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浜矩子氏の思想

「播州武侯祠遍照院」に、同志社大教授浜矩子氏のインタビューが載っていて、その内容に感心したので抜粋転載しておく。
浜矩子氏は反アベノミクスの論者として著名だが、その考えの根底にはこのようなヒューマニズムがある、ということを知って見直した。いや、見直した、という言い方は失礼だが、私は経済学者や経済評論家という連中のほとんどを信頼していなかったのである。だが、下のインタビューで語られた内容は、立派な思想である。つまり、「経済は人間全体の幸福のためにある」という根本点がしっかりしているのだ。すなわち経済学がただ金の学問ではなく「経世済民」の学になっている。こうした学者なら信頼していいと思う。
彼女の思想の根底には案外、マルキシズム(資本主義の発展に伴う「人間疎外」の現象の指摘など)その他の社会主義的発想(「分かち合い」の思想)があるように思う。


(以下引用)赤字部分は夢人による強調。

近年は資本主義が限界や終焉を迎えているとの指摘もある。

浜:少し前までは、「グローバル資本主義の時代が到来した。国境を越えた資本主義の勢力拡大の力学に人々がのみ込まれてしまう」というような言い方が、結構はやっていましたよね。

ところが、面白いことに、最近は「資本主義の終焉だ」が話題になっています。その認識の変化は重要だと思います。そもそも、資本主義体制というものが実はグローバル化というメカニズムに耐えられない。そのことに世の中が気付きつつあるのだと思います。世の中は、存外に賢い。

今、国境を越えて暴れ回っているのは資本主義ではない。「資本」なのだと思います。いわば資本が野生化して暴走している。

資本主義のメカニズムは、ある意味で、資本を経済的再生産メカニズムの中に封じ込めているわけです。ヒトによるモノづくりのためのカネ回し。この仕組みの中に資本が組み込まれている。

それに対して現在では、カネ回しのためのカネ回しの中でヒトがモノ化する構図が出来上がってしまいつつある。その中で、カネがどんどんヒト化する。例えば、「市場が何々を催促している」とか「市場との対話が足りない」とか、そんなふうに言われる。

その一方で、ヒトはその人格をもみ消されて、モノと化す。それこそ再生産メカニズムの中における原材料や部品と同じ扱いを受けるようになっています。非正規雇用者に対する企業の扱いがヒトのモノ化に拍車を掛ける。そんなことがどんどん進むのは誠に恐ろしいことです。再生産のメカニズムから飛び出して野生化した資本の凶暴性から、人間の営みである経済活動をどう守るのか。そのようなテーマに我々は当面しているのだと思うのです。

資本の暴走のブレーキ役を宗教は果たせるのでしょうか。

浜: 宗教界は経済活動というものをまともに抱き留めているでしょうか。経済活動はお金もうけのことで、宗教や信仰とは別である、そのような発想で経済活動が認識されているのであれば、大きな問題があると思います。

繰り返しになりますが、経済活動は人間の営みです。経済活動を営む生き物は人間だけです。その意味で、経済活動の営みこそが、人間が人間であることの証しだといえるでしょう。

そのようなテーマを、宗教者が抱き留めないのはおかしい。宗教的な倫理性や節度にかなってこそ、経済活動は経済活動の名に値する。人間的まともさに照らして失格であれば、それは経済活動ではない。それを宗教指導者の皆さんには声高に打ち出してほしい。経済と人間は切っても切れない関係にあり、人間を幸せにするためにしか経済活動は存在し得ないのです。

これからの日本はもはや成長を望めない。成熟社会を実現すべきだとも主張しておられる。

浜 まず誤解のないようにしたいのは、成長を望めないから別の道を求めるべきだと言っているわけではありません。経済には成長することが必要な場面や時期があります。極貧状態から食べていけるようなところまで発展していく。その場合には、成長は至高にして唯一の目指すべきテーマです。

人間が生まれて大人になるプロセスの中には、必ず身長が伸びたり、筋肉がついてきたりすることが必要な時期がある。しかし、大人になれば、そこからさらにまた背が伸びたり、骨格が大きくなったりする必然性はない。成長を必要としているのは、未熟さの証しです。成熟の域に達すれば、成長の時代はもう卒業です。

その意味で「もはや成長が望める時代ではなくなった時にどう対応するか」というような言い方にも問題があります。成長することが常に望ましいという感覚が潜んでいるからです。成長が望めないのではなく、成長を卒業した時にどうするかと考えるべきです。

成熟度と洗練度と完成度が高まった日本がまだ成長することを望むのは危険性をはらむ。本当は成長してはいけないものを成長させようとすると、ひょっとすると、領土拡張のために戦争をしたいということになりかねない。「ようやく成長しなくてはならない時代が終わった」と、大人らしい経済の回し方、成熟時代の楽しみ方がどういうものかという感覚で捉えるべきだと思います。

そう考えたとき、おのずと出てくる回答は「分かち合い」だと思います。成長時代を卒業したということはその過程で形成された豊かさを手に入れたということ。その豊かさの果実をいかに分かち合えるか。それが成熟段階の経済活動の勘所だと思います。ところが、今の日本では世界に冠たる成熟と豊かさを誇っているのに、そのただ中に貧困問題がある。これはまともな姿ではありません。だから次のテーマはよりよく豊かさを分かち合うことです。答えはとてもシンプルだと思います。

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