「contemporary navigation」というブログから転載。
こういうところに目を付けて、自分で調べる、というところが素晴らしい。
特に解説の必要な記事ではないが、原油価格の上昇がこれほど極端なものだったというのは誰にとっても驚きだろうし、それを知らなかった人(私もそうだ)は新しい知見を得たわけである。そして、なぜこれほどの値上がりが可能だったかを考えれば、石油メジャーによる策謀、という結論が当然出てくるし、世界政治における中東の紛争もそこに真の理由の大半はある、と推定できるわけである。
(以下引用)
脱炭素社会は、エネルギーメジャーの陰謀
先日BSでOPEC(石油輸出国機構)についてやっていて、何気なく見ていたのだが、ある時、目が点になった。
それはOPECが作られた当時の原油の価格である。
1970年代前半に、原油の価格は1バレル(約159リットル)あたり、わずか 1.5ドルだったのである!!(1リットルあたりにすると約1円)
1.5ドル??
今、何ドル??
70ドルくらいかな。
えーと、50倍ですか@@
こりゃ、根本的におかしい。
物価の値上がりから考えれば、原油の価格の上昇は3倍から、多くても5倍
つまり、4.5ドルから7.5ドルの間くらいなのではないだろうか?
そもそも、原油を掘るというのは、基本的に温泉を掘るようなものだろう。
そこに原油があれば、設備さえあれば費用はほとんどかからないはず。
では、原油価格について調べてみよう。
何々
以下引用
1850年頃~ : 石油メジャーの時代。石油の需要が高まり油田の開発が盛んになると、開発から販売までを行う国際石油資本(石油メジャー)の力が大きくなり、国際石油資本が原油価格を支配した。
1960年~ : OPECの時代。中東の産油国により石油輸出国機構(OPEC)が結成されると、OPECが産油量と原油価格を設定するようになり、OPECが公示するアラビアンライト(Arabian Light)原油の公示価格が基準となった。
1973年 : 第一次オイルショック。第四次中東戦争により原油価格は約2~3ドルから10~12ドルに上昇した。
1978年 : 第二次オイルショック。この年のイラン革命、1980年のイラン・イラク戦争(タンカー戦争)を機に価格が30~40ドルまで上昇した。
1980年頃~ : 市場の時代。OPEC以外での原油生産が増えたことや、欧米に原油市場が誕生したことにより、原油価格は市場により決定されるようになった。OPECの価格は市場価格から乖離した高値となり、OPECは公式販買価格の設定を放棄し、原油価格は約20ドルに下落した。
1983年 : WTI先物がNYMEXに上場された。同時期にブレント原油先物がIPEに上場された。
1986年 : サウジアラビアがアラビアンライト原油の価格公示を廃止。中東原油の基準油種はスポット価格を反映するドバイ原油・オマーン原油に移り、ニューヨーク原油 (WTI)、ブレント原油とともに、現在も国際原油市場の指標とされている。ただし、現在はドバイ原油の産出量は減少し、主にオマーン原油が指標となっている[3]。
1999年 : アジア通貨危機の影響などで原油価格は9ドル台まで下落した。
2003年~ : イラク戦争を機に原油価格は上昇。中東情勢やテキサス州のハリケーン被害などによる供給不安、中国などの需要増大、サブプライムローン問題後の投機資金の流入などの影響と見られる暴騰が起こり、2008年7月には147.27ドルまで上昇した[4]。しかし2008年12月には、サブプライムローン金融危機による需要の低迷から、原油価格は30ドル台前半まで急落した。2010年4月、原油価格は85ドル付近まで再上昇している
以上wikipedia
値上がりの理由は、ほとんどが中東戦争。
なるほどね。。そのためのイスラエルか。。
ま、それはともかくとして
つまり、現在でも放っておくと、1バレルあたり9ドルくらいまで価格が下落するのである。
ということは、やはり、物価上昇率や、海底油田による技術的な困難性も含め、現在でも採算ベースは1バレルあたり5から7ドルあたり。
つまり、自前で原油を掘ると、70ドルの原油ではなく5ドルから7ドルくらいで手に入るという事なのではないだろうか??
こういうところに目を付けて、自分で調べる、というところが素晴らしい。
特に解説の必要な記事ではないが、原油価格の上昇がこれほど極端なものだったというのは誰にとっても驚きだろうし、それを知らなかった人(私もそうだ)は新しい知見を得たわけである。そして、なぜこれほどの値上がりが可能だったかを考えれば、石油メジャーによる策謀、という結論が当然出てくるし、世界政治における中東の紛争もそこに真の理由の大半はある、と推定できるわけである。
(以下引用)
脱炭素社会は、エネルギーメジャーの陰謀
先日BSでOPEC(石油輸出国機構)についてやっていて、何気なく見ていたのだが、ある時、目が点になった。
それはOPECが作られた当時の原油の価格である。
1970年代前半に、原油の価格は1バレル(約159リットル)あたり、わずか 1.5ドルだったのである!!(1リットルあたりにすると約1円)
1.5ドル??
今、何ドル??
70ドルくらいかな。
えーと、50倍ですか@@
こりゃ、根本的におかしい。
物価の値上がりから考えれば、原油の価格の上昇は3倍から、多くても5倍
つまり、4.5ドルから7.5ドルの間くらいなのではないだろうか?
そもそも、原油を掘るというのは、基本的に温泉を掘るようなものだろう。
そこに原油があれば、設備さえあれば費用はほとんどかからないはず。
では、原油価格について調べてみよう。
何々
以下引用
1850年頃~ : 石油メジャーの時代。石油の需要が高まり油田の開発が盛んになると、開発から販売までを行う国際石油資本(石油メジャー)の力が大きくなり、国際石油資本が原油価格を支配した。
1960年~ : OPECの時代。中東の産油国により石油輸出国機構(OPEC)が結成されると、OPECが産油量と原油価格を設定するようになり、OPECが公示するアラビアンライト(Arabian Light)原油の公示価格が基準となった。
1973年 : 第一次オイルショック。第四次中東戦争により原油価格は約2~3ドルから10~12ドルに上昇した。
1978年 : 第二次オイルショック。この年のイラン革命、1980年のイラン・イラク戦争(タンカー戦争)を機に価格が30~40ドルまで上昇した。
1980年頃~ : 市場の時代。OPEC以外での原油生産が増えたことや、欧米に原油市場が誕生したことにより、原油価格は市場により決定されるようになった。OPECの価格は市場価格から乖離した高値となり、OPECは公式販買価格の設定を放棄し、原油価格は約20ドルに下落した。
1983年 : WTI先物がNYMEXに上場された。同時期にブレント原油先物がIPEに上場された。
1986年 : サウジアラビアがアラビアンライト原油の価格公示を廃止。中東原油の基準油種はスポット価格を反映するドバイ原油・オマーン原油に移り、ニューヨーク原油 (WTI)、ブレント原油とともに、現在も国際原油市場の指標とされている。ただし、現在はドバイ原油の産出量は減少し、主にオマーン原油が指標となっている[3]。
1999年 : アジア通貨危機の影響などで原油価格は9ドル台まで下落した。
2003年~ : イラク戦争を機に原油価格は上昇。中東情勢やテキサス州のハリケーン被害などによる供給不安、中国などの需要増大、サブプライムローン問題後の投機資金の流入などの影響と見られる暴騰が起こり、2008年7月には147.27ドルまで上昇した[4]。しかし2008年12月には、サブプライムローン金融危機による需要の低迷から、原油価格は30ドル台前半まで急落した。2010年4月、原油価格は85ドル付近まで再上昇している
以上wikipedia
値上がりの理由は、ほとんどが中東戦争。
なるほどね。。そのためのイスラエルか。。
ま、それはともかくとして
つまり、現在でも放っておくと、1バレルあたり9ドルくらいまで価格が下落するのである。
ということは、やはり、物価上昇率や、海底油田による技術的な困難性も含め、現在でも採算ベースは1バレルあたり5から7ドルあたり。
つまり、自前で原油を掘ると、70ドルの原油ではなく5ドルから7ドルくらいで手に入るという事なのではないだろうか??
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