「播州武侯祠偏照院」から抜粋転載。元記事は、「代替案」というサイト(ブログ?)らしい。
ここに書かれた現在の若者の姿は、事実を正確に反映していると思う。
政治のことを考えないようにすることが、自己防衛の手段だと思っている様子もあります。「『左翼だと思われるから、大学で政治の話だけはするな』と親から言われ、絶対にしないようにしてきた」とか……。それじゃ、投票にも行かなくなるわけです。
つまり、右翼であることは許容され、左翼であることは社会的に否定されるという現実が厳然として存在しているわけである。ならば、右翼ないしは政治的に無関心である以外に安全な生き方は無い。実は、これは私が育ったころとそう変わってはいない。
私は子供の頃、学生運動をする人間を驚きの目で見ていた。自分の生きる社会を否定して、お返しにその社会から否定されたら彼らはその後、どう生きていけるのだろう、と思ったからだ。(これは子供としての感じ方だが、間違いでもない。社会の権力構造は社会秩序の基盤であり、権力構造の否定は社会そのものの否定だと一般大衆には感じられるからである。)
現実には、彼らは「転向」して、その後は会社組織の中で無難に生きるか、逆に転向後は極右的思想家、評論家になったりし、彼らの生き方の欺瞞性を私は不快に思ったものである。だが、学生運動に身を投じた人々の中にはこの社会を良くしたいという心の底からの思いから行動した人々も多かったと思う。彼らが「自分の人生を棒に振っても」改革のために身を捧げた姿(崇高と言っていい)には頭が下がる。
だが、普通の人間には、そういうことは絶対にできない。
自分の人生は守りつつ、しかし社会を良い方向に変革していく。それは決して不可能ではないはずだ。せめて、選挙においてだけでも右に投票することは絶対にしないというそれだけでも実は十分なはずなのである。(不正選挙さえ無ければ、という条件付きだが。)
(以下引用)
バートラム・グロスの『フレンドリー・ファシズム』の紹介まことにありがとうございました。浅学にして読んでおりませんでしたが、紹介していただいた部分のみでも、その慧眼に驚かされます。
>アメリカで企業中心の新しい権威主義が台頭するためには、最下層の学生がさらに増加したり、社会全体の構造がもっと際立って階層化される必要がある
私の周囲を見ても、授業料の支払いにも困ってブラックバイトに追われている学生たちほど、日々の生活で精一杯で、考える余裕すらないという冷酷な現実があります。また、政治のことを考えないようにすることが、自己防衛の手段だと思っている様子もあります。「『左翼だと思われるから、大学で政治の話だけはするな』と親から言われ、絶対にしないようにしてきた」とか……。それじゃ、投票にも行かなくなるわけです。
自発的にB層になるのを選択することが、自己防衛手段になっています。私は、何とかC層を育てたいと思っています。もちろんC層化する学生もいますが、「擬似A層」になるか「B層」になる方が多いのが現実なのではないでしょうか。
「擬似A層」というのは、私の勝手な造語です。「一流企業に就職するためには日経新聞を読め!」なんて周囲から言われて、一生懸命に日経新聞やビジネス誌を読んだりしているうちに、自分の妄想の中で「勝ち組」になったような気になっていく人々です(実際にはなかなかなれないのですが)。「妄想勝ち組」化すると、「日本が生き残るためにはTPPしかない!」とか、「強い者が生き残るのが市場原理だ!」なんて平気で言うようになっていきます。こうした層に対しては、「本当のエリートは、決して弱者に対する配慮を忘れないものだ」と諭すのですが、なかなか・・・。文科省の「グローバル人材」の育成教育改革の方針は、基本的に学生を疑似A層化させることを目的としているといってよいでしょう。
新古典派経済学で洗脳されていくと、気づかないうちに、本当に冷酷な人間になっていきます。大学の経済学部が新古典派経済学での洗脳教育をしてしまっている絶望的な状況がありますから・・・・・。新古典派経済学こそ「フレンドリー・ファシズム」を生み出す根本的原因かも知れません。
ちなみに、私の括りの中で、「C層」とは真正保守と左派・リベラルの双方を含みます。市場原理主義・新自由主義を批判し、かつ人種差別をしない人々すべてです。
B層ネトウヨに対しては、とにかく真正保守になるように指導します。真正保守は、決して人種差別をしない、日本の品格を汚すようなヘイト・スピーチを垂れ流さなない。「保守なら日本を貶めるな、恥を知れ!」と。
>教師は学生をなだめているうちに、自分たち自身がすっかり受動的になってしまっている
>学者、芸術家、テクノクラートといった広範な人々が私利を求める追随者の群れを形成する・・・彼らは搾取的な富と権力の集積を加速し、それを正当化するためになおいっそう協力する・・・
これも言えます。大卒で正社員になれるか/なれないかが、その後の人生を決めてしまうという不条理な日本社会です。現場の教員としても、とりあえず頑張って何とか正社員になるようにと指導することしかできないわけです。そのうち教員も不条理な構造に対して受動的になってしまい、「世の中の矛盾に気づかせる」という教育をすることはできなくなってしまいます。自分のゼミの学生を少しでも良いところに就職させたいと思えば、支配層と密着して、彼らの利権のおこぼれにすがろうとするような、あさましい行動もとってしまうようになります。
大学教員になって思ったことは、「高校教員よりよっぽど大変かも・・・」ということでした。大学受験に失敗して自殺する高校生なんてめったにいません。しかし就活がうまくいかない大学生たちは、精神的に不安定になって、鬱にもなっていき、自殺に追い込まれかねない状況に陥ってしまいます。学生たちと真剣に向き合おうとすると、大学教員が受けるストレスも大変なものです。自分の本来の研究どころではなくなっていきます。
PS
A層、B層、C層、D層という言葉が分からない方は以下の図を参照ください。2005年の郵政解散総選挙の際、小泉政権が郵政民営化を進めるための戦略の作成を広告会社に依頼して作成した企画書「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略」の中にある下の図が出所です。
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ここに書かれた現在の若者の姿は、事実を正確に反映していると思う。
政治のことを考えないようにすることが、自己防衛の手段だと思っている様子もあります。「『左翼だと思われるから、大学で政治の話だけはするな』と親から言われ、絶対にしないようにしてきた」とか……。それじゃ、投票にも行かなくなるわけです。
つまり、右翼であることは許容され、左翼であることは社会的に否定されるという現実が厳然として存在しているわけである。ならば、右翼ないしは政治的に無関心である以外に安全な生き方は無い。実は、これは私が育ったころとそう変わってはいない。
私は子供の頃、学生運動をする人間を驚きの目で見ていた。自分の生きる社会を否定して、お返しにその社会から否定されたら彼らはその後、どう生きていけるのだろう、と思ったからだ。(これは子供としての感じ方だが、間違いでもない。社会の権力構造は社会秩序の基盤であり、権力構造の否定は社会そのものの否定だと一般大衆には感じられるからである。)
現実には、彼らは「転向」して、その後は会社組織の中で無難に生きるか、逆に転向後は極右的思想家、評論家になったりし、彼らの生き方の欺瞞性を私は不快に思ったものである。だが、学生運動に身を投じた人々の中にはこの社会を良くしたいという心の底からの思いから行動した人々も多かったと思う。彼らが「自分の人生を棒に振っても」改革のために身を捧げた姿(崇高と言っていい)には頭が下がる。
だが、普通の人間には、そういうことは絶対にできない。
自分の人生は守りつつ、しかし社会を良い方向に変革していく。それは決して不可能ではないはずだ。せめて、選挙においてだけでも右に投票することは絶対にしないというそれだけでも実は十分なはずなのである。(不正選挙さえ無ければ、という条件付きだが。)
(以下引用)
バートラム・グロスの『フレンドリー・ファシズム』の紹介まことにありがとうございました。浅学にして読んでおりませんでしたが、紹介していただいた部分のみでも、その慧眼に驚かされます。
>アメリカで企業中心の新しい権威主義が台頭するためには、最下層の学生がさらに増加したり、社会全体の構造がもっと際立って階層化される必要がある
私の周囲を見ても、授業料の支払いにも困ってブラックバイトに追われている学生たちほど、日々の生活で精一杯で、考える余裕すらないという冷酷な現実があります。また、政治のことを考えないようにすることが、自己防衛の手段だと思っている様子もあります。「『左翼だと思われるから、大学で政治の話だけはするな』と親から言われ、絶対にしないようにしてきた」とか……。それじゃ、投票にも行かなくなるわけです。
自発的にB層になるのを選択することが、自己防衛手段になっています。私は、何とかC層を育てたいと思っています。もちろんC層化する学生もいますが、「擬似A層」になるか「B層」になる方が多いのが現実なのではないでしょうか。
「擬似A層」というのは、私の勝手な造語です。「一流企業に就職するためには日経新聞を読め!」なんて周囲から言われて、一生懸命に日経新聞やビジネス誌を読んだりしているうちに、自分の妄想の中で「勝ち組」になったような気になっていく人々です(実際にはなかなかなれないのですが)。「妄想勝ち組」化すると、「日本が生き残るためにはTPPしかない!」とか、「強い者が生き残るのが市場原理だ!」なんて平気で言うようになっていきます。こうした層に対しては、「本当のエリートは、決して弱者に対する配慮を忘れないものだ」と諭すのですが、なかなか・・・。文科省の「グローバル人材」の育成教育改革の方針は、基本的に学生を疑似A層化させることを目的としているといってよいでしょう。
新古典派経済学で洗脳されていくと、気づかないうちに、本当に冷酷な人間になっていきます。大学の経済学部が新古典派経済学での洗脳教育をしてしまっている絶望的な状況がありますから・・・・・。新古典派経済学こそ「フレンドリー・ファシズム」を生み出す根本的原因かも知れません。
ちなみに、私の括りの中で、「C層」とは真正保守と左派・リベラルの双方を含みます。市場原理主義・新自由主義を批判し、かつ人種差別をしない人々すべてです。
B層ネトウヨに対しては、とにかく真正保守になるように指導します。真正保守は、決して人種差別をしない、日本の品格を汚すようなヘイト・スピーチを垂れ流さなない。「保守なら日本を貶めるな、恥を知れ!」と。
>教師は学生をなだめているうちに、自分たち自身がすっかり受動的になってしまっている
>学者、芸術家、テクノクラートといった広範な人々が私利を求める追随者の群れを形成する・・・彼らは搾取的な富と権力の集積を加速し、それを正当化するためになおいっそう協力する・・・
これも言えます。大卒で正社員になれるか/なれないかが、その後の人生を決めてしまうという不条理な日本社会です。現場の教員としても、とりあえず頑張って何とか正社員になるようにと指導することしかできないわけです。そのうち教員も不条理な構造に対して受動的になってしまい、「世の中の矛盾に気づかせる」という教育をすることはできなくなってしまいます。自分のゼミの学生を少しでも良いところに就職させたいと思えば、支配層と密着して、彼らの利権のおこぼれにすがろうとするような、あさましい行動もとってしまうようになります。
大学教員になって思ったことは、「高校教員よりよっぽど大変かも・・・」ということでした。大学受験に失敗して自殺する高校生なんてめったにいません。しかし就活がうまくいかない大学生たちは、精神的に不安定になって、鬱にもなっていき、自殺に追い込まれかねない状況に陥ってしまいます。学生たちと真剣に向き合おうとすると、大学教員が受けるストレスも大変なものです。自分の本来の研究どころではなくなっていきます。
PS
A層、B層、C層、D層という言葉が分からない方は以下の図を参照ください。2005年の郵政解散総選挙の際、小泉政権が郵政民営化を進めるための戦略の作成を広告会社に依頼して作成した企画書「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略」の中にある下の図が出所です。
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