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貨幣経済が商人層の必然的富裕化と、生産者と消費者の貧困を招くメカニズム

このブログには似合わない経済論だが、思い付きを連ねるだけの記事である。しかし、マルクスだろうが誰だろうが、どの経済学者も言っていない(と思う)根源的経済論だ。

それは、「商人が肥え太るのは、貨幣経済がもたらす必然である」という思想だ。

これは、たとえば江戸時代の商人の富裕化と江戸幕府財政の逼迫と幕府滅亡の根本でもある。
ひいてはDSの世界支配の出発点でもある。

単純に言おう。

1:物々交換では、商人は存在する必要はなく、交換機会は基本的に一度だけで済む。
2:貨幣経済では、取引に貨幣が介在し、「生産者→消費者」という、一回だけの交換だけではなく、商人(仲買人)という存在が発生する。つまり「生産者→仲買人→消費者」となる。(貨幣そのものは「蓄積可能(貯蓄可能)」という大きな便宜のために、存在し始めると永続的になる。)
3:1のような「1回限りの交換」ではなく、交換回数が複数回になることで、商品価格は「仲買人の利益」分をその都度上乗せし、必然的に消費者は高い商品を買い、生産者は安く買われることで、社会経済上の「相対的貧困層」に落ちていく。つまり、「商人は必然的に相対的富裕化する」。

これが、商人階級の必然的富裕化と生産階級の必然的貧困化(ひいては「安いものを高い値段で買うしかない」消費層の必然的貧困化)のメカニズムである。
なお、取引において、商人は実は自分のカネを使っていない、という説も3の前に書いたが、これはタイプミスで消えてしまった。(要するに、消費者の払うカネから自分の利得を引いて、生産者に払うのだから、商人自体は「下手クソな商売人」でないかぎり、原理的には「自分のカネ」は使わないで済むことになる。ただ、そういう甘い汁の吸える商売にはライバルも多いのは当然だ。)


(以下は、上の文章に比べると「学術性」が低いので、駄弁として聞けばいい。)

なお、ドルの極限的膨張と破裂の予想により貨幣経済の終焉を予見したDSによる対策が「世界人口削減」「15分都市(商業経済の極限的縮小)」「中央銀行発行デジタルマネーによる人民奴隷化」である。
「15分都市」(もっと言えば、世界人口削減も同様だ。)が商業経済の極限的縮小を招くことは誰も言っていないようだ。つまり、商業経済(資本主義)の自殺だが、しかし、別の方法でDSは世界支配者の地位を守るつもりで、それがデジタルマネーである。これは必然的に人民の奴隷化になる。デジタルパスポートも同じであり、ひいてはマイナバーカード電子化も、その雛型だ。
WEFが世界の政府指導者を「育ててきた」のも、上記「対策」の準備だろう。つまり、ドルの破裂はDSにとってはずっと前から自明だったわけだ。

(追記)「紙屋研究所」ブログを読んでいたら、次のような一節に出会った。私はマルキシズムを概念でしかしらないが、マルキシズム批判者だ。しかし、下のエンゲルスの言葉には聴く価値がある。ただし、「空想的社会主義」と「科学的社会主義(マルキシズム)」の比較や呼び方についての紙屋氏の言葉は論理の捻じ曲げ、狡猾な強弁だろう。あくまで「空想的」は蔑称であり、「理性的」という褒め言葉とは大違いだ。その「理性的」への批判が今の時代に多少あるとしても、理性的をけなし言葉と思う人はいるまい。まして、マルキシズムを「保守的社会主義」と呼ぶに至っては、詐欺的言辞の極みだろう。冗談としても、あまりに悪質だ。

(以下引用)


 ただ、共産主義、とりわけマルクス主義科学的社会主義)は理性主義の批判者である。理性主義の批判者であると同時に保守主義の批判者でもある。そして両者に対する批判的継承者である。


 ぼくはそのことについて何度かブログで書いている。たとえばこれ


フランス革命の後「理性主義」を批判してバークのような「保守主義」が登場したが、頭の中でこしらえただけの「理性」でもなく、単純な今あるものを肯定する「保守」でもなく、現実の中から新しい理想の萌芽が生じるというまさに科学的社会主義マルクス主義の真骨頂がここにあるのではないのか〔…中略…〕世界の現実の中から必然的な理想が生まれ、それに基づいて世界に働きかけるという態度は、マルクス主義であり〔…略…〕


 これはまさにエンゲルス『空想から科学へ』で展開されている。


 エンゲルスは、フランス革命啓蒙思想に基づく「理性によって社会を改造する革命」であったとする。しかし、エンゲルスもやはり、その「理性主義のゆきすぎ」をあれこれ面白おかしく紹介している。


要するに、啓蒙思想家たちのすばらしい約束と比較して、「理性の勝利」によって打ちたてられた社会的・政治的諸制度は人々を激しく幻滅させる風刺画であることがわかった。(『マルクス・エンゲルス8巻選集7』大月書店、p.43)


 そして、社会変革が何によって推進されるかを次のように説く。


〔…略…〕あらゆる社会的変化と政治的変革との究極の原因は、人間の頭のなかに、永遠の真理や正義についての人間の洞察がますます深まってゆくということに、求めるべきではなく、生産および交換の様式の変化に求めなければならない。それは、その時代の哲学にではなく、経済に求められなければならない。現存の社会諸制度は非理性的で不正であり、道理が非理となり、善行がわざわいとなったという洞察がめざめてくるのは、生産方法と交換形態とのうちにいつのまにか変化が起こって、以前の経済的諸条件に合わせてつくられた社会制度がもはやこの変化に適合しなくなった、ということの一つの徴候にすぎない。このことは、同時に、あばきだされた弊害をとりのぞくための手段も、やはり変化した生産関係そのもののうちに——多かれ少なかれ発展したかたちで——かならず存在している、ということを意味する。これらの手段は、けっして頭のなかから考えだすべきものではなくて、頭をつかって、眼前にある生産の物質的諸事実のうちに発見しなければならないのである。(同前p.60)


 つまり、「人間が頭で描き出した人工的な理性ではなく、社会の中で現実に育っていく法則的に生じてくる新しい萌芽が、現状の中から生まれながら現状を変えていく理想としての力なのだ」という表明がある。そうした現実の社会発展の法則を認識して、新しい社会を展望するところに「科学」の所以があり、そのために「空想的社会主義」(理性主義的社会主義)ではなく、「科学的社会主義」と自称するのである。なんなら「保守主義社会主義」と言ってもいいだろう(笑)。




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