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気の赴くままにつれづれと。
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政府から事件について厳重な報道管制を受けているマスコミは、2日目の昨日(1/21)、後藤健二を美化する特集でニュースを埋めた。本人がどこかの学校で講演した逸話を持ち上げ、10/25に自身がシリアで撮影した動画を出して、「何が起こっても責任は私自身にあります。どうか日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください」というメッセージを流し続けた。NHKも、テレ朝も、TBSも、判を押したように同じ映像を流し、後藤健二を絶賛するコメントを並べて論調を纏めた。日本のマスコミ報道ではよくあることで、慣例で常態の光景ではあるけれど、この報道が意図的な上からのお仕着せのもので、何度も畳みかけて国民に刷り込み、意味づけを一つにする情報操作であることは誰でも分かる。後藤健二が10/25に録画したビデオメッセージが残っていたのなら、その情報こそ、事件初日の1/20にマスコミが報道するべき素材だったはずだが、一日置いて、編集と演出を入念に一つに固めて、パッケージにして一斉に全放送局で流した。それは後藤健二を聖人に仕立て、英雄に祭り上げる<物語>の前編だ。本人が殺害された後、イスラム国を憎悪する国民感情が爆発するように、次の展開のために仕組んだ戦略的な布石である。昨夜の「特集」は明らかに政府が制作している。われわれは、政府とマスコミの魂胆を見抜く必要がある。情報操作に乗せられて後藤健二を英雄視するのはやめよう。
政府が全放送局を使って美談化のために流した映像の中で、後藤健二は、「責任は私自身にあります。どうか日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください」と言っている。マスコミはこの言葉にフォーカスし、たとえ殺されても相手を恨まない清浄な心ばえと、自己責任を素直に受け入れる姿勢を褒めちぎった。だが、不具合を感じたのは私だけだろうか。「責任は自分にあります」と言っているが、今回、イスラム国に捕縛されて身代金を要求され、仮に2億ドルが払われるときは税金なのである。後藤健二は自ら責任のとりようがないではないか。外務省が渡航を禁じているシリアに潜入し、イスラム国にのこのこ入って行って捕らえられ、世界中を騒がせ、家族と国民に心配をかけて、この男はどういう責任をとるという認識なのだろう。カネの問題や家族の問題だけではない。ジャーナリストを称する英米の者が幾人も首を斬られ、そのネット動画に刺激されて、厭戦気分だった米国の世論が変わり、「イスラム国」との全面戦争の情勢になった。同じ事件が日本人ジャーナリストを標的に起これば、日本が「イスラム国」との対テロ戦争に突入し、多くの日本人が命の危険にさらされる事態になるではないか。現に今、安倍晋三は、神風の到来とばかり、嬉々としてその方向へ動いている。そうなったとき、当の本人はどう責任をとれるのか。後藤健二の「責任は自分にあります」には何の意味もない。
あまりに軽薄で無責任な言葉であり、一人よがりな自己顕示の録画だろう。このビデオメッセージは、立入禁止の雪山に踏み込んでバックカントリーのスキーを愉しもうとする者が、規制ロープを跨ぐ前にスマホで自撮りし、「何が起こっても責任は私自身にあります」と言っているのと同じだ。傲慢な言い訳だ。遭難すれば、関係者が命がけで捜索しないといけない。ヘリを飛ばして救出活動しなくてはいけない。そこには過酷な職務があり、人命救助の責任があり、税金の出費が発生する。後藤健二の言う「責任」とはどういう意味なのか。今、後藤健二はジャーナリストの鏡のような立派な男だとマスコミは美化しているけれど、実は最も無責任で、思慮分別のない身勝手な行動で多くの者に迷惑をかけていて、教育材料としては反面教師なのがこの男の行動だ。美化できる余地などどこにもなく、模範にするなど狂気の沙汰なのだ。前の記事に書いたとり、私は、後藤健二が個人的な責任感や使命感の動機で、湯川遙菜の救出に動いたとは思えない。また、熟練の後藤健二があえなくイスラム国側に捕縛されたのには、かなり複雑な理由があっただろうと推理する。そして、そのことを日本政府はよく知っているはずだし、家族もよく知っているに違いない。一つの仮説は、後藤健二の正体がバレていたということで、湯川遙菜が尋問で真実を白状してしまっていたということだろう。ただのジャーナリストではない素顔を持っていたということだ。
残り時間は24時間を切ったが、安倍晋三と政府はこの事件の解決に向けて全く動こうとしていない。人質の救出に関心がない様子で、人命が奪われる焦燥感は微塵も感じられない。「テロには屈しない」「関係国に協力を依頼して解放に全力」のフレーズを機械的に繰り返しているだけだ。何もやってない。政府が何もやってないことをマスコミが叩かない。マスコミの論者たちは、藤岡信夫のように安倍晋三から指示された「解説」を垂れるか、惠村順一郎のように安倍晋三による制裁を恐れて無味乾燥なフレーズを並べるだけだ。マスコミは、政府が不作為を合理化するために言うところの「イスラム国とのパイプがない」を、そのまま「事実」として報道で認めている。政府とマスコミがこの事件への不作為と傍観を貫徹し、救助の具体策を話題にせず、殺害後の動きに関心を移してしまっている。その態度を「テロとの戦い」と自己責任論の二つの意義づけで正当化している。実は有効なパイプが存在し、中田考が全権でイスラム国に赴いて交渉すれば、人質は無事救出されるだろう。中田考はイスラム国の高官と信頼関係があり、スンニー派の学究として尊敬を受けている。本来なら、この非非常事態にこそ政府は中田考を活用すべきで、「文明の衝突」から局外中立に立つ日本の位置を明らかにして国益を守るべきなのだ。政府は中田考の経歴と能力を熟知しながら、眼中にないかのように無視と排斥を続けている。人質の命が刻々と危うくなっているのに、それを救うことに努力をしない。
安倍晋三と政府の言うことは、「テロに屈しない」と「人命第一で全力を」の二つだ。「テロに屈しない」には中身がある。だが、「人命第一」は嘘で空っぽだ。ただ期限までの時間稼ぎをしているだけで、早く処刑を済ませてくれと言わんばかりに無為無策を続けている。安倍晋三の頭の中は人質殺害後のプログラムでいっぱいで、どうやって犠牲の言い訳をするか、どうやって「テロとの戦争」を宣言して国民の支持を集めるか、どう集団的自衛権の行使第1号の実行に持ち込むか、中東での自衛隊の作戦と配置をどうするか等々、事件後の「対テロ戦争」の政治計画ばかりに熱中している。安倍晋三にとって今回のテロ事件はまさに天佑なのだ。これまで、9条改憲の理由づけについては、「日本をめぐる安全保障環境の変化」と抽象的に言い、具体的には中国の脅威を誇張して敵意を煽り、右傾化し反中化した世論の下でその政策を正当化してきた。人質殺害後は、それに加えて「テロの脅威」を柱に据えることができる。集団的自衛権の行使が地球の裏側に及ぶ問題についても、従来は急所で弱点であったものが、事件により意味づけが一変して、逆に反論を押しのけて正当化できる根拠となる。北岡伸一と谷内正太郎は笑いが止まらない神風だろう。昨年末、報ステの映像に登場した新米のジャパンハンドラーが、米国がイスラム国を軍事壊滅させた後、イラクでのPKFを日本に担当してもらうと、そう任務を「マスコミ辞令」する場面があった。イラク戦争のときの米軍の役割だ。自衛隊にとって初のブーツ・オン・ザ・グラウンド。
今回のテロ事件と、オバマの対イスラム国戦争の宣言と、二つが重なった状況で、この集団的自衛権行使の「任務」を回避すべしとする国内の反戦世論がどこまで高まるか、マスコミの言論がどうなるか、今後の状況は予断を許さない。2/18にはDCで主要国の首脳が集まり、イスラム過激派に対して「対テロ戦争」で連携する会議が予定されている。議事進行をリードするホストはオバマとオランドだったが、おそらく安倍晋三を加えたトロイカとなり、日本の軍隊の派遣が組み込まれたシナリオとなるだろう。
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