3月16日(日) さよなら原発!かごしま集会 鹿児島市中央公園 に右翼街宣車が来て大音量で妨害をしていた。警察は右翼街宣車の音量測定を140mも離れたところからやっていた。データの捏造だ。右翼は八百長芝居のアルバイト。警察は裏金作り。電気代と税金からの泥棒だ。新聞記者たちが居たがこのイカサマの件は報道しなかった。
 
 そもそも、 原発反対集会に合わせ、警察が右翼に街宣許可を出した。両方の動きを見れば、完全に、どの程度騒ぐのかも打ち合わせ済みであるのが見て取れる。警察がこのような八百長芝居をするのは裏ガネのためばかりではない。警察の存在価値をアピールする事と、市民を気弱にさせ、国家権力の言いなりになる相互監視社会を維持するためである。
 
  警察組織は激しく堕落している。裁判所以上に堕落している。臆病で自堕落なこの組織は、もはや社会悪と戦える組織ではない。自作自演の範囲内で市民を脅迫する。本物の凶悪犯が来れば多くの警官はわれ先に逃げ出す。今の警察は自ら犯罪を捏造して肥大し続けている。暴力詐欺組織と呼んでもいいだろう。もちろんマスコミは警察と結託している。事実を知りながら疑いも、詳しい調査報道もしない。ジャーナリスト精神は政治家や市民を臆病にするためにしか使わない、大マスコミは権力の犬だ。
 
  伝統的に作り上げられた日本人の大きな特徴は「管理されやすさ」である。日本人の精神は常に恐怖心、警戒心に苛まれている。必要以上に見せ掛けにこだわり、精神の自立がない。臆病で、必死になって集団に埋没するため、その堕落も集団的である。このため、ほとんどあらゆる組織に警戒心と無責任、堕落の循環が起こっている。だから、良心による歯止めが効かない。
 
  街宣右翼の多くは市民を臆病にさせ、心理的な自立を阻み、相互監視の全体主義を維持させるという国家機能を担っている。加えて、マスコミが政治家の自由な発言を奪い、思考も奪っている。市民は臆病になり、互いを監視、警戒している。
 
 日本では堕落した警察、検察、裁判所、役所、マスコミなどに実質的な権力が集中している。日本は民主主義を偽装した中心の無い無責任・全体主義国家なのである。これら日本の中心のようにも見える公権力が、上になるほど激しく堕落しているので、この国は非常に危険だ。