デング熱発生のスタート地点がなぜ「代々木公園」なのか?
ネット記事をいろいろと当たってみると、デング熱の最初の感染場所として、「代々木公園」が最優先で疑われたことに疑問符を投げかけている人は多い。何かが不自然なのだ。日本では戦時中、1942年から1945年(終戦年)までに、神戸・大阪・広島・呉・佐世保・長崎などで約20万人に上るデング熱流行が発生している。当時のお医者さんなら高熱を発する初期症状を診てデング熱を疑っても当然である。
しかし、それから69年も経過した今のお医者さん全般に、高熱やその他の初期所見だけで、それが風邪とは異なるデング熱であるかもしれないと判別できる経験則、ないしは判断基準の自己構築ができているものだろうか。あるとしたら、その判断要素は何だろうか。もしかしたら、専門家特有の“ヤマカン”というものなのか?
まあ、だとしても、それは職能的な裏打ちから出ることが多いと思うから、ありうることかもしれない。風邪とどこが違っていたのだろうか。ご本人の話を伺ってみたい気持ちがある。
ドクターは忙しいから、マスコミの取材合戦は一社だけでは済まなくなることは、多分、迷惑以外の何ものでもないのだろう。だから、メディアにこの医師が登場しないのは分かる様な気もするが、匿名で各社に対し文書を出すことくらいはできるような気がする。それにマスメディアに登場したところで、取材熱は一過性のものだろうから、一度だけ発見の経緯を語るだけで済むのではないのか?
第一発見者のドクターはたまたま知識があったから発見に結び付いたという。この発見は、他の施設のドクターたちに感染症発見の注意を喚起したわけだから、早期感染症対策に結び付く大きな功労である。たとえ世間に名を知られてもマイナスになることは考えにくい。
デング熱は38度以上の高熱や頭痛、関節痛など風邪に似た症状を示すとある。風邪に酷似した症状を診ただけで、風邪とは異なる“デング熱かもしれない”と判断した理由は何だろうか。神州の泉はその根拠を知りたくて、発見者であるドクターにかんする記事を探したが見つからなかった。検索法が悪いのだろうか。読者さんで該当記事を御存知であれば是非お教え願いたい。
多分、神州だけではなく多くの人が最大の功労者であるそのドクターのことが知りたいと思っている。たまたま知識があったから発見に結び付いたということだが、判別できたのは知識だけなのか、それとも海外などでデング熱の臨床経験があったからなのだろうか。
香山リカ氏は今回の感染症を一番最初に疑った医師について、Twitter上で下記のように語っている。
「デング熱いちばんすごいのは最初の患者さん診てこれを疑い血液を国立感染研究所に検査 に出した医師では。私なら渡航歴ない熱発者診て絶対デング熱なんて疑わないわ。ってかその先生が検査に出さなかったら誰も気づかないうちこの流行も静かに 終息したかもね…」
誰でも常識的にはそう思うだろう。69年の臨床ブランクがあるとすれば、この発見は画期的なのである。だからご本人の発見時の様子が知りたい。専門性のある判別要素とは何なのか。たとえヤマカン(第六感)であったとしても、それはそれで興味深い。
疫学的な発生機序には全く無知であるが、ど素人なりに疑問がある。日本国内で最初にデング熱ウィルスを持つキャリアとなった人物(=初の国内感染者)は、当然ながら、どこかでデング熱ウィルスを持つ蚊に咬まれているわけである。そのデング・モスキートは外国からの貨物に付いてきた蚊なのか、あるいは“輸入症例”患者を噛んでウィルスを媒介した蚊なのか、どちらかである。
いずれにしても、最初の保有者(キャリア)を咬んだ国内蚊が世代交代を重ねて増えることによって、数十人の患者を発生させるまで、いったい何匹の蚊が増えていることになるのだろうか。相当な数であるはずだ。それがなぜ東京都内の代々木公園や明治神宮などに集中しているのだろうか。
海外渡航者は東京人だけではないのだ。しかも空の玄関口は成田や羽田だけではない。東京の発生確率が一番高いと考えるのは説得性がない。
(以下略)