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パソナ会長いわく「正社員をなくしましょう」

「ヤフーニュース」から転載。
他の人々のツィッターなどでもこの竹中平蔵の「正社員をなくしましょう」鬼畜発言は取り上げられているが、きちんと論じた文章は少ないかと思うので、下の文章は貴重だろう。
私自身の前説は不要かと思う。素人が発言すると「竹中shine!」「売国奴竹中を国外追放にしろ!」程度の頭に血が上った言葉になるのがオチだ。



(以下引用)



竹中平蔵パソナグループ会長の「正社員をなくしましょう」発言と派遣法改正案の関係

佐々木亮 | 弁護士・ブラック企業被害対策弁護団代表

しょね

新年あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


さてさて、新年早々、経済学者を名乗っておられる竹中平蔵氏(株式会社パソナグループ取締役会長)がいろいろ言ってくれたようなので、少しそれについて言及してみたいと思います。

竹中平蔵パソナグループ会長曰く「正社員をなくしましょう」

報道によると、竹中パソナグループ会長は1月1日放送の「朝まで生テレビ 激論!戦後70年日本はどんな国を目指すのか!」で、「改正派遣法の是非」の議論において、同一労働同一賃金に触れ、

「(実現を目指すなら)正社員をなくしましょうって、やっぱね言わなきゃいけない」

と述べたとのことです。


竹中平蔵氏が非正規雇用について熱弁「正社員をなくしましょう」

派遣会社の会長が「正社員をなくしましょう」と言っている

まず、皆さん、よく認識しないといけないのは、竹中平蔵氏はパソナグループの取締役会長を務める人物だということです。



株式会社パソナグループ 会社概要


株式会社パソナグループは人材派遣を事業とする株式会社パソナを中核とするグループ企業の持株会社です。


派遣会社は、正社員が派遣社員に置き換わった方が派遣する労働者が増え、より多くの中間マージンを得ることができ、いっそう儲かるという構造があります。


したがって、竹中氏の頭の中には、派遣会社であるパソナグループがもっと儲かるにはもっと派遣社員が増えた方がいい、という基本認識があります。


この認識は、パソナグループの取締役であるかぎり、パソナグループの利益を第一に考えなければなりませんから、パソナグループ取締役会長という立場の竹中平蔵氏であれば、当然の基本認識と言えましょう。


簡単に言えば、商店の店主が、うちの商品をもっと買ってもらうには・・と考えているのと同じなわけです。

政商との指摘も・・

ただ、竹中氏は学者であるとも名乗っていますので、先のような認識をそのまま露骨に出さず、学者として、派遣社員が増えた方が社会のためであるというスタンスで発言を繰り返しているところが特徴です。


ジャパネットたかたの社長さんが、うちで扱っている商品を買ってください!!と言っているなら、まぁ、宣伝・広告の類なので、受け取る方も、そういうものだと思いますよね。


でも、経済学者然として、正社員をなくそう!と言われると、中には、そうか!と思ってしまう人もいますし、何よりも学者という肩書きで、政府が設置している「産業競争力会議」や「国家戦略特別区域諮問会議」に議員として名を連ねているから、やっかいなことこの上ありません。


産業競争力会議議員名簿


国家戦略特区諮問会議名簿


言うまでもなく人材派遣業は規制産業です。


前にも書きましたが、元来、派遣という雇用形態は、賃金の中抜き(中間搾取)や雇い主の責任が曖昧となることなどから厳しく規制されていた働き方でした。それが1985年に派遣法が成立し、大幅な規制緩和をし続け、今に至っているわけです。


この派遣法を改正してさらに規制緩和しようという議論に、派遣会社の取締役会長が加わっているのですから、利益相反は誰の目からも明らかです。


政府も利益相反なのだから選ばなければいいのにと思いますが、何故か彼は選ばれ続けます。


そして、彼自身も辞退をしません。


この点で、彼を政商と指摘する声もあります。


政商納言・竹中平蔵の「ぱそな儲かりていとをかし」

竹中会長の弁解は?

この派遣会社の会長という身分での政府の中枢の会議へ参加していることへの批判に対し、竹中氏は次のように弁解しています。



──雇用・人材分科会担当の竹中さんが人材サービス企業の会長であることに批判もあります。


経済政策の専門家として入っているので問題ない。派遣など利益相反になることには発言しない。ただそうなると雇用のテーマに会社の経営者が発言できないことになる。それはおかしい。言論封圧ではないか。


出典:東洋経済オンライン

言論封圧というものをあまりご存じないようなのですが、まぁ、その点は措くとして、竹中氏自身も、多少は利益相反という認識はあるようで、「派遣など利益相反になることには発言しない。」と明確に述べていますね。


さて、実際はどうでしょうか?


ここで、2013年9月18日の産業競争力会議の雇用・人材分科会の議事録を見てみましょう。



2点目は、労働者派遣制度の見直しである。8月20日に有識者研究会の報告が出ているが、その中でいくつか、規制強化なのではないかと思われるところがある。例えば、今まで派遣期間の制限を、業務単位で行っていたものを労働者単位とするというのは、おそらく、世界にもそういった例がないぐらいの規制だと思う。多様な働き方を認めようというときに、間違っても規制を強化するような方向には行っていただきたくないので、そこはぜひご注意をいただきたい。


出典:http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/bunka/koyou/dai1/gijiyousi.pdf

思いっきり発言しちゃってます!!(>_<)

またまた出てくる?派遣法改悪法案


この竹中氏が議論に参加してできあがった派遣法の改正案が、通常国会で再々提出されると言います(過去2回は批判にさらされ廃案になっていますが、懲りずにまた出すということです)。


この法案は「正社員ゼロ」法と呼ばれていますが、この法案の前提となる会議に参加していた竹中氏が「正社員をなくしましょう」と言っているのですから、この呼び名は言い得て妙ということになりますね。


しかし、派遣という働き方は雇用形態の中でも、最も不安定な形態です。これを激増させるような法案がいい社会につながるとはとても思えません。この点についてはまたの機会に書きたいと思います。また、竹中氏のその他の発言や「正社員をなくそう」の是非についても、追々言及したいと思います。


是非、皆様も、今後の派遣法改正をめぐる議論にご注目ください。m(_ _)m


【参考】


今、提出されている派遣法改正案が成立すると派遣社員が激増する理由


ハケンとマタハラ、混ぜるともっとキケン!~派遣法改正案は女性労働者の敵


厚労相さえも理解できない派遣法改正案の中身~そのゴマカシの“歯止め”措置[厚労相さえも理解できない派遣法改正案の中身~そのゴマカシの“歯止め”措置


一生ハケンは社会の時限爆弾


パソナ竹中平蔵氏肝いりの労働者派遣法の規制緩和を許していいのか


「世界で一番派遣会社パソナが活躍しやすい国」へ竹中平蔵氏肝いり派遣法改悪-若者は貧しさをエンジョイ?


佐々木亮

弁護士・ブラック企業被害対策弁護団代表



弁護士(東京弁護士会)。旬報法律事務所所属。日本労働弁護団常任幹事。ブラック企業被害対策弁護団代表。ブラック企業大賞実行委員。首都圏青年ユニオン顧問弁護団。民事事件を中心に仕事をしています。労働事件は労働者側のみ。ここでは、労働問題に絡んだニュースや、一番身近な法律問題である「労働」について、できるだけ分かりやすく解説していきます!






(追記)面白い現象が見られたので追記しておく。いわゆるステマ記事だが、マスコミを総動員してこの「正社員をなくしましょう」が進行しつつあることを伺わせる現象だ。下の「ビジネスジャーナル」記事が、その記事内容とはすでに乖離した「正社員は特別と考える日本の異常さ」という語句を含むタイトルがつけられ、(これ自体は筆者の了承を取ったものだろう。)さらにその転載であるmsn上の短縮された記事紹介タイトル(記事本文への誘導タイトル)が「なぜ? 正社員の特別扱いは日本だけ」である。こうなると、記事本文との乖離のあまりのひどさに絶句する。記事本文の中で、正社員という言葉はどこにも無く、それらしいのは「・グローバル化の過程で、これまでの「既存の社員は変更の例外」「日本人は特別」は通用しない。」というわずか1行なのである。もちろん、記事そのものはグローバリスト御用学者のものだが、正社員問題(いや、正社員という言葉すら使っていないが)は長文記事の中のたった1行であり、しかも中心点ですらないのだ。問題はmsn上のタイトルの付け方にある世論誘導なのである。

業界順位に意味はあるのか?正社員は特別、と考える日本の異常さ、世界市場での衰退招く

ビジネスジャーナル







 前回の連載で、急速に加速化する技術進歩と融合したグローバリゼーションという環境の中における企業と国家と個人の関係は、「生き残るためには急速に変わらざるを得ないことを理解し、変身するであろう合理的な企業」と「変わりたくないと悪あがきする国家」、その狭間で「リスクテイクの判断を迫られる、変わらなければいけない個人」といった構図になっていると述べた。繰り返すが、企業は国家や個人とは違い、本来は極めて合理的な存在であるはずだ。


 翻って、日本の企業を取り巻く状況に目を向けると、日本国内には高齢者関連、特に高齢者向けの医療・介護とアジア人頼みの限定的な観光関連業以外に成長の可能性のある市場は見当たらない。


 企業は合理的な存在であるので、大企業に限らず成長を志向する多くの日本企業は、海外市場に目を向け自らグローバル化した不確実性が高い経営環境に身を置き、その適応を通してマネジメントも含めて大きく企業体質を転換していくことになるであろう。この転換は企業ごとに異なるはずであるし、異なるべきである。その中に、日本市場にとどまるという選択肢も含め、多岐にわたる生き残りの形態が考えられるが、領域によって日本型組織の特徴が維持できる程度は異なる。


 つまり、日本型組織としてクルマづくりに固執しているトヨタ自動車、日本型にもはや固執していない日産自動車、クルマづくりに必ずしも固執しない本田技研工業が業界の1位、2位、3位ということは大きな意味を持たなくなっているという状況が、他の業種でも当たり前のようになるであろう。そもそも、業界何位という仲間・横並びの認識は機能しなくなる。


●「変える意志と変わる勇気」と「変わらない選択と変えない忍耐」


 日本企業のトップマネジメントには、「変える意志と変わる勇気」と「変わらない選択と変えない忍耐」の違いを理解し、現場力(日本企業の得意とするプロセス主導の迅速なインプリメンテーション力<意思決定より実行が優位のこと>)を口実に決断を避けるのではなく、果敢な経営判断をすることが求められる。つまり、環境変化の程度と速度は高まると思うべきであり、独哲学者フリードリヒ・ニーチェの言ではないが、「脱皮をしない蛇は死ぬ」と心得るべきであろう。しかし、制度変更ではなくプロセスの変化を通して漸次に変わっていくことを得意とする日本型企業にとって、加速的にグローバル化する経営環境の中での脱皮は時間との勝負となる。不確実な環境下での決断に当たっては、下記の観点を考慮する必要があろう。


・価値がハードからソフトに急激にシフトしていく。
・企業の規模の重要性が急速に薄れていくので、大企業だから有利とはいえない。
・組織として環境適応を阻む積極的惰性から脱し、脱学習を試みることが重要になる。
・速いスピードで大きく変化する経営環境に対応するには、組織は多様化(Diversity)していかなければならない。
・グローバル化の過程で、これまでの「既存の社員は変更の例外」「日本人は特別」は通用しない。


「変える意志と変わる勇気」を持つか「変わらない選択と変えない忍耐」を受け入れるかという決断の過程を通して、これまでの業界何位という群れ的な感覚から脱し、ユニークな企業アイデンティティの再構築が求められる。


 この決断は、企業の規模によって当然異なってくる。大企業にとっては、環境変化への迅速な適応を阻む、強い積極的惰性をいかに克服するかが問われるが、その先の適応のあり方は、企業次第であろう。例えば、以下のような企業が考えられる。


・周辺事業の人材をトップマネジメントにすえて外科手術を行う企業。
・中心事業の若手を抜擢し内科手術を行う企業。
・トップマネジメントに外国人を起用し、組織の遺伝子組み換えを行う企業。
・リスクを取って川から海洋に出て、淡水から海水に適応するように組織を転換し、成長するサクラマスのような企業。
・日本市場の勝者として川に残りガラパゴス的進化を遂げるヤマメのような企業。
・グローバル化に挑戦するが失敗し、日本に戻るシーラカンスのような企業。
・かつての捕食者から捕食される側にまわり、環境の悪い深海に潜り、組織永続を図るオウムガイのような企業。
・超長期にわたり大きく変化しない生息領域に棲まい、安定的に存続するカブトガニのような企業。


 ほかにもYKKのように、はるか昔に適応してしまった企業もあるが、それは極めて例外であろう。


 従来の中小企業に関しては、「日本的経営を残したいか」との自問と、残せるかの見極めが必要となるであろう。キッコーマンの茂木友三郎名誉会長も述べているが、グローバル化には「誰にも負けない」というグローバルニッチ的技術優位性が必要である。


 新興のベンチャー企業は、日本を最初から念頭には置いていないであろう。フィールドはグローバルであり、すでに多くの外国人を抱えている企業も多い。情報通信技術のレバレッジを使わず日本市場にこだわっているようでは大きな成功は収められない。


●グローバル化が難しい日本人のメンタリティ


 このような企業の合理的な選択として、日本企業が真にグローバル化を達成した場合、それを「日本の」企業という枠組みに収める考え方は正しくない。


© Business Journal 提供

 日本型組織の特徴は日本の文化に根差して生まれたものであるが、グローバル環境においてそれらが取り入れられるとすれば、利便性のある手法、技法、技術、制度などの文明の要素として受容されるのであり、背後にある思想や規範は取り除かれる。異論のある方もいるかもしれないが、日本の歴史はまさにこの典型的な例であることを忘れてはならない。


 つまり、フォーマット(型)として受け入れられるのであり、その受容を通してフォーマットの中身は変容すると心得なければならない。企業においても、韓国や中国の消費者が、和式キムチや日式拉麺を認めたり、日本の消費者がカリフォルニアロールやサーモン寿司を外道といわず、積極的に受け入れている現状を見習う必要があろう。つまり、文化は一つの変わらぬものがあるという排他的な心理的本質主義的観点ではなく、新奇性を吸収し、常に変化していくものであるとする排他的ではない構築主義的観点を持つことがグローバル化を強く志向する企業にとって重要となる。


 グローバル化の時代とは、外部の影響や内部の異分子の影響(多様性)で文化が変容していく可能性の大きい時代なのである。日本の企業がグローバル化を目指す過程で、その組織体質が自ずと変容し、客観的に見れば出自とは異なったものになるとすると、それを日本の企業と一括りに呼ぶことは適切ではないのである。


 しかし、無意識に「日本人」という境界を設定する日本人のメンタリティで組織的にグローバル化するのは、かなり難しいことも事実である。実際、日本人は海外のものを受け入れる際には、自分たちに合わせるべく変更を加えるのに、海外の人が日本のものを変更することは許容しない傾向にある。フランスでは日本人のシェフやパティシエが受け入れられているが、白人や黒人の板前や和菓子職人を日本人は受けいれられるのかといえば疑問である。日本人は、自分たちがやっていることが外からどう見えるかという意識が欠落しており、加えて自分たちは例外であると思っている節がある。かつてのように日本が世界に対して門を閉ざしていた時代ではないので、意識と現状のギャップがどんどん拡大しているといえるだろう。このような日本人の姿勢を変えないと、グローバル環境下での日本企業の強さを問うても意味がないといえそうでもある。しかし、生き残るためには急速に変わらざるを得ないことを理解し、変身する合理的な存在である企業はもはや日本人の姿勢の変化を待たないかもしれない。つまり、意識の変わらない日本人は置いていかれるのである。


 筆者が読者諸兄に対していえることは、「Do not fool yourself, let’s face the reality(馬鹿なことをしないで、現実を直視しよう)」である。個人はもちろん、合理的存在とはいえ、現実を見ることからしか企業にとっての生き残りの解は見えてこないのである。
(文=小笠原泰/明治大学国際日本学部教授)





























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空を眺め、雲が往くのを眺め、風が吹くのを感じれば、
それだけで人生は生きるに値します。

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