「in deep」から転載。
自分は瞑想しているつもりで、思考が迷走しているというのが凡人の常である。
であるから、下の記事に書かれた、
瞑想とは、「論理的に突きつめて真剣に考えること」だと、私は解釈しています。
そういう意味では、「無念無想」というよりは、むしろ、アニメの一休さんのように、「問題の対処を考え続ける」姿が真実の瞑想かもしれません。
というのは面白い考えだと思う。
アニメの一休さん、懐かしいねえ。確か、右翼の笹川良一の日本船舶振興会が提供していた記憶があるが、あの頃の右翼はいい事もしていた。(笑)
「慌てない、慌てない」がアニメの一休さんの口癖だったが、これはいい言葉である。
だいたい、世間の大半の失敗や事故は難問や緊急事態に対して慌てて結論を出し、慌てて行動することから来る。
その最たるものが自殺である。若い人ほど簡単に自殺するものだが、これも慌てて結論を出した結果だろう。自殺などしなくても、人はいずれ死ぬし、人生の苦悩や苦痛の大半は、自分自身が心でそれを拡大しているもの(幻想に近い。まあ、我々の主観とはすべて幻想だとも言えるが。)であることが多い。自殺は簡単な解決法ではあるが、残念ながら人間は一回しか自殺できない。死んだ直後に「しまった~」と思っても、後戻りはできないのである。もっとも、老人や病人の自殺については、私は肯定的である。
自殺というのを例に出したのは、これこそが「慌てた行動」の例、つまりほとんど「考え」ないで結論を出す「思考ではなく感情に支配された行動」のいい例だと思うからだ。(もちろん、そうでない自殺もある。『悪霊』のキリーロフの自殺は熟慮の結果の自殺だと言えるだろう。ソクラテスの自殺もそうである。まあ、ソクラテスの場合は「自殺勧告を受け入れての自殺」だったと記憶するが。)
もちろん自殺するかどうかといった問題に限らず、問題が起きたら、結論を出す前にまずは所与の事実を確かめ、よく考えることだ。
話がだいぶ妙な方向に行ったが、「慌てない、慌てない」は、万人向けの人生訓としてもお勧めである。
(以下引用)
そのような「第3の目」について、日月神示では、「額の目」として、
もの見るのは額で見なされ
額の判断間違いなし、額の目に誤りなし。
のように述べていることになるわけですね。
とはいえ、「額の目で見よ」と言われても、具体的にどうすればよいのやら。
そのあたりのことはわからないのですが、松果体の役割を生物学的な意味でも合理性を持つ表現をしたシュタイナーが「高次の世界を認識する具体的な方法論」として記した著『いかにして高次の世界を認識するか』について、過去記事の、
・人工 DNA から生命が作られる物質科学の時代に考え直したい 100年前にシュタイナーが唱えた「人類が高次へ移行する方法」
2014年05月12日
の中で、高次の世界を認識するための、その本に記されているいくつかの条件や特性を書きました。
これらはシュタイナーの言うところでは、世界を「霊的に見る」ことにつながっているとのことですから、「第3の眼」、つまり「額」で見るということと関係することかもしれないですので、記しておきます。
実際に著作を読むと、一朝一夕で何が変わるというものではなく、何年も何十年も、場合によっては「何世代も(転生が存在すると仮定した場合)」続いていくような実践ではあるようで、簡単なことではありません。
神秘学の学徒になるための条件
第一の条件
「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」
第二の条件
「自分自身を生命全体の一部分と感じること」
第三の条件
「私の行動だけではなく、私の思考と感情も、同様に世界に対して重要な意味をもっている」と考えることができる境地にまで上昇しなくてはならない」
第四の条件
「人間の真の本質は外見にではなく、内面にある」
第五の条件
「一度自分で決めたことは、確固とした態度で守り通す」
第六の条件
「自分に与えられるすべてのものに対する感謝の感情を育てる」
第七の条件
「つねにこれらの条件が求められるとおりに、人生を理解する」
霊学において高次の認識に上昇するために身につけなければならない四つの特性
第一の特性
「思考において真実と仮象のものを、真理と単なる意見を区別すること」
第二の特性
「仮象のものと向き合ったときに、真に実在するものを正しく評価すること」
第三の特性
「思考の制御、行動の制御、ねばり強さ、寛大さ、信じること、冷静さを実践すること」
第四の特性
「内面的な自由に対する愛」
などです。
どれも、箇条書きにしただけではわかりにくいですが、私に詳しい解説ができる能力があるわけでもなく、そのあたりはシュタイナーの著作をお読みいただければ幸いです。
ただ、お読みいただければおわかりかとも思いますが、神秘学の訓練というのは、おどろおどろしい修行のようなものではなく、
というもののようです。
たとえば、「瞑想」という言葉がありますが、眼をつぶって「頭を空」、あるいは「無念無想」したような行為は、シュタイナーに言わせると瞑想ではないようです。
瞑想とは、「論理的に突きつめて真剣に考えること」だと、私は解釈しています。
そういう意味では、「無念無想」というよりは、むしろ、アニメの一休さんのように、「問題の対処を考え続ける」姿が真実の瞑想かもしれません。
自分は瞑想しているつもりで、思考が迷走しているというのが凡人の常である。
であるから、下の記事に書かれた、
瞑想とは、「論理的に突きつめて真剣に考えること」だと、私は解釈しています。
そういう意味では、「無念無想」というよりは、むしろ、アニメの一休さんのように、「問題の対処を考え続ける」姿が真実の瞑想かもしれません。
というのは面白い考えだと思う。
アニメの一休さん、懐かしいねえ。確か、右翼の笹川良一の日本船舶振興会が提供していた記憶があるが、あの頃の右翼はいい事もしていた。(笑)
「慌てない、慌てない」がアニメの一休さんの口癖だったが、これはいい言葉である。
だいたい、世間の大半の失敗や事故は難問や緊急事態に対して慌てて結論を出し、慌てて行動することから来る。
その最たるものが自殺である。若い人ほど簡単に自殺するものだが、これも慌てて結論を出した結果だろう。自殺などしなくても、人はいずれ死ぬし、人生の苦悩や苦痛の大半は、自分自身が心でそれを拡大しているもの(幻想に近い。まあ、我々の主観とはすべて幻想だとも言えるが。)であることが多い。自殺は簡単な解決法ではあるが、残念ながら人間は一回しか自殺できない。死んだ直後に「しまった~」と思っても、後戻りはできないのである。もっとも、老人や病人の自殺については、私は肯定的である。
自殺というのを例に出したのは、これこそが「慌てた行動」の例、つまりほとんど「考え」ないで結論を出す「思考ではなく感情に支配された行動」のいい例だと思うからだ。(もちろん、そうでない自殺もある。『悪霊』のキリーロフの自殺は熟慮の結果の自殺だと言えるだろう。ソクラテスの自殺もそうである。まあ、ソクラテスの場合は「自殺勧告を受け入れての自殺」だったと記憶するが。)
もちろん自殺するかどうかといった問題に限らず、問題が起きたら、結論を出す前にまずは所与の事実を確かめ、よく考えることだ。
話がだいぶ妙な方向に行ったが、「慌てない、慌てない」は、万人向けの人生訓としてもお勧めである。
(以下引用)
そのような「第3の目」について、日月神示では、「額の目」として、
もの見るのは額で見なされ
額の判断間違いなし、額の目に誤りなし。
のように述べていることになるわけですね。
とはいえ、「額の目で見よ」と言われても、具体的にどうすればよいのやら。
そのあたりのことはわからないのですが、松果体の役割を生物学的な意味でも合理性を持つ表現をしたシュタイナーが「高次の世界を認識する具体的な方法論」として記した著『いかにして高次の世界を認識するか』について、過去記事の、
・人工 DNA から生命が作られる物質科学の時代に考え直したい 100年前にシュタイナーが唱えた「人類が高次へ移行する方法」
2014年05月12日
の中で、高次の世界を認識するための、その本に記されているいくつかの条件や特性を書きました。
これらはシュタイナーの言うところでは、世界を「霊的に見る」ことにつながっているとのことですから、「第3の眼」、つまり「額」で見るということと関係することかもしれないですので、記しておきます。
実際に著作を読むと、一朝一夕で何が変わるというものではなく、何年も何十年も、場合によっては「何世代も(転生が存在すると仮定した場合)」続いていくような実践ではあるようで、簡単なことではありません。
神秘学の学徒になるための条件
第一の条件
「あなたの体と霊の健康を促進するように注意を払いなさい」
第二の条件
「自分自身を生命全体の一部分と感じること」
第三の条件
「私の行動だけではなく、私の思考と感情も、同様に世界に対して重要な意味をもっている」と考えることができる境地にまで上昇しなくてはならない」
第四の条件
「人間の真の本質は外見にではなく、内面にある」
第五の条件
「一度自分で決めたことは、確固とした態度で守り通す」
第六の条件
「自分に与えられるすべてのものに対する感謝の感情を育てる」
第七の条件
「つねにこれらの条件が求められるとおりに、人生を理解する」
霊学において高次の認識に上昇するために身につけなければならない四つの特性
第一の特性
「思考において真実と仮象のものを、真理と単なる意見を区別すること」
第二の特性
「仮象のものと向き合ったときに、真に実在するものを正しく評価すること」
第三の特性
「思考の制御、行動の制御、ねばり強さ、寛大さ、信じること、冷静さを実践すること」
第四の特性
「内面的な自由に対する愛」
などです。
どれも、箇条書きにしただけではわかりにくいですが、私に詳しい解説ができる能力があるわけでもなく、そのあたりはシュタイナーの著作をお読みいただければ幸いです。
ただ、お読みいただければおわかりかとも思いますが、神秘学の訓練というのは、おどろおどろしい修行のようなものではなく、
この世の真実とは何かを常に理論的に考え、それに基づき、世の中の真偽を見極め、また自分を見極め、その上で日常生活を大事にして冷静に生活していく日々の考え方と生活の仕方。
というもののようです。
たとえば、「瞑想」という言葉がありますが、眼をつぶって「頭を空」、あるいは「無念無想」したような行為は、シュタイナーに言わせると瞑想ではないようです。
瞑想とは、「論理的に突きつめて真剣に考えること」だと、私は解釈しています。
そういう意味では、「無念無想」というよりは、むしろ、アニメの一休さんのように、「問題の対処を考え続ける」姿が真実の瞑想かもしれません。
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