ちょっと面白い話である。
愛子親王(というのか? 皇族の女性をそう呼んだと思うが、「愛子さま」という言い方の方が私には不自然に思える。「親王」ならただの称号だが、「さま」には尊敬の強制を感じる。)にはこのまま中学校中退していただいて、日本の教育のあり方や意義について一石を投じてもらいたいものである。
つまり、「中学校中退で何が悪い?」ということだ。そもそも、結婚して家庭の主婦にでも収まるなら、小学校卒で十分だ。社会についての実際的知識など、公教育では何一つ得られないのだから、小学校で読み書き算術を覚えればそれだけでいい。いや、家庭の主婦に限らずたいていの人間はだいたい小学校までの知識だけで生きるのには十分ではないのか。
一番悪いのは、愛子親王がこういう学業状態であるのに、学校側がそのまま進級させ、「中学卒」の資格を与えるという特別待遇をすることだろう。それは嫉妬と批判の元になる。いや、既になっている。下の記事自体がそれである。
とかく世間は他人の粗探しをしたがるものだが、「他人を批判する」ことの公正な利点が無い場合にまで他人を批判するのは感心しない。下記記事で言うなら、愛子親王がどうであろうと、それが他の生徒にどんな不利益を及ぼしているかと言えば、それは何一つ無いのである。ただ、「自分は苦しんで勉強し、真面目に無遅刻無欠席で登校しているのに、そうでない人と同じ扱いを受けるのは嫌だ」ということである。つまり、「本当なら勉強などしたくない。学校など来たくない」というのが彼女たちの本音であり、そうは言えないから「不平等な扱い」に文句を言っているのである。彼女らにとって学校がそういう存在であるところに、現在の「学校」という制度の無意味さや有害さの一端が表れている。
愛子親王は知的障碍者(とは言っても、幅広くあるはずだが)だという話もあるようだが、仮にそうだとしても、それも問題ではないだろう。皇族と言っても普通の人々と同じ確率でそういう人は生まれるというだけであり、公的活動はできないだろうが、私的生活だけで生きていかれればいいだけだ。
(以下引用)
愛子さま 二学期の期末テストの3日間8教科分を欠席された
冬晴れの空が広がった12月22日、学習院女子中等科は二学期の終業式を迎えた。8時25分頃、お車で登校されたマスク姿の愛子さまは、ポニーテールを揺らしながら、全力ダッシュで校門をくぐられた。
終業式は8時30分スタートで、この日はギリギリではあるが、他の生徒たちと同じように定刻通りに登校された。
だが、この二学期、愛子さまはさまざまな問題を抱えながらの学校生活をお過ごしになった──。
一学期後半から始まった愛子さまの“不規則登校”問題。二学期の始業式こそ、定刻前に元気に登校されたものの、その後は再び逆戻り。遅刻や欠席の回数が増え始め、9月末頃からは午後に登校されることもあった。
12月1日の誕生日は、学校をお休みになったが、夕方には天皇皇后両陛下に誕生日のご挨拶をされるために皇居を訪ねられている。
「沿道に駆けつけた人々に、車から元気に手を振られる愛子さまの姿を拝見して、少なからず違和感を覚えました。やはり、この日学校を欠席されている以上、公の場に出てこられるのは不自然ですよ。愛子さまは今、学校で誰からも叱られることなく、自由な振る舞いをされているように思え、実に心配でなりません」(学習院関係者)
この関係者が指摘する通り、学習院女子中等科では、愛子さまは過剰なまでの“特別扱い”を受けていて、遅刻、欠席を繰り返しても学校側が愛子さまを叱ったり、母親である雅子さまを呼び出して注意することは、一切ないという。
こんな状況に、すでに本誌がお伝えした通り、一部の生徒たちから不満の声が出てきている。
「私たちは遅刻しないようにまじめに登校しているのに、なぜ愛子さまだけが自由な時間に登校しても許されるのでしょうか?」
しかし、学校側は明確な答えを出すことはできなかった。そして12月5日から4日間にわたり、二学期の期末テストが行われたが、愛子さまは5日、6日、9日の3日間、計8教科分の試験を欠席された。
この期末テスト欠席に関して、東宮大夫は定例会見で、風邪で発熱や咳があったためと説明している。結局、愛子さまは後日、数日に分けて追試を受けられたという。
※女性セブン2015年1月8・15日号
