「阿修羅」記事を転載。
べつに石原が知事に再選されようが、そのまんま東が新知事になろうが、政治家としては同レベルだから、石原再選に憂鬱になる必要もないのだが、問題は、そうさせた都民の倫理レベルである。石原という倫理観ゼロの人間を知事に選ぶというのは、都民の倫理レベルも同程度だということになる。まあ、倫理レベルの話ではなく頭脳レベルの話かもしれないが。東京は田舎者の集まりだというが、今では本当の田舎の人間のほうが金銭的成功を求めて東京に集まる田舎者よりもずいぶんまともなようである。もちろん純粋の江戸っ子は別の話だ。情報機器が日本全国に行き渡った現在では、東京人は情報面ですら田舎に劣っているのではないか。
中央官庁との癒着を求めて東京に集まる企業群も、福島原発事故のせいで、安全のために関西に本部を移すところもこれからたくさん出てくるだろう。東京は老人だけが取り残される馬鹿でかいスラム街になる可能性もある。そういう街の知事ならば、石原が知事をやっても全然オッケー、という感じである。
(以下引用)
石原東京都知事当選の憂欝 (田中良紹の「国会探検」)
http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/518.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 4 月 13 日 10:04:18: FjY83HydhgNT2
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/04/post_255.html
統一地方選挙の前半戦は予想通りの結果となった。つまり現職が圧倒的に強かった。それはこの時期に選挙をやれば容易に予想できたことである。
未曾有の大災害が起きて国民の目はそちらに向いている。選挙運動も自粛ムードを余儀なくされる。国民が選挙に関心を持てる状況にない。知名度が低く実力が未知数の新人候補が「現職よりも私の方がふさわしい」と説得する機会は極度に制約されていた。
そうでなくともこの国の選挙は新人に不利、現職に有利な制度になっている。「政治とカネ」を理由に戸別訪問を認めず、選挙期間も短縮されてきた。この国では戸別訪問を認めると買収が起こる、選挙機関が長いと選挙にカネがかかって腐敗が起こると言われてきた。
しかし戸別訪問を認めない民主主義国などない。スピーカーで名前を連呼されても候補者の事は分からない。戸別訪問で直接会話できれば判断の材料が得られる。見ず知らずの他人を買収することなど出来る筈がない。すぐに通報されてしまう。どこの国でも戸別訪問は選挙の基本である。ところがわが国では買収を理由に戸別訪問を認めずにきた。
選挙期間は長い方が候補者を見比べられる。そして長い選挙を戦える候補者こそ政治家にふさわしい。なぜなら「出たい人より出したい人」で、有償無償の支援者が周囲にどれだけいるかが選挙を左右する。献金する人、ボランティアで活動する人が多い候補者ほど政治家にふさわしいと民主主義国は考える。アメリカ大統領選挙など1年間もやっている。
ところがわが国ではカネのかかる選挙は腐敗を生むと言って選挙期間を短くしてきた。新人には厳しく現職議員に有利な制度である。それにも増して今回は特殊な状況での選挙である。現職が有利になるのは決まっていた。だから私はそもそも選挙を行う事に反対だった。
大震災が起きた時、「未曾有の国難」と言いながら、一定の期間を限定して全ての動きを凍結する行動を取らなかった菅総理が私には理解出来なかった。期間を3ヶ月にするか半年にするかは総理の判断だが、その期間は「非常時」である。与野党が対立して選挙などやっている場合ではない。一致団結して震災対策に当るべきだと思った。
一致団結と言っても大連立とは限らない。与野党を問わず危機に対応した経験のある政治家を災害対策本部に招集し、挙国一致体制を敷くべきだと思った。そのためには与野党が敵対する事になる選挙を一定期間延期する必要がある。ところがそうはならずに選挙が行なわれ、にもかかわらず菅総理は自民党の谷垣総裁を副総理で入閣させる大連立構想を表明した。片方で対立しながら、もう一方で大連立だという。この総理は本気で政治をやっているのかと疑った。
選挙を押し付けられた国民は、国家の危機だから真面目に選挙には行かなければならないと考えた。選挙をやる事に不満の声は上がらなかった。しかし判断材料は目の前の震災しかない。実績のある政治家を選ぶようになる。結果はそういう事になった。結果を予想できた筈の菅総理は、どのような戦略的判断で選挙を行ったのか。その戦略はいまだに分からない。
私は投票所で「こんな時期に選挙をやるのは愚か」と書いて投票した。そして東京では予想通り石原慎太郎氏が再選された。150%出馬する気のなかった人が都政をやる事に私はひどく憂欝である。なぜなら出馬する気がなかった事を裏付けるかのように、最近の石原知事の言動は政治家として「プッツン」しているからである。
大震災が起きた時、石原氏は「我欲に縛られた日本への天罰」と言った。死んだ親の遺体を放置してミイラにし、その年金を詐取していた事件と天災とを重ね合わせた発言である。評論家か文学者ならいざ知らず、とても未曾有の災害を前にした政治家の発言とは思えなかった。ただの情緒的、ただの感情的な発言と思った。「なるほどこの人は政治家の思考回路を捨て去ったのだな」と私は思った。
その後も「プッツン」発言は続く。3月下旬には「花見自粛」を打ち上げた。大震災で苦しんでいる被災者を前に花見で浮かれている場合ではないと言うのだろう。これもまるで情緒的、感情的な発言で政治家失格である。政治家ならばまず大震災からの復興を考えるはずだ。
花見を自粛して復興につながりますか? まるで逆である。日本が復興するために必要なのは、国民が少しでも余計に金を使う事である。国民の財布の紐が締まれば経済は収縮、景気は悪化する。景気が悪化すれば被災地を助けることも出来なくなる。政治がやるべきは国民の不安を払拭し、希望を抱かせ、財布の紐を緩めてやる事である。それを石原氏は理解出来ないようである。
さらに「プッツン」発言は続いた。「我々はつましい生活をしよう」と言い出した。それが節電を意味するなら分かるが、節約を意味するならとんでもない。節電は大いにやるべきで、まだまだ東京の夜や電車の駅は欧米に比べて明るすぎる。もっと暗くても良い。しかし生活をつましくする必要はない。節電をやりながら、どんどん物を買い、どんどん旅行し、どんどん遊び、経済を活性化する必要がある。それは被災地に義捐金を送る事と同じなのである。
そしてもっと困るのが「東京はダイナモ」発言だ。東京は日本のダイナモだから東京を強くしなければ日本の復興はないと石原氏は思っている。これは危険な思想である。この大震災を教訓にすればダイナモは一つでは危ない。二つか三つに分散しないといつ災害でやられるか分からない。
私は震災からの復興計画の目玉は遷都だと思っている。今回の地震の規模は想定外だと言う。しかしマグニチュード9は人類が経験した事のない強度ではない。それを日本人は甘く見た。これからは起こりうる最悪の事態を想定して対策を立てる必要がある。東京が壊滅しても日本は生き残る。それを考えなければならない。
徳川家康は1603年に江戸幕府を開いた。経済は大阪、教育文化は京都、そして政治は江戸の体制にした。アメリカは経済がニューヨーク、教育文化はボストン、政治はワシントンDCが中心だが、それより前に日本は三つの中心地を持っていた。それが次第に東京に集中するようになり、戦後の高度成長期には東京一極集中が完成した。
中曽根内閣の終わりに中曽根総理は東京遷都を考えた。古来日本の都は四百年で遷都してきたと言われるからである。国会で移転決議が行われ、国会と霞が関を別の場所に移す事が決まった。ところが1999年に東京都知事に就任した石原氏がこれに大反対した。議論は次第に下火になり、誰も遷都を言わなくなった。
千年に一度と言われる大震災を受けて私は遷都を考える時が来たと思っている。東京から政治機能を被災した東日本に移すのである。そうすれば復旧ではない復興が本物になる。東京は経済の中心地として国内では名古屋、大阪、福岡と競い合い、海外ではニューヨーク、上海、シンガポールと競い合う。その重要な時期に「プッツン」してしまった都知事では判断を間違うと思うから私は憂欝になってしまうのである。
投稿者: 田中良紹 日時: 2011年4月12日 22:35 | パーマリンク
べつに石原が知事に再選されようが、そのまんま東が新知事になろうが、政治家としては同レベルだから、石原再選に憂鬱になる必要もないのだが、問題は、そうさせた都民の倫理レベルである。石原という倫理観ゼロの人間を知事に選ぶというのは、都民の倫理レベルも同程度だということになる。まあ、倫理レベルの話ではなく頭脳レベルの話かもしれないが。東京は田舎者の集まりだというが、今では本当の田舎の人間のほうが金銭的成功を求めて東京に集まる田舎者よりもずいぶんまともなようである。もちろん純粋の江戸っ子は別の話だ。情報機器が日本全国に行き渡った現在では、東京人は情報面ですら田舎に劣っているのではないか。
中央官庁との癒着を求めて東京に集まる企業群も、福島原発事故のせいで、安全のために関西に本部を移すところもこれからたくさん出てくるだろう。東京は老人だけが取り残される馬鹿でかいスラム街になる可能性もある。そういう街の知事ならば、石原が知事をやっても全然オッケー、という感じである。
(以下引用)
石原東京都知事当選の憂欝 (田中良紹の「国会探検」)
http://www.asyura2.com/11/senkyo111/msg/518.html
投稿者 七転八起 日時 2011 年 4 月 13 日 10:04:18: FjY83HydhgNT2
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/2011/04/post_255.html
統一地方選挙の前半戦は予想通りの結果となった。つまり現職が圧倒的に強かった。それはこの時期に選挙をやれば容易に予想できたことである。
未曾有の大災害が起きて国民の目はそちらに向いている。選挙運動も自粛ムードを余儀なくされる。国民が選挙に関心を持てる状況にない。知名度が低く実力が未知数の新人候補が「現職よりも私の方がふさわしい」と説得する機会は極度に制約されていた。
そうでなくともこの国の選挙は新人に不利、現職に有利な制度になっている。「政治とカネ」を理由に戸別訪問を認めず、選挙期間も短縮されてきた。この国では戸別訪問を認めると買収が起こる、選挙機関が長いと選挙にカネがかかって腐敗が起こると言われてきた。
しかし戸別訪問を認めない民主主義国などない。スピーカーで名前を連呼されても候補者の事は分からない。戸別訪問で直接会話できれば判断の材料が得られる。見ず知らずの他人を買収することなど出来る筈がない。すぐに通報されてしまう。どこの国でも戸別訪問は選挙の基本である。ところがわが国では買収を理由に戸別訪問を認めずにきた。
選挙期間は長い方が候補者を見比べられる。そして長い選挙を戦える候補者こそ政治家にふさわしい。なぜなら「出たい人より出したい人」で、有償無償の支援者が周囲にどれだけいるかが選挙を左右する。献金する人、ボランティアで活動する人が多い候補者ほど政治家にふさわしいと民主主義国は考える。アメリカ大統領選挙など1年間もやっている。
ところがわが国ではカネのかかる選挙は腐敗を生むと言って選挙期間を短くしてきた。新人には厳しく現職議員に有利な制度である。それにも増して今回は特殊な状況での選挙である。現職が有利になるのは決まっていた。だから私はそもそも選挙を行う事に反対だった。
大震災が起きた時、「未曾有の国難」と言いながら、一定の期間を限定して全ての動きを凍結する行動を取らなかった菅総理が私には理解出来なかった。期間を3ヶ月にするか半年にするかは総理の判断だが、その期間は「非常時」である。与野党が対立して選挙などやっている場合ではない。一致団結して震災対策に当るべきだと思った。
一致団結と言っても大連立とは限らない。与野党を問わず危機に対応した経験のある政治家を災害対策本部に招集し、挙国一致体制を敷くべきだと思った。そのためには与野党が敵対する事になる選挙を一定期間延期する必要がある。ところがそうはならずに選挙が行なわれ、にもかかわらず菅総理は自民党の谷垣総裁を副総理で入閣させる大連立構想を表明した。片方で対立しながら、もう一方で大連立だという。この総理は本気で政治をやっているのかと疑った。
選挙を押し付けられた国民は、国家の危機だから真面目に選挙には行かなければならないと考えた。選挙をやる事に不満の声は上がらなかった。しかし判断材料は目の前の震災しかない。実績のある政治家を選ぶようになる。結果はそういう事になった。結果を予想できた筈の菅総理は、どのような戦略的判断で選挙を行ったのか。その戦略はいまだに分からない。
私は投票所で「こんな時期に選挙をやるのは愚か」と書いて投票した。そして東京では予想通り石原慎太郎氏が再選された。150%出馬する気のなかった人が都政をやる事に私はひどく憂欝である。なぜなら出馬する気がなかった事を裏付けるかのように、最近の石原知事の言動は政治家として「プッツン」しているからである。
大震災が起きた時、石原氏は「我欲に縛られた日本への天罰」と言った。死んだ親の遺体を放置してミイラにし、その年金を詐取していた事件と天災とを重ね合わせた発言である。評論家か文学者ならいざ知らず、とても未曾有の災害を前にした政治家の発言とは思えなかった。ただの情緒的、ただの感情的な発言と思った。「なるほどこの人は政治家の思考回路を捨て去ったのだな」と私は思った。
その後も「プッツン」発言は続く。3月下旬には「花見自粛」を打ち上げた。大震災で苦しんでいる被災者を前に花見で浮かれている場合ではないと言うのだろう。これもまるで情緒的、感情的な発言で政治家失格である。政治家ならばまず大震災からの復興を考えるはずだ。
花見を自粛して復興につながりますか? まるで逆である。日本が復興するために必要なのは、国民が少しでも余計に金を使う事である。国民の財布の紐が締まれば経済は収縮、景気は悪化する。景気が悪化すれば被災地を助けることも出来なくなる。政治がやるべきは国民の不安を払拭し、希望を抱かせ、財布の紐を緩めてやる事である。それを石原氏は理解出来ないようである。
さらに「プッツン」発言は続いた。「我々はつましい生活をしよう」と言い出した。それが節電を意味するなら分かるが、節約を意味するならとんでもない。節電は大いにやるべきで、まだまだ東京の夜や電車の駅は欧米に比べて明るすぎる。もっと暗くても良い。しかし生活をつましくする必要はない。節電をやりながら、どんどん物を買い、どんどん旅行し、どんどん遊び、経済を活性化する必要がある。それは被災地に義捐金を送る事と同じなのである。
そしてもっと困るのが「東京はダイナモ」発言だ。東京は日本のダイナモだから東京を強くしなければ日本の復興はないと石原氏は思っている。これは危険な思想である。この大震災を教訓にすればダイナモは一つでは危ない。二つか三つに分散しないといつ災害でやられるか分からない。
私は震災からの復興計画の目玉は遷都だと思っている。今回の地震の規模は想定外だと言う。しかしマグニチュード9は人類が経験した事のない強度ではない。それを日本人は甘く見た。これからは起こりうる最悪の事態を想定して対策を立てる必要がある。東京が壊滅しても日本は生き残る。それを考えなければならない。
徳川家康は1603年に江戸幕府を開いた。経済は大阪、教育文化は京都、そして政治は江戸の体制にした。アメリカは経済がニューヨーク、教育文化はボストン、政治はワシントンDCが中心だが、それより前に日本は三つの中心地を持っていた。それが次第に東京に集中するようになり、戦後の高度成長期には東京一極集中が完成した。
中曽根内閣の終わりに中曽根総理は東京遷都を考えた。古来日本の都は四百年で遷都してきたと言われるからである。国会で移転決議が行われ、国会と霞が関を別の場所に移す事が決まった。ところが1999年に東京都知事に就任した石原氏がこれに大反対した。議論は次第に下火になり、誰も遷都を言わなくなった。
千年に一度と言われる大震災を受けて私は遷都を考える時が来たと思っている。東京から政治機能を被災した東日本に移すのである。そうすれば復旧ではない復興が本物になる。東京は経済の中心地として国内では名古屋、大阪、福岡と競い合い、海外ではニューヨーク、上海、シンガポールと競い合う。その重要な時期に「プッツン」してしまった都知事では判断を間違うと思うから私は憂欝になってしまうのである。
投稿者: 田中良紹 日時: 2011年4月12日 22:35 | パーマリンク
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