とりあえず、記事だけ先に載せて、考察は後にしたい。
(以下引用)
総務省統計局によると、日本の労働人口は98年のピーク6800万人から直近ではおよそ6600万人まで減少。中でも24歳以下の若年労働人口は、同じ期間に4割近く急減した。労働供給が減少する中、アベノミクスを追い風とした景気回復が需給の逼迫化に拍車を掛けており、その間に1割近く下がった所定内賃金の反転を促しつつある。
日銀短観の雇用人員判断DI(指数)は、全産業で昨年の6月調査のマイナス1から12月調査ではマイナス10となり、企業の人手不足感が強まっている。中でも、非製造業の中小企業はマイナス19と、92年以来の水準となった。厚生労働省の労働経済動向調査によると、建設業や医療・福祉、運輸業で労働不足が特に深刻な状況だ。
阿比野建設(兵庫県姫路市)の阿比野剛社長によると、震災復興が進む東北地方などに関西の建設労働者も流れ、「人手不足は深刻で、十分な職人を確保できないプロジェクトも少なくない」という。ダンプトラック1台を手配するのに必要な料金が10年前の2倍に相当する6万円程度まで上昇しており、それでも運転手やトラックの数が需要に追い付いていないという。
(以上引用)
夢人後説:24歳以下の若年労働人口が約10年(くらいか?)で4割近い現象、というのは放置しておけない重大事だろう。と同時に、高齢者人口は増加の一途をたどることは明らかだから、日本は根本的に方向を変えないと経済的に破綻することは目に見えている。
とりあえず、現今の雇用状況を見ると、「建設業、医療・福祉、運輸業」での労働不足が深刻だ、と言う。建設業での人手不足は当然すぎることだが、政府はこれに対して海外からの移民労働者でまかなうつもりのようだ。だが、建設機械を操縦する能力や資格のある人間だけをそのように都合よく何十万人も海外から呼び寄せることができるだろうか。医療・福祉や運輸業での人手不足も同様だ。おそらく、本国で食い詰めた非熟練労働者が大量に押し寄せ、社会問題を引き起こすことになるだけではないか。
視点を変えて、果たしてそれらの産業に労働人口(その他の社会的資源も同時に、であるが)を供給することは、今の日本を良くしていく上で、正しい解なのか、と考えてみたい。労働人口を供給する以前に、やるべきことが沢山あるのではないか。たとえば、関東・東北での建設バブルは、はたして必要なものなのか。建設バブルの中でもフクシマの放射能除染作業(これにも建設関係のリソースが膨大に注ぎ込まれている)など、無駄無益以外の何物でもない、というのは多くの人が指摘するところだ。また、医療・福祉における無駄は数え切れないほどあるだろう。運輸業での人手不足は、おそらく関東での建設業人手不足と連動して起こったものだろう。
要するに、フクシマ原発事故によって既にほとんど破綻している関東に、社会的リソースを無駄に投入することから、この日本全体での労働者不足が起こっている面もあるだろう、ということだ。
いや、関東を放置せよ、というのではない。同じ関東でも、もっと、必要なところに必要なリソースを回さないと意味がない、ということである。わざと不愉快な比喩で言うならば、余命1ヶ月の老人に数億円の金をかけて、余命を数日延ばせるかもしれない、というだけの手術をして、その一方では大量の幼児や子供が目の前で死んでいくのを放置するようなことをしていないか、ということだ。もちろん、その老人が確実に余命が延びる当てなど無いのである。ただし、死んだときには使い残しの金で周囲は潤う、というだけだ。あるいは黄金製の豪華な棺桶を死者のためにはあつらえるかもしれない。
同じ関東・東北のために金を使うにしても、「護岸壁」などに使うより、居住地の高台への移転に使うべきだ、と私は思う。こうした議論も無しに、ただ事態はうやむやのままで、一部の人々の金の取り合いだけで終わっているとしか私には見えない。
あまり深く考えないで書いているので、以上のことはただの「思考素」としてとらえてほしい。日本の社会資源(リソース)を適正な方向に向けることが、今、何よりも必要なのではないか。
なお、不況時における労働問題(雇用問題)については、一般の公共事業のような民間委託ではなく、政府が直接に雇用する「ラストリゾート(最後の切り札)としての政府雇用」という考え方を政府は採用すべきだ、というのが私の考えである。それによって、たとえば原発労働者給与の中抜き問題のような悪習が根本から防げ、低所得層の所得が大幅に増えるとともに、景気の急速な回復(今は本当は回復などしていない)も起こるはずである。