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香山リカ、正体を暴露

「ダイヤモンド・オンライン」から一部転載。
香山リカが「原発問題に騒ぐ人々」を社会不適応者だと「分析」しているわけだが、なるほど、原発で金儲けをしてきた人々のような人間こそが「この社会」に「適応」していることは確かである。で、原発問題は「この社会」の根本的病理を炙り出したからこそ、人々は覚醒し、盛んに議論しているのだと私は思うのだが、そういうのは「現実への猜疑心が強い」「適応障害」「パーソナリティ障害」になるのだろうか。
そして香山リカ本人のように「この社会」を擁護する人間のみがまともな人間だということになるのだろうか。

香山リカのように「少し頭のいい」人間は、自分の頭を過信して墓穴を掘ることが多い。自分の発言がどういう影響を持つのか、その社会的意味を考えれば、こういう、社会の変革に水をさすような「上から目線」の発言など、本当に頭のいい人間はやらないだろう。
つまり、彼ら(知的職業の人間)も実は頭でっかちな幼児にすぎないのである。
医者とか教師というものは、自分の接する狭い範囲の知見しか無いにもかかわらず、その世界では絶対者として存在するために、精神が幼児的であることが多い。これは「社会に適応している」かどうかとは無関係である。社会に適応するだけなら、一流大学を出て一流企業や官公庁に勤めれば、ほとんど誰でも「適応」できる。
そのような低レベルの適応(つまり「利害判断による適応」)よりも、何が本当に正しいのかを考え、行動できるほうが、はるかに高次元の人間だろう。
まあ、社会に「適応」した人間から見れば、こんな発言は「負け犬の遠吠え」ということになるのだろうが。しかし、それは「彼らの価値観」による見方にしかすぎないのである。「金こそすべて、力こそすべて」という世の中って、そんなにいいのかね。


(以下引用)


京都大学原子炉実験所助教の小出さんは、原発を研究しながらも反原発を唱え、そのことが原因で大学から教授や准教授といったポストを与えられてきませんでした。当然のことながら「原子力ムラ」からも排斥されています。小出さんは、それでも信念を曲げずに正しいと思うことを言い続けてきました。

 原発事故が発生すると、相変わらず原子力ムラからは徹底的に無視されますが、期せずして世間からは「それが真理だった」と評価されます。

「妥協や打算でなく自分の信念を曲げずに正しいと思うことを信じていれば、いつか自分が正しかったことが証明される」

 原発事故を喜ばしいと思う人は誰もいません。ただ、これまで大学の中で「冷や飯を食わされていた」小出さんが脚光を浴び、時代のヒーローになっていく姿は、彼らにとって理想のイメージ、希望の星、自分の願いを投影する存在になっているのでしょう。

 厳しい言い方になるかもしれませんが、彼らには自分が抱えてきたルサンチマンが一気に晴らされたという感覚があるのかもしれません。もうすぐ定年を迎えようとする年齢まで屈辱的な地位にいた人が、いまや日本中で最重要人物の一人になるという姿に、彼らはおとぎ話のようなイメージを抱いているのではないでしょうか。

彼らはこころを患っているわけではない
現実社会への猜疑心が強いだけ
 彼らは、こころの病を患っているわけではありません。

 仮に彼らが精神科を訪れて、病名をつけなければならないとしたら、現実社会にうまく適応できないということで「適応障害」と診断することになるでしょうか。あるいは、世の中に対して恨みごとを言い連ねるタイプの人には「パーソナリティー障害」という病名を伝えるかもしれません。

 しかし、彼らはそれなりにやる気もあり、優秀で学習意欲も高く、知的好奇心も強い人たちです。それなのに、どこか歯車が咬み合わず、社会にうまく溶け込めない。自分でも社会が受け入れてくれないと思い込んでいるのです。

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