でひょいひょいとかわす若君



そんな武士の御曹司らしくない「逃げ若」北条時行。まずは、史実に伝わる彼がどのような人物か?について書いてみたいと思います。



同時に、2022年NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で一躍有名になった鎌倉幕府第2代執権・北条義時(演:小栗旬)との関係についても紹介します。



ここから先はネタバレになるので、注意してお読みください。


◆北条氏得宗家最後の当主

◎執権北条氏の嫡流「得宗家」の直系

逃げ上手の若君・北条時行は、鎌倉幕府第14代執権にして、北条氏得宗家9代当主・北条高時の次男です。



得宗家とは、北条氏惣領の家系のこと。


2022年大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場した北条時政(演:坂東彌十郎)初代執権。そして2代義時、その嫡流の3代泰時(演:坂口健太郎)に続きます。義時から数えて、時行は8代目の直系子孫です。



北条氏は大きく5つの家系に分かれ、そのうち4つは義時の子を祖としています。残り1つは義時の弟・時房(演:瀬戸康史)の家系です。



執権北条家の家系図はざっとこんな感じ。



◎足利高氏により北条家滅亡・時行逃げ延びる

鎌倉幕府は1333年、のちに室町幕府を開く足利高氏(尊氏)によって滅ぼされました



同年にはじまった「元弘の乱」で、鎌倉幕府軍は後醍醐天皇や足利高氏を相手に戦い敗北。北条一族のほとんど(800人以上とする説も)が自刃したのです。(上の図の赤字の人物は元弘の乱で死亡)



父・高時が乱で死亡し、遺児となった時行は、北条得宗家の御内人(=従者)・諏訪頼重の庇護を受けて逃げ延びました。(諏訪頼重は『逃げ若』にも重要人物として登場。諏訪大社の神官のため、神通力があり未来が見えるという設定)



◆時行はなぜ「逃げ上手」なのか?

◎時行、高氏への復讐を胸に誓い、3度挙兵し鎌倉奪還に成功

その後、各地に残った北条一門や家臣らが次々と打倒足利を目指して蜂起。時行以外にも挙兵したと伝わる人はいますが、鎌倉を奪還することなく処刑されています。



時行のすごいところは、鎌倉を奪還していること。しかも、1335年「中先代の乱」、1337年「南北朝の内乱」、1352年「武蔵野合戦」と3度も奪還しているのです。



奪還しては足利氏に取り戻されることを繰り返しますが、その都度、時行はうまく逃げ延びました。これが「逃げ上手」の本来の意味だと思われます。



2度目と3度目の間は15年もの期間、じっと身を潜めて機会を待ち続けたのです。



時行は幼子から20代の立派な青年に成長していたでしょう。それでも彼の中の一族の敵を討つという強い執念は消えなかったのですね。



残念ながら「3度目の正直」はありませんでした。3度目は奪還後に制圧されて時行は捕らえられ、1353年鎌倉で処刑されてしまいます。鎌倉幕府の滅亡からちょうど20年後のことでした。


◎歴史を変えた「中先代」

時行は一時期(20日間ほど)ですが鎌倉の支配者となりました。そのため、父高時と足利高氏の間という意味で「中先代」と呼ばれます。



時行は敗者であるがゆえ、歴史に大きく名前を遺してはいません。しかし、時行は短い期間でも支配者と認められました。彼の起こした乱は、歴史を変えているのです。



鎌倉幕府は後醍醐天皇と足利氏によって滅亡しました。しかし時行の起こした「中先代の乱」のあとには、後醍醐天皇と足利高氏が対立して「建武の乱」が勃発。



乱には高氏が勝利して室町幕府が成立しました。後醍醐天皇を退けた高氏は、光明天皇を擁立(北朝)。対抗した後醍醐天皇は吉野に南朝を開き、南北朝時代がはじまります。



「中先代の乱」はその後の南北朝時代のきっかけを作ったといえるのです。




◎歴史のロマン「時行・伊勢生存説」

非業の死を遂げたと伝わる歴史上の人物には、日本各地に生存説があることが多いものですが、ご多分にもれず時行にも伝説が残ります。



時行は鎌倉で処刑されてはおらず、伊勢の地に逃げ延びたという説です。かの地で伊勢氏を名乗った時行の子孫が、のちの後北条氏の租・北条早雲、というもの。



後北条氏※とは、戦国時代に関東地方に勢力を伸ばし、1590年小田原征伐で豊臣秀吉に滅ぼされた一族。2023年大河ドラマ『どうする家康』北条氏政(演:駿河太郎)と氏直(演:西山潤)親子が登場したのは記憶に新しいところ。



(※本来の氏は北条ですが、鎌倉幕府の執権北条氏と区別するために後北条氏と呼ぶのが通例となっています)



後北条氏は、執権北条氏とは血縁上無関係というのが定説です。



そんなわけで、時行→早雲説、かなり眉唾なのですが、早雲の素性には不明な点が多いため、はっきりと否定もできないようです。



信憑性は低いとはいえ、実は執権北条氏と後北条氏は繋がっていた!と考えるとワクワクするのは筆者だけではないでしょう。できれば、『逃げ若』の時行もずっと逃げ続けて、最後は伊勢にたどり着いてほしいものです。



(イラスト・文 / 陽菜ひよ子)


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