本当に、主人の人柄が変わってしまったのです。
今日、主治医に会えたから「精神安定剤が効いているのでしょうか?」と、尋ねると「いいえ、むしろ、最近は、減らしているんですよ」と、言われた。
本人は、幸せそうに「24年前、55歳で、倒れて、ここでリハビリをしたことと重なって、気持ちが若返る」と、喜んでいる。
大変穏やかで、いかにも、善良。
こんな人だったかなあ?
いや~違うよ、ささいなことで、かっとなって、物を投げつけるような、扱いにくい人だった。
でも・・・
いや・・・まさか・・・そんなこと?
もしかしたら、であった頃の「好青年」に見えた、あの人かもしれない。
結婚したら、人は変わるというけど、これが、そうなのか?と、思った。
主人の両親は、息子の変貌ぶりに、嫁が悪かったのかと、私のことを、よく思っていなかった。
ようやく、実家での不幸せな暮らしから、逃げ出したのに、次の罠が待っていた…と、私は思った。
何年もたって、ついに、もはや、これまでと、死ぬことまで考えて、宗教教団の門をたたいた。
夢に、主人の祖父が現れ、名前を名乗って、うしろから、私の首を絞めて「苦しいか?わしは、こちらへきてから、ずっと、この目におうている。その姿を、お前の夫に現わしている」と言った。
さかのぼること、8年前。
結婚して8か月たったある夜、2月だった。
夜中の3時に、夫が、私を起こして
「今、左の手足の先から、冷たいものが入ってきて、カラダの半分が氷みたいになった。俺は、このまま死ぬのかな・・・」と言った。
そんなこと言われても・・・
夜中の3時に、起こされてもね~もう一度寝てしまったよ、私は。
けれど、その翌日から、彼の人柄が変わった。
前の日まで、会社から、すっ飛んで帰ってきては、その日あったことを、しゃべりながら、私の後を追っていたのに・・・
苦しい苦しいと言い出して、不機嫌になった。
検査の結果高血圧になっていた。
初めの数年間は、苦しがるだけだったけど、やがて、凶暴になって、子供たちは、父親を見ると泣いた。私は、一人で子育てをしなければならなかった。
少しでも口答えをしたら、物を投げつけられた。
弟が、精神異常で実家にこもっていなければ、離婚して帰ることもできたけど、あっちもこっちも、火の車だった。
本当につらい時、人は「つらい」なんて言葉は口にしない。そんな余裕がない。今この時を、なんとかしてしのぐだけだ。
しのいでしのいでなんとか、暮らしたけど、弟が「幻聴を聞く=統合失調症」だと、気づいたとき、私の絶望は、あまりに深かった。
当時、統合失調症は遺伝すると思われていた。
この子たちの将来はどうなる?
もうこうなったら、この子たちの手を引いて、踏み切りに飛び込むしかない・・・
そこまで追い詰められて、私は、ついに宗教の門をたたいた。
主人の祖父のお施餓鬼をすると、主人の苦しみが、少しましになった。
でも、私は、宗教にそういう力があるとは、信じなかった。
だから「試した」
主人が苦しくなくなったと、言ったとき、ならば、もっと、祖父のお施餓鬼をしようとは思わなかった。本当に、祖父が主人に憑依して苦しませているのなら、許せないほど腹が立った。
私は8年間、苦しんだ。
なんで、そんな相手にお施餓鬼をしてやらなくっちゃならないとも思ったし、
お施餓鬼用紙に名前を書いただけで8年間も苦しんだものが、改善するだなんて、私は、迷信深くはないぞと思った。
だから、その次「苦しい」と言い出すまで、ほっておいた。
3週間後に「息が苦しい」というから、しょうことなしにお施餓鬼をすると、たちまち、楽になった。
その次は3か月後で、その次は2年後だった。
お施餓鬼を繰り返すことで、主人の苦しさは楽になったけど、高血圧は治らず、相変わらず、おこりっぽい、気持ちの通じない人だった。
そのあと、脳卒中で倒れることになり、私は「人生って、まだ、私に、新しい苦労をもたらすのか?」と、思ったよ。
「幸せになりたい。楽になりたい、ほかの人が羨ましい」と、思っていたけど、
なんか、私が幸せを求めると悪魔が、あざ笑って、不幸を投げてくる気がして、もう、幸福なんか望まなくなった。
それまでだって、近所の悪ガキたちのシェルターになったり、いろんな奉仕活動はしてきた、苦労も多かった。でも、それからあとは、自分がやったことを、数えなくなった。
つらく悲しく苦しいのが人生というものだと。あきらめた。
あきらめて何年もたって、さすがに、もう、これ以上の不幸に襲われることはないだろうと油断したとたんに、2度目の脳卒中で主人が倒れた。
さすがに、もう、驚いたり騒いだりはしないよ。人生なんて、こんなものだもの。
一回目の脳卒中の時には、相当衝撃が大きかったので、(もっとも、あんまり苦しがるので男の本厄42歳で死ぬんじゃないかと、覚悟はしてたんだけどね)
宗教の先輩に、訴えた「私の信心が足りないから、こうなったのでしょうか?」
すると、先輩は強く言い切った。
「違います。そんな風に考えなくていい。あなたは、悪くない。」
神様は「ほんとなら、因縁どおりなら、もっと早くに倒れていました。でも、その時期を遅らせていただけたのですよ。」つまり、大難を小難かな?
もう少し前に倒れていたら、子供たちを大学にやれなかった。おおきな運命の狂いが生じるところだった。
これは、乗り越えなければならない道だから、避けては通れない。
そう告げられた。
たとえば、徳積によって、ゼロにしてもらえる悪因縁も、あるけど、絶対に避けて通れない人生の門がある。それは、どうしても超えていくしかない。
宗教をやっていたら、なんでもかんでも、やすやすと災難を避けられるとか、病気にならないなんてことはありません。
その人が、今生で、己を磨くために必要なことなら、絶対に避けられない。
真正面からぶつかって、乗り越えるしかない。どんなに、つらくても、悲しくてもね。
そういう局面はいくつもあるよ。むしろ修行者の方が、たくさん経験する。
だから、今度、主人が倒れて、あっけなく死んでも、あるいは、寝たきりになっても、恐ろしく手間取る介護生活になっても、それは、受け入れるしかない。
不必要な苦労を神仏は与えない。与える苦労は、必要な苦労。魂の成長に必要な苦労だから。
宗教とは心魂を磨くためのものだから。
何が起ころうと、受け入れ、乗り越える。
そう、覚悟するのだけど、冷静ではないよ。血圧は上がるし、平静じゃない。
肩に力が入っている。
そして、今日、初めての主治医との面談。
やはり不安。なにか、絶望的なことがあったら、どうしよう。いやいや、何があっても、負けない!と、自分に言い聞かせながら、今朝は、めまいがした。
けれど、行ってみると、主人は、温和な表情で、幸せそうにしている。
「前向きですから、リハビリにも成果が出ると思います」と、主治医。
ほっとして、帰ってきて、娘にパパの写真を送る。
「だれ?これ。知らない人なんですけど」と、メールがかえってきた。
「そうやねん。私も、誰だかわからない。あんな穏やかな様子を見たことがない」
でも・・・もしかしたら、あの2月の夜、主人の左の手足から入ってきた冷たい塊が、抜けていったのかもしれない。
50年間も、本当の自分じゃないなんてことがあるのだろうか?
出会った時の彼は「出世はしません」と言ったし、全然、頼りがいは無かったけど、冗談好きの明るい性格だった。
それが1年もしないうちに、別人になってしまった。
だから、子供たちは、不機嫌なパパしか知らない。
なんで、結婚したのよ!と、娘に責められる。
だって、昔の結婚では、相手がどんな人かなんてわからなかったんだから・・・
いや、であった頃は、好感のもてる人だった。
あの人は、どこへ行ったのか?と、最初のころは思ったけど、もう、50年間も続くと、すっかりあきらめて、昔の記憶も消えそうになっている。
でも・・・・もしかしたら、50年もたって、であった頃のあの人が返ってきたのかもしれない。
まさか、ありえないけど、ようやく、主人の祖父も、気がすんで、でていったのだろうか?
長い苦労だった。最初は徳積だと言われ、あれこれ打算で動いたけど、やがて、結果を期待しなくなって、それから何十年もたった。
何が何だか、わからないけど、もしか、あの好きでもないけど、悪い人じゃないと判断したあの人が、戻ってきたなら私はうれしい。
終わりよければすべて、よしだもの。
今日、主治医に会えたから「精神安定剤が効いているのでしょうか?」と、尋ねると「いいえ、むしろ、最近は、減らしているんですよ」と、言われた。
本人は、幸せそうに「24年前、55歳で、倒れて、ここでリハビリをしたことと重なって、気持ちが若返る」と、喜んでいる。
大変穏やかで、いかにも、善良。
こんな人だったかなあ?
いや~違うよ、ささいなことで、かっとなって、物を投げつけるような、扱いにくい人だった。
でも・・・
いや・・・まさか・・・そんなこと?
もしかしたら、であった頃の「好青年」に見えた、あの人かもしれない。
結婚したら、人は変わるというけど、これが、そうなのか?と、思った。
主人の両親は、息子の変貌ぶりに、嫁が悪かったのかと、私のことを、よく思っていなかった。
ようやく、実家での不幸せな暮らしから、逃げ出したのに、次の罠が待っていた…と、私は思った。
何年もたって、ついに、もはや、これまでと、死ぬことまで考えて、宗教教団の門をたたいた。
夢に、主人の祖父が現れ、名前を名乗って、うしろから、私の首を絞めて「苦しいか?わしは、こちらへきてから、ずっと、この目におうている。その姿を、お前の夫に現わしている」と言った。
さかのぼること、8年前。
結婚して8か月たったある夜、2月だった。
夜中の3時に、夫が、私を起こして
「今、左の手足の先から、冷たいものが入ってきて、カラダの半分が氷みたいになった。俺は、このまま死ぬのかな・・・」と言った。
そんなこと言われても・・・
夜中の3時に、起こされてもね~もう一度寝てしまったよ、私は。
けれど、その翌日から、彼の人柄が変わった。
前の日まで、会社から、すっ飛んで帰ってきては、その日あったことを、しゃべりながら、私の後を追っていたのに・・・
苦しい苦しいと言い出して、不機嫌になった。
検査の結果高血圧になっていた。
初めの数年間は、苦しがるだけだったけど、やがて、凶暴になって、子供たちは、父親を見ると泣いた。私は、一人で子育てをしなければならなかった。
少しでも口答えをしたら、物を投げつけられた。
弟が、精神異常で実家にこもっていなければ、離婚して帰ることもできたけど、あっちもこっちも、火の車だった。
本当につらい時、人は「つらい」なんて言葉は口にしない。そんな余裕がない。今この時を、なんとかしてしのぐだけだ。
しのいでしのいでなんとか、暮らしたけど、弟が「幻聴を聞く=統合失調症」だと、気づいたとき、私の絶望は、あまりに深かった。
当時、統合失調症は遺伝すると思われていた。
この子たちの将来はどうなる?
もうこうなったら、この子たちの手を引いて、踏み切りに飛び込むしかない・・・
そこまで追い詰められて、私は、ついに宗教の門をたたいた。
主人の祖父のお施餓鬼をすると、主人の苦しみが、少しましになった。
でも、私は、宗教にそういう力があるとは、信じなかった。
だから「試した」
主人が苦しくなくなったと、言ったとき、ならば、もっと、祖父のお施餓鬼をしようとは思わなかった。本当に、祖父が主人に憑依して苦しませているのなら、許せないほど腹が立った。
私は8年間、苦しんだ。
なんで、そんな相手にお施餓鬼をしてやらなくっちゃならないとも思ったし、
お施餓鬼用紙に名前を書いただけで8年間も苦しんだものが、改善するだなんて、私は、迷信深くはないぞと思った。
だから、その次「苦しい」と言い出すまで、ほっておいた。
3週間後に「息が苦しい」というから、しょうことなしにお施餓鬼をすると、たちまち、楽になった。
その次は3か月後で、その次は2年後だった。
お施餓鬼を繰り返すことで、主人の苦しさは楽になったけど、高血圧は治らず、相変わらず、おこりっぽい、気持ちの通じない人だった。
そのあと、脳卒中で倒れることになり、私は「人生って、まだ、私に、新しい苦労をもたらすのか?」と、思ったよ。
「幸せになりたい。楽になりたい、ほかの人が羨ましい」と、思っていたけど、
なんか、私が幸せを求めると悪魔が、あざ笑って、不幸を投げてくる気がして、もう、幸福なんか望まなくなった。
それまでだって、近所の悪ガキたちのシェルターになったり、いろんな奉仕活動はしてきた、苦労も多かった。でも、それからあとは、自分がやったことを、数えなくなった。
つらく悲しく苦しいのが人生というものだと。あきらめた。
あきらめて何年もたって、さすがに、もう、これ以上の不幸に襲われることはないだろうと油断したとたんに、2度目の脳卒中で主人が倒れた。
さすがに、もう、驚いたり騒いだりはしないよ。人生なんて、こんなものだもの。
一回目の脳卒中の時には、相当衝撃が大きかったので、(もっとも、あんまり苦しがるので男の本厄42歳で死ぬんじゃないかと、覚悟はしてたんだけどね)
宗教の先輩に、訴えた「私の信心が足りないから、こうなったのでしょうか?」
すると、先輩は強く言い切った。
「違います。そんな風に考えなくていい。あなたは、悪くない。」
神様は「ほんとなら、因縁どおりなら、もっと早くに倒れていました。でも、その時期を遅らせていただけたのですよ。」つまり、大難を小難かな?
もう少し前に倒れていたら、子供たちを大学にやれなかった。おおきな運命の狂いが生じるところだった。
これは、乗り越えなければならない道だから、避けては通れない。
そう告げられた。
たとえば、徳積によって、ゼロにしてもらえる悪因縁も、あるけど、絶対に避けて通れない人生の門がある。それは、どうしても超えていくしかない。
宗教をやっていたら、なんでもかんでも、やすやすと災難を避けられるとか、病気にならないなんてことはありません。
その人が、今生で、己を磨くために必要なことなら、絶対に避けられない。
真正面からぶつかって、乗り越えるしかない。どんなに、つらくても、悲しくてもね。
そういう局面はいくつもあるよ。むしろ修行者の方が、たくさん経験する。
だから、今度、主人が倒れて、あっけなく死んでも、あるいは、寝たきりになっても、恐ろしく手間取る介護生活になっても、それは、受け入れるしかない。
不必要な苦労を神仏は与えない。与える苦労は、必要な苦労。魂の成長に必要な苦労だから。
宗教とは心魂を磨くためのものだから。
何が起ころうと、受け入れ、乗り越える。
そう、覚悟するのだけど、冷静ではないよ。血圧は上がるし、平静じゃない。
肩に力が入っている。
そして、今日、初めての主治医との面談。
やはり不安。なにか、絶望的なことがあったら、どうしよう。いやいや、何があっても、負けない!と、自分に言い聞かせながら、今朝は、めまいがした。
けれど、行ってみると、主人は、温和な表情で、幸せそうにしている。
「前向きですから、リハビリにも成果が出ると思います」と、主治医。
ほっとして、帰ってきて、娘にパパの写真を送る。
「だれ?これ。知らない人なんですけど」と、メールがかえってきた。
「そうやねん。私も、誰だかわからない。あんな穏やかな様子を見たことがない」
でも・・・もしかしたら、あの2月の夜、主人の左の手足から入ってきた冷たい塊が、抜けていったのかもしれない。
50年間も、本当の自分じゃないなんてことがあるのだろうか?
出会った時の彼は「出世はしません」と言ったし、全然、頼りがいは無かったけど、冗談好きの明るい性格だった。
それが1年もしないうちに、別人になってしまった。
だから、子供たちは、不機嫌なパパしか知らない。
なんで、結婚したのよ!と、娘に責められる。
だって、昔の結婚では、相手がどんな人かなんてわからなかったんだから・・・
いや、であった頃は、好感のもてる人だった。
あの人は、どこへ行ったのか?と、最初のころは思ったけど、もう、50年間も続くと、すっかりあきらめて、昔の記憶も消えそうになっている。
でも・・・・もしかしたら、50年もたって、であった頃のあの人が返ってきたのかもしれない。
まさか、ありえないけど、ようやく、主人の祖父も、気がすんで、でていったのだろうか?
長い苦労だった。最初は徳積だと言われ、あれこれ打算で動いたけど、やがて、結果を期待しなくなって、それから何十年もたった。
何が何だか、わからないけど、もしか、あの好きでもないけど、悪い人じゃないと判断したあの人が、戻ってきたなら私はうれしい。
終わりよければすべて、よしだもの。